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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:歴史の if を考える)

歴史のifを考える

このQ&Aのポイント
  • 歴史のifを考えることは興味深いですが、個人的なifを語ることはあまり意味がありません。
  • 例えば、ワーテルローの戦いでナポレオンが勝利していれば、欧州の勢力図は変わっていたかもしれません。
  • 日本の歴史でも、関ヶ原や幕末の逸話は興味深いものですが、それぞれのifについて考えることは個人の夢想に過ぎません。

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回答No.14

 御目出度う御座います。 ROUTE246の学校も御見事でした。また先月は心強い御回答も賜りまして、改めて御礼申し上げます。 新年と云いましてもどうやら私、心頭ではなく身魂から復古主義のようで、毎年旧暦で祝って居ります。梅に鶯が鳴き始めるのも二月初旬、その方が初春と云う気がします。日本を取り戻すと言うならせめて其処も休日にして欲しいですわ。  さてその西洋暦の大元で,if、ジーザスChrist,が、 ユダ=イスカリオテ,の裏切りを未然に制止して居たら⁉..とはよく思います。ユダとユダヤ人迫害が結び付けられたのは中世からですが、あれが無ければそれ程激しく忌み嫌われたかどうか? キリスト受難劇でもナチスのゲッペルス等は意図的に裏切り者ユダを強調してる。 ユダの行為を事前に把握してた,イエスの予言、あれはほぼ命令ですね。裏切れ!と。じゃなきゃ磔刑も復活も無いので神性が顕れない。キリスト本人の目論見は有った。一方で磔に際して「エリエリ,神よ何故我を見捨てたもうか?」と、それがはずれた事も匂わせてる、。これには様々な解釈が為されますが、いずれも教会の先入観が入ってると言わざるを得ない。未だ確定しない現在の,タラレバ問題です。人間イエス像の探求と宗教の相対化評価も為されなければ現在の中東問題の解決も無いでしょう。それによって霊性と信仰の価値が無くなるはずは無いのになあ。  近年、偽書扱いの“ユダの福音書”が見直され名誉回復も企図されてるそうです。http://blog.livedoor.jp/cjcpress/archives/50317861.html  一方,我が邦でも、信長にもっと大部の護衛が付いてたら? とは誰しも思う処でしょう。 でも、仰るように覇権を維持出来たとは私も思えない。但し外へと開かれた帝国への野心から、徳川よりは西洋の文物は取り入れたのでは? 信仰としての基督教は弾圧しても、科学技術を齎す叡智としての宗教と哲学科学ならもっと取り入れ家臣に学習させたはずだと思う、。すると勤勉な日本はもっと早くに近代化を遂げたかも知れず、その後の歴史は大きく変わるでしょう。 上杉謙信の覇権というのも見たいものですが、もっと仏国に成ってたかな?  後醍醐帝の覇権。足利義満の即位。マッカーサーによる廃位の決断。実現ならその後も大きく変わったでしょう。 王権問題は現在でも潜在的に続いていて、存続が危ぶまれている。明文法で元首にという勢力も台頭。しかしそれは浅薄な保守と云う他御座いません。何故なら日本は二重権力で保って来たのですから。普通の国などに為ってはイケナイ。いざとなったら責任取らされ廃位になってしまう。近代法などの及ばぬ外部に置かなければなりません。開かれた皇室なんぞに成れば成る程、嫁の来ても無く存続が危ういのでは? せいぜいが近代からの右翼が追い詰めてる構造という逆説です。やはり歴史の知恵を学ぶべきと思います。学ぶ程我々も歴史の一部だと痛感し、高みの見物ではなく否応なしに参入せざるを得なくなる。座興のつもりが突き詰めて思考すると、地続きの歴史が其処に顕れますわ、現在のif,です。 王権の在り方は、近代主義で考えては間違えますね。では。

isoken
質問者

お礼

marc さん、こんにちは、お礼が遅くなりまして誠に申し訳ありません。 箱根駅伝の件恐縮です、ところで旧年中は色々と失礼致しましたが、今年も引き続きお付き合いを御願い申し上げます。 >新年と云いましてもどうやら私、心頭ではなく身魂から復古主義のようで、毎年旧暦で祝って居ります。 それはまあ今時何と珍しい、それではクリスマスなんて論外なんでしょうねぇ、私とて多少の違和感こそ持ちますが、さすがにそこまでは行きません。 >さてその西洋暦の大元で,if、ジーザスChrist,が、 ユダ=イスカリオテ,の裏切りを未然に制止して居たら⁉..とはよく思います。ユダとユダヤ人迫害が結び付けられたのは中世からですが、あれが無ければそれ程激しく忌み嫌われたかどうか? No.4 の nyau さんからも似た趣旨の回答を賜りましたが、私自身メソジスト系の学校に通っていたにも関わらず、授業中居眠りばかりしておりましてその種の話にはとんと疎い、marc さんは映画・任侠のみならず精神世界に関してまで造詣が深くてらっしゃるようで、大変御見逸れしました。 さてキリスト教世界に於けるユダヤ系人種に対する偏見は、表面上の綺麗事はまた別として今尚相当に根深いものがあるようでして、一時期ヨーロッパにいた折顔の特徴から判別するユダヤ人の見分け方なるものを伝授された事があります。 血の配合が進み今や純粋なユダヤ人は圧倒的な少数派でしょうから、見てくれに依る判別はそう簡単じゃないはずでして、つまりナチスに依る大迫害を経ても尚その種の差別意識が根絶やしとなった訳ではない、そう教えられた瞬間でもありました。 それはともかく marc さんの if を考えますと、キリストの深慮遠謀に依るユダの裏切り無かりせば、後年ユダヤ民族が蒙ったその種の迫害は軽微なものであったその一方で、キリスト教がほぼ全世界に遍く広まる事も無かったのかも知れない、そういう事でしょうか。 ・・だとすれば、キリストに依る千慮の一失或いは意図的に与え賜うた民族的苦難という事なのでしょうが、その手の話題はボンクラの私にとって少々荷が重いようです。 >信長にもっと大部の護衛が付いてたら? とは誰しも思う処でしょう。 手薄な護衛でなければ、光秀としても恐らく急襲してないでしょうから、 「 信長が志半ばで頓死せねば 」 と仰る事を勝手に解釈致しますが、彼は当時の日本人離れした合理主義者でありました故、御指摘の方向性へと進んだ可能性は高いでしょう。 或いは徳川時代を指し示す近世という時空を飛び越えて、一挙に近代へと邁進した可能性も無いではない、何れにしても封建制度は崩壊したであろうと考えます。 >上杉謙信の覇権というのも見たいものですが、もっと仏国に成ってたかな? 上杉謙信という稀に見る戦上手の武将は、それこそ信長の対極にある復古主義の権化のようなお方でありましたからどうでしょう。 足利義昭或いはそれに代わる将軍家の血筋を担ぎ出し、自らは管領を復活させてその地位に就いたかも知れない、それでは時計の針を逆に回す事に他なりませんねぇ。 >後醍醐帝の覇権。足利義満の即位。マッカーサーによる廃位の決断。実現ならその後も大きく変わったでしょう。 王権問題は現在でも潜在的に続いていて、存続が危ぶまれている。明文法で元首にという勢力も台頭。しかしそれは浅薄な保守と云う他御座いません。何故なら日本は二重権力で保って来たのですから。普通の国などに為ってはイケナイ。いざとなったら責任取らされ廃位になってしまう。近代法などの及ばぬ外部に置かなければなりません。 ああこの点は御慧眼・全くその通りでして、天皇家が世界に冠たる万世一系の王家である所以は、古より綿々と続く権力の二重構造に他ならず、誤解と御叱りを恐れずに申し上げば、その本質とは神主の総元締めにして日本人の氏素性と血の源流、そう理解するのが宜しいかと・・。 即ち権力の所在が根こそぎ引っくり返る易姓革命はもとより、戦争責任などもっての外でありますが、この点が欧米人には分からない、ただ徐々にではありますがマッカーサーも最終的にはそう理解したようです。 ところがおつむが弱い極右や極左にはその辺りの機微が分からない、一方は贔屓の引き倒しに過ぎず、他方は歴史的背景と知識の欠片も無い、もっともその辺りを熟知しつつ巧妙に立ち回る勢力の存在をも否定しませんが・・。 回答ありがとうございます。

isoken
質問者

補足

所用が出来まして、お礼が遅くなる旨御詫び申し上げます。 少しばかりお時間を頂戴したいと思いますが、何卒御容赦を・・。

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その他の回答 (16)

noname#204018
noname#204018
回答No.6

1962年のキューバ危機。当時小学生だった私に記憶はありません。後日文献で読んだ知識がすべてなのですが、核戦争というものが現実に起きていたかもしれないという恐ろしさを感じたのは記憶に残っています。 いろいろ調べてみると米ソの核兵器の戦力の差は15倍以上のひらきがあり、いきなり世界滅亡てきな状況にはならなかったにせよ、ヨーロッパを戦場とした第三次世界大戦が起きて1000万人を超える命が失われたであろうと言われています。 フルシチョフがキューバの核ミサイルを撤去し、ケネディはトルコに配備したジュピターミサイルを撤去し戦争の危機は回避されたのですが、若く血気盛んなカストロは米国を核攻撃しろと主張したとされています。 もし、キューバ危機が回避されていなければ、中規模な核戦争がおこっていたということはまちがいないだろうといわれています。キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ空軍の偵察機が、ソ連軍の地対空ミサイルで撃墜された。同日、アメリカ海軍は海上封鎖線上で、ソ連の潜水艦に対し、爆雷を海中に投下した。攻撃を受けた潜水艦では核魚雷の発射が決定されそうだったのが、一人の参謀の英断で核魚雷発射は止められ核戦争は回避されたといいます。 60年代、70年代と幼少期、少年・青春時代を生きてきたわが身としては、いつも火薬の上で昼寝させられているような時代を生きてきたきがします。 1989年の冷戦終結をもってやっと寝床の下の爆弾がとりのぞかれた安心感がありました。核戦争の恐怖にくらべたらノストラダムスの大予言だろうがハルマゲドンだろうが 東海・東南海・南海大地震だろうが、さほど怖くはないですよ。 さて、遅ればせながら新年おめでとうございます。 初優勝おめでとうございます。

isoken
質問者

お礼

ex さん、明けましておめでとうございます。 今年も宜しく御願い致します。 >1962年のキューバ危機。当時小学生だった私に記憶はありません。 私としてもまだオシメが取れるか取れないかの時期でした。 依って全ては後付の知識に過ぎませんが、キューバ危機に至った切っ掛けの一つはアメリカ自身が作り出したもの、つまり当時極限にまで右傾化していた国情を背景に、一方的にカストロ政権を敵視した思い上がりが、必要以上にソ連とキューバを接近せしめた、実はそう認識しております。 ところでキューバ危機当時のソ連はスターリン以来の計画経済に於ける躓き ( 特に農業生産面での )に依り、実のところ通常兵力に依る全面戦争に突入出来る環境にはなかった、加えて ex さんが御指摘の通り既にソ連本土に向け ICBM の配備を完了していたアメリカに対し、明らかに軍事的劣勢に立たされたソ連が持つ選択肢は戦術核に依る対抗、つまり合衆国の喉首に刃を突き付ける以外に無かったのも恐らく事実でしょう。 つまり全面戦争及び核行使の方法論が極めて限定的であったソ連という現実がありましたから、彼我の戦力格差は充分に抑止力と成り得・ソ連側の譲歩に依るキューバ危機の回避は歴史の必然であった、私個人としてはそう解釈しておりますが、その種の情報が開示に至ったのは遥か後年でありましたから、ex さんが御持ちになられた危機感は恐らく全世界共有のものであったと思います。 ところで所謂教科書的な意味合いに於ける米ソ・デタントとは、ニクソンとブレジネフ間で合意した軍備管理協定を指すそうですねぇ。 但しそれ以前に米ソが歩み寄った歴史がただ一度だけある、それこそがキューバ危機に於いて丁々発止やり合った当事者である、ケネディとフルシチョフの個人的な信頼関係であったのかな、個人的にはそう考えております。 これは全くの推測ですが、キューバ危機回避に至る過程に於いて、ケネディとフルシチョフとの間には、或る種の友情にも似た連帯感が生まれたのではないでしょうか。 ケネディはソ連全面支援の態勢を整えつつあったやに聞いておりますし、一方のフルシチョフとしても、ブレジネフ・コスイギンといったクレムリンの政敵よりは少なくとも腹を割って話し合える、そういう事であったろうと思います。 ところが当のケネディが暗殺され、その後 1年を出ずしてフルシチョフも失脚するに至った、つまりケネディ暗殺の余波は一アメリカ国内に止まらず、その後のソビエト連邦ひいては共産主義国家群にも多大な影響を与えた訳で、ここにも大きな歴史の if があったのかも知れません。 以上、失礼を恐れず且つ釈迦に説法を百も承知で一気呵成に並べ立てましたが、何卒御容赦を・・。 >初優勝おめでとうございます。 正直我が事のように嬉しいものですねぇ、御回答共々その御言葉ありがたく頂戴致します、ありがとうございました。

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  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11792)
回答No.5

数ある武将に恐れられた信玄が、もし病気で倒れなかったら・・・ その信玄の好敵手であった謙信が、もし病気で倒れなかったら・・・ 家康の立ち位置は、確実に違っていたでしょう。

isoken
質問者

お礼

localtombi さん、明けましておめでとうございます。 今年も宜しく御願い致します。 >数ある武将に恐れられた信玄が、もし病気で倒れなかったら・・・ その信玄の好敵手であった謙信が、もし病気で倒れなかったら・・・ 家康の立ち位置は、確実に違っていたでしょう。 御指摘の通り、武田信玄は長らく家康が抱えた大きな重し、いや絶対的恐怖ですらありました。 但し一度でも引いたが最後、戦国大名としてのキャリアと将来は the end 、依って如何な信玄相手と言えども徹底抗戦を以ってした、その象徴が三方ヶ原の戦いであったという事でしょう。 その辺りの読みと嗅覚に優れていたが故その後の徳川政権がある、個人的にはそう考えるところ・・、もっともその時分に天下を意識した事は無いでしょうが。 さて信玄の没後に巻き起こった長子信康と築山殿の一件に際し、信長から信康の切腹命令が突き付けられましたが、仮に信玄が存命であれば或いは織田家と手を切り武田へと寝返る選択肢もあったかな?、個人的にはそう思わないではありません。 その一方で信玄さえおれば、信長としてもその種の要求はしてこなかった、恐らくそういう事でしょう。 何しろ家康は苦しみ且つ断腸の思いで断を下した、つまり武田信玄とは家康にとってそれほど重い存在であった、全ては御指摘の通りであったろうと思います。 回答ありがとうございました。

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  • nyau
  • ベストアンサー率67% (255/376)
回答No.4

こんにちは。 歴史の「if」を考えるのは楽しいですよね。 私が考えるifは ・「ユリウス=カエサルがあの日暗殺されず天寿を全うしていたら?」 暗殺後のオクタビアヌスとアントニウスとのごたごた内戦はなかったわけで エジプトのクレオパトラもあんなに有名になることもなかったでしょうね。 結果的に帝政には移行したので、世界史的な影響は少なかったかもしれませんが。 ・「イエスが地味に布教を続け、静かに天寿を全うしていたら?」 教義にあんなインパクトもなかったでしょうし、 のちにローマ帝国を乗っ取るほどのエネルギーも生まれなかった気がします。 そういう意味では、世界史的なインパクトは断然大きいかも。 ・日本では「本能寺の変が起きなかったら?」 信長後の秀吉→家康の権力移行もなかったでしょうし、 家康がいなければ江戸も東京もありませんから、 かなり今の日本とは違う国になってかも。 あと、信長なら鎖国もしてないでしょうから、 やっぱり今とは違う国になってたでしょうねえ。 戦争の結果については、 「あのときもし勝っていれば」「負けていれば」というのを考えるのは楽しいですが 結局は国力の差、国民や指導層の知的レベルの差で 勝敗は決まると思っています。将軍の層の厚さもそうですしねえ。 戦争の結果は必然で決まると思っているので 今回は個人の事件にしぼってあげてみました。

isoken
質問者

お礼

nyau さん、明けましておめでとうございます。 色々と考えさせられる御回答に感謝です。 >私が考えるifは ・「ユリウス=カエサルがあの日暗殺されず天寿を全うしていたら?」 実は偶然ですがシーザーに関する設定は、質問を投稿する折に私も考えました。 シーザー・クレオパトラ共に、今尚語られる世界史上最大級の著名人と言って差し支えないのでしょうが、そこにアントニウスが絡まなければ、つまり若くしてシーザーが暗殺されなければ、仰る通りクレオパトラが傾国の美女の代名詞となったかどうかは疑わしいところでしょうねぇ。 ただオクタビアヌスとアントニウスの跡目争いはあった可能性が高い、個人的にはそう思うのですが・・。 >・「イエスが地味に布教を続け、静かに天寿を全うしていたら?」 諸事謎に包まれたこのお方に関しては、当然推測の部分が大きいのですが、ことローマ帝国内でのキリスト教の布教に特化して申せば、時の為政者の恣意的な誘導が不可欠であったのではないでしょうか? そう考える一方で、御指摘の if があった際の後世への影響は正直見当も付かない、何ともスケールが大き過ぎまして・・。 >・日本では「本能寺の変が起きなかったら?」 本能寺の変は、確かに我が国の歴史を語る上で最大級の if ですね。 敵と味方を峻別する信長の個性は、外様大名が生き残れた土壌とも言える曖昧な封建制度の存在を許さなかったかも知れない。 つまり中央から派遣された官吏に依る、中央集権的な色彩を帯びた政権の樹立は否定出来ず、少なくとも徳川時代の如き幕藩体制は無かったでしょう。 但し彼の治世であれば、かの毛利家も長曾我部・島津も恐らく徹底抗戦であったろうと・・、即ち天下統一が信長の時代に為された可能性は極めて低いものと想像してしまいます。 >戦争の結果については、 「あのときもし勝っていれば」「負けていれば」というのを考えるのは楽しいですが 結局は国力の差、国民や指導層の知的レベルの差で 勝敗は決まると思っています。将軍の層の厚さもそうですしねえ。 戦争の結果は必然で決まると思っているので 近代戦は特にそうですねぇ、何処かの戦いで負けたとしても、彼我の差は如何ともし難い。 これはもう国家としての総合力・消耗戦の側面を持ちますから、経済的な格差を切り離しての議論は考えられない。 何はともあれ、極めて興味深い数々の例を挙げて頂きまして、誠にありがとうございます。

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回答No.3

isokenセンセー、今年もよろしくお願いします 「もし」・・・22歳~23歳のころ、お見合いをやらされました 相手は青果会社の社長の息子 仕掛け人は当時の職場の社長 先方さんには私の履歴書を渡し、向こうさんからは写真が届きました 「ぶさっ…」 書類選考の段階で私は「NO」だったんですが、社長がどうしてもと言うので1度お会いしました 「・・・」 乗り気じゃないから当然会話も弾みませんよね 彼の愛車のランエボでドライブしましたがどんだけ苦痛だったことか… もうちょっと男前だったら今頃私は社長夫人&市場のねーちゃん お金には苦労しない人生だったでしょうが、背に腹は変えられなかったのです そのままゴールインしていたら、つまらん人生だったでしょうね…

isoken
質問者

お礼

ミッたん、明けましておめでとうございます。 今年も宜しく御願い致します。 >「もし」・・・22歳~23歳のころ、お見合いをやらされました 配偶者の選定は、それはもう人生最大の if の一つでしょうねぇ。 個人的にはお見合いも有効且つ合理的な方法論の一つと考えますが、考え方は人それぞれ、好きになった相手と結婚するかそれとも結婚してから徐々に愛を育むか・・。 まあ恋愛もお見合いも結婚に至る切っ掛けに過ぎず、こんなはずじゃなかったという見込み違い、そして将来嫌いになる或いはずっと好きになれないリスクは共に含むのでしょう。 >もうちょっと男前だったら今頃私は社長夫人&市場のねーちゃん >お金には苦労しない人生だったでしょうが、背に腹は変えられなかったのです お金はともかくやっちゃ場はミッたんに合ってるかも知れない、まあ女社長として全てを仕切っていたとしたら、今の奔放な生活は無かったでしょうが。 回答ありがとうございます。

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  • haiji1996
  • ベストアンサー率14% (232/1633)
回答No.2

isokenさん、明けましておめでとうございます。 今、別荘の近くの国道沿いで、箱根駅伝を応援しています。さっき、我々の母校が一位で通りましたよ!それをお伝えしたくて、投稿しに来ました(^_^;) ナポレオンはしかし、フランスの英雄とされていますよね。。パリのナポレオンのお墓のアンヴァリッドほど立派なお墓がこの世にあるかと思うくらいでした。。ナポレオンがエルバ島へ流刑される直前まで滞在していたフォンテーヌブロー城にも行きましたが、とても美しいお城でした、ナポレオンはフォンテーヌブロー城を自分のシンボルにすべく、エンパイアスタイルに立派に改築したのです。ナポレオン専用の肘掛け椅子も見て来ました。ナポレオンが最も愛したこのお城で、最後に親衛隊に別れを告げるのは切なかった事でしょう。 えっとそれで、個人的なifはよく考えましたよ。もし、他の男性と結婚していたら、もし他の両親の元に生まれていたら、とか。 でも、何度考えても、私が今の強くて自信があって幸せな自分であるためには、今の旦那さんと一緒になる必要があったし、私の両親の元に生まれだからこそ、得られたもの多い。。容姿や海外生活の経験や英語力や学歴、そしてそういうものが得られたからこそ、私は現在の仕事や収入やモテモテを享受出来ている。。と。昔は、両親にはひどい目にあわされたから、うちの両親の元に生まれた事は最大の不幸に思いましたが、今はもらうものもらったから、プラマイゼロどころかプラスかな、と思えるようになりました。長く生きていると、思いもかけず良い事がありますね。では(^-^)/

isoken
質問者

お礼

haiji さん、明けましておめでとうございます。 今年も宜しく御願い致します。 新年を別荘でお過ごしですか、それは豪奢な・・。 さてまさかの完全優勝、 OB ・ OG としては嬉しい限りですねぇ。 今は強豪校となりましたが、私の頃は野球すら本当に弱かった、東都リーグの 1部と 2部を行ったり来たりといったレベルでしたが・・。 >ナポレオンはしかし、フランスの英雄とされていますよね。 幕末から維新に掛けて、或る種の自由及び抑圧からの解放の象徴と誤解して紹介されたのがナポレオンであったろうと・・。 その辺りの誤った解釈は戦後も長らく続き、私も長い事そう思っておりました。 ところが周辺国が彼に持つ印象は征服者・抑圧者そのものであったりしまして、事実はそう単純じゃないと気付かされたのは遥か後年に於いてです。 さてお墓や居城に関しての知識はありませんが、かのナポレオンにそんな復古趣味があったとは初耳でありまして、フランスに関する haiji さんの博覧強記振りも大したものだなぁと・・。 >何度考えても、私が今の強くて自信があって幸せな自分であるためには、今の旦那さんと一緒になる必要があったし、私の両親の元に生まれだからこそ、得られたもの多い。 配偶者は自身の選球眼で何とかなるが如何せん両親は選べない、依ってその運命は須らく受け入れそして肯定的に捉えるのが賢明な在り方なのでしょう。 何等かのマイナスを差し引いても相対的に貴女は恵まれておられる、その点は恐らく御自身が認識されている通りでありまして、生まれや育ちに根差したポジティブな思考や誤解を恐れぬ物言いを私は嫌いじゃない。 まあ似た者同士のシンパシーとでもいったところでしょうか。 回答ありがとうございます。

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  • smi2270
  • ベストアンサー率34% (1640/4699)
回答No.1

isoken さん こんにちわ! もし 病気にならなかったら 今頃 ちょっとした小金もちで、結婚してたかな~?? もし イケメンで産まれてたら 今頃 モテモテだろうな~・・?? もし 父・母が居なければ SMIは存在しない・・ Σ(゜Д゜) ってことは・・   父・母が あんな事やそんな事をしてたのか!!キモイぞ~~~!!

isoken
質問者

お礼

smi さん、明けましておめでとうございます。 今年も宜しく御願い致します。 >もし 病気にならなかったら 今頃 ちょっとした小金もちで、結婚してたかな~?? 人生は長い、smi さんの御年齢こそ知りませんが、全ては今からじゃないですか? その一方で誰しも父母から受けた恩は否定出来ない、私としてもそう肝に銘じておりますよ。 回答ありがとうございました。

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    「歴史にIFはない」とよくいわれます。私も、そう思っていましたが、ある歴史本を読んで、このことが、分からなくなりました。それで歴史に関心を持っておられる皆さんはどのように考えておられるか、質問してみました。 (1) 「歴史にIFを考えることは無意味である」 (2) 「歴史にIFを考えることは意味がある」 (3) その他 あなたは、上記(1)~(3)のどの考え方ですか?理由も含めて教えて下さい。 それと、「歴史にIFはない」という言葉は、「誰が言った言葉なのか」、あるいは「出典」など、知っておられる方は、教えていただければありがたいです。

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    歴史にIFはない。とは? この質問はカテ違いかもしれません。 歴史のカテに、「もし○○だったら?」と質問すると、「歴史にIFはない」と、 なにがしらかの決まり文句のようなものを回答する人が多々います。 歴史から何かを学ぶ、あるいは過去の失敗を繰り返さない。という事で あれば、IFの話で考えるのも一つの考察方法だと僕は思うのですが、 「歴史にIFはない」というのは、それを拒否しているように感じられ、 過去を反省する必要もない。という風にもとれてしまいます。 でもそれもおかしな話で、回答者の真意もそうではないと思います。 もしかしたら何か別の意味が「歴史にIFはない」にあるのではないか、 と考えられたりしています。 ではその回答者のいいたいこととは、いったいどんな事が推測されますか? ちなみに、まったくありそうでない話(例・戦時中にウルトラマンが 日本の味方だったら、どうなっていたか)であれば、僕も「歴史にIFはない」 と、やや怒り気味に回答するかもしれませんが。

  • 歴史のイフ

    戦艦大和が沖縄に無事到着してたら、どこに大砲をうったのですか? また、大和はどうなりますか?