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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:靖国神社に対して相反する両義的思い抱く方に訊ねます)

靖国神社への思い アンビバレントな感情とは?

このQ&Aのポイント
  • 靖国神社への思いには相反する両義的な感情が存在します。
  • 一方で、靖国神社には感謝の念がありますが、他方で英霊たちの苦悩や過去の歴史に疑問を抱きます。
  • また、私自身も靖国神社への思いが混沌としており、沖縄終戦日と8月15日にはラマダン断食をすることで自らの思いを表現しています。

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回答No.4

>何故アンビバレント両義的に為りますでしょうか? 戦争で死んだ多くの英霊を祭っていながら、幕府の味方をして、明治のご維新に抵抗した、会津藩士や新撰組の英霊は祀らないという方針があるそうです。 会津藩士の末裔としては、アンビバレントな感情を禁じ得ません。

marc2bolanti
質問者

お礼

御回答感謝します。 私も家族も最近まで、会津が差別受けてきた事、存じませんでした。 父方は徳川の家臣だったので、大恩有るにも拘わらず、。教科書でも避けられてきたかも知れません。 大正になって、禁門の変の会津藩士だけは合祀されたそうです。京都守護職ですから。少なくとも 孝明帝の朝敵では無いですね。 戊辰戦争に参加した長州閥の明治政府の方々が、 会津だけは許すな! の方針、恨み骨髄で、。廃藩置県でタライ回し流浪の境遇だったそうですね。 言われてみれば、最近までのズーズー弁や東北蔑視、思い当たります。 靖国神社が真に国の体の神社に成るには、会津の事は避けて通れないと思いました。 大正時代にも既に見直された事有るので、今からでも遅くはないと思います。 有り難う御座いました、どうぞ御自愛下さい。

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  • michael-m
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回答No.5

私は靖国を特別視しては居ません。一般神社を同様に見ていますが、さほど参拝しなければならないとも思っていません。その理由は単純な事でした。靖国は日本のために戦った人々を神として祭る祖霊社です。それは別に特別な物ではありません。 最初の理由は国民が居ないという事です。第二次大戦時、国民は銃後の兵といわれ、ともに戦いました。第二次大戦は兵士だけの戦いではない、国は国民総力を挙げて戦うように呼びかけ国民はそうしてきた。にも関わらず、国民は居ません。それだけの事です。私達が二度と戦争を起こさぬと誓うのは兵士に対してでしょうか?それは国民に対してではないでしょうか? それに生きて帰ってきたら神と祀られる資格がないんでしょうか?同じく国のために戦い、死ねば神となって祀られ、生き残ったらただの人ですか? 靖国はきわめて政治的な神社であり、その姿勢は今でも変わっていません。 靖国は新政府が自らの正当性を誇示するために明治天皇の名を使って建てさせた物です。尊皇攘夷などと偽りを以て京都を支配し、京都を焼き払おうとして排されました。挙句に御所に砲弾を撃ち込み賊軍となりました。 すると孝明天皇を害し、偽勅と偽の御旗で京都を攻め落としたのです。さらに強引に勅を書かせて幕軍を滅ぼしました。そして幕府が制限付き快方をしたのに対し、新政府は全面開国に至ったのです。そして行幸を仰ぎ、京都を安心させ、天皇を江戸城に拉致監禁。東京を首都と定めましたが、正式な遷都の勅はなかったんですよ。コレのどこが義軍なんでしょうか? 新政府は明治天皇の名を使って靖国を建立。あたかも天皇のために戦った兵士を祀る施設であるかのようにしました。 しかし明治天皇がこよなく信頼していた西郷は居ません。彼は新政府の専横ぶりに腹を立てて離脱したためです。そこで陰謀を重ねて決起させ殺したわけです。 本当の尊王は、偽の御旗で禁中に攻め込んだ者でしょうか?それとも偽と知りつつも菊のご紋に刀を納めた者でしょうか? やがて靖国は軍部支配の神社に成り下がり、国家神道の中枢となりました。 第二次大戦で軍部主導の国家神道が廃止され、すぐに発足した神社本庁も関わりを恐れて靖国を排除しました。 ところが昭和25年から神社本庁は国家神道復古運動が起き始め、靖国を友好関係の神社としています。 一方で自民党(その前身を含む)と協力して米国との協力体制を強化してきました。 天皇の靖国参拝に関してのメモはデタラメであると断じられています。その経緯は実に神道的問題であり、メモは関係ありませんし、元々天皇が各地の神社を参拝するなどという風習はありません。というか明治以前は基本的に宮中から出ないんですから。 天皇は天孫の末裔です。一方で神道では人は皆神となります。英霊だけじゃないんですよ。頼めば「大人(うし)」などの号を頂いて神になります。しかし神道は上下関係が厳しいのです。最高位の天皇が民に対して頭を下げるなどということはありえません。だから参拝をしないんです。しかしそれに代わる作法によって頭を下げるのと同等の謝意なり敬意なりを表現するわけです。それが勅使であり勅旨です。 現在でも靖国と神宮には勅使が詣でています。勅使は天皇と同様の扱いを受けるので、勅使が詣でるのは天皇が詣でるのと同じことを意味します。つまり「天皇も参拝しない」というのは反靖国派の策謀でしかないんです。そもそもが天皇自ら参拝するなどという作法は存在せず、単発的に一部の天皇が詣でたに過ぎません。或いは人間天皇とか国土復興の一助として詣でたに過ぎません。詣でなくなったのは本来の姿に戻っただけなんです。 靖国に祀られている人々には何の罪もなく、国のために命を懸けて戦った英霊です。しかし、その母体はあくまでも政治的なものです。だから私は護国神社には詣でても靖国には特に行こうとは思いません。近くに行ったら参拝するだけです。それなら各地の慰霊碑に詣でたほうが価値があります。第二次大戦に限れば合同慰霊祭をしているんですから充分ではありませんか? だから私は信念によって特別な意味を持って靖国に参拝することはありえません。

marc2bolanti
質問者

お礼

ご回答、感謝致します。 お考え御立場も尊重致します。私も同意する所も御座いますが、少し事実と異なると思われる点、言わせて下さいね。 先づ「生きて帰ってきたら神、、」として祀られた方いますね、戦犯と言われる方々です。こちらの方が問題だと思いますよ。戦犯だから悪いとは考えませんが、戦死者では無いからです。 確かに靖国神社は今も政治的ですね、只、保守系の「日本会議」には靖国宮司だけでなく神社本庁、熱田神宮明治神宮司も参加してます。個人参加ですけどね。 いわゆる官軍が義だとは私も思いません。でもそれこそ勝てば官軍負ければ賊軍、ですから仕方ない。で、大日本帝国も負けたんですけど、総括できてません。 天皇、平安室町期歴代の帝は熊野詣で、那智、本宮、新宮速玉大社、御一代でも何十回も参拝為さってますね。京でも為さってたのでは? 少なくとも伊勢神宮の祭祀では在られた。 又、戦前の靖国の合祀祭には天皇が祭主として出席した、とWikipediaには書いてあります。この事の意義が絶大だったのでしょう。ですから天皇陛下が御参拝為されない神社は意義は低くなると思われます。合祀を嫌がられたのは大御心だと思いますよ、だってあの時以来、今上陛下まで続いてますから。 しかし私も護国神社で構わないです。各地の熊野神社、東郷神社に分祀してくれれば心置きなく参れるのですが、。年に一度の合同慰霊祭ではなく、日頃一般人が参れる処。 私的な墓所と家系が途絶える家には、そんな場所があると有難いです、なるべくなら古来の神社の方が有り難み御座います。明治政府は神社まで統廃合して、南方熊楠翁に酷く怒られたのでした。 ありがとう御座いました。

marc2bolanti
質問者

補足

御回答戴きました皆様、有難うございます。 只今当方PC不具合にて、御礼遅くなります事どうか御容赦下さい。冷房入れても廃熱上手くいかずフリーズします。 様々なお立場の御意見賜る事は予想してました、私は歓迎しますし排除しません。ですが、運営ガイドでは指摘回答、批判、意見を一応禁じており、部分削除される場合もある事、予め御了承下さい。まあ殆ど大丈夫です、私は通報など致しませんが、先日も運営様が一つ削除してます、念の為。 未知の情報も戴きました事、感謝致しますが、両極の御意見は他でも多々交わされてますので、此処ではなるべく複雑なご心境の方の御意見伺いたく質問しました。私の亡き祖母や母もそうです。それも多勢居られると思います。 その思いも伝えてゆくべきと考えた次第なのです。 そんな方、引き続き宜しく御願い致します。

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  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.3

うちの祖父の弟さんがガダルカナルで二階級特進して靖国神社に祀られています。 しかしながら、本家の真言宗のお墓にも遺品が埋葬されています。 この問題は神葬祭(神道)を理解しないと解決しません。 神道では、狭義において、死ぬと神様になります。 仏教では、協議において、死ぬと仏になります。 キリスト教では、狭義において、死ぬと審判の後、天国で永遠の命が与えられます。 うちのようにハイブリットな祀り方もあります。 ■【祭る/祀る】とは (1)飲食物などを供えたりして儀式を行い、神を招き、慰めたり祈願したりする。 (2)神としてあがめ、一定の場所に安置する。 (3)あがめて上位にすえる。まつりあげる。 ■神道における神とは? 神道は多神教だが、祖霊崇拝性が強い。1881年の神道事務局祭神論争における明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利の後、天照大神が最高の神格を得たが[21]、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多い。 気象、地理地形等の自然現象に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める。いわゆる「八百万の神々」である。アイヌの信仰にも共通点があり、アイヌ語の「カムイ」と「神(かみ)」という語の関係も深いと考えられている。また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる(人神)。 自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい自然の中で、人間として文化的な生活を営むのにふさわしい環境と状態を、自然との調和に配慮しながらバランスを取り調節して行き、人民生活を見回って、生活する為の知恵や知識のヒントを与えたり、少し手伝ってあげたり、体や物を借りた時や何かやって貰った時などには少しお礼をしたり。それが、日本の「神(かみ)」がやっていた仕事の一つである。日本人にとって「神」は、とても身近な存在であった。日本の神は地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える穏やかな「守護神」であるが、天変地異を引き起こし、病や死を招き寄せる「祟る」性格も持っている(荒魂・和魂)。 人間も死後神になるという考え方があり、社会的に突出した人物や、地域社会に貢献した人物、国民や国のために働いた人物、国家に反逆し戦乱を起こした人物、不遇な晩年を過ごし死後怨霊として祟りをなした人物なども、「神」として神社に祭られ、多くの人々の崇敬を集めることがある]。 このことを総合的に理解出来ない方が「相反する両義的思い抱く方」になります。

marc2bolanti
質問者

お礼

御回答有難う御座います。 仰る事、引用?為された事は正しいと思います。私は既に承知の事項ですが、失念してた事もあり又、知らない方の御参考にも為りますので感謝致します。 しかし結論には異論有り。その理由は御回答の中に既に記されてます。 国家に反逆し戦乱を起こした人物」平将門や追放された菅原道真など、これは祟りを畏れて、朝敵でも祀る伝統ですね。 仰るようにこれも、江戸以前の古来よりの神社の姿でした。 急いだ近代化で変わってしまった。 禁門の変での長州は朝敵だったが合祀されてたので、その後朝廷側の会津藩士は祀られた。 でも戊辰、西南戦争以降は会津も西郷隆盛も祀られない。古来の在り方とは違います。彼らは当時の反政府ではあったけど、反朝廷では無かった。 山県有朋などの軍閥の意向、まあ官軍神社ですね。大御心ではない。 本来ならば合祀すべきです。外国人の敵は無理ですが。 当時靖国は内務陸軍省の運営、戦後は単立宗教法人、神社本庁には属さない。やはり特殊な存在です。 又、明治以降でも本来は戦没者を祀る処。 でも戦後そうでない方達も合祀しました。戦犯だから悪いとは申しません! 真珠湾攻撃の司令長官だって、御存命だったらA級で裁かれたかも知れない。 戦没為さったから合祀されてても誰も文句言う輩は居ません。 それが本来と思われるので、違和感有り両義的となるので御座います。 一番重要なのは、名もない一人ひとりの戦死者の心を思い遣る事! 生前の思いと生きていたら思ったであろう事。様々でしょう。それを一つに決めつけるのは、残された者の思い上がりで、死者への冒涜なのです。 あまりに戦後の両陣営の議論はかれらの思いを等閑なおざりにしてます。私は、硫黄島の日米など、戦士の友情を信じます。外野は戦後いつ迄争ってるのでしょう? 神社は和平宥和平定の為に有るのでしょう。

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  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1701/4759)
回答No.2

宗教にからめた思想だからダメなんだと思います 供養塔・祈念碑ぐらいの感覚がちょうどいい 御(身)柱にして、信仰の対象のような存在に祀ることがそもそもの間違いだと思います

marc2bolanti
質問者

お礼

ご回答に感謝致します。 現憲法下では仰る通りだとは思います。でもあそこは戦前から、既に存在してるところですから、、そうとも言い切れんのです。 それに、古来より戦闘に殉じた者どもを祀る習慣が御座います。 どちらかと言うと、顕彰する事よりも、祟りを畏れてでした。 将門や菅原道真などです。それは日本の伝統です。 それを近代国家軍兵士にも当て嵌める事については、確かに考え直す余地有りと思われます。ありがとう御座いました。

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  • uen_sap
  • ベストアンサー率16% (67/407)
回答No.1

あなたは両義的とは言えません。 おじさん達の墓はないのですか? 靖国ではない、その墓にお参りはしませんか? わざわざ、靖国にお参りするだけで、あなたの意思は明確です。 そもそも靖国神社は天皇を護るために死んだ兵たちのための神社です。 即、明治の官軍しか祀られていません。西郷隆盛は維新の三傑の一人ですが、西南戦争で官軍の敵となったため、祀られていません。 つい先ごろ、森が話の中でナチスを引き合いに出して、欧米から袋叩きにあいました。 日本の外交センスのなさを象徴する事柄で、安倍外交の足を今後引っ張るでしょう。 戦争をするからには、勝たなければなりません。 東京裁判が一方的だ、とはよく言われますが、負けてしまってはどうしようもありません。 当時の米国の新聞には判決の出たあと、この裁判には最初から欠席した者が一人居る・・・との評価が一般的でした。 東条大将等はこの裁かれざる一人の罪を背負って死んで行ったとすると、靖国に祀られることには一理があります。 ドイツではナチスに関する戦犯容疑には時効がありません。 そういう国と今後付き合いを続けていかなかればならぬ、とすると、東条大将以下の刑死者については、靖国合祀すべきか否か、は自明と思います。

marc2bolanti
質問者

お礼

早速の御回答ありがとう御座います。 私質問文で「墓を引き継ぐ者も居ない」旨書きました。無論お墓はお寺に有って毎年御参りしてます。遺骨ではなく只の木片ですが、。 母方の叔父なので私と姓が違います、母の兄弟は全員戦死で姉妹は他家に嫁ぎ、家系は途絶えました。私どもに子は無く今後は誰も参れません。そんな家系は沢山有ると推測してます。 すると靖国神社しか無くなるのです。確かに靖国は官軍神社でしょう。 我が父方は徳川家臣です、その意味でも両義的なのですよ。可能なら心置きなく参拝できる施設があれば、と思いますが御座いませんので、。 日本は敗戦事実をもっと受け入れるべき、とは思います。しかし連合国はマッカーサーと天皇の会談の結果も受け入れました。 昭和帝は自ら責任を自覚され、命は投げ出す御覚悟だったとアメリカ側も伝えてるでしょう? ナチスとは違います。南方では植民地開放闘争も闘ったのは事実です。 インドネシア旅行した時、何人もの御老人に日本語で感謝されました。 オランダや、その後入ってきた豪州に対して、一緒に闘って独立手助けしてくれたのは日本兵だ、と。それが終戦後だと又違う問題有りかも知らんけど、。 一方、バリ島北部では日本兵を酷く恨んでる人もいました。 功罪あるのです。どちらか一方ではありません。 それも相まって、両義的と申してるので御座います。

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    http://sankei.jp.msn.com/life/news/131228/trd13122809350004-n2.htm と「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という思いを伝える報道機関は、どこなのでしょうか? 【参考】 安倍首相談話 2013.12.26(12:19) 本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。 御英霊に対して手を合わせながら、現在、日本が平和であることのありがたさを噛みしめました。 今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子供たちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。 今日は、そのことを改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝いたしました。 日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました。 同時に、二度と戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくらなければならない。アジアの友人、世界の友人と共に、世界全体の平和の実現を考える国でありたいと、誓ってまいりました。 日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道を邁進してきました。今後もこの姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。世界の平和と安定、そして繁栄のために、国際協調の下、今後その責任を果たしてまいります。 靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。 靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足した今日この日に参拝したのは、御英霊に、政権一年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。 中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。 国民の皆さんの御理解を賜りますよう、お願い申し上げます。

  • とんだトバッチリ?日本人・靖国に眠る御霊が困惑?

    お忍び来日中のジャスティン氏の靖国参拝を中韓から非難殺到で謝罪、写真も削除の記事を見て、 私人のプライベートの行動とブログ、そこまで干渉するのか、日本の閣僚の参拝だけでなく、それでは分祀どころか靖国神社の存在、日本人の宗教観や死生観そのものの否定ではないのだろうか? 静謐な靖国の杜におわす御霊が困惑・いたたまれないお気持ちではないだろうか・・・ 亡き人を偲び尊崇する死生観や慰霊の場所や心を無理に軍国主義やナショナリズムのシンボル・生贄としないでほしい。 貴方は、このような異国の市民の私的参拝にまでクレームをつけ批判非難する視野視点についてどう思われますか? ※質問の背景と成った記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140423-00000079-dal-ent ※ご参考:私の靖国神社考 靖国神社は 先入観なしに、色んな意味での全国各地にある護国神社の一社であり、国の為に命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。 そこに、遺骨は無くとも、多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願する所だと思います。 そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊と子孫としての近況報告、平和祈願の為に参拝する社でもあります。 政治利用する者も、批判の為の批判をする報道機関、我が国の宗教観や人生観に外交カードにしたり内政干渉する中韓の姿勢にも、魂への強制束縛干渉に疑問を持ちます。 「靖国神社」を政争の具や外国への迎合追従のプレゼントに利用は許せない! まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の軍事化の象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に配慮し秘匿するような巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊に対し、同胞・後事を託され見守っていただいている人間として誠に申し訳なく恥ずかしい。 死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、そのような不法不当な強制や束縛や干渉を誤解を解けない事に同胞として残念な実情だと思います。 参拝する自由も、参拝しない自由もあり、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観にも繋がる事かもしれないが、他国や特定の政治団体等から参拝の自由&不参拝を強制束縛干渉される事では決してないと思います。 誰でも、心ある人が、由縁の方が、参拝できる時に参拝していただけば良いのであり、殊更に誇示・喧伝する事柄ではないと思う。 <総理等の参拝はSPの問題が有り、ある程度の広報と準備が必要と思うが、なるべくは立ち寄る程度に済ますのが混乱を避け、本位にも叶うのでは・・・報道は参拝・慰霊の事実を結果報告で十分> 靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。 戊辰戦争:3,588柱以降 その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。 安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。 シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の安寧の為に身を捧げられた方々である。 このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。 そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に居られ、それぞれに遺族・戦友・関係者が居られ靖国の杜での再会をお待ちに成っているのだと思います。 明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。 そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、遺骨を納め祀っているのではない。 その神・仏戸成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別等にかかわりなく等しく祀られているのです。 個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。 その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。 そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?は信じられない。 誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか? 国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・無責任な発言だと思う。 批判非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、個々人の自由意思による参拝だと言えば良い。 それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊まで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。 あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。 ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、その思いが有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚等のSPの問題は別だが>手を合わせれば良いし、実際に行くことが叶わない場合にも、心で慰霊と平和への誓いをすれば良いのだと思う。 私は、「後を頼む」と無念・非業の死を迎え旅立たれた御霊に対して、今日の平和に対し、生命を捧げ礎となられた方々へ、同胞として後事を託され見守っていただいてる者として、慰霊の心、感謝と責任を申し上げ誓う為に、これからも機会を作り靖国神社へ参りたいと思います。