日本の国益のために,台湾を「利用」しちゃえ!

このQ&Aのポイント
  • 日本の国益を追求するために台湾を利用する方法とは?
  • 一部の著名な漫画作品が台湾に対するイメージ向上に貢献
  • 作品における台湾利用は国家重要性を強調するための手段
回答を見る
  • ベストアンサー

日本の国益のために,台湾を「利用」しちゃえ!

日本人の,台湾,そして台湾人にたいする「ホンネ」とは,どのようなものなのでしょうか? 日本という国家の「利益」のために,台湾,そして台湾人を「利用」したいのが,「ホンネ」ではないでしょうか? ・数年前に,日本のある著名な漫画家が,みずからの台湾にたいする<思い>を長編の漫画作品にしたところ,日本社会の台湾にたいするイメージに,大きな影響をもたらしました。それまで,日本社会では台湾にたいして,日本人学生の殺人事件や性風俗といった,極めてネガティヴなものがありましたが,この作品をとおして,「一定の名誉挽回」がなされたことは,事実だと思います。 ・彼がこれまでに発表した漫画作品の特徴は,日本人にたいして,国家の<重要性>を必要以上に強調することが挙げられます。彼がみずからの作品において台湾をとりあげた大きな理由は,台湾を<利用>して,日本人にたいして,国家のために「滅私奉公すべき」ということを主張したいからでした。

noname#189115
noname#189115

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • qiqi555
  • ベストアンサー率16% (18/110)
回答No.3

敵を作って損するのが日本ですよ その変形が安倍氏です このままゆくと海外から相手にされなくなります

noname#189115
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 そうですね,現内閣は,少し方向性を間違っていると思います。

その他の回答 (3)

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.4

台湾というたいへん親日的で東北の大地震のときにも破格の援助をしてくださった大事な国を「利用しちゃえ!」というのは失礼な言い方だと思いました。 貴方の本当に言いたいことはよくわかりませんが、読者は見出しなんてさら~っと読んでるんです。内容文も半分くらいしか読みません。無料サイトですから熱意をもって読むことはあまりありません。もし見出しとは違う意図の真面目な質問であったとしたら誤解されないよう見出しには気をつけた方が良いと思います。ちなみに私は見出ししか見ておりません。

noname#189115
質問者

お礼

アドバイス,ありがとうございます。

  • Epsilon03
  • ベストアンサー率24% (868/3495)
回答No.2

台湾を利用するでは無く中国包囲網へと入れる事を考えるべきです。 利用された為ると後にしっぺ返しを喰らう事にも為りかねませんしね。 台湾を引き込む事は日本の国益だけには留まりません。 中国と紛争地域を抱える東南アジアやアメリカの対中国戦略にもプラスになります。 しかし日本政府や国会議員のセンセイ達には無理でしょう。 ほんのちょっとの波風でも立つと操船出来ませんからね。

noname#189115
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 中国大陸に「尻子玉」をにぎられた日本人の政治家は,少なくありません。台湾系日本人として,情けないな~,と思ってしまうときがあります。

  • KappNets
  • ベストアンサー率27% (1557/5688)
回答No.1

台湾とは明治以来のおつきあいですが、複雑な歴史にもかかわらず(韓国とは異なり)台湾は親日的です。この関係は大事にしたいと思います。

noname#189115
質問者

補足

コメントありがとうございます。 台湾と朝鮮半島を<比較>する必要はありますか? 台湾と朝鮮半島。双方の歴史は,異なるものです。さらには,そこに活きる人々のエスニシティも,異なります。台湾と朝鮮半島を<比較>することは容易なことではありません。さらには,台湾と朝鮮半島を<比較>したいという,あなたの<意図>からは,台湾にたいする<上から目線のまなざし>があると思います。

関連するQ&A

  • 日本社会における「台湾のイメージ」

    皆さんにとって,「台湾」とは,どのような存在でしょうか? 「台湾」について問われたら,どのようなことを思いつきますか? 参考までに: ひとりの台湾系日本人として,わたしはみずからの「日本のアイデンティティ」に向きあうと同時に,日本社会における「台湾のイメージ」にも,向きあってきました。それは,みずからの意思によるときもあれば,台湾系日本人というバックグラウンドから,いわゆる純日本人とされる人々によって「強制された,なすりつけられた」ときもありました。台湾系日本人であることから,日本人としては認められずに,日本籍があるにもかかわらず,「台湾人扱い」されてしまうこともありました。 多くの日本人,いわゆる純日本人とされる人々にとっては,わたしは「日本人の部分」があると同時に,「台湾人の部分」のある存在です。そして,彼ら,彼女らの「興味」を最もくすぐる部分こそ,わたしの「台湾人の部分」です。このような「傾向」は,いまだに,日本社会には存在しています。その顕著な例が,「外国につながる子供(子ども)たち」を日本人としてみなすのではく,外国人としてみなすことです。 日本社会における「台湾のイメージ」とは,時代によって大きく「変化」してきました。 ・性風俗というイメージ (日本の高度経済成長期から現在にかけて,性風俗を目的に台湾を訪れる日本人は多いものです。) ・残虐な犯罪,怖い国,台湾ヤクザというイメージ (台湾を旅行していた日本人大学生が惨殺され,白骨死体になって発見された事件や,日本の著名人の子女が台湾で惨殺されたという事件がありました。) ・家族旅行というイメージ (鉄道での台湾一周,阿里山観光,ショッピング,高速鉄道,など) ・震災支援というイメージ (東日本大震災にかんして,巨額の義援金が台湾から日本に送られた) ・反日感情というイメージ (いわゆる従軍慰安婦の問題や,尖閣諸島の領有権争いの問題,など) ・汚職というイメージ (著名な政治家が関係する“スキャンダル”は日常茶飯事,「袖の下」社会の台湾) ・「日本のアジア関係」における「最後の砦」的存在 (「台湾の親日」を「利用」したい日本人の存在) 多くの日本人が「台湾は親日」などと主張しますが,わたし自身は,そういった「風潮」を,冷静なまなざしてみています。「台湾の親日」の「影」には,台湾側の「中国大陸との“ゲーム”」があるほか,日本側の「いわゆる日本と東アジア諸国との“関係”」が大きく影響しています。わたし自身,多くの日本人が感じているところの「台湾は親日」とは,「まやかしのようなもの」であると受けとめています。もちろん,双方共に「友好関係」であることは,双方の国益にかなうことではありますが,そこにはつねに「ゲーム」が存在することを,「意識」する必要があると,わたしは考えています。

  • 台湾は「利用できる存在」なのか?

    日本にとって台湾とは「対等な関係で接する相手」ではなく,「利用できる存在」なのでしょうか? ひとりの台湾系日本人という立場として,一部の日本人が主張している「台湾は親日」などという「主張」にたいして,「疑問」をいだいています。 このような「主張」がされる背景には,「東アジアには対日感情の悪い国や地域がある」という「指摘」があります。そして,そういった「指摘」を「前提」にして,「台湾ならば,トモダチになれるはずだ。」という「淡い期待のようなもの」をする人々が,日本社会にはいます。 「東アジアには対日感情の悪い国や地域がある」から,「台湾ならば,トモダチになれるはずだ」,という「淡い期待のようなもの」は,ひとりの台湾系日本人としては,「腑に落ちないもの」があります。ほんとうに,日本と台湾の友好関係について向きあうのであれば,「対等な関係の構築」が「筋」であると,わたしはおもいます。 しかしながら,「台湾ならば,トモダチになれるはずだ」,あるいは,「台湾こそ,日本にとっての東アジアの“最後の砦”だ」などという「前提」からうかがえることは,台湾にたいして「上から目線での関係」を要求していることです。ひとりの台湾系日本人として,台湾が「上から目線」でみられることは,許せないことです。 仮にでも,「東アジアには対日感情の悪い国や地域がある」ということが「事実」であれば,日本人が行うべき行動は,そういった国々,そういった地域との「関係修復」に全力で取りくむことであり,「関係修復」への「努力」をおこたり,さらには,「台湾にすがる」ことではないと,わたしはおもいます。 「上から目線の日台友好」,「日本有利の日台友好」,わたしは,このようなものをのぞみません。

  • 台湾はすでに「特定アジア」!?

    台湾は「特定アジア」を構成する国家になりましたか? 2008年に馬英九政権が成立してから,日本社会では台湾が「特定アジア」化するのではないかという懸念が広まりました。 1.インターネットの匿名掲示板においては,「特定アジア予備軍第一号」という,センセーショナルな言葉が使われ,今後の台湾の動向を注視する傾向がみられるようになりました。 awabi.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/1357286788/ 2.さらには,先日の日本首相による靖国神社参拝問題に関連して,馬みずからがフェイスブックをとおして,今後の日本の動向に強い懸念を表明しました。 www3.nhk.or.jp/news/html/20140112/k10014442511000.html

  • 国家をとるべきか、キンシップをとるべきか

    ・日本人にとって、国家に「すがる」ことの意義とは、どのようなものでしょうか? ・日本人にとって、国家に「すがる」ことと、みずからのキンシップを「重要視」することを天秤にかけたとき、日本人はどちらを選択しますか? ひとりの台湾系日本人という立場をとおして、わたしは、現代社会を生きる、さまざまな日本人と台湾人(さらには、いわゆる中華圏とされる地域に住む人々や、それに「つながり」をもつ人々も含める)をみてきました。 彼ら彼女らのひとつの「大きな違い」は、国家というものに「すがる」のか、あるいは、キンシップを「重要視」するか、ということです。ほかにも、さまざまな違いはあると思います。 近代の明治維新以降、日本人は国家に「すがる」ことを選択しました。それは、良くも悪くも、現代の日本社会を形成しました。しかしながら、そういった、国家に「すがる」姿勢に、批判的な態度をとる日本人は、少なくないと思います。国家に「すがる」ことの弊害に気がついたからでしょう。さらには、国家が「主導」して形成された<キンシップ>にたいする批判も、少なからずあると思います。 日本人も、これからの日本人の「あり方」のひとつとして、現代社会を生きる台湾人や中華圏の人々ように、キンシップを「重要視」すべきではないかと思うときがあります。

  • 台湾で高砂族のことを学ぶには?

     台湾に住む「高砂族」という原住民は特段の政体を持たないアナーキーでありながら、高度な文明水準を保持していたと聞きました。(いまの日本は、まるで滅び行く国のように地域社会の理念も国家理念も築く力が衰えていますが、「高砂族」は市民社会の理念を備えていた! らしい。)  そこで台湾に行ってその生活文化の片鱗に触れてみたいようと思います。  こういう目的を持つ場合、台湾での見所を教えて戴きたいのですが…。 (いちおう九族文化村をターゲットにしているのですが、その他のオススメはないでしょうか?)

  • マイノリティの問題解決に向けて

    ひとりの台湾系日本人として,わたしは日本社会に存在するマイノリティの「問題」に向きあってきました。 マイノリティの「問題」を解決するにあたり,わたし自身が考えたことは,マイノリティ自身の,うそ,いつわりのない,「ほんとうの心の内」を明かすことが解決法のひとつであると,わたしは考えるようになりました。 「ほんとうの心の内」を明かすことで,マイノリティの人々が「日本人と共に歩みたい」,「日本人と同じ価値観を分かちあっている」,「日本をまもりたい」,「日本の将来のために,何かをしたい」,「日本社会のなかで受けいれられたい」,「日本人から認められたい」などの「特別な気持ち」があることを,多くの人々が理解できるはずです。 「ホンネ」で語ることが,マイノリティの問題解決につながるのでしょうか? 参考までに: わたしは台湾系日本人で,日本教育を受けた経験があり,日本語でコミュニケーションをすることが可能です。 それと同時に,わたしは台湾にたいする「特別な思い」があります。わたしは,「台湾は東アジアに存在する国民国家のひとつ」であると考えています。台湾の将来については,「危惧」することがいくつかありますので,「台湾という国民国家がなくなってほしくない」という「特別な思い」があります。 台湾への「特別な思い」を強調することが多々ありますが,わたしはそれと同時に日系人の歴史に向きあい,日系人との「対話」に取りくんでいます。 歴史を学ぶことは小さい頃から好きなことではありましたが,滞米生活を機に日系人の歴史に向きあうようになりました。 (言葉は悪いのですが)「半分しか日本人でないわたし」が日系人を歴史に向きあったのですが,そこには「もうひとつの理由」がありました。それは,わたしがみずからの「日本のアイデンティティ」に真摯に向きあっていることを,日本人に「証明」したいという「強い気持ち」です。 多くのマイノリティにとっては,日本ににたいする「(良いイメージの)特別な思い」があると,わたしは考えています。それを,マジョリティが理解すること,さらには,マイノリティ側の人々がそれを「説明」することが,いまの日本社会には必要だと思います。 マイノリティだって,「皆と仲良くなりたい」と思っているのです。

  • 教えて下さい!

    教えて下さい! (1)自分より力のある人(例えば会社の上司等)には徹底的に滅私奉公できる人 (2)自分より力の弱い人には徹底的に滅私奉公させること(その人の生活や心情等はどうでも良いと考えること)ができる人 (3)物事を善悪や道理ではなく自分にとって得か損のみで捉えることができる人 (4)自分のストレス発散のために自分より弱い立場の人を故意に陰湿に困らせたり、不幸にすることが平気でできる人 (5)かつて自分も同じような目にあわされた経験が有るにもかかわらず、(4)のようなことが平気でできる人 (6)(1)~(5)のようなことは当然であると思っている人 実質的に今の日本社会、特に会社組織においては上記のような考え方(体育会系的、日本に昔からある村社会的、封建的)ややり方をしている人が結果として一番上手く人生を渡っていると私は思います。 どうしたらこのような考え方や言動が出来るようになりますか?(例えば、日頃の心がけ等)

  • 台湾の独立について

    日本の国防上の意味からも、日本と台湾の歴史的観点からも、また今の台湾の人々への日本人としての情緒的な観点からも、台湾が主権国家として国連で認められことを強く望み、中国から政治的、軍事的に一指も触れさせたくないと思っています。しかし、中国の猛烈な軍事的成長にひたすら脅威と恐怖を感じ、台湾独立を叫んでしまうと、50-60年前の中国国民党・蒋介石による台湾人弾圧、虐殺を歴史としてではなく、これからの現実として想起してしまい、更に経済的には、台湾の製造業の多くが中国本土へ移転し、従業員も一緒に行かないのなら、失業せざるを得ないという厳しい現実に直面しています。また、外交面においては、相変わらず米国も日本も、ひたすら現状維持を望み、支援はかなり遠くからの間接的なものに限定されているままであり、台湾の人からみると、中国からのお金の方がよほどはっきりした温かい支援と認めざるを得ない(台湾人の情緒からは認めたくないという心の奥底からの叫びははっきりあるが)という状態です。このような状況を、どのように見るのか、今後どうなって行くのか、どうあるべきなのか、政治的、経済的、軍事的、外交的、社会的、等など多くの観点からのご意見や、更に日本人としての気持ちをお聞かせいただきたいと思います。

  • 武藤貴也議員の法律的な考えの根拠は事実妄想どっち

    自民党を離党した、 武藤貴也議員は、 自身のブログで、 日本国憲法の「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」という三大原理が「日本的精神」を破壊し、現在の日本の「精神的荒廃」をもたらした内容を 投稿していたが、 以外がその内容だが、 国家や地域を守るためには基本的人権は、例え『生存権』であっても制限されるものだというのがいわば『常識』であった」. 「その根底には『滅私奉公』という『日本精神』があったことは言うまでも無い」 7月31日には、安保法案を批判する学生団体の「だって戦争に行きたくないじゃん」という主張を「自分中心、極端な利己的考え」とし、これを「戦後教育のせい」と批判している。が、 これは、 法律の専門家からすれば、 真面な発言なのか、否か? 武藤貴也議員の見解が 抱える問題性とは、何か? 戦争に行くたくないと、 利己的なのか? 利己的は罪なのか、否か? 生存権の根底には滅私奉公が存在し それが、戦後教育で失われたのは 事実なのか?否か? 日本人的価値観。」というもの。かつての日本は法治主義ではなく「徳治主義」であったと指摘し、日本的価値観として「勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」といった徳が「古来からある」とした。 そして現行憲法が掲げる「基本的人権の尊重」が、このような日本的精神を破壊した「主犯」と主張。戦前には国家や地域、家族の中では人権が制限されて当たり前と考えられていたのは 事実なのか?否か? 滅私奉公て、 ある組織の自分よりも 身分が上の人間に対しての 絶対精神的な奴隷服従、 考え思考に対する反論をしない 盲信、 思考停止をする事を 言うのではないか? 日本はこれまでの歴史の中で 徳治主義だった時代は、 本当にあるのか?否か? 日本的と精神とは? 勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」なのか はじめ知ったが、 武藤貴也は根拠があっているのか、 それとも、単なる持論 もしくは、空想の類いなのか? http://mutou-takaya.com http://lite.blogos.com/article/130543/ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/武藤貴也 引用。 法律カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております!

  • 日本が嫌いな人間の「正体」とは,日本人!?

    日本人のアイデンティティを分かちあっている人々が,みずからのアイデンティティに「向きあう」ことはありますか? 参考までに: 「半分しか日本人じゃないけど,それでも,わたしは日本人。」 日本教育時代,わたしは,強く意識することはなかったけれども,「日本」というものが,わたしのなかに宿っていることを,知っていました。 台湾系日本人という,特殊なバックグラウンドをもっていることから,わたし自身は,家庭というバイカルチャーの空間と,日本社会(たとえば,日本教育などに代表される)という,モノカルチャーの空間を,行き来するための「術」というものを,身につけなければなりませんでした。わたしなりの,「ショセイジュツ」のようなものでもありました。 そして,幸運にも,アメリカで教育を受けるチャンスにめぐまれ,アメリカ時代を経て,みずからの台湾と,日本のアイデンティティを肯定的に受けとめることができました。日本教育時代,わたしは,正直なところ,みずからの日本のアイデンティティを歓迎したくなかった時期がありました。それは,日本が悪いとかではなく,日本社会の閉鎖性というものの影響もあったのですが,大きな問題としては,当時の日本教育が,いわゆる「管理教育的な空気」であったからです。こういった,「特殊な空気」によって,「日本を嫌いになる日本人」がつくられるのではないかと,そのようにおもったときもありました。 日本事情について論じるにあたっては,「日本が嫌いな日本人」という「面白い考え方」があります。日本社会には,いろいろな理由があって,「日本」が嫌いで,「日本」を貶めたい,そのようなものの見方をする日本人がいる,という主張です。そういった主張がされるたびに,なぜか,外国につながる人々や,外国出身者が,「スケープゴート」にされます。ひとりの台湾系日本人として,外国につながりをもつ日本人として,みずからの民族的出自を理由に,「スケープゴート」にされることは,許しがたいことです。 「日本が嫌いな日本人」という「面白い考え方」について考えるとき,わたしは,これまでの日本の社会制度や,日本社会における人間関係のあり方にこそ,「問題」なり「病巣」があると考えます。外国出身者とか,外国につながりをもつ人々のせいで,日本社会がおかしくなったのではなく,日本人の「心の構造」にこそ,「日本が貶められているという言説」にかんする「ヒント」があると,わたしはおもいます。 わたし自身は,「半分しか日本人」ではないけれども,日本は好きです。そして,「日本が嫌いな日本人」をみるたびに,不思議に思うことは,「みずからの首を絞めるのが大好きな日本人」という,「異常な姿」です。これについては,日本社会の「問題」とは,その原因というものが,「みずからの首を絞めるのが大好きな日本人」という,「日本人の問題」がその根幹にあると,わたしはおもいます。 ある著名な作家が,“「反日」日本人”,という「興味深い考え方」を紹介しましたが,このような「問題」については,外国がどうのこうの…,ではなく,「日本人が日本人(日本)と向きあっているか否か?」こそ,大きな「ヒント」であると,わたしはおもいます。 わたし自身は,「半分しか日本人」ではないけれども,このような,「ゆがんだ精神性」を日本人がもっていることについては,「とても残念なこと」です。