唯暴力的に強く成る方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 戸塚宏校長のやり方を考える
  • 人間の本能とは暴力的なもの?
  • 戸塚宏校長のやり方は正しいか?
回答を見る
  • ベストアンサー

唯暴力的に強く成る為には戸塚宏校長のやり方が最適

前に 戸塚宏校長は何故怒り狂うのですか?と云う事で質問をさせて戴きましたが、 戸塚宏校長の著書などを読み わかったことがあります 法律や人権があるから今の人間は弱くなった 人間の本能は暴力的で争い勝った者が生き残れる 頭脳が優秀な人や 手先が器用な人なども必要ない 発展途上国 経済的に後進しても良い 常に争い(営業のノルマや勉強の成績などはこなせても彼らの意には沿わない) 勝った者(唯暴力的に)が偉いと云う事なんですね? だから、別に引きこもりや家庭内暴力をしなくても 暴力的な環境が合わない人間は死んだ方がましと云う考えなんですね? あのやり方が正しいとは思いませんが、唯暴力的に強く成る そこだけで考えると戸塚宏校長のやり方が正しいでしょうか?

noname#250543
noname#250543

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kitamura3
  • ベストアンサー率14% (10/67)
回答No.10

戸塚ヨットスクールについては ・戸塚氏の理論 ・その理論に合致する対象者 ・戸塚氏本人がその理論の実践者として適格が否か ・そこに預けた親および家庭環境 これらは分けて考えないといけません。 ちなみにここは教育問題のカテゴリですが あれは教育でなく対症療法だと思います。ゆえに患者もいます。 理論が適用されない患者ももちろんいるでしょう。 それでは健康な人に抗がん剤を与えるようなものになります。 さらにこれは教育全般に言えることで しばしば抜け落ちているんですが、 その教育で学んだことを『どの場面で発揮するのか』 も考えないといけません。 教育だけでなく自分の経験をすべての場面で適用しよう とする知的レベルの低い人が多いと思います。 特に家庭に持ち込んで問題を起こす馬鹿が多いようです。 そして現状で理論と実践者と親とどの場面で発揮するかが 明確になっているのは受験塾くらいじゃないでしょうか。 >>暴力的な環境が合わない人間は死んだ方がましと云う考えなんですね? という問いなんですが、現に会社というのは暴力的で理不尽な場所です。 亡くなっている人、健康を破壊され人生を破壊された人などたくさんいます。 戸塚氏に限らずほとんどすべての人がそういう考えです。 ちなみに私はそういう考えではありません。 >>唯暴力的に強く成る そこだけで考えると戸塚宏校長のやり方が正しいでしょうか? 戸塚氏の理論は暴力的に強くなるというものじゃないように思いますが、 たしかにおっしゃるようにそこだけで考えると正しいやり方の1つだと思います。 ただし強いというのはいろいろな要素がありますから戸塚氏のやり方で すべての問題は解決しません。 と言いつつかなりの問題が解決されてしまう面もありますが。 私はアスリートと言われる人を見ていて強くそう思います。 武井壮だったか他の方だったか、アスリートはあまり深く考えず 根性だけですべてやるから深く考える人の考えは新鮮だみたいなことを テレビで言っていたのを覚えています。 ただそれは調子のいい時に通用する話であって、たとえば車は普段はキーをひねれば エンジンが掛かりますが壊れた時には理屈を知っていないと根性だけでは直せません。 何事にも適用範囲がありますので、なんでもかんでも通用するわけじゃないです。

noname#250543
質問者

お礼

 自分中心に考えると気合や暴力で全て解決すると考える人は困りものですね?

その他の回答 (10)

  • kitamura3
  • ベストアンサー率14% (10/67)
回答No.11

追加で愚痴を書かせて頂きます。 戸塚ヨットスクール。 田母神さんも賛同者の1人です。 しかも昨年の桜ノ宮高校での体罰自殺の際には 体罰について軽はずみな発言をしていました。 私は基本的に保守派の方を応援していますが 何度手紙と本を送ろうと思ったことか。 ツイッターの通りでなく真意は違っているとは 思いますが、非常に繊細な問題に対して発言が 軽すぎます。 保守派の方はあまり教育問題に触れません。 言う時は正しい歴史で誇りを持った子供を育てようくらいです。 個人や自由を尊ぶ革新的な思想とぶつかり合いますので 触れるのが嫌なんでしょうな。 まだツイッターでも触れているだけマシなんでしょうか? それで都知事選? 応援するけどテメエふざけんなよっていうのが 正直な気持ちとしてあります。

noname#188336
noname#188336
回答No.9

 正しいわけがない。子供にストレスを与え続けると、情緒不安定で、自己肯定が出来ない大人になります。これが「強くなる」と言えるわけがない。むしろ破滅的で、物事を積み上げる事が出来ない人間になります。あまりにアホらしい。

noname#250543
質問者

お礼

暴力的なやり方は物事を積み上げることが出来ないのですね 

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.8

 >唯暴力的に強く成る そこだけで考えると戸塚宏校長のやり方が正しいといえるか これだけで考えても正しいといえるだけの根拠もないでしょうね。  「何を目的として暴力的に強くなる」のかが不明だからです。暴力で何を維持でき、そしてどの様な秩序や関係を創ることになるのか。  仮に戸塚氏の論点が「サバイバル」との部分に集約されるとしても、生物の本能としてのサバイバルであるだけならば、そこで対象となっている「人間」という生き物が他の生き物と同じものとの結論になってしまいます。  けれども、人間が他の生き物と異なる部分を有し、それ故に社会組織を創りそして維持することもできるとのり違いを考えねばなりません。  少なくとも戸塚氏にはそうした「人間は社会的動物でもある」との基本的視座が欠落していると考えられます。 肥満児はいなかったなどのコメントを寄せる方もありますが、肥満児や引きこもりをする児童生徒に「生きる資格などない」と仰るのでしょうか。もしそうであるならば、「全て規格の枠の中にある」子供以外は存在する意味などないとの極論にもつながってしまいます。  こうした考え方は「恐怖や差別に基づく調教や支配」と呼ぶべきであり、凡そ「教育」とはいえないレベルの問題としかいえないでしょう。  少なくとも、戸塚氏には「人間という存在をどう理解するか」との基本がないようにすら感じられます。「なぜ~」と対象を観察できないから個別のカルテを作成することもできず、同じ方法で全てに対応させようとする。問題の中身が違うのに、同じ計算式や定理を使って問題を解くことができるでしょうか。  少なくとも僕には、戸塚氏自身が学校教育の基本から受け直した方がよいのではなかろうかとの印象を持っています。  >法律や人権があるから今の人間は弱くなった ここでも「何が弱くなったのか」が明示されていません。感覚的な言葉は耳触りが良くとも、論理的整合性に欠けることもしばしばあります。  戸塚氏の論理ともいえない論理は「社会組織を破壊し、人知を否定することのみ」を目指しているように受け取られても仕方のない話でしょう。  野獣と化した人間でない人間が暴力的に生きる世界が想起させるものは、自らの生欲と性欲を満たそうとする者が血眼でうろつくだけの粗野な世界でしかないと僕は想像してしまいます。  なぜ「哲学」を基盤とするあらゆる学問が今まで営々と続いてきたのか、そうした疑問を戸塚氏は考えたことがないのでしょうか。

noname#250543
質問者

お礼

人の精神 性格の相違が考えられないのですね?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.7

”法律や人権があるから今の人間は弱くなった”     ↑ 法律は、何時の時代にも何処の国にもありました。 だから法律の存在が弱くした、というのは間違いです。 法律で人権などを過度に保護するようになり、結果 過保護になったから弱くなった、ということでしょう。 ”常に争い勝ったものが偉いと云う事なんですね?”     ↑ 違います。現代の争いを前面否定するような考えが おかしい、ということです。 ・原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦った。  その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き  、心と体を鍛え、一面で道徳律を築き上げ、生き抜く  力を養った、ということです。 ”別に引きこもりや家庭内暴力をしなくても 暴力的な環境が合わない人間は  死んだ方がましと云う考えなんですね?”     ↑ 闘争に勝ち抜く、ということが大切だ、ということでしょう。 誰に勝つのか、といえば、それは最終的には自分です。 自分との闘争に勝ち抜け、ということだと思いますよ。

  • warumon3
  • ベストアンサー率6% (46/727)
回答No.6

暴力で解決できても、それは根本的解決ではなく 一時的な解決に過ぎません。 ですので、やはり戸塚校長のやり方には賛同できません。

noname#250543
質問者

お礼

一時的な解決の過ぎないのですね 有難うございました

回答No.5

戸塚氏の著書を読んだことはありませんが、 暴力的な強さの必要性は全く否定しません。 大切な家族や友人を暴漢から守る、その為には闘う肉体の力が必要でしょう。 しかしそれを体得するたまなら、わざわざヨットスクールに入らなくても/入れなくても、街中の道場・アスレチックジム・ボクシングジムで十分だろうと感じます。 質問者様の論点を故意に外した回答で恐縮です。

  • chuikov62
  • ベストアンサー率11% (2/18)
回答No.4

私は戸塚氏の著書を読んだことはないのですが。 質問者様の読み取られたこと自体、ヨットスクールの存在と矛盾しているように思えるのですが。 ただ暴力が強い人間だけが生き残るなら、まずヨットというものは発明されていません。 風の向き、太陽を見てヨットを操るには知性が備わっていないと難しいのではないでしょうか。 私も戸塚氏のやり方が正しいとは思いませんが、戸塚氏がそのようなことを書かれていたのでしょうか?

回答No.3

戸塚氏は暴力的な強さを教えていません。格闘技的な訓練も、一切ありません。確かに、空手家やボクサー崩れがコーチとして沢山在籍しているのですが、彼らは格闘技を一切教えません。私の知る限り、氏のスクールとは、ヨットを速く走らせることだけが、訓練の全てでした。で、体重が軽く、度胸が据わっている女子の方が男子より速いという現象がありました。肥満児は一人も居ませんでした。肥満では、海の上では生きていけないと直ぐに知れるからです。 子供たちに、死の恐怖を教えること、生きていたいと思わせることが、氏のスクールのポイントであるように思いました。

  • onihei55
  • ベストアンサー率3% (18/482)
回答No.2

戸塚ヨットスクールを否定するつもりはありませんが暴力で解決出来る物はひとつもありません。 暴力は更に上の暴力で返されるだけなのでやり方としては最悪だと思います。

  • epsiron2
  • ベストアンサー率5% (3/53)
回答No.1

暴力は暴力により破壊される 破壊を回避する為には暴力に屈服するか暴力で戦うしか無い・・延々と続くだけなのに 何も解決出来ないのに・・

関連するQ&A

  • 戸塚宏校長が望むべき人間とは

    戸塚宏校長はヨットを通じ登校拒否や引きこもり等様々な問題を解決された事は皆様もご存知の事と思いますし、私自身もそのあたりは大変評価したいと思うのであります 唯 いじめは相手の弱点を無くし、鍛えるといじめ推奨の論理をマスメディアで繰り返し語っておられます そして、一つの集団(クラスや部活動)でも、別に支配したくもない、それぞれがそれぞれで良いと云う感覚の人間は偽善者だと云う様な事を何かで云っておられました 一つの集団でも支配するかされるかと云う感覚が好きらしいです 戸塚宏校長の感覚を整理しますと 1体罰、いじめ、喧嘩嫌いの人間が多いので、弱い人間が増えた 2 その様な人間を鍛えるべく、戸塚宏校長の体罰を行使する 3 以上でも以下でもない感覚の人間関係で日常生活を送っている人間は非難され、常に争い、強いから従うそしていじめも推奨する人間が好まれる と云う事だと思います 私は戸塚宏校長が問題のある人間を立ち直らせた、これは評価したいと思います そして、罰則としての体罰はある程度なら良いかと思います 又今の酷いいじめや暴力はれっきとした犯罪だと思います、体罰よりも法的に罰則を設けるべきだと思います 私は戸塚宏校長が社会生活を送れていてもいじめや喧嘩嫌い、以上でも以下でもない人間を駄目な奴軟弱者と云っており、強いから従い、いじめや喧嘩を繰り返し、支配するかされるかと云う中で生きている人間の方が正常と云う事に矛盾を感じます ご回答を頂戴出来れば幸かと思います

  • 戸塚宏校長の云う子育ては上手く行くのでしょうか?

    引きこもりの問題も社会情勢などがあり、必ずしも「弱い」と 云うものではないと思います。 又、「大人しい人で話し合いが出来る人」と 「話し合いが出来ない人」も居り、一概には云えないと思います。 賛否両論はありますが、その様な中で「戸塚ヨットスクール」は まともに話が出来ず、凶悪な暴力や犯罪を犯す人はあああするしかないと云う事も頷ける話です。 その様な中で矛盾に思った事があるのですが、 ① 幼少時からの躾が大事だと云いますが、昔戸塚宏校長は 「問題行動を起こす子は体罰を受けていない」と云いますが 本当にそうなのでしょうか? ② 戸塚宏校長は昔、討論番組などで 「御母さんが意見を云うと、御父さんが子どもの前で御母さんを殴り、「俺はこの家の主だ」と云い子供に父親は怖く偉い事を示せ」 と云っておりました。 又、幼稚園や小学校でも(自由競争ではなく) 「それぞれがそれぞれで良いと云う子は駄目で、ボスに成るために闘え」的な事も云っていたと思います。 ③ 戸塚宏校長は「幼稚園や小学校を創る」 「その幼稚園や小学校では体罰によって服従させる(怖い存在を置くと云う事)」 「又その幼稚園や小学校ではいじめを奨励させる」 「いじめられた子は足らない部分(鈍臭い等)を補おうと必死になる」 「金銭の恐喝は悪い苛めであり、鈍臭い子を苛めるのは良い苛め」 「親や教師の体罰があるので、逆らわないので纏まる」 とこの様な事を云っていたと思います。 この戸塚宏校長の云う子育てをすると上手くいくのでしょうか? (戸塚校長の子育てとは全く同じではなく違うと思いますが) 「強いから従え的」感覚で育った子は逞しさは身に付けている反面、暴力的で無い人を馬鹿にしたり、弱い者にその欝憤をぶつけて おりましたが、(戸塚校長はそれも肯定推奨していた) この様な感覚が正しくはないが纏めていく手法で成立している様な処はあると思います。 (私は罰則として体罰を含めある程度は必要と思って居りますし、 今の悪平等論も可笑しいと思いますが)上述の人達は 無意味(と私が思っているだけかもしれませんが)な苛めや争いを 行い、「耐えれない奴が弱い」「鍛えてやっているのに根性がない」 と云います。 (例えが悪いかもしれませんが、一つのものを二人が半分に分けるのは駄目で、奪い取って取ったものが勝ち、やり過ぎると絶対的怖い存在に処罰されると云う事かもしれません) (又、某運動部の部員が一般生徒に暴力を振るった事があり、 その顧問が「とろいあいつをを苛めたくなる気持ちがよく解る、 がやり過ぎると俺はお前を半殺しにする」と云う様な感覚なのかもしれません) この様な子育てを実際にされた方は居られますか? 又そうされると立派に育っておられるのでしょうか? この辺りの事をご回答戴きたいと思います。

  • 戸塚宏校長は何故怒り狂うのですか?

    戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長はサンデープロジェクトを始め討論番組に出演すると 司会者や出演者が家庭内暴力や非行をあのやり方で引き受け 立ち直らせた事や 戸塚宏校長の実績には評価をした後で、 「しかしですね、海に突き落として死なせて、弱いからと云うのはどうなんですか」と云うと「黙れ」と云ったり 「我々は体育会系におったもんやから、監督や先輩からの体罰でありがとうと云えたよ」と云うと ある方が「そう思える人はそれで良いが思えない人もいるのではないか」と云うと 「諸君はそんな事ばかりいっているから今の日本は駄目になった」と云います 叉引きこもりや非行等の問題を起こさなくて、唯暴力的な組織についていけない人を 「弱いから悪い」 「今の若者はとんでもなく弱いのがいるのですよ」と云ったりします あのヨットスクールに頼る方もおられて、立ち直った方がおられるこれは評価しますが、普通に身を立てている人で唯暴力的な組織についていけない人を 「鍛え直さないといけない」とか云います やはり、あの様なヨットスクールで問題のある人を相手にすると自分の自我を確立するにはあの様な気構えが必要なんでしょうか この辺りをご回答お願い致します

  • 戸塚宏校長のキャラクターは演じているのですか?

    4月26日木曜日にフジテレビの坂上忍氏が司会を勤める番組に 戸塚ヨットスクールの校長戸塚宏氏が出ておりました。 あの様なスクールに行くのは親や周りが困難と判断したからであり、 手の付けられない非行少年も多く居たという事が 記録映画「平成ジレンマ」等からも伺えました。 唯、あの番組でも戸塚宏氏は出演者が「世の中色んな考えがあり、貴方が全てでは ないでしょう」というと「私が全てや」といいました。 又、体罰の是非を超えて、「スクールの訓練生の意見などは聞かないのですか」 というと「知らんでもええ 聞かん」と云っておりました。 私も戸塚ヨットスクールで更生された方も居られ、その意義は認めますが、 1 何故、「しかし」という言葉で質問されると「怒る」のですか? 2 本能が欠落している事は解り、それを養うのは良い事ですが、  「万人に向く」と豪語しているのは何故なんでしょうか? 3 成人でパーキソン病に成った落語家の御伴で前座見習いが一人付いていった   (二人とも普通に生活しており、別に家庭内暴力などもしていなかった)  が戸塚校長はこの人たちにも同じ様な事を行い、「少し違う」というと  戸塚校長は怒り狂ったそうである あのキャラクターは素なのか?演じているのでしょうか? 体罰の是非を超えて、「自分が全て」「相手を罵倒」これを素で思っているならば 精神が病んでいると思うのですが?

  • 戸塚宏氏の考えは独立国家?

    戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長は 自身のヨットスクールは憲法も法律も揺るがせないものであると 信念を持っているのでしょうか? つまり、現在の日本国は民主主義で生温いので、 それに代わり自分が「戸塚ヨットスクール」という理想の社会を形成しているという事なのでしょうか? 家庭内暴力や引きこもりで家庭で手に負えない人間がこのスクールに 頼ったと云うのは解りますが、戸塚校長は「あのような教育方針で 行う 幼稚園や小学校を創りたい」と言っており、その先駆けとして、3-4才の子をいきなり殴る、海へ落とすというやり方が放映されておりました。 だから、戸塚校長の考えでは 今、日本人はのほほんと生きているので軟弱である。 一つの組織で喧嘩し、苛めも起こり(このスクールでは苛めを奨励している)勝った者だけが生き残れる。 家庭内暴力や引きこもりをしなくても、この生存競争に負けていく奴は駄目と云う事になるのでしょうか? だから、暴力的な生存競争に勝った者が、 戸塚校長のいう理想であり、そこで脱落(事故死 自殺者)していくものは本能が鍛えられず、弱いので死んだ方がましという考え方であり、それを国が殺人罪で逮捕と云うのが自分の意を傷つける屈辱的な行為となるという事なのでしょうか?  だから、特に非道せず、その人の良い処はあっても、暴力的生存競争に負けていく人間は死んだほうがましという考えで、 絶対者(校長)に従っていれば、苛めも暴力も認めて貰え、それに耐えられない人間は脱落していく、その理想郷に国家がとやかく云うのが耐えられない屈辱という事に成るのでしょうか? ご回答お願いいたします。

  • 戸塚宏氏の体罰の論理とは2

    数日前に「戸塚宏氏の体罰の論理とは」と云う 事で質問させて戴きました hikokurou様と云う方から、『正論』の四月号に 「戸塚宏氏の体罰論」についての記事があると 云う事で読ませて戴きました その記事を整理してみますと 1 体罰は本能を強くし、鍛える為に不可欠である 2 体育会系の指導者は自らが体罰により鍛えられたので、   それを行使した  3 桜宮高校の犠牲者や近年の運動部での被害者は   幼少時より、体罰の日常で育っていないので   鍛えられていない 4 だから幼少時より、体罰、いじめにより鍛える事により   強くなれる と云う事です そして、戸塚ヨットスクール式の教育を幼児期より行ないたい、 だからあの様な教育方針の保育園か幼稚園を行ないたいと云う様な 事も書いていたと思います。 私が気に成るのは、 私の同級生に暴力団組員の息子が居り、 彼は父親から「喧嘩で勝て、とにかくいわして来い」と躾られ、 2.3歳の頃より、喧嘩で負けると父親から更に体罰を加えられておりました。 だから、彼は中学時代先輩の理不尽な暴力(彼は運動神経抜群だったので、 或る運動部に居たが)に動じず、学校の大人しい同級生等に 「何かと因縁を付け」反抗しておりました 彼にすれば「家に帰ったら父親や家族からの暴力がもっと凄い」だからあれぐらいの事は平気 と云う感覚で そして、その様な考えで育ったので、「強く怖いなら全てが通る」と思い、 怖く叶わないものなら、「鍛えて下さっている有り難い」と思い、 部の大人しい子や同級生へのいじめも「鍛えてやっている」と云い正当化しておりました 人間としては正しいとは思いませんが、戸塚宏氏の云う「本能を鍛え 強くする」と云う理には 叶っている人間と云う事に成るのでしょうか? 又、幼少時より暴力三昧で育ち凶悪な犯罪を犯した人間もおります (昭和63年に起こった女子高生コンクリート殺人事件の主犯格等) 唯戸塚宏氏の立場に立てば、犯罪を起こさず真っ当に生き、社会人として身を立てていても 喧嘩苛め嫌い、体罰の日常を受け付けない人間は「本能が鍛えられていないから駄目」で 彼ら(暴力三昧で育ち犯罪を犯した人間)は「本能が鍛えられているから」良いと云う事なんでしょうか? 昔ヨットスクールの事を書いた手記 『スパルタの海』で ヨットスクールでは大人しい引きこもりの生徒は訓練が終わり立ち直ると、 ヨットスクールとは関わりが無くなる者が多いが、 血の気の多い非行生徒(当初はこの様な生徒も居たらしい)は コーチの補佐役に付け、新入りの苛め 暴力を奨励させ そのままコーチに成った者も居るらしいです (確かにヨットスクールに来る生徒はまともな言動の出来ない人間がおり、 家族への暴力等が酷い人間も居るのでその様な人間に対しては必要かとも 思えるのですが) だから、戸塚氏の論理で行けば、 戸塚ヨットスクール式の保育園や幼稚園で幼少時より本能を鍛えろ そこで命を落とす奴はそこで選別されていく、 ヨットスクールでも死ぬ奴は弱い、 非行や家庭内暴力引きこもりを起こさなくても、 戸塚式の教育で命を落とす人間は「弱い」 だから「沙汰されろ」 そして、今戸塚式の教育に付いていけない人間が 普通に暮らしている事が「本能が鍛えられていない」ので 駄目で 犯罪をおかしても「本能が鍛えられているので」良いと云う事 だと云う印象を受けました この辺りの事をご回答戴きたいと思います (私は運動音痴で 病弱でした 悪い事をすれば罰則はあっても良いと思いますが 戸塚式の幼稚園などに行くと多分死んでいたと思います 唯、戸塚氏はそこでその様な人間は沙汰されていくべき 本能が鍛えられていないから駄目とある番組で云っていたと思います )

  • 戸塚宏氏の教育論とは?

    大阪桜宮高校の自殺事件で戸塚宏氏の発言が問題になっております 戸塚宏氏はじめスパルタ教育を推進される方の教育論は 1 喧嘩やいじめにより人間関係を学べ 2 喧嘩やいじめが嫌いな人種は軟弱者である だから常に争い上を目指せ 3 人間が暴走しない為に枠組(法律 憲法)は必要であるが 枠組に絶対者(天皇や首相の権限を強くする)を置き、絶対者にはどんな事でも従い、許容範囲のいじめ等は許され、又近隣諸国等へ攻撃する等の縦社会 忠君そして強い精神を作ることが出来るので、指導者からは一石二鳥である 私の同級生に幼少時から父親に「喧嘩で勝て強くなれ」「兎に角いわして来い」と云われた人間がおりました 彼は暴力三昧の部活動に入り、怖い先輩や顧問の云う事は聞き、枠組みに入るだけなら良いが、顧問や先輩の理不尽な事も受け入れ、おとなしい同級生等に「鍛えてやっている」とクラスで暴力や暴言をしておりました 彼は私が以上でも以下でもない関係でいることが腹が立つと因縁をつけて来ました 1戸塚宏氏はじめスパルタを推進される方は彼の様な生き方が理想なんでしょうか? 桜宮高校の問題も正しくは無いが、彼の様にしていると、顧問は批判されず、表面上は纏まると思います 2 私は酷いいじめ等口で言っても聞かない場合の体罰はまだわかりますが 組織では挨拶代わりに暴力三昧の所があります 又暴力三昧で育つと暴力が無いと軽く見て云う事を聞かず、暴力三昧で云う事を聞く様に成る、だから暴力三昧に成る 唯組織側としては、普通の以上でも以下でもない関係なら越えられない、暴力三昧強い者に服従の精神が越えられる強い精神を作ると云う事なんですね? ご回答宜しくお願い致します

  • いじめ推奨する 戸塚宏氏

    戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏氏はいじめを相手を鍛えられるので良いと肯定しておられます 映画平成ジレンマでもかなり激しいスクール生がいじめを行うシーンがありました 引きこもりや非行を引き受け更生された方もおられ、その辺りは評価したいのですが ある番組で身を立てていてもいじめや喧嘩が嫌いな人間は偽善者だと云っていた様に思います 又、自身のヨットスクールで死亡者が出ても弱いからと云っておられます 常にいじめるかいじめられるかの中にいないといけないのでしょうか ご意見を戴ければ幸かと思います

  • 戸塚校長の考えは優生思想なのでしょうか?

    所謂保守と云われる戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長は 坂上忍氏や橋下徹氏の対談で「リベラルは駄目」と云って居たと思います。 集団でいじめを奨励させ、被害者が目を腫らす様な怪我をしても、 「お前が弱いから悪い 強く成れ」と云う様な事を映画『平成ジレンマ』でも云って居たと思います。  戸塚校長の考えはいじめ 体罰という環境で「悔しかったら頂点を目指せ」的な考えなのでしょうか?  そして、そこで体力的に勝ると、いじめや暴力(恐喝や殺人に及ばない範囲では良い)はあっても良く、それは弱い者を鍛えてやっている、そこで耐えれない奴はそれ迄、悔しかったら圧倒しろと云う事なのでしょうか? やられっぱなしで泣き寝入りせず法律等を使う事も手かと思いますが、 そうするとこの様な人は「人権が人を弱くする」と云います。 (私は君が代日の丸反対でも完全な体罰否定派でも、徒競走の順位を辞める等悪平等論を支持している訳ではありません) 又、苛めの問題にしても、「別に相手に干渉しないが此方が理不尽と思う事は可笑しい」と云う意見や、法律で解決する事を嫌い、 「腕力で圧倒しろ」的な処があり、それをしないと「駄目 屑」と 云う様な処があります。 絶対に可笑しいのですが、同級生で人の物を盗ったり、人に危害を加え、先生に云うと「根性がない」 腕力で圧倒した者だけを認めていく様な人が居りました。 つまり、普通に学校に来て授業を受け給食を食べている事が甘えで、 給食を取られたり、ものを盗られて、腕力で圧倒すれば「根性がある」そうでないと脱落者だという事らしいです。 やはり、その様な感覚が居心地が良い人も結構いるのでしょうか? 全てではありませんが、その様なタイプが集まると、 小中のスポーツ少年団や部活動も暴力的になります。 サッカー漫画『キャプテン翼』で主人公大空翼が「ボールは友だち」「純粋にサッカーが好き」と云う発言に日向小次郎が怒り心頭する場面がありましたが、先述の戸塚校長等もその様な心理なのでしょうか? つまり、以上でも以下でも無い感覚は駄目で、常に争い勝った者だけが食べられる、座る権利が与えられるという事なのでしょうか?(故に苛めも肯定されていく)

  • 戸塚ヨットスクールは何故苛めを奨励させるのですか

    戸塚ヨットスクールは何故、暴力 苛めを奨励させているのでしょうか? 暴力や非行で家族も藁にもすがる思いで更生させた事は評価出来ますし、私の近隣に家庭内暴力の酷い家庭がありました、まともに会話が 通じないので、やり方はいろいろあるにせよ環境を変える、家族から切り離す事は大事かと思います。 (戸塚ヨットスクール的な処ではなく、未だ中学生だったので 公立の児童相談所に 送られ、そこで数か月過ごし、戻ってくると大分ましに成りました)  又、ヨットの訓練において「自然の厳しさ」を体験させる事も良い事 であると思います。 唯その事を差し引いても、スクールの生徒間で自然に苛めが発生するのは仕方ないが、何故苛めや暴力を推奨させているのでしょうか? 戸塚校長は昔テレビ番組で「以上でも以下でも無い人間は偽善者で駄目」「例えば、自分の食べるものが食べれたら良いと云う人間は駄目で、奪い取って真っ先に食べたい、この様な気持ちが大事」 と云う様な事を云っていたと思います。 又、暴力や非行の問題を起こさなくても 「苛めや暴力が嫌いな人間は駄目」だそうで、 ヨットスクール的な幼稚園や小学校を創りたいそうで、 「本能を鍛え強くする為に体罰を行使する」 「同級生間の苛めは奨励し、苛められた子は努力するので必死に成る」 と云う教育を行いたいそうです。 又家庭内でも母親が意見を言うと、父親が子の前で母親を殴り、 「俺の云う事が聞けないのか」と云い、子の前で「逆らうと怖い事を 示せ」と云う様な事で上手く行くと書かれて居りました。 もしや戸塚宏校長が云う家庭の躾、あのヨットスクール的な幼稚園に 行くと立派な人間に成れるのでしょうか? 又、戸塚宏校長が討論番組等で炎上するのは、 ある人が「ここで合わなくても他で身を立てれば良い」 「問題児はああするしかないと思うが、そうでない人(普通にヨットがやりたい人)も一緒に扱うのは無理がある」と云う意見にも 「黙れ」「お前らに出来るか」と云います。 「普通に云って聞けばよいが、その様な人ではないので」位に云えば 未だ納得すると思えるのですが?  戸塚校長は問題を起こしていなくても、あの方法で子育てをし、 あの環境で過ごさないといけないと思っているのでしょうか?  又、家庭内暴力を甘やかしと云い、問題児は「体罰を受けていない」と云いますが、近所の家庭内暴力をしていた家庭は、 父親が暴力で妻や子を支配し、思春期位からは先ず母親に、 父や兄にも当初は遠慮していたが最後は竹刀や刃物で暴力を振るう様に 成って居りました。 そして、私等同級生に暴力を振るったりして、先生には「鍛えてやっている」「俺は家で親父や兄貴にもっと酷い事をさせているだから未だ手加減してやっている」と云う事を云ったそうです。 戸塚校長的に云えば、「良い躾だが刃物を使うのはいけない」位に成るのでしょうか? そして、父親や兄が「刃物や竹刀にも負けない位の強靭な人」なら良いのでしょうか? そして、私は家庭内暴力は起こしませんでしたし、特に日常的に殴られる事もありませんでしたが、「以上でも以下でも無く、鍛えてやっているのに超えられない軟弱者」と成るのでしょうか? 御回答御願い致します。