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天平勝字の読み方について
年代を調べています。奈良時代の、孝謙天皇の時期です。前の聖武天皇の時代から、 天平と言う年号が使われたようです。 昔の百貨辞典を調べていて、字が小さすぎて、よく分かりません。 天平感宝(てんぴょうかんほう)、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)、そして天平勝字と続いて いる年号です。 文字道理読めば、「てんぴょうしょうじ」ともよめるようですが、どうもそうではないようです。 ご存知の方がおられたら、教えていただきたく思います。
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