• ベストアンサー

何で、死とか別れは悲しいのですか?

何で、死とか別れは悲しいのですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.4

愛していたからです。 涙は反省の証です。 どうしてもっと大切にできなかったんだろうという後悔です。 後悔しないようにしたいですね。

isidajyun
質問者

お礼

やっぱそれですか。 ありがとうございます。

その他の回答 (5)

noname#207785
noname#207785
回答No.7

二度と会えないからです。 ずっと読まない本でも捨てようと思うと惜しくなる。 急に内容が良さげに見える。 その究極版です。 そして、自分も死ぬのではないかという恐怖もあります。 (まぁ実際いずれ死ぬんだが、目の当たりにしますから) 取り返しにつかないことに対する「失う前にあぁしとけば良かった」という後悔、自分も死ぬんだという認識。 以上から、悲しくなるのでしょう。 ちなみに卒業してクラスメートと離れる程度なら、いくらでも取り返しつくし、二度と会えなくてもいいので、全然悲しくありません。 別れが悲しいという前提が成り立たない時も多分にあります。

noname#205097
noname#205097
回答No.6

自分にとって必要な人は死んでほしくないからです。

回答No.5

 <<<何で、死とか別れは悲しいのですか?>>> 。出会いと別れは、天の導き、だからです。。 。 。 。逆転地蔵

noname#235638
noname#235638
回答No.2

これからは、思い出が増えないからです。 思い出の数が、そこで止まってしまうからです。 死や別れは、もう過去の楽しい思い出にすがるしか ありません。 だけど、そんな楽しい記憶はどんどん頭の中から消えてゆきます。 生きていて、別れなければこれからもどんどん 新しい思い出が積み重なります。 死+別れ・・・の場合は、特にそうで 生きている別れ・・・ならば、どこかであの人は生きている。 きっと幸せだろうな?と思うことで、それで報われる。 確かに実際のことは、わかりません。 けど、自分勝手に思うだけで報われる。 死別は、なにもない。 阪神淡路で、そんなことを考えました。

isidajyun
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうなんですよね。 悲しいです。

  • ikuzecia
  • ベストアンサー率26% (364/1363)
回答No.1

2度と会いたくない、同じ空間で一緒に息をするのも嫌だと言う 人との別れなら悲しくない筈です。 >何で、死とか別れは悲しいのですか? それは愛する人、大切な人との死とか別れですね? 愛離別苦と言ってお釈迦様は人間における八苦の 一つに挙げてます。 人間として生まれたなら、避けることのできない悲しみだと 説いてます。 もし貴方が大切な人との別れや死が悲しくない 悲しみをもつことを疑問に感じるなら、正常な神経を持つ人間では有りません。

isidajyun
質問者

お礼

確かにこれが悲しくなかったら ある意味悲しいですね。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 安楽死について。

    安楽死は悪いこと、自然に反するものだと世の中は言いますが私は必要なものだと思います。 勿論、その法律をつくるためにはたくさんの条件が必要だとわかってます。 だけど、老後に1人で死を待ちながら病気の痛みや苦しみに耐え何の楽しみもなく過ごしている老人をたくさん知っています。 治療の施しようがない末期の癌などではなく、命に関わらない病気でも苦しみ続けている人はたくさんいると思います。 だけど、自殺は悪いこと、だから黙って死を待ち続ける… そんな老後を想像すると怖いです。 安楽死を自ら選び、家族と笑顔で別れをする…そんな形もあっても良いのではないかと思う今日この頃です。 皆さんは、どう思いますか?

  • 友人の死

    最近、友人が事故で亡くなりました。私にとって尊敬できる友人でした。 友人の死から、一週間で時が経つにつれ存在が以前よりも大きくなっています。 無理して忘れることはないけれど、時が経つにつれ存在が大きくなる友人が、私にはどうしたらいいのか解りません。会いたいなって思ったり、話がしたいって思ったり。人の死に直面すると、いつもそうなんです。 皆さんは大切な人の死や別れの時、皆さんはどのように時を過ごして行きますか。

  • 中2です。死が怖いです。

    中2です。 今の人生はとても楽しいです。 ただ、時々、異様に怖くなったり悲しくなります。 それは「死」について考えたときです。 そして、大好きな家族との別れを考えたときです。 死後の世界があって家族と再会できるのなら涙が出るくらい、言葉に表せないぐらいうれしいことでしょう。今回は全く分野の違う3つ質問があります。 *この時期(中2くらい)は死についての恐怖。家族との別れへの恐怖が生まれる時期で普通なのですか? *死ぬと死後の世界で家族と再開できると思いますか? *数十年の間に凄い延命薬ができて凄い長生きできるようになると思いますか?【自殺・交通事故などは除く】

  • 死が怖い。周りの人との別れを想像してしまう

    幼稚園生ぐらいの頃から、死ぬことが怖くてたまりません。 主に寝る前に、時々発作のように取り乱しては眠れなくなっています。 小さい頃は「死」という未知への恐怖でしたが、今は周りの大好きな友人や恋人と別れることを妄想してしまいます。 病気になって死に別れるまでの日々から、死んだ後、大切な人に遺された場合の3パターンが主な内容です。 「こんなに死ぬのが怖いのは、人間関係に恵まれている証拠だ。死ぬ時は誰にでもくるのだし、生きている間に精一杯周りの人たちを大事にするしかない」 と前向きになるように自分に言い聞かせていますが、止めたくてもどうしても止められません。 一度「死(=好きな人との別れ)」を思い出してしまうと、勝手に妄想してしまうんです。 雪玉が坂を転がるように、どんどん転がって大きくなっていきます。 わかっている一番の解決策は 「死んだ後には死者の国があり、生きている間に知り合った人々と再会し、永遠に一緒に暮らせる」 と確信することですが、もちろんこれはできないということもわかっています。 悩んでも泣いても人生はいつか終わるんだから、いちいち苦しむのは無駄だし損だとわかっているので、この悪い癖を治したいと思っています。 どうにかして抜け出そうとネットで検索していたところ「タナトフォビア(死恐怖症)」という精神の病気を見つけました。 概要を読みましたが、おそらくこれだと思います。 今も妄想してしまい、いてもたってもいられずに質問を投稿させていただいています。 私のパターン(死に別れを妄想してしまう)で、タナトフォビアを克服した例をご存知の方、または実際に克服された方はいらっしゃいますか? いらっしゃいましたらぜひお話をお聞かせ下さい。

  • 死が怖くなくなった人に質問です

    私は死が怖いです。 深夜に一人で死について考えると叫び出したくなります。 小学生のときから28歳の今までずっと変わりません。 死の恐怖は (1)身近な人や社会との別れに対するもの (2)肉体的苦痛に対するもの (3)死の理解不可能さに対するもの などと分類されることがありますが、私の場合はとくにかく(3)が怖いです。 死を考えると全てが残酷で不条理に思えてなりません。 そこで、死の恐怖を克服した人はいるのか いるとしたらどんな経緯で克服できたのか、をうかがいたいと思いました。 はじめから怖くない、という方ではなく 以前はこわかった(特に(3)やそれに近いもの)方で、 今は怖くなったという方のお話をうかがいたいです。 切実です。よろしくお願いいたします。

  • 安楽死をどう思いますか?安楽死をどう考えますか?

    安楽死をどう思いますか? 安楽死をどう考えますか?

  • あなたの死は望まれる死?

    突然の交通事故により、25歳の若さでこの世を去った ある女性看護士の手帳が、後日両親の手によって彼氏の元に届けられた。 看護士と言う仕事柄、数多くの人の死と向かい合ってきたのであろう。 その手帳に書きとめられた詩の中に“望まれる死とは”と言う、外国人 詩人が歌った詩が書きとめられてあった。 その詩の内容は・・・ 『望まれる死とは、 自分の死期は自分で決められればそれが望ましい 病に倒れ死が訪れるのをまつのではなく むやみに死を選ぶことも無く 春の木漏れ日に、空に舞うチョウのように 人生で一番輝いている時、選べるのなら死を選びたい』 と言う内容の詩だった。 チョウは生まれてすぐに大空を舞うわけではない。 寒い冬を卵で過ごし、やがてサナギとなり空を舞うチョウに成長していく。 今までの自分が木陰の人生だったのならば、チョウのように 大空を舞う自分がいてもいいのではないだろうか。 その後、死を迎える事ができるのであれば、それこそ“望まれる死”ではないだろうか。 彼女はこの詩と、病で旅立ってゆく患者の無念さを重ね合わせていたのかもしれない。 突然の事故によりこの世を去った彼女が残していった詩。 残された彼氏にとって『人生で一番幸せだったよ』と言う天国からのメッセージだったのかもしれない。 彼女は自ら命を絶ったのではない。 自ら命を絶とうとする人は、もう一度考えてほしい。 “望まれる死” あなたはまだ空を舞っていないのではないだろうか・・。 チョウですら空を舞い、輝いてから死を迎えるのだから。 それでも死を選ぶと言うのなら、 神にあなたの冥福を祈るのではなく。神に願いたい。 あなたの捨てる命と交換に、彼女の命を私に返してほしいと・・・。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ あなたにとって、“望める死”とは・・・。

  • 安楽死・尊厳死について

    安楽死と、尊厳死の違いがイマイチよく分かりません。 私は、安楽死と尊厳死はまったく別物と思っていたのですが、 安楽死と、尊厳死は完全分離されたものなのですか? それとも、安楽死の中に尊厳死は含まれるのでしょうか? それと、消極的安楽死と、積極的安楽死についても 違いを教えていただければ光栄です。

  • 《第二の死》とは?

     《死が死ななくなった状態》を言うらしい。  死は われあやまつならそのあやまちに気づきわれに還り われ有りとして 死ぬものである。   わが心に背きわれを離れあやまてるわれは われ無しとして 死である。  これがわれに還れば われ有りとして 死が死ぬ。  このあやまちとしての死は 人間の経験的・相対的で限りある存在にとって なおまだ相対的にして変わり得る。その死が われに還るとき 死なしめられる。  つまり 《第一の死》は 死ぬことが出来る。  《第二の死》とは この第一の死が死ななくなることである。  あやまちをなぜ《第一の死》と言うか?   それは わが心にさからうあやまちの一瞬に わが存在としての時空間が経験存在であるそのままに実際に限られて来るからである。物ごころのつく前のわが広大な宇宙が 時間を見出しこの時間によってわが存在の歴史として限られることは 死によって限られることだからである。  あやまちは 心を失くしわれ無しとなる死である。ただし われに還るとき われ有りとして この死は死ぬ。ゆえに 第一の死と言う。  われわれは 人生において 第一の死に突っ込むようにして落ち入りそこから這い上がり再生するという死と生の循環のごとき繰り返しを生きる。  ところが この第一の死が死ななくなると言う。如何にか?  かんたんである。われに還ることがなくなるときである。  あやまちに気づいても それを認めなくなるときである。  われ有りの状態に復帰することがなくなるときである。  心にさからうわれ無しの状態が・つまり第一の死が 固まってしまうときである。  そのときには ひとは第一の死から再生しなくなる。    第一の死が死なない。第一の死が 固定する。という第二の死。    基本的に言って それは 心のたかぶりによって起こると思われる。のではないか?  ほんとうにそうか?  それだけで 第二の死が起こるものか?  果たして 第二の死は あるのか?

  • 安楽死、尊厳死、積極的安楽死、消極的安楽死

    はじめまして。 大学入りたての学生なんですが 尊厳死についてレポートを書いています。 色々と本や判例を読んだのですがイマイチ尊厳死についてわかりません。 1、尊厳死は安楽死にカテゴライズされているのか? はたまた 2、積極的安楽死=尊厳死で消極的安楽死=安楽死 なのか? どなたかご存知の方がいらしたら教えてください。