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日本の火縄銃

知恵袋の質問にサイトを見ていた時に、 火縄銃の質問に、「火縄銃はポルトガル人が伝えたのではなく中国から伝えられた」と書いてあるのを見たのですが、どちらが本当ですか?

  • 歴史
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みんなの回答

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.9

NO8で回答しましたが、「中国で使用されていた火縄銃」と書いて、説明をしませんでしたので、その説明と、補足を追記したいと思います。 中国で使用された火縄銃は、緩発式点火銃が主でした。それも、銅製の筒を使用していたので、銃身が破裂しやすかったとされます。また、中国では銃よりも大砲が重視され、*仏狼機(フランキ)と呼ばれていました。火縄銃が中国において注目されたのは、文禄・慶長の役で日本軍と戦った時とされています(使用されなかったのではなく、重視されなかった)。朝鮮も同じでした(もともと火器の使用が少ない)。 また、竹や木の中をくりぬき(底は残す)、筒状にし、筒の周り・底を補強し、中に火薬と弾丸を詰め、導火線で発射する火器が、中国にあり、後に筒を金属で作るものも現れます。火縄銃の銃身だけのようなものですが、これが火縄銃以前に中国から日本に伝来したとも言われます。竹や木の銃身ですが、ヒストリーチャンネルの再現実験を見ると、一発目は殺傷能力もあり、使用に耐えられるようですが、二発目は銃身が破裂するなど使用が不可能になります。ともかく、元軍が使用したてつはう以来、火薬を用いて弾丸等を発射するもの、火器を鉄砲と呼ぶことがあり、それが火縄銃と混同されたことがあったのではないかと思います。 なお、「鉄砲(てつはう)の最初は、元寇時に元軍が用いた「てつはう」で、導火線のついた鉄製の球の中に火薬を詰め、点火後投石器で発射するもので、火縄銃とは異質のものです。また、爆竹についても、鉄砲と記載された日本の資料があるとされ、これらが中国から火縄銃(鉄砲)が伝わったという誤解が生じたとされています。」の部分は、『国史大辞典』の記述を元に記載しました。 さらに、マラッカですが、16世紀初頭から17世紀中頃にかけてはポルトガルの植民地で、ポルトガルの貿易拠点として発展します。 *仏狼機=日本にも入り、仏狼機砲とも呼ばれ、国崩とも言われます。大坂冬の陣で大坂城を砲撃したのはこのタイプの国産砲です。ただ、日本では火縄銃のほうが重視されます。

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.8

火縄銃の日本伝来についての現在の通説は、慶長11(1606)年に書かれた『鉄砲記』を基にした説です。これは種子島久時の依頼により書かれたとされる伝来記ですので、種子島氏の功績を顕彰することも目的なので、誇張等があるとされますが、種子島氏の資料を使っていることも確実なので、鉄砲伝来に関する基本資料となっています。さらにアントニオ・ガルワンの『世界新旧発見史』も基本資料として扱われています。 『鉄砲記』では、 *天正12(1543)年に外国船が種子島に来着した。 *船の中には西南蛮の商人が乗っており、その頭は牟良叔舎と喜利志多佗孟太の二人であった。 *中国人の儒生の五峯が筆談で応対した。 『世界新旧発見史』では、 *1542年に、中国船が日本の島(島名は記載されてはいません)に漂着した。 *アントニオ・ダ・モッタ、フランシスコ・ゼイモト、アントニオ・ベイショットの三名のポルトガル人が乗船していた。 現在以上の記述から、 *船主を中国人の五峯とする中国のジャンク船で漂着した。 *ジャンク船に3名のポルトガル人が乗船していた。そのポルトガル人の持参した鉄砲が伝来した。 *中国人の五峯は、・倭寇の頭であり、海賊の頭である王直であろうと想像される。 とするのが、通説です。 さらに、ヨーロッパ側の資料である『日本教会史』・『回国記』などにも、年次・人名などの違いがあるものの、同様の記述があるとされています。 ・倭寇=後期倭寇の参加者には日本人(真倭)は少なく、ほとんど中国人や高麗人であったとされます。 鉄砲(てつはう)の最初は、元寇時に元軍が用いた「てつはう」で、導火線のついた鉄製の球の中に火薬を詰め、点火後投石器で発射するもので、火縄銃とは異質のものです。また、爆竹についても、鉄砲と記載された日本の資料があるとされ、これらが中国から火縄銃(鉄砲)が伝わったという誤解が生じたとされています。種子島での伝来以前に、北条氏、武田氏など東国大名が鉄砲を用いたとの記述がありますが、それらの記述も、上記のような鉄砲だったとされています。 また、種子島の伝来についても、主体はポルトガル人ではなく、中国人の五峯(王直)であるとの説も存在します。 ところで、日本に伝来した火縄銃は、ヨーロッパで一般に用いられていた緩発式点火方式の火縄銃とはタイプが違い、瞬発式点火方式のマラッカ型と呼ばれる火縄銃に分類されています。緩発式点火銃は、ヨーロッパ・インドなどで用いられ、肩に付けて発射する銃で、火挟(火縄を挟んでおく金具)と引金が連結しており、引金を引く速度に、火挟が火皿に当たるまでの速度が連動します。これに対して瞬発式点火銃は、東南アジアで用いられ、頬に付けて発射する銃で、引き金を引くと、バネによって瞬時に火挟が火皿に当たるようになっています。瞬発式点火銃は命中精度が高いものの、安全性・操作性に劣るとされ、狭隘な地形での使用に適するとされています。これに対して緩発式点火銃は逆であるとされています。一口に火縄銃といっても違いがあり、日本に伝わった瞬発式点火銃は、その中でも特殊で、スペイン型と言われる狩猟用の頬付けストックを持ち、加圧式火挟を持つマラッカ型の特殊な火縄銃とされています。そのため、中国で使用されていた火縄銃とは異なるとされています。なお、ストックの頬付け式と、肩付け式のストックの形状と、使用地域の違いについては、二、三日前のBSで放送していました。 以上、参考まで。

  • ikijfd
  • ベストアンサー率35% (92/258)
回答No.7

no.4です。 つまり、中国人はポルトガル人の通訳ということですか? この質問に対する回答も、歴史史料がないためひどく曖昧になってしまいます。 ポルトガル人が日本人とやり取りをするために、中国人を雇ってきたとも考えられるし、 単純に船員として、中国人を雇っていて、たまたま通訳を買って出たのかもしれません。 真相は、タイムマシンが発明されないとわかりません

回答No.6

鉄砲の伝来は1543年 種子島に漂着したポルトガルからの貿易船によってもたらされた と言うのが現在の日本への鉄砲伝来の起源です そのポルトガル人が持ち込んだ鉄砲が果たしてポルトガル製かどうかは分かりません 当時は中国でも火薬とそれに伴う火縄銃の製造は行われていました 中国経由で購入した鉄砲をポルトガルに持ち帰る予定が たまたま船が種子島に漂着してしまい日本に伝来してしまった 可能性は大いに考えられます って事は 中国製の可能性もあますよね

kenyanakase
質問者

補足

ありがとうございます そもそも、火縄銃ってポルトガルで作られたのですか?

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3030)
回答No.5

私も興味があり少しググってみました。 中国から日本に鉄砲が輸入されていたかどうか?まあわかりませんがされていると考えた方が自然だと思います。 ただ鉄砲”伝来”とはなんぞや?ってことですよね。 中国から鉄砲10挺買いました、使いました、10年たちました、錆びました、捨てました、これじゃ歴史上なんら影響がないわけで、伝わったとは言いませんよね? 鉄砲を購入し、鍛冶屋がそれを分解研究し、再現生産し、その生産技術が日本に根付いて生産が続いてこそ伝来ですよね? そう考えると種子島ルートの場合、 種子島家が鉄砲を購入し、その火薬の生産法(とおそらく銃の実物)が将軍義輝に教えられ、それを義輝がコピー生産させ、義輝や管領家のものが国友村や堺の鍛冶屋に見せコピーさせ、その生産がその地に根付いったという流れがおぼろげながら記録に残り流れが推定できるわけです。 (もう一つ種子島から根来に伝わるルートもあります) となると中国から鉄砲を購入しただけではなく、その鉄砲が鍛冶屋に伝わりコピー生産が開始された記録が確認できない限り、種子島説を採用するのが妥当かと思います。

  • ikijfd
  • ベストアンサー率35% (92/258)
回答No.4

諸説あり、はっきりと断言はできませんが、 中国で品物を買い、日本で売ることで利益を得ていたという説があります。 なので、中国製の火縄銃があったとしてもおかしくはありません。 ちなみに、私は初めて日本に来たポルトガル人がどうやって日本人と意思疎通していたのか、 疑問に思ったことがあります。 これは、中国人も同行しており、日本人と筆談で通訳したらしいのです。 それが正しいとするとポルトガル人⇒中国人⇒日本人という流れになりますので、 中国人が火縄銃を伝えた、といっても間違いではないですね

kenyanakase
質問者

補足

つまり、中国人はポルトガル人の通訳ということですか?

  • chie65535
  • ベストアンサー率43% (8520/19368)
回答No.3

「ポルトガル人が伝えた」と言う根拠は、以下 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%82%AE%E8%A8%98 の「鉄炮記」ですが、この歴史書は「伝来から60年も経ってから書かれたもの」であって、伝来当時をそのまま伝えた物ではありません。 当時の鉄砲は「軍事上の秘密兵器」だった筈で、種子島での伝来よりも早い時期に別の国から秘密裏に伝来し、それが歴史書にも残らない「極秘事項」として隠された可能性もあります。 「鉄炮記」を書かせた武将が「種子島出身の武将」なので「自分の地元を自慢する為に、ウソを書かせた可能性」もあります。 >どちらが本当ですか? 伝来の瞬間を見た人は全員死んでいるし、伝来の瞬間に「自分が見たのが日本で一番最初だ」と知る事も出来ませんから、どれが本当なのかは、誰にも判りません。 「日本に一番最初に銃を持ち込んだ本人」でさえ「自分が一番最初だと知る事は不可能」なんですよ。 それを知るには、持ち込んだ本人達が一箇所に集まって「私が持ち込んだのが○年○月○日だから、私が最初の伝来者です」と確認する必要があります。 当時の日本には、そういう出来事を全国に伝える方法も無かったし、伝来者が一箇所に集まる事も出来なかったので「本当の事は、誰にも判らない」のです。当時の人達にも、伝来させた本人にも、です。 本当の事を知りたい場合は、タイムマシンで過去に行って、日本の海岸線すべてを同時に監視して「あ、アイツが最初だ」と確認するしかありませんが、それは不可能です。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.2

 下記では数説あるようですよ。どれも本当でない可能性もあると思います。まあ外国との取引が公然と出来ない時代、あるいは武器の輸入に関して敵対関係にあるよその藩には漏れないように情報を伏せておくと言った時代だったりすれば分からないのが当然だと思います。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

「中国のついでに日本の種子島に立ち寄ったポルトガル人から伝えられた」 という、「消防署のほうから来ました」と同じ言葉の罠なだけです。

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