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男の作法に女の作法

ユリア(@yuria2014)の回答

回答No.10

こんばんは。 以前少しお話しましたが、家庭の事情で施設のお世話になりました。 ここの先生が、普通の家庭以上にしないとこういう子はと言われてしまうからと、厳しくご指導して頂きました。 言葉使いに始まり、靴は向こう向きに揃える、敷居は踏んじゃだめ、お箸の使い方まで細かに教えて頂きました。お陰で会社では良くして頂けたと思います。 昨年先生にお会いした際に、貴女が頑張ってくれたから後進に道が開けたのよと言って頂き、嬉しかったです。 男女の差の無い仕事ですので、職人の作法でお話させて頂きます。 お店のカウンター内を、和食店では板場、お寿司屋さんでは昔の名残でつけ場と言います。 私の場合お客様と向き合いますので、尖った柳刃包丁をお客様に向けるのに抵抗が有ります。 気にしない職人は多いのですが、こればっかりは致し方ございません。 先丸江戸蛸引きですとか、刀の先のような刀剣型の特殊な刺身包丁を使います。 使ってる包丁を見れば、有る程度は腕が分かります。 時々老舗のお寿司屋さんにヘルプで入りますが、包丁談義ですっかりフレンドリーです(笑)

kamejrou
質問者

お礼

こんにちはyuria さん 私は施設の話しは初めて聞きました 苦労されたのかな? そう思えば私は涙もろいからこうしていても涙ぐむのです もうこのように立派になられて ここの子は、そう言われてはいけない 私はもうこの年ですし子供もおりませんから 何でしょうかねえ涙が止まらない ごめんなさいね、最近は庭の雀を見ていても泣けるのです 職人さんの世界そうなのでしょうね これで中々難しいのでしょう 我々には分からない世界です、頑張ってくださいな 今週、「弁天山 美家古」に行こうと思っています Isoken さんに聞いてもうたまらないのです そのうち話す機会もあるでしょう ニシンももう終わりなのですね これからは初夏の魚でしょうか? Yuria さんもあまり無理はしないように ありがとうございました

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