• 締切済み

死んだら無になる宗教や哲学について

はじめまして。以前から宗教や哲学など、強く信じることのできるものに興味があり、本を読んだり、インターネットで色々と調べているのですが良く分からないため質問させて頂きます。 昔から生きづらいと感じることが多く、何か強く信じられるものが欲しいと思っていました。 しかし、宗教について調べても、基本的に死後幸せになるためのものが多いように思いました。 私は死んだら無になる と思っています。 自殺をした友人が数人います。 死後の世界があるなら、その世界では幸せなことしかないとは思えません。 どんなに楽しいことやうれしいことも、ずっと続けば、それが普通になってしまうような気がします。 天国で先に行った人と、楽しく過ごしているよ という言葉も、 その世界に他の人がいるなら、人と関わることは楽しいことだけではないと思ってしまいます。 辛くて、もう生きていられない と思うほど、生きて居られなかったほど辛い思いをした友人達に、死後にもまだ世界があると考えたくありません。 私はこれからも生きていかなければいけないんだと思っています。 そのために、何かただただ信じることのできるものが欲しいです。 宗教や哲学だと、何かに迷ったときもとにかくその通りにしていれば生きていけるのでは と思ってしまいます。 自分の考えや、まわりの人の考えだけだと、事あるたびに揺らいでしまいます。 なにかおすすめの宗教・哲学、ほかのものでも全く構いません。 お教えいただけると大変助かります。 どうぞ宜しくお願いいたします。

noname#224713
noname#224713

みんなの回答

回答No.8

Q、そのために、何かただただ信じることのできるものが欲しいです。 A、その前段というか前準備をしっかりとやることです。 1、社会科学に関する書物。 2、自然科学に関する書物。 3、哲学に関する書物。 4、歴史に関する書物。 これらを片っ端から読んで、まずは、基礎的な知的レベルをアップ。全ては、それからです。でないと、「信じる=盲信」という等式に支配された世界が待っていいるだけですよ。

noname#221368
noname#221368
回答No.7

 調子良さそうに見える他人だって、実態は自分と似たようなものさと思っています。死後の世界は無いと決めてやってます。あったら望外の幸運という事で・・・。  で、くだらい歌のサビなのですが、次の2節が心に残ってます。勝手な解釈ですが。   一度しかない人生だから、何気に不安だけど.   Believe in me(自分を信じろ).   一人しかいない運命の人.   You are my first priority(お前つまり自分は、自分の最優先事項).   もう恐れはしない.明日へと走る定め.  しょうもない歌詞だなぁとも思うけれど、ほかに何があるってんだ?という気もする。

  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7987/21354)
回答No.6

宗教というのは「現世が生きにくい」からこそ求められるもので、 現世に満足している場合、宗教は発生しません。 ここで、救いを外部に求めてしまうと、「現世はつらいけど、次の世 には救いがあるよ」と言わないと宗教が成立しないわけで、「現世で 救いがあります」と言っちゃうといろいろ矛盾が出てきて、最後は カルト一直線になるんですね。 「来世」を外部に求めない場合、自己救済に走ることになります。 実は「来世」を求めず自己救済を柱に据えている宗教が、本来の仏教 なんです。日本の仏教は多く大乗仏教に変質してるのでそう思われない でしょうが、本来の仏教の姿に近い、「自らが悟る」ことを第一に考えて いる「禅宗」を学ぶと、その辺が解決すると思います。 とりあえず、禅宗についてはこの辺を。 http://www.zazen.or.jp/

  • bancho18
  • ベストアンサー率34% (92/268)
回答No.5

死んだ後がどうなるかわからないから怖い。無になるなんてあまりにも怖すぎる。 それを払拭するために生まれたのが宗教だと思います。 だから、天国、極楽、輪廻というものを生み出したのでしょう。 だから、死んだら「無」という宗教はないんじゃないかな? 哲学の場合、救いを求めるのでなく、本質を求めるのだから死後に世界はないという考えはあるでしょう。でも、なんにせよ、「死後の世界」があるということも、ないということも、立証はできません。 あ。おすすめでしたね。自分はこちらです。宗教によらずに「神」を考える書籍です。 「愚が賢を探る」楠 光雄

  • tkmn_001
  • ベストアンサー率16% (45/268)
回答No.4

 かなり迷われていますね。 もしかしたら、このまま生きる意味や今世の役割などを突き詰めて いかれた方が良いかと思われますが、現段階で色々考えが発散されている ようですので、少しでも参考になれば、という気持ちで色々記載させて いただきます。 (ここから先はあくまで個人の意見なので、あくまでご参考までに)  まず、タイトルの「死んだら無になる宗教や哲学について 」 ですが、「宗教や哲学」は現世において、魂を研ぎ澄ますための1つの材料、 悟りを開くための1つの知恵が詰まったものだとお考えください。  「死んだら無になる」とありますが、そもそも「宗教や哲学」は現世という 学びの環境でこそ、利用できるものです。死んだときに使いません。 「無になる」という言葉から自分のものである意識が少しばかりあるかも しれませんが、「宗教や哲学」は誰のものでもありません。 現世でのみ利用でき、無くなることはありません。  生きるうえで行なうべきなのは魂の成長を促すこと。 これは来世でも引き継がれます。そのため、必要なのは今世での経験や感動。 そういった出来事に沢山出会い、成長していくことが必要になります。 これは無になることがありません。  なお、途中で今世を諦めてしまった方は来世において、同じレベルから スタートします。なので、来世で仮に同じ状況にあった場合は、成長していない 限りまた同じことを繰り返す可能性があります。  重要なのは経験して克服することです。 どんな状況であれ、全ては自身の成長のために起き得ているイベントです。 これをどう解釈してどう乗り越えていけるかがポイントになってきます。  もしかしたら、上記のような話はすでに目にされているかもしれません。 その上で、やはり不安な気持ちは払拭できなかったり、周りの環境、圧力に 負けてしまいそうになっているかもしれません。  信じるもの、という意味では人生の師匠、道案内人を指すメンターという 言葉があります。メンターに出会えると1番良いのですが、そこまでは 自分で道を切り開き、自問自答をしながら突き進んでいく必要があります。  特に今の段階でやることが思いつかない、どうしたら良いのかわからない、 という状況でしたら、瞑想しながら「次のステップへ進むにはどうすれば 良いでしょうか?」と念じるのもオススメです。いずれ道が開かれるものと 思われます。

noname#224713
質問者

補足

回答ありがとうございます。 tkmn_001様の回答を読んで、とても色々と考えさせられました。 今は自分自身の悩みや迷いと、友人の死のことからの死後の事、ごちゃ混ぜになっているのだと気付きました。 やはり来世がある と思うことはできないのですが、生きていくための宗教、哲学ということを忘れず、もう少し色々と考えてみようと思います。

回答No.3

仏教用語に顕幽一如と言う言葉が有ります。仏教は(宗や●※△教によって違うかもしれませんが) 死後幸せになるためのものでもないようですよ。死んだらすべてが良い事だらけの世界に行けるとも思いませんし。死んだら無になるとも思えませんし。だったら幽霊って何よとか思ってしまうし。 程度の差はあるとは思いますが皆生き辛さは感じていると思いますよ。 おすすめが見当たらないのに返事してしまってゴメンナサイ。

noname#224713
質問者

補足

回答ありがとうございます。 顕幽一如という言葉、初めて聞いたため調べてみました。 うまく説明できないのですが、死後幸せになるため、だけの意味でなく 先祖や現世など、「続いている」という考えを持つことができないのです。 もう死んだらそこで終わり!というふうになっていてほしい と思っています。 皆が生きづらさを感じているとのお言葉、その通りですよね 悲劇のヒロイン風になってしまっているような気もします。 仏教用語など、もう少し色々と調べてみたいと思います。ありがとうございました。

  • bn10000
  • ベストアンサー率7% (19/259)
回答No.2

何かにすがって生きて逝きたいって事かな? そうでないなら、自分を信じなさいよw 信じるか信じないかは、貴方しだいです。。。

noname#224713
質問者

補足

回答ありがとうございます。 自分を信じる という事が一番難しいように思えてしまいます。 (だからこそ自分以外で信じられるものが欲しいと思っています。) もっと強く生きて、色々なことを乗り越えていかなければいけないですね。

noname#209873
noname#209873
回答No.1

初めから天国や地獄があるっていう考えが間違ってる・・とは思わないの!?・・

noname#224713
質問者

補足

回答ありがとうございます。 私は天国や地獄というものを信じることができていません。 その上で質問させていただきました。 支離滅裂な質問文になってしまい、分かりづらく申し訳ないです。

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