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ロシアとアラスカと南下政策

ロシアには、アラスカからの南下という選択肢は無かったのでしょうか。 アラスカを売却していなければ、日露がぶつかることは無かったのでしょうか。

  • 歴史
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みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

http://www.weareca.org/index.php/en/era/1540s-1830s/russian_traders.html サンクトペテルブルグから遠かったから。 上記はカルフォルニアにあるロシア人居住跡 毛皮を求めてここまで来ています。

okeydonkey
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 本格的に南下しなかったのか出来なかったのか分かりませんが、一応はしていたんですね。

  • wy1
  • ベストアンサー率23% (331/1391)
回答No.3

ロシアはアラスカよりかなり南の現在のカリフォルニア地方にも一時期進出していた事があるようです。 私も確認しようと思います。

okeydonkey
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 検索してみたところWIKIPEDIAにありました。 http://goo.gl/rUUWUu

noname#224207
noname#224207
回答No.2

アラスカの売却の有無に関わらず、日露はいずれ対峙し戦争は避けられなかったでしょう。 帝国主義時代の当時は、現在とは異なり軍事解決というのは常套手段でした。 アンカレッジ付近に港を確保しても当時のロシア軍にとっては、戦略上の意味は余りなかったのではないのでしょうか。 クリミア戦争後の資金不足を補うために、シベリア同様の寒冷で余分な土地とみなして売り払ったのではないのでしょうか。 当時はアラスカの鉱物資源は全く知られていませんでした。 アメリカの世論も高額な冷蔵庫を買ったといって政権を批判しました。 アメリカを越えて南米の植民地ということになると、やはり大西洋側からの進出を考えるのではないのでしょうか。 確かに江戸時代の末期には頻繁に日本へ来航してきてはいますが、あくまでも通商が目的です。 いずれ船で渡らなければならない陸地には左程興味がなかったと思われます。 この辺は、海洋国のイギリスとは違い、大陸国の発想が抜けていなかったのではないのでしょうか。 当時は石油よりも石炭や農産物の方が経済的にも魅力がありました。 寒冷なシベリアよりも温暖な中国には充分な魅力があり触手を動かしています。 日清戦争後中国の弱体化を確認したロシアは東北部(満州地区)への進出を進めました 旅順、大連の租借にも成功しました。 同時に朝鮮半島の権益獲得を目指して列強が鍔迫り合いを繰り広げました。 一方で日清戦争で敗退した中国を頼むに足らずと見た朝鮮の王朝がロシアへの接近を始め、親露政策を取りました。 これに日本が危機感を持って対応し、遂にロシアとの戦端を開きました。 ロシアを含む列強の圧力によって遼東半島の権益を返還させられたことに対する、当時の日本国内の世論からも妥協は非常に難しかったでしょう。 帝国主義時代の当時、ロシアとの間では満州の地を巡る争奪戦はさけられなかったのではないのでしょうか。 場合によっては朝鮮半島が戦場となっていた可能性もあります。

okeydonkey
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 南下ルートの問題ということでもないので、ロシアとは戦わざるを得なかったんですね、

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.1

メリットがないです。ロシアがアラスカから南下するメリットはなんですか?不凍港が手に入る?ロシアから地続きで繋がっていないのに?

okeydonkey
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

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