コーランの疑問について

このQ&Aのポイント
  • コーランの教えについて疑問があります。改宗や異教徒との戦闘に関する死刑や処女との関係、酒の摂取など、世俗的な教えが多いです。
  • なぜこれらの無茶苦茶な教えが大切視され、何十億人もの信者が存在するのか疑問です。
  • 私はイスラム教やコーランを悪く言うつもりはありませんが、なぜ信者がこんなにも多いのか、正しいのか疑問に思っています。
回答を見る
  • ベストアンサー

コーランっておかしいですよね

コーランっておかしいですよね。 改宗したら死刑とか、 異教徒との戦闘で死んだら処女とヤリ放題、酒も飲み放題とか、 およそ神の言葉とは思えない世俗的なものばかりです。 コーランやイスラムに詳しくはないですが 少し調べただけでも「?」だらけです。 私が不思議なのは、 何故このような無茶苦茶な教えが大切なものとされて 信じる人が世界に何十億人もいるのでしょうか? 不思議でなりません。 私はイスラム教やコーランを悪く言うつもりはありません。 単に不思議で、知りたいだけです。 こんなにも多くの信者がいるということは 本当はもっと素晴らしい教えだと思うのですが 私のコーランの知識が間違っていますか? ご存知のかた、よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • masazai
  • ベストアンサー率36% (55/150)
回答No.8

まともなイスラームの資料ではなく、アンチの方々の資料をご覧になったようですね。 イスラームの「奇異に見える部分」や「厳格な部分」がクローズアップされてしまいますが、質問者様が挙げた内容(それもほぼガセや内容端折りすぎ)は、クルアーンの、イスラームのほんの一部であってメインテーマではありません。 ※「酒飲み放題」は、「現世の酒に似ているが全く違うもの」で「どんなに飲んでも酔わない」し、「異教徒と戦って死んだ者はやり放題」はとんでもなく内容を端折って再構成したものです。 イスラームが唱えているのは、「この世はアッラーが創造し、アッラーが唯一神で、並ぶものがない。だからその創造主アッラーを認め、アッラーに従え」ということです。 これを伝えることにクルアーンの多くの部分が費やされています。 人間が「これは自然に起こること」と一蹴しているこの世の不思議を「こんな凄いことが神の手なしに起こるとでも言うのか」と。 毎日日が昇り日が沈み、それぞれの星がそれぞれ決まった軌道で動き、淡水と海水が交わることがなく、支えもなしに鳥が自由に飛び、「浮力」という力で船が沈まずに水に浮かぶ。 小さな凝血から胎児がどんどん成長し人間となる(電子顕微鏡レベルの胎児の形状も1400年前に言い当てています)。等々。 そしていかに人間は生きるべきか、を伝えています。 成人するまで育ててくれる両親に対して「ちぇっ」と言ってはいけない(親不孝者になってはいけない)。 母親は子という重荷を9ヶ月間持ち続け、その後2年間も授乳する(だから母親を大事にしろ)。 1人の無実の人を殺す者は、全人類を殺したのと同じ、1人を助けた者は、全人類を助けたのと同じ。 妻とできるだけ仲良く暮らしなさい、嫌になっても我慢しなさい、そのうち良いことを授かるだろう。 お互いに真理を諭しあい、忍耐を諭しあいなさい。 男は働いて家族を養わなければならず、女は夫の留守中の家を守らなければならない(だから、体力的に「男は女より一段優れている」というクルアーンの別の文につながる)。 勿論天国が素晴らしいものであることも伝えています。 しかし、私が一番に伝えたいことは、天国では誰1人として悲しんだり苦しんだりする人がなく、誰1人として戯言を言わず誰1人として戯言を耳にしない、ということです。 そして、クルアーンと同じくイスラーム法の法源とされているハディース(ムハンマドさんの伝承)にもいろんなことが書かれています。 全ての行動は(その行動の立派さ・結果の良さが問題ではなく)その意図が重要だ。 ※だから見せびらかしの善意は良くなく、少量でも心のこもった善意が良い、という意味。 一番良い善行は、ちょっとしたことであっても継続してできる善行だ。 ここで怒るのが当たり前だろう(=普通こういう時カッとなるだろう)という時に怒らないのが真の男(良い人)だ。 口を開く時にはいい言葉を言いなさい。さもなければ黙っていなさい。 もし誰かが喧嘩していたら、手で止めなさい。それができないならば口で止めなさい、それもできないならば心で(喧嘩している人達を)止めなさい。それが一番弱い止め方です。 短い言葉で書き出せるものだけを書き出しましたが、本当はもっと長くてもっとお伝えしたいことが沢山あります。 魅力があるからこそ未だに信者数が(子供の数だけでなく入信者の数としても)増えているんです。

その他の回答 (7)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.7

"私が不思議なのは、 何故このような無茶苦茶な教えが大切なものとされて 信じる人が世界に何十億人もいるのでしょうか?"    ↑ 宗教というのは、そういうものです。 理屈も何もあったもんじゃありません。 それはキリスト教も同じです。 新井白石も次のように言っています。 アダムとイブだあ? 子供じゃあるまいし、そんなおとぎ話を、大の大人 がどうして信じるのか。 米国などは国民の92%が神の存在を信じています。 進化論を信じない人などいくらでもいます。 宗教に理屈や理論は通じません。 ”こんなにも多くの信者がいるということは 本当はもっと素晴らしい教えだと思うのですが”       ↑ イスラムは非常に平和的な宗教です。 それがああなったのは、キリスト教国家に対抗 するためです。 イスラムの教えが行き渡っている地域では、餓死者が 出なかった、と言われているほどです。 そういところが、多くの信者を獲得できた所以でしょう。

回答No.6

>こんなにも多くの信者がいるということは本当はもっと素晴らしい教えだと思うのですが 思うのは自由ですが、現実の世界では信者の数と、教えの素晴らしさが比例するものでもありません。 仏教の世界でいえば、日蓮宗と浄土真宗の信者が多いのですが、坊主に肉食妻帯を認めるなんて仏の教えを汚していると思います。 せめて、出家信者は自分の現世の快楽(=肉食や妻帯、セックスなど)は諦めて涅槃寂静を追求してほしい。

  • kia1and2
  • ベストアンサー率20% (482/2321)
回答No.5

本当にコーランを読んだことあるの? 多分、コーランを気に入らない人が書いたものを見たんでしょう。どこにも、そんな文章は一言もありませんが。本来ならアラビア語でのコーランなんですが、その言葉の知識がないもんで、スペイン語に翻訳されたもので全文を読みましたが。 過酷な気候の中で、困りあったものは異教徒であれろうが助ける、などの互助精神が溢れています。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.4

まあ、お経なんかもそうですが、基本は現代人向けに書かれていないので、現代人で異教徒の日本人が原典(もちろんアラビア語ではなく日本語訳)を読んで理解するのは、けっこう困難です。 そんな時に役立つのが、解説書。 とりあえず、以下の二冊はオススメです。 「コーランを知っていますか」著者:阿刀田 高 「日本人のためのイスラム原論」著者:小室 直樹 特に阿刀田さんは、「旧約聖書を知っていますか」など、他にも読みやすい本を書いています。ちなみに、本業は、推理小説作家さんのようです。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.3

コーランを読んだこともない者です。家の仏教と家の神様を信仰する者です。親の命日にはお経も唱えますが、その簡単な内容は現代語訳で理解しています。神様には何も書いた物がありません。私はそれで良いと思っています。 私にとって宗教は心の中にあるもので、社会的にものとは切り離しています。いわゆる政教分離です。新興宗教は創価学会を始めほとんど政教一致です。イスラムも政教一致でまだまだ新興宗教なゆえに完成度が低いのだと思います。その時代には最適な詳細記述をしても内容はいずれ時代遅れになります。宗教者は教えとは何千年たっても変わらないと言いますが、それは詭弁です。 イスラム教はお金に金利を取ってはいけないなどと理念はりっぱです。しかし、世界を支配する資本主義経済を否定する内容では経済成長はできません。時代の進歩を予見せずに詳しく書き過ぎたことが失敗です。

noname#204721
noname#204721
回答No.2

一部分だけを取り上げると その様な 考え方も出来ますね 聖書にしたって 一部分を取り上げれば 官能小説より 卑猥な事が書かれているのですよ 其処が 何故 必要なのかが 解かれば 書かれる必要性も見えるのだけどね・・・

noname#206980
noname#206980
回答No.1

宗教はそれが生き残った背景考えないとダメなのでは? イスラム教を中心とする社会(階級社会)とあのあたりの不毛(ってほどでもなく豊かな部分もあるけど) な土地で暮らす人びとの支えにするのには良い、 つまり適応したんでしょう。 ていうか、適応させたのはもちろんそれを布教させ利用してる人たちですけど。 一応、コーランに関係した書物などを読むと それなりに素晴らしい教えも出てきますよ。 基本的にはやはり人びとの心の支えになることが宗教の重要条件であるから。 トンでもない教え、なんてどの宗教も内包してるんじゃないかしら? 多神教は適当にそのへんの「いい部分悪い部分」をより分けてしまうから 理不尽な部分の教えを置き去りにしちゃうけど…。

関連するQ&A

  • イスラム教 本来テロに関係なく良い宗教と感じますが

    敬虔なイスラム教徒はテロ、ジハードに関係ないと思いますが? コーランに書かれた教えには異教徒を排除するような教えは 存在していなくて、 それは新約聖書に描かれているキリストの教えと同様です。 イスラム教自体は、極めて差別性とは無縁な宗教であって、 異教徒を差別するような論理は、 真のイスラムの教えには存在しないと言われています。 この点を指摘することは、今後の世界平和を考える上で 重要な論点であって、 イスラム過激派の主張はあくまで政治的なもので、 イスラム教とは基本的に無関係であるという認識が重要です。 この事実は、キリスト教との比較でもより鮮明になります。 一般にキリスト教の信者は、神の子キリストを特別視しています。 しかし、イスラム教信者はモハメッドをキリストのように 特別視はしていなくて、モハメッドはあくまでアラーの神の教えを 人々に伝えるメッセンジャーに過ぎず、 私たちと同じ人間だと考えられています。 この違いは、キリスト教とイスラム教の違いに反映されています。 キリスト教徒の世界では、 キリスト教徒と異教徒とは、もともと厳密に区別されてきました。 それ対してイスラム教徒は、異教徒に対して極めて寛容です。 しかも、その寛容さはコーランの教えに由来しています。 キリスト教には差別の歴史が濃厚にありますが、 イスラム教には基本的に宗教絡みの差別の歴史が存在しないと言われています。 ただし、シーア派とスンニー派の対立など、 宗教的な教えの解釈も絡んだ政治的な対立は、この間に一貫してありました。 しかし、これは宗教的な対立というよりも、極めて政治が深く絡んでいる問題です。 ひとつ象徴的なこととして、キリスト教徒は 歴史的に布教活動を積極的に行ってきましたが、 そもそもイスラム教徒は布教活動自体を行いません。 キリスト教徒の布教活動には、 異教徒を正しい宗教に改心させるという狙いがありますが、 イスラム教徒にはそうした発想がありません。 そこはイスラム教が、異教徒を含めて すべての人間が神の前で平等であるという発想を、 まさに教えの基本にしていることに由来しています。 イスラム哲学の権威として有名な井筒俊彦氏の著書などを読むと、 その辺のことが詳しく説明されています。 こうしたイスラム教についての基本的な認識が、 大多数の日本人には欠落しているので、 上記のような点を指摘することは重要なのです。 イスラム過激派が、コーランの文句を言えない人 を異教徒として殺害したからといって、 そうした常軌を逸した行為をイスラム教と結びつけるのは、 おそらく正しい判断とは言えないのです。 イスラム教自体を批判しても、 およそ発展的な議論にはならないのでは、という感じがします。 少なくともテロに心を痛めている 大多数の敬虔なイスラム教徒との連帯を阻害するだけにしかならないと思います ただ異教徒差別はないものの、女性差別は存在します。

  • キリスト教の旧約聖書とイスラム教の聖クルアーンとい

    キリスト教の旧約聖書とイスラム教の聖クルアーンという教典を読んだんですが、キリスト教は現代でいう詐欺師で、イスラム教は裁判官みたいな感じでした。 イスラム教はTHE 法律といった感じで離婚の財産の分配や人々の争い事の納め方を現代の裁判官に通じる頭が良い教典でした。 一方のキリスト教は信者が3ヶ月とか半年とか前にイエスキリストが訪れる地に先回りして布教活動をしていて、 奇跡を起こしたという人はキリスト教の信者でペテンに加わった詐欺師の一味だったと見えます。 明らかにキリスト教の教えよりイスラム教の教えの方が的を得ており、豚を食べるなという教えは現代で言う豚は良く火を通さないと害虫が死なないので食中毒になるという常識と同じものを感じます。 イスラム教のアッラーはイスラム人に豚は菌が多く良く焼かないと死ぬ。 だから豚を食べるなと教えて人々を救ったのだと思います。 現代では火通しがちゃんと出来る状況になっているのでイスラム教の教えは古く今はもう豚を食べても良いが未だにイスラム人は豚を食べるのを戒律とか言って、アッラーの教えだからと食べません。 現代人の私からするともうちゃんと火を通したら死なないから豚を食べても良いんだよ。 その教えはアッラーの生きていた時代の教えだよ。と教えたくなります。 で、話は戻りますが、 キリスト教の旧約聖書と新訳聖書ってなにが違うのでしょうか? 書いている内容の違いを教えて下さい。 あとイスラム教のコーランと聖クルアーンはどういう関係なのでしょうか? 新訳聖書とコーランをまだ読んでいない私に違いを教えてください。 あと私はキリスト教もイスラム教も否定しません。 キリスト教徒はなぜあんな昔の小説みたいな物語を信じるのだろう。 なぜ小説の書いていることを守る必要があるのだろうと思ってしまいます。 漫画のワンピースを読んで、ワンピースの教えを必死に守る人を見ていると凄い人たちだなあと思います。 私はそこまで原作者の物語に熱中出来るタイプではないようです。 質問依頼内容 1.キリスト教の旧約聖書と新訳聖書ってなにが違うのでしょうか?   書いている内容の違いを教えて下さい。 2.イスラム教のコーランと聖クルアーンはどういう関係なのでしょうか? この2点の回答をお願いします。

  • 宗教を信じるものの心理

    ここでは特にイスラム教信者について書きます。 彼らの信じているコーランはムハンマドが書きましたが、最初は聖書は完全無欠でコーランはそれと矛盾しないと言っていたのに実際は矛盾がたくさんあり、明らかに人間の手によって書かれたもので間違った教えといえます。 しかしイスラム教信者はたくさんいますし、非常に熱心です。 多分彼らにこれらの点を説き、脱宗教を迫ったところで彼らの殆どは固執するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか? ここに働く主な心理作用、及びそういった人達を説得するにはどのようなアプローチが適切であると思うか教えてください。

  • イスラム教についての疑問(偶像崇拝に関連して)

    ・パキスタンで、コーランを燃やしムハンマドを批判した男が死刑判決を下された。  ・日本(富山)でコーランが破かれているのが発見されムスリムによる抗議デモが起こった。  いずれもウィキペディアに載っていたのですが、これを見て疑問を持ちました。  イスラム教は唯一の神を信仰するもので、コーランは神の言葉=神の一部であるということですが、それは当然コーランの「内容」であって、被造物である本そのものではないわけですから、本=インクのついた紙が焼かれようが破かれようが何の問題があるのでしょうか。本を粗末に扱われることを忌むのはまさしく、イスラム教において禁じられている偶像崇拝の消極的な一態様ではないかと感じました。少なくとも部外者からみると同じことに思えてしまいます。  神仏混交の日本人である私自身の素朴な宗教感覚としては上記の事件は「ムスリムがコーランを焼くなんてそりゃ罰当たりだ」などと思うわけですが、それはいろんなものに神が宿るであるとか言霊信仰云々といった神道的な感覚に過ぎず、イスラム教というのはもっと純粋というかいろんな意味で徹底された宗教である、と思っていたこともあり違和感を覚えたわけです。  あと、そもそもイスラム教に「聖地」があるというのも少し違和感があります。義務の一つに巡礼がある以上当たり前といえば当たり前なんでしょうが、メッカの土地や街も、他のものと同様神の前で平等であるべき被造物なのに、そこだけに宗教上の特別な意味をもたせるというのは一種の偶像崇拝ではないでしょうか。  宗派によっては偶像崇拝を全面禁止しているわけではないところもあるということは知ったのですが、どうも合点がいきません。     私はムスリムではありませんし、知識もほとんどありません。なので的外れな質問なのかもしれませんが、ムスリムの方や、ムスリムでなくてもイスラム教に詳しい方にこの疑問について教えていただきたいと思い投稿しました。よろしくお願いします。

  • 【宗教・イスラム教の嘘】イスラム教の教えに矛盾を見

    【宗教・イスラム教の嘘】イスラム教の教えに矛盾を見つけてしまいました。 イスラム教の教祖はムハンマドで、ムハンマドこそがこの世の唯一の神である。地球の人間の誕生であるアダムとイブの直系の子孫で、兄弟の子孫にユダヤ教の教祖であるモーゼがいますが、モーゼの兄弟の子孫がイエスであり、キリスト教はイスラム教が誕生して、数世紀後にユダヤ教が生まれて、ユダヤ教の数世紀後にキリスト教が誕生したはずなのにイスラム教の教典のクルアーンにはキリスト教が登場します。 イスラム教の教祖のムハンマドが生きていた時代にはキリスト教は存在しなかったはずです。 いまイスラム教徒が信じて信仰している教えはムハンマドの教えではないのでは?

  • 日本で23万人いるイスラム教徒がテロに走りますか?

    イスラム教徒の大半は無害であろうともあの教えにテロリズムの可能性が秘めている事実は世界に蔓延るムスリム全体の行動が示しているのではないでしょうか。正しい教えがあることはムスリムの99.9%は示しているとしても0.1%が日本の文化に否定的な感情を持ち、イスラム国ほどではないにせよそういった組織を立ち上げてしまわないかと不安になります。 フリーターをしているのですが、よくムスリムの留学生と一緒になります。イスラム教についてよく聞いてるのですが、イスラム教はそうでないものや文化に対して寛容な教えを示していると言っていました。僕も本を読んだりしていくうちに、文化とイスラム教は国によって多少の小競り合いがありながらも、教えの形を歪めながら共存しているんだなと知りました。しかし、見過ごせない点があります。それは生活様式が決まっている点です。その規律のお陰でそこにある文化は変容せざるをなくなり、それがニュースにもなっていました。ここに言葉にはできない不安が出てきました。共に働くムスリムも君たちは日本文化を受け入れながらその教えは否定してることをわかっているの?と聞いたら黙りました(日本語にできなかった理由もあるとわかっています)。いや相手の立場はよくわかっているつもりです。神のみがすべてで、間違った生き方、文化の在り方をしてる僕たちは許されない存在です。しかしそれを認めてあげるのがイスラム教であることも分かります。要はイスラム教は、静かにゆっくり争わない形で浸透させて世界全体にイスラム教を浸透させたがっています。ゲイのムスリムがいることも、豚肉を食ってしまうムスリムがいても、教えに対してどんなに間違えていようがクルアーンは完全には否定していないでしょう。だってムスリムと名乗るからにはアッラーを愛し信じているからです。ただ間違った僕たち彼らは地獄に行くだけだから。もうこういう思想が嫌でたまりません。 創価学会の両親に育てられたのですが、人間革命の本を読んではいないのですが、彼らにそんなものなかったように思えて、教育はただ勉強しろと押し付けられてきました。日蓮大聖人は唱えれば救われる教えです。母は何時間も題目をしていました。親父は機嫌の悪さを外に発散する人でした。ただ創価には絶対はありません。いや仏教に絶対はないでしょう。でも一神教においては絶対があります。何が嫌なのかっていうと、馬鹿はクルアーンを理解できないと思っています。半端な頭と思想を持った馬鹿はより極端になると思ってます。教え以上に世界をムスリムにしたがり人を傷つける馬鹿が日本にも出てくると思っています。感情的になってしまいましたが、神なんかいないとか思ってるわけではりません。幽霊的な存在がいるのなら神的なものも存在しているかなという考えです。しかし人類が滅べば神は同時に滅ぶと思ってます。 すいません、脱線していました。 イスラム教が広がる日本にテロに走ったり人を傷つける、ジハードの意味を聖戦として戦おうとする馬鹿はでてくるのでしょうか。 教えてください。よろしくお願いします。

  • 仏教は偶像崇拝を認めているのですか?

    仏教は偶像崇拝を認めているのですか? キリスト教は偶像崇拝を認めていないのに教会を作ってるのはなぜ? イスラム教も偶像崇拝したらダメなのにモスクを作ってるのはなぜ? 全て神様の教えを守っていない信者たちなので地獄に落ちるのでは? 仏教は認めているから仏像があり、寺があるんですよね。

  • イスラム教では恐竜は存在するの?

    ユダヤ教、キリスト教と同じ唯一神、そして創造者を信じるイスラム教では、当然「天地創造」が信じられているかと思います。 「創造論」では、神が天地を作ったといわれる6日間について、6日間の長さが×24時間ではないなど様々な解釈がありますが、一般的には「進化」について否定的な人が多く、私の友人も、進化なんてする訳がないと言っています。 神との信教契約を行っているイスラム教徒にとっては、神の言うこと(コーラン)は絶対ですが、ではその場合、創造論には出てこない恐竜は、もともと存在しないものになるのではないでしょうか? 先日、現在私が住んでいる、大変保守的なイスラム都市といわれる街で、自然博物館に行った際、恐竜の化石の展示があったため、不思議に 思い、投稿しました。 私の知識では、想像の域を超えず、また、想像や勝手な思い込みで、真摯に信教をしている方に失礼が無いように、ここでの回答は、自信のない方や、想像でのご回答は差し控えていただけると幸いです。

  • なぜ日本はイスラム教を馬鹿にする人が多いのですか?

    私はトルコ人です。なぜ日本はイスラム教を馬鹿にする人が多いのですか?私はムスリムで、宇宙に唯一な神はアラーしかいないと信じてる人です。知ってるとおり、トルコはムスリムの比率が高い国家です。トルコはたとえイスラム国家なんですけれど、他の宗教を馬鹿にする人は少ないです。トルコではキリスト教会もあり、ヒンドゥー教寺院もあります。宗教の多様性がある国です。しかし、日本人は他の人の宗教、特にイスラム教を無視したり馬鹿にしたりする人が多いってです。日本人はよく「イスラムはテロの宗教」とか「女性を奴隷扱いする宗教」とか「子供ばかり産みまくる人々」って非難します。しかし、イスラム教は平和の宗教ですよね?アラーとムハンマドはクルアーンにイスラムは平和を目指し、お互い尊重することを第一にすると明示しています。それに、ヒジャブはイスラム固有の文化ですし、一日5回土下座するのもイスラム文化の一部です。なのに無知な日本人はイスラム信者たちを馬鹿にしていますね。なぜ日本人は他の宗教を尊重出来ないのですか?やっぱり日本人は心が狭い人々ですね。

  • キリスト教って博愛主義なんじゃないの?

    質問はタイトルのまんまです。 世界史の教科書を読んでいると、キリスト教は戦争ばかりしていませんか? 相手は異教徒だったり、考え方は違えど同じキリスト教徒だったり、ヨーロッパ史の戦争はキリスト教関係ばかりです。 私は幼稚園がキリスト教でした。 小学生の頃は日曜学校にも行っていて、ページェントもやりました。 そこで習ったことはなんとなくですが今でも覚えています。 「右頬を殴られたら左頬を差し出せ」 「たとえ気に入らなくても一生懸命あなたの隣人を愛しなさい」 「求める者には惜しみなく与えよ」 たしかこんなことだったと思います。 先生からはこれらの言葉やイエス・キリストの最期を通して、嫌な相手を憎むのではなく愛して許すことや人を傷つけてはならないということを教えられました。 子供ながらに「イエス様って優しいなぁすごいなぁ」と思ったものです。 神様(いわゆる天の上にいて私達を見守っているもの)はいないと思っている今でも、イエス・キリストのそんな考え方は尊敬しているし、実践できたらいいなと思います。(そんなに心が広くはないのでまだ出来てませんが。) 熱心な信者でもない私がそう思うのに、何故信者の彼らが「隣人を愛する」ことができなかったのでしょう。 「右頬を殴られ」たかどうかは知りませんが、彼らは「左頬を差し出す」どころか虐殺までしてますよね。 信者なら他人を傷つけるのを善しとしないキリストの教えを知らないわけないでしょうに… どなたか、なるべく分かりやすく回答お願いします。 キリスト教に関してほぼ無知な上にあんまり頭良くないので…