- 締切済み
死んだら無になる宗教や哲学について
はじめまして。以前から宗教や哲学など、強く信じることのできるものに興味があり、本を読んだり、インターネットで色々と調べているのですが良く分からないため質問させて頂きます。 昔から生きづらいと感じることが多く、何か強く信じられるものが欲しいと思っていました。 しかし、宗教について調べても、基本的に死後幸せになるためのものが多いように思いました。 私は死んだら無になる と思っています。 自殺をした友人が数人います。 死後の世界があるなら、その世界では幸せなことしかないとは思えません。 どんなに楽しいことやうれしいことも、ずっと続けば、それが普通になってしまうような気がします。 天国で先に行った人と、楽しく過ごしているよ という言葉も、 その世界に他の人がいるなら、人と関わることは楽しいことだけではないと思ってしまいます。 辛くて、もう生きていられない と思うほど、生きて居られなかったほど辛い思いをした友人達に、死後にもまだ世界があると考えたくありません。 私はこれからも生きていかなければいけないんだと思っています。 そのために、何かただただ信じることのできるものが欲しいです。 宗教や哲学だと、何かに迷ったときもとにかくその通りにしていれば生きていけるのでは と思ってしまいます。 自分の考えや、まわりの人の考えだけだと、事あるたびに揺らいでしまいます。 なにかおすすめの宗教・哲学、ほかのものでも全く構いません。 お教えいただけると大変助かります。 どうぞ宜しくお願いいたします。
- その他(学問・教育)
- 回答数8
- ありがとう数4
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
みんなの回答
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、そのために、何かただただ信じることのできるものが欲しいです。 A、その前段というか前準備をしっかりとやることです。 1、社会科学に関する書物。 2、自然科学に関する書物。 3、哲学に関する書物。 4、歴史に関する書物。 これらを片っ端から読んで、まずは、基礎的な知的レベルをアップ。全ては、それからです。でないと、「信じる=盲信」という等式に支配された世界が待っていいるだけですよ。
調子良さそうに見える他人だって、実態は自分と似たようなものさと思っています。死後の世界は無いと決めてやってます。あったら望外の幸運という事で・・・。 で、くだらい歌のサビなのですが、次の2節が心に残ってます。勝手な解釈ですが。 一度しかない人生だから、何気に不安だけど. Believe in me(自分を信じろ). 一人しかいない運命の人. You are my first priority(お前つまり自分は、自分の最優先事項). もう恐れはしない.明日へと走る定め. しょうもない歌詞だなぁとも思うけれど、ほかに何があるってんだ?という気もする。
- FEX2053
- ベストアンサー率37% (7987/21354)
宗教というのは「現世が生きにくい」からこそ求められるもので、 現世に満足している場合、宗教は発生しません。 ここで、救いを外部に求めてしまうと、「現世はつらいけど、次の世 には救いがあるよ」と言わないと宗教が成立しないわけで、「現世で 救いがあります」と言っちゃうといろいろ矛盾が出てきて、最後は カルト一直線になるんですね。 「来世」を外部に求めない場合、自己救済に走ることになります。 実は「来世」を求めず自己救済を柱に据えている宗教が、本来の仏教 なんです。日本の仏教は多く大乗仏教に変質してるのでそう思われない でしょうが、本来の仏教の姿に近い、「自らが悟る」ことを第一に考えて いる「禅宗」を学ぶと、その辺が解決すると思います。 とりあえず、禅宗についてはこの辺を。 http://www.zazen.or.jp/
- bancho18
- ベストアンサー率34% (92/268)
死んだ後がどうなるかわからないから怖い。無になるなんてあまりにも怖すぎる。 それを払拭するために生まれたのが宗教だと思います。 だから、天国、極楽、輪廻というものを生み出したのでしょう。 だから、死んだら「無」という宗教はないんじゃないかな? 哲学の場合、救いを求めるのでなく、本質を求めるのだから死後に世界はないという考えはあるでしょう。でも、なんにせよ、「死後の世界」があるということも、ないということも、立証はできません。 あ。おすすめでしたね。自分はこちらです。宗教によらずに「神」を考える書籍です。 「愚が賢を探る」楠 光雄
- tkmn_001
- ベストアンサー率16% (45/268)
かなり迷われていますね。 もしかしたら、このまま生きる意味や今世の役割などを突き詰めて いかれた方が良いかと思われますが、現段階で色々考えが発散されている ようですので、少しでも参考になれば、という気持ちで色々記載させて いただきます。 (ここから先はあくまで個人の意見なので、あくまでご参考までに) まず、タイトルの「死んだら無になる宗教や哲学について 」 ですが、「宗教や哲学」は現世において、魂を研ぎ澄ますための1つの材料、 悟りを開くための1つの知恵が詰まったものだとお考えください。 「死んだら無になる」とありますが、そもそも「宗教や哲学」は現世という 学びの環境でこそ、利用できるものです。死んだときに使いません。 「無になる」という言葉から自分のものである意識が少しばかりあるかも しれませんが、「宗教や哲学」は誰のものでもありません。 現世でのみ利用でき、無くなることはありません。 生きるうえで行なうべきなのは魂の成長を促すこと。 これは来世でも引き継がれます。そのため、必要なのは今世での経験や感動。 そういった出来事に沢山出会い、成長していくことが必要になります。 これは無になることがありません。 なお、途中で今世を諦めてしまった方は来世において、同じレベルから スタートします。なので、来世で仮に同じ状況にあった場合は、成長していない 限りまた同じことを繰り返す可能性があります。 重要なのは経験して克服することです。 どんな状況であれ、全ては自身の成長のために起き得ているイベントです。 これをどう解釈してどう乗り越えていけるかがポイントになってきます。 もしかしたら、上記のような話はすでに目にされているかもしれません。 その上で、やはり不安な気持ちは払拭できなかったり、周りの環境、圧力に 負けてしまいそうになっているかもしれません。 信じるもの、という意味では人生の師匠、道案内人を指すメンターという 言葉があります。メンターに出会えると1番良いのですが、そこまでは 自分で道を切り開き、自問自答をしながら突き進んでいく必要があります。 特に今の段階でやることが思いつかない、どうしたら良いのかわからない、 という状況でしたら、瞑想しながら「次のステップへ進むにはどうすれば 良いでしょうか?」と念じるのもオススメです。いずれ道が開かれるものと 思われます。
- tatatan201405
- ベストアンサー率34% (9/26)
仏教用語に顕幽一如と言う言葉が有ります。仏教は(宗や●※△教によって違うかもしれませんが) 死後幸せになるためのものでもないようですよ。死んだらすべてが良い事だらけの世界に行けるとも思いませんし。死んだら無になるとも思えませんし。だったら幽霊って何よとか思ってしまうし。 程度の差はあるとは思いますが皆生き辛さは感じていると思いますよ。 おすすめが見当たらないのに返事してしまってゴメンナサイ。
補足
回答ありがとうございます。 顕幽一如という言葉、初めて聞いたため調べてみました。 うまく説明できないのですが、死後幸せになるため、だけの意味でなく 先祖や現世など、「続いている」という考えを持つことができないのです。 もう死んだらそこで終わり!というふうになっていてほしい と思っています。 皆が生きづらさを感じているとのお言葉、その通りですよね 悲劇のヒロイン風になってしまっているような気もします。 仏教用語など、もう少し色々と調べてみたいと思います。ありがとうございました。
- bn10000
- ベストアンサー率7% (19/259)
何かにすがって生きて逝きたいって事かな? そうでないなら、自分を信じなさいよw 信じるか信じないかは、貴方しだいです。。。
補足
回答ありがとうございます。 自分を信じる という事が一番難しいように思えてしまいます。 (だからこそ自分以外で信じられるものが欲しいと思っています。) もっと強く生きて、色々なことを乗り越えていかなければいけないですね。
初めから天国や地獄があるっていう考えが間違ってる・・とは思わないの!?・・
補足
回答ありがとうございます。 私は天国や地獄というものを信じることができていません。 その上で質問させていただきました。 支離滅裂な質問文になってしまい、分かりづらく申し訳ないです。
関連するQ&A
- 哲学と宗教
下の質問で”哲学の価値”はとういう質問を出しているのですが、その質問を出す前には共に漠然としたものであり一貫性がみあたらないな~と感じていました(共に専門的な知識はありません) それで、”哲学の価値”についてはそうでもなさそうだと思い回答を参考にしていろいろ見て回っている所なのですが・・・ どうしても宗教の一貫性のなさ(各宗教にによって考えが違っているようなこと等)が哲学と結びつけるのに無理があります(個人的にですよ) 私に基本的な知識がないからということは分かってはいるのですが、ふと思ったのですが、宗教が先に生まれたのかそれとも哲学(共に言葉が生まれる前でも良いです、それらしきもので結構です)が先だったのかどうなんでしょうか? へんな質問なんですが頭が混乱してきて整理したいのでよろしくお願いします
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 哲学が宗教から学ぶ事はありませんか?
私は家が無宗教だたので、宗教というものを知らなくて 若い日に宗教を幾らかかじりまいした。 そのお陰で哲学の盲点も見える様な気もします。 哲学が宗教化してはいけないと思いますが 仏教なり、キリスト教なり、神道なり、儒教なり、新興宗教から学ぶ点はないでしょうか? 哲学は疑って疑って疑い抜いて 結局何だかよく分からない状態の様ですが 宗教は一応此れ此れだから世界はこう、人間はこう、宗教はこうと格好を付けなければ成りません。 哲学が流行らない今、宗教に生き方を求める人も多いようです。 広告塔とか言って 有名人が宗教の看板になってたりします。 宗教で行けなければ、哲学は対案を出さなければ行けません。人々はそれを待ってると思います。 あなたの対案は何ですか? 宗教に学ぶこと。或いはその対案を教えて下さい。 出来れば端的にお願いします。哲学は現代に生きる人にアイデアを出せるか? よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 死後について
死後の世界は本当にあるんでしょうか?よく天国へ行ったと言われますが一般的に言われることを 本気に思い天国へ行こうと自殺する人もいると思います。宗教的にはあると考えられていると思いま すが本当のところはどうなんですか?よろしくお願いします。
- 締切済み
- その他(学問・教育)
- 捨ててこそ、無の境地である。
ほとんど前回と同じ質問で、前回は↓ 無の悟りとは、そもそも無を捨てることだ。 http://okwave.jp/qa/q8527407.html 無を捨ててこそ無を悟れる。 この手の言い回しはありがたい本などによく出てくる解りにくい論理だ。 仏教ではこの手のばか丸出しがありがたい教えであり、哲学だと言う事になっているが、 よろしい。 私が教えてあげよう。 無である事こそ人として生きる全てだと教えられ、無に至る事こそ信仰だと教えられ、そして無を望む。 これだけだと、望みではないのだよ。 誰かから聞いた事を自らの望みだと解釈しているだけだ。 ここで、他者の意思からではなく、自らの心として無を望めば、無の境地に至る。 すなわち、現在の教えられた無を望む心を捨て、、新たに自らが無を望むのだ。 その完成は、自らの信仰心にたどりつく事であり、他者からそそのかされて、教えを後生大事に携えることではない。 そのようにして、今の自分を捨てることで、本来の自分を自覚する。 これでなぞなぞみたいな、旧来の論理の解説は終わっているぞ。 仏教は哲学であるとうのぼれ、至高の教えで世界宗教であるとうのぼれ、それでいて従来はこんな単純な解釈も出来ていなかった。 全く哲学になっていなかった。 自称弥勒菩薩の私が今初めて解き明かしたのだ。 さて、感想文でいいから研究をさらに進めるため、意見してくれたまえ。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 宗教について
宗教に入っている方は、自分が信仰する神様以外の事をどう考えるのでしょうか? また死後の世界の解釈は宗教によって違うと思いますが、自分の入っている宗教以外の人の死後は自分が入っている死後の世界で考えるのでしょうか?
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 霊も、死後の世界も、宗教も信じていないのにお墓参りをするのは・・・
霊も、死後の世界も、宗教も信じていないのにお墓参りをするのは・・・ これは私自身のことです。 無宗教だし、死んでしまったら「無」になるだけで死後の世界などないと思っています。 でもきちんとお墓参りには行きますし、毎日仏壇にお線香をあげ手を合わせます。 それどころか、それをやらないと「バチが当たる」とか「ご先祖様に申し訳ない」とか本気で思ったりしていて、こういう矛盾した自分自身の気持ちがとても不思議です。 日本人は無宗教の人が多いですが、私と同じような人って多いのでしょうか? それとも、死後の世界はあると信じて先祖の供養をされてる方のほうが多いのでしょうか? お彼岸を控え、皆さんはどうなのか聞いてみたくなりました。 それから、死後の世界などないと言いながら一方でバチが当たると恐れてしまう、私のこの矛盾した気持は何なのでしょう? 代わりに説明していただける方がいらっしゃいましたらよろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- アンケート
- 宗教はギャンブルと同じようなものなのではないか?
宗教もギャンブルもお金を使うからのめりこんでしまうんです。宗教も一つのギャンブルみたいなものだ。例えば現在のプロテスタンなどが、神さまがお金を必要だから献金するようにと信者に言っているそうだ。 ギャンブルは結果がすぐ生きている間にでるから、失敗だったり成功だったりがわかるからまた挑戦ていうこともできる。 だが大概の宗教は死後の世界に希望をもたせるものです。その希望を高めようとして多くのお金を払うと、天国にでも行けると思うようになると錯覚する人もいるらしい。お金払っても天国に行けたのかの結果は、死んだだけであり、天国に行ったと思い込むだけしかない。 宗教はお金をはらって信仰をはかられるのでお金を沢山払えば払うほど、その宗教上での地位も上がると錯覚される。 だがさて、実際は多くのお金を払って宗教にのめりこんだとしても、天国に行けると思うのは錯覚なのです。神はお金など必要ありません。お金が必要なのは人間なのです。だから私はそういった神を利用とした詐欺まがいの宗教へお金を払ってはいけないと思います。みなさんもそういった宗教を見直したほうがいいと思いませんか。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
補足
回答ありがとうございます。 tkmn_001様の回答を読んで、とても色々と考えさせられました。 今は自分自身の悩みや迷いと、友人の死のことからの死後の事、ごちゃ混ぜになっているのだと気付きました。 やはり来世がある と思うことはできないのですが、生きていくための宗教、哲学ということを忘れず、もう少し色々と考えてみようと思います。