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日本語って議論に向かない?

日本人はあまり議論しないといわれますが、日本語って議論に向かないのでしょうか?

noname#220336
noname#220336

みんなの回答

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17102)
回答No.10

言い方の問題で、日本語ではそのものずばりに表現することは好まれません。遠回しな言い方が好まれますが、それは日本人同士で共通の常識があるからです。外国人にはそんなものは存在しませんから、分かってもらえないということになります。 日本語であっても関西弁で「考えておきます」というのが実際には「お断りします」という意味なのはよく知られています。東京のように各地から来た人の寄り合いで町ができたところは遠回しな表現では伝わりにくいところがあるのに対し、古くからある関西ではそれで十分通じたのでしょう。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8018/17137)
回答No.9

それは日本語の問題ではなく、日本文化の問題です。 日本語でも議論をしようと思えば、いくらでもできます。議論をしないのは、議論を回避したいということの反映です。

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.8

口語調のみでは議論とか相手に理解してもらうのに不都合があるでしょうが、 漢文の影響を残す文語調を駆使すれば議論は容易です。 それと普段から英語や中国語などを使った会話に慣れていれば、 外国人に理解してもらう為の日本語の組み立ても容易です。 私は現代日本人と話し方が異なるので、外国人と間違えられますが。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10498/33014)
回答No.7

英語や中国語などでは、「主語+動詞」になります。つまり最初に「誰が何をする」というのがくるんですね。こういう言語を勉強すると分かるのですが、これは自己主張するのに大変便利なのです。誰が何をしたっていうのが先に来ますから、「私は思う、戦いは愚かである」「私は話す、平和こそが繁栄の道である」「私は持っている、夢を」と主張が明確になるのです。主語と動詞が最初に来ないと文章そのものが成立しないんですね。 ところが日本語では、特に会話文では主語がほとんど消え、動詞が最後にきます。誰の主張なのかが分かりづらいし、動詞が最後に来ると結論をひっくり返すのも簡単です。 「戦いは愚かであり、平和こそが繁栄の道である・・・という意見もありますが」といきなり主張をひっくり返すことができます。もし英語でこういう言い回しをするなら「私は~」という言い回しではなく、「人々がいうには(The people says・・・)」というような表現にならざるをえず、これはこれで「彼の意見ではないのだな」というのが分かります。 「I love you」という言葉がシンプルに分かりやすいですよね。誰が誰を愛しているのかはっきりしています。中国語では「我 爱 你」で英語と同じです。ちなみに中国系の人と筆談するとき、「主語+動詞+目的語」で割と通じます。 しかし日本語ではこの言葉に匹敵する強い告白の言葉はないですよね。「僕は君を愛しています」って、いったことあります?いわないですよね?大抵は「好きです」の一言ですが、これだと誰が誰を好きなのかも明示されていませんし、そもそも「好きです」ってのはお寿司が好きなんかにも使われますから、そんなに強い言葉でもありません。

noname#230940
noname#230940
回答No.6

日本語が議論に向くか向かないかということより、学校教育のカリキュラムの問題だと思います。 どちらかというと、知識を詰め込むような教育内容でこれまで来てしまってますから、文部科学省の役人にしてもどういう教育をすれば良いのか分からないでしょうし、教職員にしても教えようがないと思います。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3667)
回答No.5

日本語には一つの言葉に様々な意味や感覚が備わっていることが多くあります。そうした意味では、表現ということに関しては優れた言語だと思います。 ただ、議論となると、日本語の持つ様々なニュアンスが仇となって合理性については問題があるのではないかと思います。 単刀直入ではないということでしょうね。 また、日本語自体とは別に日本人の持つ感性、奥ゆかしさや、率先した発言を控えたりする状況は議論する際、日本語以上のマイナス要因だと思います。 日本人が、議論の中で折角の発言の機会がありながら、その経緯を静かに見守る光景は外国人にとっては全く奇異な状況ということでしょう。 だから、日本語というよりも日本人自体の性格そのものが議論に向かないのかもしれませんね。 ただ、こうしたことは既に周知のことですから、そこを弁えればよいのではと思いますが。

noname#219804
noname#219804
回答No.4

日本語は表現が豊かで、作文の自由度は英語よりあるはずです。 だから言葉を駆使する議論には、むしろ適している言語じゃないでしょうか。 議論を敬遠するのは国民性でしょう。

noname#235638
noname#235638
回答No.3

雨だけでも 霧雨・小雨・時雨・俄雨・涙雨・・・いっぱいあります。 敬語があったり、何とか語があったりと 日本語は、論理的じゃないと思います。 言葉選びが大変、なんです。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9577)
回答No.2

noonsoir69 さん、こんにちは。 これは高校生のころから英語の先生に教えてもらったことなんですが、英語とかは必ず、結論を最初に言うのだそうです。そこへ行くと日本語は結論が後に来るので、議論には向かないそうです。日本語はとても情緒的なので、漢詩や和歌なんかの文学には向いているようです。よくCMで外国人が日本人の考えていることがよくわからないというゼスチャーをしていたのを覚えています。その頃からディベートという番組が栗本慎一郎先生司会でやっていたけど、幼稚すぎてこれで外国人に対抗できるのかと思ったことがあります。 栗本慎一郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E6%9C%AC%E6%85%8E%E4%B8%80%E9%83%8E

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

ここの質問でもよくあるように、議論の前提条件を「後出しにする」という人が多いのが、日本人と議論するのを嫌がる要因にはなっていると思います。 「前提条件」なのに「後出し」って、と思われた時点で、その人が相手にされなくなる、という。

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