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命の大切さ

橋田さんや小川さんが亡くなってしまったり 小6の女の子が友達を殺害してしまったり 本当に最近心が痛む事件ばかり続きます。 この2つの事件だけではありません 何か事件がおこるたび そのたびに命は本当に大切なんだ なんで人の命を奪うんだ と悲しくて心が痛くなり怒りがこみあげます 私もいつか子供を産んだら「命の大切さ」を子供に知ってほしい 小6の加害者のご両親もきっと教えてきたはずなのに どうしてでしょう あの子の行動は本当に理解できません。 普通に命は大切なんだよって教えるだけではダメなんでしょうか どうすれば分かってくれるんでしょう いつか子供ができたときに(まだまだ私は若造ですが)言葉でどう教えればいいでしょう どうしてわからないんだろう

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  • je77
  • ベストアンサー率37% (78/209)
回答No.7

こんばんは。 命に限らず人間(生き物)に対して希薄なのかなっと思います。 これは行動を起してしまう本人に対してもで、何をしたらどうなるかってあまり考えずに行動しているように見えます。 現実感なくバーチャル的に行動しているかのようにさえ見えます。 ここ数年現れた、「リセットする」のような言葉が象徴的な気がします。 新聞紙上で見たのですが、赤ちゃんにテレビを常況的に見せていることで脳の発達を阻害する効果があるとの報告があったそうです。(9割の世帯で毎日2時間以上見せているそうです) またメールが普及し、会って話すことは勿論、電話で話すことさえ、急激に落ち込んでいるそうです。 現実ある人間の存在を実感する機会を失っているように思います。 分別ある大人がうまく利用すれば非常に便利な道具ですが、発達段階ではあまりに便利な道具に囲まれてしまって、かえって健全な発達を阻害する結果になっているように思います。 今回の事件もテレビでカッターナイフを使った殺人シーンを見てとのことですが、まるでテレビゲームかのような発想に思えます。 ゲームですと殺してもリセットしたらまたもと通り。 バーチャルな世界が現実の世界と頭の中で混在してしまっているように思います。 私の考えですが、言葉というより直接的な人間的なつながり、他の生き物との交流などが一番有効なんじゃないかなと思います。 相手が笑ったり、怒ったりすることを肌で感じて、生きていることを実感することがいいんじゃないかなあと思います。 根拠はないですが、昨今の悲しいニュースを見る度、ゲームじゃないんだからと思ってしまいます。

nagi-nagichan
質問者

お礼

>バーチャルな世界が現実の世界と頭の中で混在してしまっているように思います。 そうかも知れない 最近の子は特にそうかもしれないですね。 リセットすればなかったことにできる 心なんか痛くならないのかもしれない。 「死」なんて軽いものとしか捕らえていない子がきっと多いでしょう。 そんな子を作ってしまった社会 責任とれよと言いたくなりますね。 ほんとゲームじゃないんだから...

その他の回答 (10)

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.11

行動を理解できませんか。私には日常的なことだと思いますよ。人間は日ごろからいろいろな摩擦の中で生活しているのです。それがときに怒りになる。自然なことでしょう。 貴方が命が大切だと思う根拠はなんですか。怒りが込み上げるというのですから何か理由があるのでしょうけども、それを明確に答えられますか。もし前提なしに命が大切なのなら、貴方は何も食べることはできなくなりますよ。その問いに明確に回答できなければ、子供にだってわかってもらえませんね。 命の大切さなんて、結局、人間の思い上がりに過ぎないんですよ。今世界の人口は40億人とも言われますが、そのうちの何人か、もしかしたら数千人死んだって世の中は何もなかったかのように、いつもと変わらぬ日々を続けるでしょう。 考えても見てください。ここ一月で死んだ人の顔と名前を何人言えますか。せいぜい数人でしょう。しかしもっと多くの人々がその間に死んでいるのですね。 むしろ命のはかなさこそ、教えるべきでしょう。そして如何に死ぬべきか、裏を返せば如何に生きるかということになるのです。

nagi-nagichan
質問者

お礼

>自然なことでしょう そうですか... 私は悲しいのでそう思いたくない です。 命のはかなさ も教えるべきですが 命本来の大切さにそれは含まれているんではないかと勝手に思っていました。 ありがとうございました。

回答No.10

「命の大切さ」というタイトルにだけ引かれてこの質問を拝見させていただきました。 では、面白い命題をひとつ。 「命は、絶対大切なんですね?」 まず、これが前提。 あるところに、100人を殺した殺人鬼がいました。 捕まれば、死刑間違いなし。 そして、当然警察が追ってきます。 殺人鬼は、捕まれば死ぬんだから、当然追っ手を殺しまくります。 さて、殺人鬼は正しいですか? 「命は絶対に大切」なら殺人鬼の命も大切。だから、彼が殺されないように追っ手を殺すのはOKのはず。 でも、追っ手の命も「絶対に大切」。 私の個人的な感覚から行くと「そんな殺人鬼、その場で射殺すればいい」と思います。 つまり、「その殺人鬼の命は大切じゃない」。 でも、 「なんでその殺人鬼の命は大切じゃないの?」 「命は大切じゃなかったの?」 これに回答を与えるには、ある程度の哲学が必要です。突き詰めて考えると「命は大切」という決まり文句が間違いであることに気づきます。 この哲学を持たない人が増えています。 決まり文句のように「命は大切」と繰り返すだけの人が。その理由も自問せずに・・・。 大人がわからないものが、子供にわかるはずはない。 問題は、哲学を持たない現代日本人、つまりわれわれにあります。

nagi-nagichan
質問者

お礼

面白い...(命題) すごく考えこんでいる自分がいます。 そう聞かれたらちゃんと答えられないかもしれない 哲学では語れないけど「命は大切」という決まり文句というか それは当たり前のこととして正しいことだと思います。

nagi-nagichan
質問者

補足

ごめんなさい お礼の言葉を言い忘れました。 ありがとうございました。

回答No.9

8歳の娘がいます。あのニュースを一緒に見ていたので「もしも、すごく嫌な事をされたり、殺したいほど嫌な人がいたりしたら、とりあえず、家に帰って来てから、おかあさんに言ってみて。『殺さなきゃいけないくらい嫌な事』ってそんなにはないはずだから、ほんとに殺さないといけないかどうか、よおくおかあさんと考えよう。そして、もし『やっぱり殺すしかない。』っていう事になった時は、おかあさんが殺しに行くから、自分では絶対に殺さないでね。」と言い聞かせました。「それってどうなの?」と言われそうですが、とりあえず「親は自分の見方なんだ。話を聞いてくれるんだ。」という事を伝えておこうと思いました。うちの娘は、のんびり屋でおっちょこちょいで、よく私に怒られます。かなり叱った日には、寝る時に「どんなに、悪い子でも、おばかさんでも、おかあさんとおとうさんは、あなたが大好きだよ。どんなことがあっても味方だから。」と抱きしめてフォローします。言葉で書くとかなりクサイですが、子どもの心には絶対に必要な事だと思いますね~。そのフォローをしないと、叱った時に、ものすごく悲しそうに「おかあさんは、私の事が嫌いなの?(/_;)」とか言うんですよー。だから「大好きだから、ちゃんとした人になってほしくて叱るんだよ」と説明します。「言わなくてもわかってるでしょ」って言うのは通用しないですからね。娘のお友達を見ていても、彼女たちの話を聞いても、親がきちんと怒らない家が増えているみたいですね。「私は生まれてから一度もパパに叱られたことないよ。」って言ってるお友達もいますよー。私はほんとびっくりしました~。 でも、親が子に「人は殺しちゃいけないんだよ。」なんて、教えなくても、みんなわかってたはずなのに、最近は教えなくちゃいけないなんて、どうなっちゃってるの?・・・・って思いますね。

nagi-nagichan
質問者

お礼

sarahsarahさんは本当に良いお母さんだなって感じました。そうやって沢山の愛情を受けた子供はきっとまっすぐに育ってくれると思います。 sarahsarahさんのような愛し方ができるお母さんやお父さんばかりになったら少年犯罪なんかなくなるのかな なくなってほしいです。 子育て(いないけど)の参考にもさせて頂きます! ありがとうございました。

  • room27c
  • ベストアンサー率16% (2/12)
回答No.8

「命は大切だ」と思っている人も、一度自分が本当に大切さを理解しているかを疑うべきだと思います。命の大切さなんて理解するものじゃなく、自分なりの答えをそれぞれが導きだすものだと思います。それは歳とともに変化するかもしれませんし、変化していかないようではその人の生命観なんて信用できません。 長崎の事件ですが、これを命の大切さを理解してないが故に起きたものするのは、私は間違っていると思います。 いわゆる普通の人が人を殺さないのは、命の大切さを知っているからではなく、対象に感情移入できるからだと思います。思い入れがあれば無機物だってなかなか捨てられない。その動物を食用と見なすことで、殺して食べることができる。でも名前をつけたりして情が移ってしまうと、殺して食べるなんてなかなかできない。戦時中も敵を自分たちと同じ人間と見なさないことによって殺したり、場合によっては食べたりした訳ですよね。(肌の色によって黒豚、白豚といっていたそうですが) 子供の世界はとても狭いものです。選択肢が少なく、簡単に手詰まりになりかねない。しかし抱えている問題はなかなか大きいものです。言葉や経験が足りないので余計に答えを導きだすのが難しい。 彼女の置かれていた環境の過酷さは、彼女に聴いたところで、既に大人になってしまった私たちには到底理解できるものではないでしょう。でも、かつて自分が子供だった頃を思い出してみれば、彼女のことを理解できないとは言えないと思います。TVの報道を観ていると、さも異常であるかのような扱いですが、私はむしろ「異常だ」「理解できない」と言っている人の方が怖いですよ。それじゃ事件の本質にたどり着かない、そのうち只の異常な事件として忘れ去られてしまう。 彼女を擁護するつもりはありませんが、私は既に大人になってしまった人に、かつて子供だった頃の自分をもう一度思い出して欲しいと思います。自分をモラリストだと思っている人は自分自身を疑ってください。命がどうのと言う前にです。問題はそんなところにはないと思います。 とりとめもなく長々と失礼しました。

nagi-nagichan
質問者

お礼

いいえ ご丁寧に回答してくださってありがとうございました。 そうですね 彼女を一方的に責めることはできないのかもしれない。 でもやっぱり私は理解できない。

  • koebi
  • ベストアンサー率31% (613/1930)
回答No.6

難しいですよね・・・。 最近想像力が欠如している人が増えているのではないか?と思います。 自分が人を傷つけたら相手や相手の家族がどうなるか?それを想像できないから、死刑になりたいから。むかついたから。と安易な理由で人を傷つけられるのではないでしょうか・・・。 今回の加害者の少女は小説家になるのが夢。だったそうですから、想像力の欠如が理由でないとしたら、自分を包みこんでくれる愛情を知らなかったのではないかと思います。 私が子供の頃は両親は絶対自分の味方だ。と強い自負がありました。 中学・高校と進むにつれ、悩みが複雑になると相談しにくい部分はありましたが、それでも親が自分を心から愛してくれていると信じていたので、乗りきれた事もあったと分析します。 愛情とは難しいもので、親は愛していても子供に伝わっていなかったり、愛情自体が歪んでいる事もあります。 でも、自分を大切に思っていてくれる人がいると理解していれば、自分が傷つけたい相手を大切に思っている人がいる。と想像さえしてくれれば、こんなに事件は起きないのではないかなぁぁ。と個人的には思います。

nagi-nagichan
質問者

お礼

>最近想像力が欠如している人が増えているのではないか?と思います。 そう思います。 愛情 愛情って人間として生き物として一番大切なことをたくさん教えてくれるものですよね 彼女は愛情が足りなかったのか歪んでいたのかもしれないですね そう考えると少し可哀想ですが。。 愛情ってほんと大切ですよね ありがとうございました。

回答No.5

お怒りはごもっともです。 でも残念ですが口で言うだけで全てが伝わるとは限りませんよね… じゃあどうするかというのも難しいですが。理解というものはただ知識だけではないのでしょう。 アウトローな人たちには彼らが持つ価値観があるのでしょう。ああいう輩のやることは理解できないものです。理解する必要も無いし、たぶんできない。殺人なんてなにも最近に始まったことではなく、何百年、何千年も人は殺し合いをしてきましたしね。 見方を変えれば、何が悪いって私は頭が悪いのではないかと思います。つまり、自分にとってそれが利点になるかどうかという計算ができず、怒りの感情で行動してしまう。人生計画を考えた時に、殺人という(殺人に限らず犯罪一般についてですが)経歴がプラスに働くはずがない。どう考えても不利でしょう。長崎の小学生にしても捕まってすぐに後悔している御様子。明日、明後日の自分がどうなるかという見通しもたたない、考える力が欠如しているのではないでしょうか。 私は自分を客観視する、自分を見直すことが必要だと思います。犯人の小学生は掲示板で同級生を愚民だとか罵っていたようですが、我々から見るとこの犯人のほうがよほど愚かです。邪魔だとか「うざい(?)」とか、他人のことばかりで、自分がどういう人間かをまったく分かっていない。理解しようともしない。自分のこともわからないのに他人を馬鹿にする権利なんて無いのではありませんかね…。 ちょっと答えになっていないかもしれません。

nagi-nagichan
質問者

お礼

>見方を変えれば、何が悪いって私は頭が悪いのではないかと思います。 はい、ぶっちゃけ人殺しする人間に対して私もそう思います。感情を抑えられない抑えきれないのは赤ん坊と同じです。 小学生だからって許せません。あの子は一般的に頭がいいはずです。なんだろう上手くいえないけど 頭が良くても肝心なことがわからない馬鹿が急増してる現実にとても悲しくなります。 悲しくなるだけで私に彼らを止められないのですが.. だから自分にも悲しくなりますが.. ありがとうございました。

回答No.4

命をめぐる価値観は多様です。 命は大切、だけど死刑はいい。 という人もいます。 命の大切さ、を言葉で教えても伝えきれません。

nagi-nagichan
質問者

お礼

>命の大切さ、を言葉で教えても伝えきれません ごもっともです。 自らが感じなければわかりませんよね ありがとうございました。

noname#113260
noname#113260
回答No.3

死というものを隠してしまうからではないでしょうか。 昔は大家族ですから、年寄りが病んで死んでいくさまを幼い子供たちも自分の目で見て、いつか終わる命を大切にしようと考える。 最近は病院で死にますから人間の死について考えることもない。 人間どころか動物の死に様すら見てないのではないでしょうか。 私の幼い頃、祖母の家では鶏を飼っており、お正月には首を捻って殺し、お正月料理にして食べてました。 子供心にも残酷と思いましたが、母からは「肉は皆こうして出来るのだから、動物たちの命を無駄にしないように」と教えられ、物を残さず食べるようになりました。 娘が生まれた時、犬を飼いたいと思いました。 犬は娘より早く成長しますから、娘に愛情を持って育てさせ、犬の死を看取らせる。 犬の命を通して生命の大切さを教えようと思ったのですが、諸般の事情で実現できず残念です。

nagi-nagichan
質問者

お礼

死というものにふれるってなんかおかしい言い方ですけどそれは大切だと思います。 私も幼い頃に友人を亡くして本当にツラクて痛かった そこから命を重いものに考えだしました。 人が死ぬのは悲しいけど そういった経験も大切なのかもしれないですね ありがとうございました。

回答No.2

#1です 人を殺すというのはすごく極端な例ですが 幼い頃、とかく小学校高学年から中学、高校くらいというのは 「イジメ」などの問題も多くありませんでしたか? 1クラスに1つはそういう問題があったのではと思います 学校教育で、一般的な知識は吸収しているとはいえ、まだまだ子供である彼等は「他人の痛み」というものに鈍感です だからこそ容易に他人を傷つけることができるわけです 質問者さんも、子供の頃から、今のように他人の痛みに悲しむことができたでしょうか? 人間はだれだって、段々と大人になっていくのだと思います その過程で殺人をおかしてしまうというのは、様々な要因や偶発性が生んだ「悲しい特例」であると思います (最近こういうニュースが多いとはいえ、数百万の子供の中でこういった事件を起こすのはほんの一握りですので、特例であると言っていいでしょう)

nagi-nagichan
質問者

お礼

そうですね 人間は少しずつ大人になるのですよね 私は子供のころから親戚や友人 大切にしていたペットが死んだので小さなころから命の大切さは痛いほどかんじていました。私は当時すごく幼かったですけど、他人の痛み 友人の両親や 亡くなったオジサンの奥さんの気持ちを痛いほどかんじていました ありがとうございました

回答No.1

すごく応えにくい形式の質問ですね・・・。 「こうすればいいよ」と言える人が居るなら、すでにその方法が教育現場で取り入れられてると思いますけど ただ一ついえる事は 「人間は、生活していく上で経験したことの中から学び、人格は形成されていく」ということです 本当に他人のことを思い遣れる人間、他人に対して心から優しくできる人間 それは「辛いこと、楽しいことを社会の中で経験した人間」だからこそなることができる。のだと私は思います 命は大切だよ、と言葉や知識でいくら諭したって、頭でっかちになるだけなんじゃないでしょうか 答えなどあるのでしょうか。 しかし答えが見つからないから放っておくには、あまりにも悲しい事件が多いとは思います

nagi-nagichan
質問者

お礼

そうですね でも なんでわからないんだろうって本当いつも思ってしまうんです でも皆が分かっていたら誰も誰かに殺されたり殺したりしない こうすれば分かってもらえるなどという答えなどないのかもしれないですね.. でもなんだか本当に悲しいです ありがとうございました

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