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定義について

辞書の定義に納得できないから、人それぞれ定義するのですか? 例えば、「美とは何か?」っていう問いがよくされます。美を辞書で調べると「見た目に素晴らしい」とでます。この説明に不備があるのでしょうか?もし不備があるならどのような点でしょうか? 感覚的なものは人それぞれで解釈が違うと思っております。絶対的な美など存在しないと思っている人には 美とは何か?ってな疑問は浮かばないのでしょうか?辞書の説明で納得できます。美に共通する性質だと思うのですが・・・。 ていうか哲学って何を知りたくてやっているのかいまいち分りません。ただ曖昧なものを排除したいのでしょうか?

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回答No.4

辞書と百科事典の違いが分かりますか? 辞書は言葉の意味を教えるもの。この場合の「意味」は、 その言葉を知らない人に、現象との対応を示すものです。 百科事典は、そうした現象的な言葉の意味を分かっている 人に、その現象の原理や本質を教えるものです。 普通、美の本質を知りたいと思っている人に、「見た目に 素晴らしい」などと言ったら、「そのまんまやないけ!」と ツッコまれます。 なぜなら、人は言葉の以前に『見た目に素晴らしい』と 感じる感情があり、それに対して「美しい」という単語を 関係づけられるからです。 本質を知りたいと思っている人は、そうした現象的定義の 精密さではなく、なぜ見ただけで『素晴らしいと』感じるか、 という原理的起源が知りたいのです。 たとえば、下記のような形で; 人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積において、次にその1つの感覚を同じパターンで刺激された時に、五感の総合したイメージを励起させるという働きがあります。 その最も分かりやすい例が、色でしょう。 物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の変化に過ぎません。 「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。 その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に伴う経験の)印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。 赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。 この「総和機能」において、人生における快適な経験の総和における、視覚的刺激パターンが「美」です。 それゆえに、成長期で好奇心旺盛な(しかし経験の蓄積の少ない)子供の頃は、ケバい色や動くものを好むし、世界各地によって、美的センスは異なってくるのです(砂漠地域では青や緑が好まれ、空白恐怖と呼ばれるほど装飾で埋め尽くす)。

その他の回答 (4)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.5

mkaze007様、こんばんは。 >「辞書の定義に納得できないから、人それぞれ定義するのですか?」 それが、本末転倒なことで。 どこまで「辞書の定義」を絶対とお思いですか

回答No.3

 こんばんは。  なぜ定義をするのか?   と言えば 互いに話し合いをするのに言葉の使い方について共通の捉え方をあらかじめしておこうとするためです。  このとき 具体的に 美とは何か? という場合には すでに《見た目に素晴らしい》という意味内容だと示されているのに なぜさらに定義しようとするのか? または 何を問題にしてそうしようとするのか?  こういう問いだとしてこたえます。    早い話が それでは――つまり《ととのったかたちをしていて 心地よい感じをあたえるすばらしさがあること》というひとつの定義がすでにあるのに なぜなおさらに哲学は美について何を問い求めているのか? と尋ねられたとしますと それにこたえるに それでは―― ピカソの『ゲルニカ』は 美か? と問い返されたなら どう答えますか? どうでしょう?  わたしは ちっともうつくしいとは感じません。思いません。  何だか幾何学的な線や図形が目を引くように感じますが そのものをよく見てみると ひどいものだ。心地良くない。――むしろ 残酷なものごとを描いているのだから そんなことを言っても始まらないと言われても その絵を見ても たのしくない。残酷な事態を うつくしさで突き抜けて欲しい。と思ってしまう。ゆえに 美を感じない。  というとき 人びとの中には これが うつくしいと言うひともいるようです。だったら 美とは何か? についてあらためて問うてその意味内容をほぼ誰にも共通であるように明らかにする必要がある。――のではないでしょうか?  ここに哲学の出番があるようです。  議論は途中までの感がありますが お応えを得て また対処します。もうこれだけで打ち止めにするかも分かりません。  

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

”この説明に不備があるのでしょうか?もし不備があるならどのような点でしょうか?”      ↑ 見た目に素晴らしいモノ、総てに美を感じるでしょうか? 美しいと感じるモノ総てが素晴らしいモノでしょうか? 又、この定義は、美を素晴らしい、という言葉で置き換えて いるだけ、という感じがします。 なぜなら、素晴らしい、という言葉も抽象的で、新たな説明 が必要だからです。 これでは定義として不十分です。 ”辞書の定義に納得できないから、人それぞれ定義するのですか?”     ↑ 辞書の定義は、辞書を作った人の定義に過ぎません。 受験ならそれで良いでしょうが、哲学としては 物足りないですね。 それに定義とは何か、という定義の定義の問題があると思います。 甲:定義とはあるモノを、過不足無く説明できるモノ 乙:モノの本質を説明できるモノ 丙:現実の運用から説明できるモノ 例えば、美とはなにか、という命題において。 定義において甲を採れば、少しの例外もあってはならない ことが要求されると思われます。 おそらくですが、これは不可能でしょう。 乙を採れば、一番簡単です。 美とは生命感情の高揚である(カント) 丙だと定義が曖昧になります。 歴史上、世間で美しいとされているものが美なのだ。 ”哲学って何を知りたくてやっているのかいまいち分りません”      ↑ ソクラテスが無実の罪で死刑になったのを目にした プラトンは、人間は間違えることを知りました。 だから、真理を発見し、それに沿った言動を採れば 間違えなくなるだろうと考えます。 つまり、哲学は真理を発見するためにやるのです。 その後、このギリシア哲学はキリスト教と結びつき 人間は何故存在するのか、神はどうして人間を創った のか、人生の意義は何か、ということになります。 更に時代を経ると、神から距離を採った認識論に発達します。 そして現代に至ると、哲学すること、そのものの考察に 入ります。 言語哲学などがその典型です。 かようにして、真理探究を目的とする哲学は、科学に 近接するに至ります。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.1

納得したい人間が、納得したい様に。 ですかねぇ・・ 楽しめない人間には、馬鹿らしい限りの応酬ですね。 だって、生きるのには何も変化は無いのだからw

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