• ベストアンサー

愛媛県南予地方の呼称「宇和」の由来を教えて下さい。

以前、何かの文献で、宇和の(宇)は山の峰を指し、(和)は輪の意味で盆地の地勢を意味すると云う説を読んだ記憶があるのですが、博識の方その出典をご存じありませんか。また別の説の文献を御存知ならお教え下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • toshineko
  • ベストアンサー率44% (258/575)
回答No.2

#1です。こんばんわ。 昭和15年に発行された伊予史談101号における西園寺源透氏の論文に、 ご呈示のようなことが書かれているようです。

参考URL:
http://www42.tok2.com/home/uwajimanenrin/shinchimei/shinchime-04uwagun.html
uwagg
質問者

お礼

早速の御返事有難うございます。私は西園寺氏の原文に接した訳でなくきっと宇和同郷会で氏の説に触れた方の書を読んだものと思います。ご親切に感謝いたします。「うわ」を上(ウハ)の借字とする説は存じては居りましたが余りに安直で、あたかも宇和への道を登りきって着いた盆地のあまりの広さに「うわっ!」と云って宇和となったの類の様に感じられます。よって私は、出典は判らずながらこれまで信じて来た西園寺氏説をベストアンサーと致しました。今後とも知的迷路に迷える後輩への先達として御活躍されん事をお願い致します。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

  • toshineko
  • ベストアンサー率44% (258/575)
回答No.1

山の峰を指す言葉は、「を」または「ね」ではないかと思います。 宇和の地名由来については下記URLに回答していますが、文献はありません。

参考URL:
http://okwave.jp/qa/q5588068.html
全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 愛媛県の地名に詳しい方に質問です。

    愛媛県の地名に詳しい方に質問です。 南予地方には「宇和島」、「宇和海」、「宇和町」というように「宇和」のつく地名がありますね。 また、愛媛県在住の方で宇和川さんというお名前も聞き覚えがあります。 「宇和」というのは他の地方ではあまり耳にしない地名です。 そこで「宇和」という地名の由来、意味についてご存知の方がいらっしゃれば教えていただけませんでしょうか? 参考になるHPや文献についてもご教示いただけますと幸いです。 よろしくお願い致します。

  • やまとは くにの まほろば の出典

    やまとはくにのまほろば たたなづくあおがき やまこもれる やまとしうるわし という有名な歌があります。 その出典を WIKIでは 古事記の日本武尊作 説と 日本書紀の景行天皇作 と 二説上げています。 また、桜井市では 万葉歌碑として この歌を 紹介しています。この万葉は 万葉時代でなく 万葉集という意味もあるのでしょうか? この歌の出典をご存知の方、教えてください。 よろしくお願いします。

  • 目に青葉 山ほととぎす 初がつを の解釈 (山ほととぎす)

    勿論ここでの「山ほととぎす」の意味は「山からほととぎす(鳥)の鳴き声が聴こえてくるのが素晴らしい」といった意味なのだと思います。 しかし、多分20年ぐらい前だと思うのですが、これは、鳥のホトトギスではなく、植物の「山ほととぎす」(こういった名前の植物があります)を指しているのだと書いた文献を読んだ記憶があるのです。 ところが、今、いくらネットで調べてみても「ほととぎす=鳥」以外の解釈をしているものは見つかりません。 果たして、「山ほととぎす=植物」といった説もごく少数なりとも存在するのでしょうか。それとも、100%どう考えても私の記憶違いなのでしょうか。

  • 孔子は「魂」というものをどのように捉えていたのでしょうか

    明治期の詩人中西梅花の詩に、「今に伝える、其の中に、孔子をのぞく、其のほかは、皆ことごとく、吾人(われひと)の、みたまの説を、立てられき」という記述があります。この個所の意味は、「孔子以外の思想家は魂についての何らかの説を立案していた」ということになると思うのですが、これは本当でしょうか。もし本当だとしたら、出典となる文献を教えていただきたいのです。中国の思想史関係の事典を調べてみると、古代から中国でも「魂魄」「霊魂」などを神秘的なものとして捉えていたようなのですが、孔子は本当に「魂」というものを考えていなかったのでしょうか。ご存知の方よろしくお願いします。

  • 日本という国名の由来

    7世紀中国の文献にはじめて現れたと記憶していますが、どうしてこの国名を採用したと考えられるのでしょうか。そもそも「ひのもと」とは相対地名であり「朝の鮮やかなるところ」と同じで当時世界の中心であった中国からみて東方にあったことを示すだけの表現ではないか、とも思えます。 ・どうして「日元」ではなく「日本」としたのでしょうか。 ・「倭」とは中国から見た周辺民族への蔑称としての表現であるとの説から「和」が採用されたとの話は真実なんでしょうか。 ・「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたのでしょうか。 ・「ヤマト」はどうして「大和」の字があてられたのでしょうか。 ・中国は「日本」を名乗ったことに対して激怒したそうですがそれはなぜなんでしょうか。中国の一部ではないことを表明したことになるのでしょうか。 ・歴史的には「ニホン」という発音が正しいと聞いたような気がするのですが本当でしょうか。  ひょっとしたら国内向けにはあの中国と対等になったのだと説明し、中国に対しては日が昇るような遠い東方のちっぽけな国でございます、とでも説明したのでしょうか。だとすれば外交手腕は7世紀当時と大して進歩していないような気もします。もちろんこの呼び名に何ら不満はありません。他意のない興味本位な質問です。

  • ベルクソンについて

    フランスの哲学者、ベルクソンのものとして「現在は過去以外のなにものも含んでいない。そして結果のなかに見出されるものは、既に原因のなかに在ったのである。」という文章が、紹介されています。 ところが、その言葉の出典が明記されていないため、どの文献に掲載されているかが分かりません。『物質と記憶』や『時間と自由意志』などの文献を確認しましたが、どの文献のどの箇所に記載されているか分かりませんでした。どの文献のどの辺りに記載されていたかなど、どなたかご存知の方、教えてください。

  • 『愛媛県』の由来にもなった万葉集なんですが、、、

    地理のレポートで今、『愛媛県の由来』というものを調べています。 理由は、自分自身が住んでるのが愛媛というのと、 今年、歴史で明治政府の「廃藩置県」を習いました。それで、「松山藩」⇒『愛媛県』になったというのを先生から教えてもらいました。 そこで、なぜ『愛媛県』になったかなんですが、現状では、奈良時代の「万葉集」の中の記載である、 ”伊邪那岐の命と伊邪那美の命が国生みをしたとき、「伊予の国を愛比売といひ」” という文が元になっていると言われているそうです。 この万葉集の本文について、もっと知りたいので原文が載っているページを紹介してください。お願いします。

  • 「ほんま」の漢字表記・出典について

    辞書を見ていると「ほんま」(「本当」の意味の関西弁)について、「本真」という漢字表記がなされていました。 私は関西人ですが、「ほんま」を漢字で表記しようと思ったことはなく、漢字で表記されているものを見た記憶もありません。 ですが、このように辞書に書かれるからには、何か出典があるものと思います。 この漢字の出典について、どなたかご存じであれば教えてください。 よろしくお願いいたします。

  • 小指に紙や紐を巻いて忘れ物をしないようにするという習慣について教えてください。

    江戸時代の狂歌師大田南畝の狂歌「ねがわくは君が小指の輪となりて朝な夕なに思ひ出させん」について調べています。 この「小指の輪」について (1)(質問タイトルのような)おまじないとしての習慣である。 (2)現在と同じ意味での指輪のことである。 とする二つの説があります。(2)については、ある程度自力で指輪の文化史を調べることが出来たのですが、(1)の方はどのような文献を見たらよいかわからず調査が進んでいません。 現在でも東京の下町では(1)のような習慣があると教えてもらったのですが、この習慣について具体的に記述のある書籍・サイト等があればそれを知りたいと思い質問させていただきました。 ・・・多くの方に回答をいただけたらとても嬉しいです。。。 よろしくお願いします。

  • 「土用」の語源

    「土用」の「用」何故この文字が当てはめられたのか調べました以下の2つの説のようですが以前読んだ本では説が違う様な気がしますが記憶が定かではありません、又その本探しても見つかりません。 まだ他にも説があるのかご存知の方教えて下さい。 どうでもいいような質問ですがよろしくお願いします、尚「土用」の解説はいりません。 説1 http://gogen-allguide.com/to/doyou.html 説2 「用」には「はたらき」という意味がある、「土気が最も働く期間」という意味で「土用」という。