• 締切済み

★太平洋戦争の勝率について

常識的には日本がアメリカに勝つ確率は1%以下だったはずですが、なぜ、あえて、戦争に突入したのですか? 誰が何のために開戦を決断したのですか? 昭和天皇ですか?・・・・・・・・・・ 教えてネット、真実を・・・・・・・・・・・・・・・・

  • gusin
  • お礼率1% (134/6743)

みんなの回答

  • poomen
  • ベストアンサー率34% (784/2278)
回答No.7

 石油の面から見てみましょう。当時中東の油田はまだ開発されておらず、日本は石油資源の80%以上をアメリからの輸入に頼っていました。日中戦争もアメリカからの輸入石油頼みという現状でした。    が、フランスがドイツに降伏したことで日本は現在のベトナムに軍を進めました(南部仏印進駐)。当時アジアで知られた油田というのはボルネオ島(現在のブルネイ王国)でしたので、ここを確保し用という意図は明白でした。  これがきっかけでアメリカは日本への石油輸出を止めてしまいます。備蓄分はもちろんあったのですが、国民生活、工業用に必要な石油にあわせて、軍艦や輸送船、商船などの船舶は停泊中も発電機を回していますので備蓄分はどんどん減ってゆきます。企画院というところだったと思いますが、42年1-2月には備蓄分が底をつくという試算を出します。  つまりそれ以降は苦労して整備した海軍の艦船、海軍・陸軍航空隊の飛行機に必要な燃料がなくなってしまう。整備した軍備を全力投入できるのは42年1-2月までという切羽詰まった状態になりました。もちろん日中戦争も続けられません。  そこから開戦の決断が生まれたというのが一つの説です。第一目標はボルネオの石油資源、石油精製施設の確保。実際、真珠湾攻撃よりこちらの確保のための戦闘開始時間が早いんですね。  一方、ここら辺は英国やオランダの植民地ですから、戦争を始めれば当然フィリピンやハワイのアメリカ軍との戦争も避けられません。  そこから真珠湾奇襲という戦術が生まれました。アメリカの反撃体制が整う前に石油を確保して持久戦体制を整えようということです。しかし結果的にボルネオの石油資源を確保しましたが、それが日本に精製されて送られることはありませんでした。施設が事前に破壊されていたこと、ボルネオから日本への輸送がアメリカ海軍潜水艦隊のために妨害されたからです。  日本海軍の主要艦船がトラックやパラオに停泊していたのも燃料不足が原因です。よく大和や武蔵をもうちょっと活用しておればという説がありますが、燃料不足で思うように作戦行動が取れなかったというのが真実のようです。                      ☆  蛇足ですが、この歴史を踏まえてか、アメリカは現在も北朝鮮に最低限度の石油を与えています。北朝鮮の暴発を避けるという狙いがあると私は考えています。

回答No.6

>常識的には日本がアメリカに勝つ確率は1%以下だったはず 「はず」?その根拠をまず記して下さい。 それから、真実を知りたければ、ネットではなく、専門家に聞きに行ったほうが良いと思いますよ。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.5

> 常識的には日本がアメリカに勝つ確率は1%以下だったはずですが、 「1%以下だったはず」って・・・そんなワケが無いだろう。 根拠あるのか? 「常識的」と言うより、アンタの「感覚的」では? 戦争の勝敗など、どの時点で停戦協定を結ぶか?で決まる。 事前に勝率が「1%以下」「100%」などと言えるモノでは無い。 あるいは初期の段階だと、日米が衝突していれば、日本がアメリカに勝った可能性が高い。 そもそも日中戦争から太平洋戦争への流れを理解して質問してるのか? もし理解しているならば、むしろ「日本が勝ち過ぎた結果、負けた」と言えば、意味が判るだろ? 逆に意味が判らないなら、アンタに必要なのは質問サイトでは無い。 歴史書などで、最低限の知識を得なさい。

gusin
質問者

お礼

貴殿はあくまで、全員玉砕の道を選んだのですね?・・・・・・・・・・・・・・・・ 死んで花が咲くものか?・・・・・・・・・・・・・ 君、死にたもうなかれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

gusin
質問者

補足

貴殿はあくまで日本国軍部の肩を持ちたいようですが、それは 無理というものです・・・ 無茶苦茶ですがな・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  • makocyan
  • ベストアンサー率39% (1039/2623)
回答No.4

 この場合は勝率って言うよりも勝算っていうほうが適切みたいな気もしますが。   開戦前には総力戦研究所が「日本必敗」の結論を出していて、当時の首相もそれを確認していたわけですから、政府や軍部の相当の地位レベルまでは勝算ゼロに近いことが理解できていたはずですよね。  そんな状態で「なぜ、あえて戦争に突入したのか」っていえば、米英ほかの経済制裁の下、開戦以外に現状を打開する方法が見当たらなかったって説が大勢ですね。仮にハルノートをそのまま呑んだとしても、あっちは他の手で吹っかけてきたでしょうし。その前に国家財政が破綻していたかもしれない。  「誰が何のために開戦を決断したのか」は、基本的には御前会議参加者(昭和天皇含む)が現状打開のために、ってとこでしょう。  というのは見方のひとつであって真実とは限りません。ネットは真実なんか教えてくれないと思いますよ。

  • koban22
  • ベストアンサー率12% (19/150)
回答No.3

戦前の教育、思想がなってなかったのです。 あらゆる事物は、心のはたらきによって生み出されたものなのです。 戦争に絶対かてると、法螺を吹き込まれたら、人間なんでもします。 そんな法螺を否定して、今の尊い非武装中立の日本国憲法が、尊い命の犠牲教育を通して生み出されました。

noname#230889
noname#230889
回答No.2

明治天皇の時代です、戦前の明治、大正、昭和は、明治天皇です、 明治天皇は、年号が、変わって、明治天皇に呼び名を、変えたのです、以前は、徳川幕府です、江戸時代から、明治時代に変わっただけ、徳川幕府になり、戦国は、終りましたが、明治維新により戦国が、始まり戦争勃発し、日本は、他国へ侵犯し、原子爆弾により、全面降伏し敗戦し、明治天皇は、自決し、昭和天皇が、敗戦を、伝え、終戦になりました、真珠湾攻撃しても日本は、敗退です、外国の武力には、敗退でした、日本軍用機、軍艦は、全滅です、そして、今の皇居は、徳川幕府の子孫です、日本は、徳川幕府が、明治時代へ変わっても徳川幕府が、続いてる事なんです、憲法により、総理府が、政治を、行われています。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6196)
回答No.1

逆に聞きたいが  貴方は他人に 『死ね』と言われたらどうします?  勝つ確率は1%以下でも抵抗しますか?  それとも素直に死にますか?

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