• ベストアンサー

神がわれわれ

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

  • ベストアンサー
回答No.3

 こんにちは。  《尊厳の複数形》っていう用法があるらしいのです。尊厳を表わす場合には 単数の者でも かたちは複数となるというものです。  ▼ ( Wikip:Nosism ) ~~~~~~~~  http://en.wikipedia.org/wiki/Nosism  ( 《 nos (= we )》を次のような場合に実質的に単数であるところの主体・主格形に用いるという)。  1.The royal "we" or Majestic plural(尊厳を示すため)  2.The editorial "we"(編集者の立ち場から)  3.The author's "we" or pluralis modestiae(著者として)  4.The patronizing "we" (相手との親近感をかもすため)  5.The non-confrontative "we"(相手と一体であるわれとして)  ▼ (〃:Royal we) ~~~~~~~~~~~  http://en.wikipedia.org/wiki/Majestic_plural  § Non-Western usage   (聖書での用例)Several prominent epithets of the Bible describe the Jewish God in plural terms: Elohim, Adonai, and El Shaddai.   Some scholars take these names to represent an early stage in Jewish religion when God was still seen as a council or family of deities   (ふるくは 神々の一家族もしくはひとつの合議体として神が捉えられたのではないかと言う);   others note that the present Biblical text always employs grammatically singular verb forms and argue that they represent a majestic plural.   (ところが 名詞は――エローヒームなら男性複数の‐イーム形として――複数形を採っているが その動詞の活用形では 単数であるといった用例(*)から考えるに 複数形は 《尊厳の複数形》として用いられているのではないかと言う)。  ▼ (〃:Pluralis excellentiae ) ~~~~~  http://en.wikipedia.org/wiki/Pluralis_excellentiae  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    * 神は 名詞として複数形であり それを承ける動詞は 単数形である例:  ▲ (Genesis 1:1) ~~~~~~~~~~~~~~~   http://www.blueletterbible.org/Bible.cfm?b=Gen&c=1&t=KJV#s=t_conc_1001   בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים אֵת הַשָּׁמַיִם וְאֵת הָאָֽרֶץ׃  △ (KJV):In the beginning God created the heaven and the earth.  △ (新共同訳):初めに、神は天地を創造された。  ・ God אֱלֹהִים 'elohiym : エローヒーム:複数形(単数は エローハ)  ・created בָּרָא bara' : バーラー:三人称・単数形(複数だと バーラーウー)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

magnus4
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 尊厳の複数形というのははじめて知りました。 私は日本語訳と英訳しか読まなかったのですが、原語にあたると動詞の単数・複数の違いなどで見えてくるものがあるのですね。

関連するQ&A

  • なぜ知恵の実を食べてはいけなかったのでしょうか?

    神は全ての生物を支配しろと人間に言いつけました。 創世記:1:28 『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』 それなのになぜ神は人間に知恵の実を食べるなと言ったのでしょうか。神の様になれば他の生物を確実に素晴らしい状態で支配できると思うのですが……。逆に神の様にならなければ恐竜や象などの巨大生物には負けてしまうでしょうし、ウイルスなどの感染症によって他の生物を支配するほどの力を人間は手に入れることが出来ないでしょう。 神の様になった方が神の意向に確実に従えるはずなのに、神の様になってはいけない理由がいまひとつ飲み込めません。 どなたか、ご教授のほどをお願いします。

  • ヒトは二度造られた?(創世記)

     聖書・創世記には 神がヒトを創造したという記事が二度出て来ます。二度ってどういうことか? について問います。  ○ 一度目:  ▲ (創世記1章 27節) ~~~~~~~~  神は御自分にかたどって人を創造された。  神にかたどって創造された。  男と女に創造された。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ 二度目は込み入っています。:  ▲ (創世記 2:7-24 ) ~~~~~~~~~  7: 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。  8: 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。  ・・・  18: 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」  19: 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。  20: 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。  21: 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。  22: そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、  23: 人は言った。   「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。   これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう   まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」  24: こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。  ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 単純に解釈するなら 二度目は ヒトに男と女との区別があることを述べたまでという見方があります。しかし 一度目にすでに 男と女との性差については述べてある。  ほかに解釈はありますか?  また 問題はありますか?   一度造られているのに ふたたび造ったというところは おかしいと考えられます。  これは 聖書記者〔グループ〕が分かれていて それぞれの書いた記事をともに採用し載せたという見方があるようです。  そのほか自由なご意見をどうぞ。

  • 聖書、創世記6章5節についてですが。

    ここには主が地上に「人、獣、這うもの、空の鳥」を、つくったのを悔いています。 そして「地のおもてからぬぐい去る」と、記されていますが、 1章20節に記される「水に群がるすべての動く生き物」つまり「海の魚」のことが書かれていません。 また、「水に群がるすべての動く生き物」を、箱舟に入れたことも書いてありませんが、主は「海の生き物」はそのまま、ぬぐい去られないで洪水の前の状態で生き延びたのでしょうか。 洪水なので「水」が関係していますが、どのような業だったのでしょうか。 宜しくお願い致します。

  • ノア 約束の舟 旧約聖書と映画で違いませんか?

    僕はクリスチャンでありませんが、旧約聖書と新約聖書は通読し、特に旧約聖書の天地創造とかモーゼとかの物語が読んでて面白かったです 旧約聖書のノアの洪水物語(創世記6章~創世記9章17節) http://missclarapress.com/2014/06/15/bible-noah/ 神はノアに言われた。 「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。 彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。 あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。 (中略) 見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。 わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。 また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。 それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。 (中略)  「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。 すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ というように、神はノアと家族、動物、鳥たちと子を産み、 増えるよう言っています しかし、映画ではノアは人間は悪なので滅びるよう命令されたと 思い込み、ノアの長男 セトの嫁のイラ (ハリー・ポッターの ハーマイオニー)が身籠もった時、もし生まれたのが女の子なら 子供を産み、人間が滅びないので殺すと急に悪人に人が変わ ってしまい、すごい違和感がありました 原作と映画であらすじが変わっちゃうことはよくあることですが、 今回は話の根幹をねじまげており、僕には許容できませんでした 聖書では「妻子や嫁たち」と言ってるのに、嫁は長男の嫁 イラ だけで、ハムの思い焦がれた女の子を見殺しにしたのも変です 特に聖書を通読してる人などクリスチャンでもほとんど見たことが なく、この映画で間違った「ノアの箱舟」 を植え付けられるのが 悔しいです クリスチャンはなんでこんな映画を容認してるのですか?

  • 創世記の「神の子」とは?

    創世記の六章にはこうあります。 「さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした」 ここでいう「神の子」というのは何でしょうか? 教えてください。

  • 「空を自由に飛べる」のと、「海の中を自由に泳げる」のでは、どっちがいいですか?

    鳥のように、空を自由に飛べるとしたら? 魚のように、海の中を自由に泳げるとしたら? さて、皆さんだったら、どっちがいいですか? どこに行きましょうか?

  • キリスト教とユダヤ教の神様についてお教えください。

    キリスト教とユダヤ教では神様は一人で同じ神様と聞きました。 同じ神様なのになぜ違う宗教になってしまっているのでしょうか? また、キリスト教では、神様が人を神様の形と同じように作ったというのですが、キリストの顔は絵でよく見ますが、人間と同じような形をした神様の顔の絵を見たことがないのですが、どのような顔しているのでしょうか? すみませんが、お教えいただけましたら助かります。 よろしくお願いいたします。

  • 神が天地をつくったのか

    神が天地をつくったのか  (α) そう表現したに過ぎないとなぜ言わないのか? すべては表現のもんだいであるとなぜ見ないのか?  ◆ (創世記1:1-5) ~~~~~~~~~~~  1.初めに、神は天地を創造した。  2.地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。  3.神は言った。    ――光あれ。   こうして、光があった。  4.神は光を見て、良しとした。神は光と闇を分け、  5.光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。夕べがあり、朝があった。第一の日である。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (β) 《光あれ》と神がその文字どおりに《言った》のか?   んなわけはない。時空間を超えている〔敢えて擬人法で言えば〕存在にとって 《初めに》とか《つくる》といった時間的行為がどうして必要なものか。  (γ) 光が《ある・ない》つまり 《なかった状態からある状態に移る》ことは 時間的・経験的・相対的な現象である。  経験世界を超えている神にとって 質料(物質)の運動はその自己運動にまかせるはずである。モノの動きは神としても手に負えない。   人としても モノはその自己運動にしたがってうごいていただくように加工し誘導するよりほかない。そもそも手に負えないことより その存在や性質を知るようになる。相手をうやまってこそ 人はおのれの自由を手にすることが出来る。  という当たり前のことを 神の物語――人間にとって非思考の場――はかたっているのではないか。  (δ) もしこの非思考の場にわづかにでも《のぞみ》があるとするならば それは  ◆ 5.・・・夕べがあり、朝があった。第一の日である。  ☆ と書かれたところである。その後《第六の日》まで同じ表現で書かれている。  ◆ ゆうべがあり あさがあった。  ☆ 《光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ》ところの《夜》は現象しているにもかかわらず 人は《ゆうべがあ》ってから その夜へは渡されずに 眠りを経て《あさがあった》と知る。その自然本性において人は 夜へ渡されないというのである。  ◆ 2.地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。  この主題をめぐって どうか忌憚のないご見解をおしえてください。

  • 神様っていますか??

    私は天に神様がいるものだと 信じていました。 先日彼と話をしていて 「最近良いことないんだよね。神様は私のこと 見えてるのかな」 って何気なく彼に話したら 「何言ってるの!!神なんているわけないジャン」って 言うんです。 でも私はこの地球、空、空気、人、・・・神がつくった ものだと信じていました。 辛い事とかあってもこれは神様が与えた試練なんだって 思って頑張っていました。 彼に言わせるといないそうです。 そして「神様なんてほかの人の前では言わないほうが良いよ。笑われるから」って 言われたんです。私はその日からなんだか 力が抜けてしまいました。どうして 彼はそんなこと言うんだろうと・・・。 私が20何年間信じてきた神様なんて本当に いないのかなって。 神様を信じている私って変ですか?? カテゴリーが違っていましたらすみません。 皆さんのご意見をお聞かせください。 よろしくお願いします。

  • 有る神も無い神も同じである

      ある人の考え。 神は考えるものではないとゆー。 神についての一切の説明は無意味であるとゆー。 神についての一切の例えは無意味であるとゆー。 神についての一切の教えは無意味であるとゆー。 神は一つであるとゆー。 全ての神は同じものであるとゆー。 イエス・キリストもアラーもイワシノアタマも全て等しく同じであるとゆー。 神はあろーがなかろーがこれもまた同じであるとゆー。 有る神も無い神も等しく同じものであるとゆー。 果たして神については有も無もなく皆同じなのか。