• 締切済み

道徳と道徳観の違い

道徳と道徳観の違いを教えてください。 あとできたら、私は今、『世間の善悪の基準』と『個人の善悪の基準』を意味する言葉を探しているので、知っている方は教えてください。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 「道徳」はそれこそ古今東西に様々なものがあります。たとえば古代ギリシアのそれもあれば中国の儒家のそれもあります。  これらは、それぞれが「何を社会規範として重要視するか」によっても異なり、西洋哲学のカントを基準とするものもあれば、政治社会学者のヴェーバーを基準とするものもあります。  よく「人として」などの形容をするケースもみられますが、この「人」そのものをどう理解するかによって、道徳の定義の仕方も大きく異なります。  人間が社会的存在として生きているとの側面を重視するならば、それは法哲学や法思想の考え方が前面に出てきます。これは人間が社会生活を営む中で、他者との関係をどうとらえるかとの問題によります。つまり社会道徳や社会規範と言い換えることもできます。  道徳という概念が先にあってということではなく、道徳をどう理解するかが道徳観と呼ぶことになろうかと存じます。個人によって「何をより重視する」との違いもありますので、「これが正しい道徳である」などの断定をすることは余り意味のないこととなります。

回答No.1

道徳は人間が従うべき行動原理や習慣のことです。 よって多少具体性があり、「道徳を守る」という表現が可能です。 道徳観は道徳に対する見方、考え方という意味です。 観は見るという意味で、物理的でないものも見る内容に含みます。 人生に対する人生観と似たような関係にあります。 よって「人生観を送る」という表現が出来ないように、「道徳観を破らないようにする」ことは難しいです。 「勧善懲悪的な道徳観を持つ人」というような使われ方をします。 『世間の善悪の基準』 は細かいところで良く分かりませんが、社会一般という意味では、 「倫理」「エシックス」が当てはまるかと。 「職業倫理」とか「医療倫理」といった熟語からも分かりますね。 『個人の善悪の基準』 「道徳」「エシックス」(やや倫理の意味合いの方が強い) どちらにも当てはまりそうなのは、「道義」です。 「モラル」はエシックスに対して漠然とした成文化できないものだそうです。 道義と意味合いが重なるかもしれません。 道義はどこかで学んでくるものというより、自然と身についているものという意味合いを感じませんか。 「道義心」や「徳性」といった言葉もありますが、基準を大切にする心、品性なので、意味合いが異なってきます。

関連するQ&A

  • 無宗教者の道徳心と宗教の役割

    人間の善悪の基準は、宗教に入っている人なら経典や神父や牧師などによって基準が作られるのだと思います。 しかし、無宗教の人の道徳心というものは、どこでやしなわれるのでしょうか?また、犯罪に走ったり、反社会的な行動を規制する自制心はどこでやしなわれるのでしょう? 善悪の基準は、現代社会と古代ではまったく異なってたものだと思います。人間の考える現代における悪とはなんですか?

  • 道徳とは?

    「善悪などの判断は、知的教育のみで可能になるものではなく、様々な葛藤場面の経験から養われるものである。」と道徳の教科書にありましたが、具体的にはどういうことでしょうか?なんとなくは分かるような気がするのですが、具体的に分かる方、どうか教えて下さい。よろしくお願いしますm--m

  • 法律とは最低の道徳であるについて??

    昔のとある人(わすれました。。。)の言葉で、 「法律とは最低の道徳である」 というのを耳にしたことがあります。 さて、この意味は以下のどちらの意味なのでしょう? 1.法律とは道徳的な行動、言動を行うためには最低限守らなければならないもの、ならびに道徳心を持ちたければ最低限法律は守りましょう、という肯定的な意味。 2.法律なんて、道徳的には全くもって最低なものだという否定的な意味。 3.その他 知っておられる方がおられましたら教えてください。

  • 道徳と不倫

    年齢を重ねる中で、時代の流れのギャプを痛感しています。 かつての非常識が今や常識となり、その逆も然りの事象が、巷に溢れている。これまで深くも考えず、当たり前の言葉として使ってきた、道徳と倫理とは一体何だろうと、振り返って考えてしまう。「道徳」とは、「人としての道」であり、「倫理」とは、社会の中で「人間として生きていく場合の自己規範である」と言われる。道徳も倫理も、日本独自の風土習慣の中で長年に亘って培われてきたものだろう。しかし、今やインターネットの普及や経済のグローバル化で、世界の情報が善悪の垣根を越えて氾濫している。ここでいう「人」「人間」とはなんだろう。「犬畜生」ではないということか。今や犬も猫もペットとして可愛がられ動物愛護法も出来ている。人非人ではないということか・・道徳を論ずるときに、このような差別用語は引き合いに出されるべきではない。また現代社会における正しい「自己規範」とは、具体的にどのような規範なのだろう。概念的であり、不確定表現であり、言っていることが十分に解せない。今までは「不倫とは人にあらざる道」だと、躊躇なく他人に説教してきた。かつては日本にも「姦通罪」があり、北原白秋も処罰されたと聞く。しかし第二次大戦後の日本国憲法の改正で、「男女平等」に違反するため廃止となった。廃止ということは罪ではなくなったということだ。現在でも不倫を処罰する法律は皆無である。民法上では、肉体関係が或る場合に限り、不貞行為として規定されているが、不倫相手への妻の慰謝料請求権や離婚訴訟権を認めるものの、罰則規程ではない。このように考えてきたとき、新生語がどんどん辞書に取り込まれるように、不倫も時代の流れの中で、セフレやPMと名を変えて常識に変貌し、道徳上のいけないことではなくなったということか。それとも、これが文化の腐敗又は道徳社会の崩壊ということか。不倫は駄目だと諭すことが出来なくなってしまう自分に戸惑っています。どなたか論理的に説明できる方がおられたら、ぜひともご教授お願いします。

  • 道徳の時間

    ふと思ったんですが、 最近の道徳の時間って何をやっているんでしょうか? 僕が中学生のころはなんか感想文が大半を占めていました。 感想文に何の意味があるのだろうかと疑問を抱いたまま卒業して今に至っています。 そもそも道徳って何んでしょうか? むしろ教えられるようなものなんでしょうか?

  • 【哲学】犯罪は人間の道徳心の有無で決まる。人を殺す

    【哲学】犯罪は人間の道徳心の有無で決まる。人を殺すと罪に問われるが、裁判で人を殺しても罪に問われない。善悪の違いは、善い行いは歴史的に継続されて、悪い行いは淘汰される。そう考えると人間の殺人は歴史からいって人間の善の部分であると言えるのではないか?

  • 法と道徳

    法と道徳の違うところは、 (1)外面性⇔内面性 (2)義務の相手方のありなし (3)国家強制力⇔心理的強制 (4)裁判規範⇔行為規範 (5)法と道徳の表現形式の違い (6)法は最下限度の道徳 くらいでいいのでしょうか? (4)と(5)と(6)は相違になるのかな?って思うのですが、 何を比べてるのでしょうか?どういう説明をすれば相違であるといえるのでしょうか? よろしくお願いします(__)

  • 「成婚」と「結婚」の違いって何ですか?

    タイトル通りですが、厳密には言葉や意味の違いがあるのですか? 個人的には「成婚」=婚約、「結婚」=夫婦  という意味合いで文法上捉えています。 他に、世間一般で言うきちんとした使い分けがあれば教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • 好き嫌いと善悪の違いを教えてください。

    国が定める善悪は時代によって変わります。 殺人、差別、窃盗など罪の重さは時代によって異なります。 なぜならそれらは道徳で決まるのではなく、国益の最大化という 明確な目的により定められるものだからだと思います。 では社会的常識や法律とは別に人間の不変的な善悪というものは 存在するのでしょうか? 存在するのであれば、それは個人的な好き嫌いとどう違うのでしょうか? 皆さんの見解を教えてください。

  • 中学生の道徳教材「アイツ」について

    先日友人と中学生の頃の道徳の教科書の話になり、そのなかでも『アイツ』という話のことで盛り上がり、「今もう1度読みたいね」となりました。 調べてみると暁教育図書の「中学生の道徳」に1~3年に各1話ずつ、三部作で掲載されているようなのですが、こうした教科書は基本的には個人向けには販売はされていませんよね。 そこで思ったのですが、『アイツ』というお話は、一般の書籍に収録されたりはしていないんでしょうか? 例えばこの作者さんの短編集の中に収録されているですとか・・・。 それとも、こちらの道徳の教科書ために書き下ろされたお話なのでしょうか。 ご存知の方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。