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【NM法の中山先生って誰ですか?】宗教界では有名な
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創造工学研究所所長の中山正和先生です。宗教界の人ではありません。 このひとが、新しいアイディアを生み出す方法として、連想を活用した展開技法を生み出し、自分の頭文字でNM法という形で発表しています。 問題を解決する方向の持ち方意識の持ち方ということをあちこちで講演していますが、どうしても「儲かるものを考える」みたいな、成果狙いのがつがつしたやりかたをすると結局失敗することが多いので、「問題を解決する」ということを前面に出し、問題はなにかを認識する意識になることを勧めています。 著書のなかで紹介されている例というのは、電気回路の接点が使っているうちに接触が悪くなり不具合を起こすケースがあります。 このためにいろいろ素材を替えたりしてもうまくいかない。 ここで「問題点を見よ、観察せよ」ということになります。 で、接点の状態を顕微鏡カメラで観察して追っていくのです。そうすると、どうも摩擦ですりきれて接点がはがれだすという状況だとわかった。でも解決策が浮かばない。 もっと問題点を見よ、となります。 たくさんの画像を並べ、繋げて再生していくと、一種の映画というかアニメーションになります。 そのとき、そのアニメを見ていてはっと気づいた。 そのすりきれて粉になっている電極が、まるで水たまりの泥の行動のように見えたのです。 水たまりがあったらどうすればいいか。 水たまりなら砂を放り込めばいい。そうすれば水が吸収され おちついた地面になる。 そこで革命的発想が起こった。粉にした銅を電極にすりこむという方法です。 電極はすりきれて粉になるということを問題視していたのに、さらに粉を追加するのです。 結局、その多めの粉のおかげで接触はおちつき、安定した回路になった。 これがNM法の考え方です。 中山先生、これを心から理解し、自分の行動パタンとして身に着けてほしい。そこで技術とは別のことで説明を行ったのが法華経の解釈です。 法華経というのは、問題点を数えあげ、それをひとつひとつ解決するための意識の持ち方を語ったお経です。 般若心経のようにものの見方の角度を変えると煩悩が片付く、というのではなく、問題点を直接片付けるための心得、を説いているからです。 法華経をだしにして、NM法を説いているのです。 ですから、宗教の人ではありません。
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みなさん回答ありがとうございます