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太平洋戦争の原因は人種差別?

princelilacの回答

回答No.5

(質問A) 米国は日本に対して戦争の機会を虎視眈々と狙っていたようです。そしてその理由に黄色人種への人種差別があったことは明らかです。 (1)米国が鉄道網を張り巡らせている時に、大量のシナ人が渡米し永住するようになりました。それ以前にアフリカ系の奴隷が大勢いたのですが、シナ人は勤勉で頭もよく、安い賃金を貯めるようになりました。やがては地元で商売を手がけて成功する者が多数現れました。この点では欧州出身の白人も負けてしまったのです。シナ人の成功を逆恨みした白人達は、シナ人村を襲撃し、大量虐殺に及んだのです。この時、シナ本国では自国民が虐殺されても、意に介しませんでした。 (2)日清戦争後に日本から米国へ移住する人が増えました。その頃は西部開拓も一段落していて、米国内ではフロンティア精神が以前の盛り上がりを失っていました。 日露戦争後、日本の国際的地位が跳ね上がると、欧州の白人世界では日本に対抗する雰囲気がなくなっていきました。日本人はシナ人以上に勤勉で、教育が施されており、職人気質もあったので、商売で成功する人が続出しました。ここで日本に対して敵愾心を持つようになったのです。そこで打ち出されたのが排日移民法です。日本の本国は自国民への虐待に対して黙っていなかったのです。 (質問B) 「人種差別」という大きな括り方をするのは無理があるように思います。前段の最後に書いたように、対日経済封鎖によって、日本は失業者が街に溢れることになったからです。陛下は開戦にはあくまで反対されましたが、最終的には軍部が判断したのです。明治以来、天皇は政治的な決定権は政治家に譲られていました。決定の場面に同席され、ご意見やご質問をされることはあっても、決定権は行使できない仕組みになっていました。平安時代のように、政治の権力を握っていた訳ではありません。 (質問C) 大東亜共栄圏は当時の欧米の敷いていたブロック経済のアジア版ともいえるものです。対米戦の準備というより、目的だったはずです。当時、東南アジアは欧米列強によって次々と植民地化されてしまいました。米国に勝つことで、独立させて、アジアでの経済圏を建設しようとしたのです。たとえ対米戦に勝ったとしても、米国を植民地にする気はありませんでした。シナ、ロシアを植民地にしなかったのと同じです。

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