• ベストアンサー

フロイトに詳しい人に質問です

フロイトは精神分析の創始者ですが、当時ビクトリア朝時代で厳しい性道徳があり そのため非難?されたと聞きました フロイトの思想がなぜ当時の人々に大きな衝撃を与え、20世紀の思想に大きな影響を与えたのですか? ご回答お待ちしております

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#191287
noname#191287
回答No.2

私見ですみません。 フロイトの考えが大きな影響を与えた理由の1つ目には「無意識の発見」にあると思います。フロイト以前は無意識なんてものを考えた人がいなかった(らしい)ので、自分の心や行動はすべて自分の思い通りになって当たり前、と思っていたらしいです。それが「自分でも気づかないものに自分の心や行動の大部分が支配されている」という話を聞いたら相当びっくりしたことだろうと思います。逆に「無意識に埋もれているイメージを引っ張りだして芸術にしよう」と考えた(らしい)シュールレアリズムのような芸術運動も生まれたらしいです。 2つ目には「自分でも気づかずに自分の大部分を支配している『無意識』の大部分を占めるのが、実は性の話だった」ということもあったと思います。当時の人々にとってエロすぎるというか、センセーショナルなことだったでしょう。このあたりも大きな衝撃や影響をあたえる理由になったかと思います。 >フロイトの思想がなぜ当時の人々に大きな衝撃を与え、20世紀の思想に大きな影響を与えたのですか? ・無意識を発見したから ・無意識の原理が抑圧された性衝動にあるとしたから というのが、私の考えです。

siocoshooooo
質問者

お礼

なるほど!納得しました! 回答ありがとうございました!!

その他の回答 (1)

回答No.1

フロイトが提唱した概念にエディプスコンプレックスが あります。 これは男子は父親を殺して母親を自分のものとしたいという 潜在的な欲望を持っているというものです。 これは近親相姦についての欲望を説明したもので 当時は危険思想とされました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

siocoshooooo
質問者

お礼

なるほど!詳しく知ることができました! 回答ありがとうございました!!

関連するQ&A

  • フロイトの精神分析とインド哲学の関係について

    フロイトの精神分析は、インド哲学(唯識思想など)を参考にして考えられたと聞いたことがあります。これは本当なのでしょうか?? 確かに、精神分析と唯識思想を比べると似ているところがあります。例えば、深層心理≒阿頼耶識などです。成立年代的にも、唯識思想は4世紀頃、フロイトは19世紀頃とつじつまが合います。 皆さんの意見を聞かせて下さい。よろしくお願いします。

  • フロイトの精神分析

    フロイトの精神分析に関してのレポート課題が出たのですが、 具体的なテーマが決まりません。 フロイトと反フロイトで理論研究っぽく書こうと思ったので、 反フロイト思想のサイト、参考文献などありましたら教えてもらえないでしょうか?

  • ヴィクトリア時代の特徴

    19世紀末のヴィクトリア時代の特徴を簡単に教えてもらえませんか? 特にその当時の一般市民の暮らし、思想、結婚、女性の生き方について。 いろいろ文献を探してみたのですが、貴族の生活を書いているものが多く、なかなか一般市民や農民の暮らしぶりが見えてきません。 よろしくお願いします。

  • 精神分析治療法の有効性について

    精神分析学というのは元々は神経症(ノイローゼ)の治療法です。お医者さんでなくても精神分析に関する本を読んだ人は多いと思います。また創始者フロイトの名前を知っている人もやはり多いと思います。当方も読んだことあります。そこで質問ですが、精神分析療法はフロイトの時代からいろいろ批判はあるにしろそもそも神経症の治療法としてはあまりにもごく少数の患者しか相手にできない、なんといったらいいか「変則的な」治療法だと思います。精神分析学の一般向けの読み物を読んでさえそれがわかります。内容は確かに興味深いのですが、自由連想法とか夢判断とか、こんなやたらと時間のかかる治療続けていったいどれだけの患者を治療できるでしょう。アメリカで精神分析学の衰退が著しい、神経症の治療薬が多数開発されたからだ、という新聞だか雑誌の記事を読んだことがあります。確かにそうでしょう。元々精神分析による治療なんて数多くの神経症の患者の治療には役立たないですよ。元々治療法としては完成されていなかった医療技術だと思うんですがどうでしょうか。というのは元々は神経症(ノイローゼ)の治療法です。お医者さんでなくても精神分析に関する本を読んだ人は多いと思います。また創始者フロイトの名前を知っている人もやはり多いと思います。当方も読んだことあります。そこで質問ですが、精神分析療法はフロイトの時代からいろいろ批判はあるにしろそもそも神経症の治療法としてはあまりにもごく少数の患者しか相手にできない、なんといったらいいか「変則的な」治療法だと思います。精神分析学の一般向けの読み物を読んでさえそれがわかります。内容は確かに興味深いのですが、自由連想法とか夢判断とか、こんなやたらと時間のかかる治療続けていったいどれだけの患者を治療できるでしょう。アメリカで精神分析学の衰退が著しい、神経症の治療薬が多数開発されたからだ、という新聞だか雑誌の記事を読んだことがあります。確かにそうでしょう。元々精神分析による治療なんて数多くの神経症の患者の治療には役立たないですよ。元々治療法としては完成されていなかった医療技術だと思うんですがどうでしょうか。

  • ビクトリア時代の性道徳

    今までの読書経験から、 ビクトリア時代の性道徳が特別厳格だったような印象を持っているのですが、 事実だとしたら何故なのでしょうか?

  • フロイトのタナトス

     ( a ) 生まれつきの自然本性には 《死の欲動》などはない  と見るものですが 現在の時点でどういうふうに捉えられているのか できましたら 解説をお願いしたいと思うのですが。  ▲(ヰキぺ:デストルドー) ~~~    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC  § フロイトの説  精神分析の臨床では死の欲動を確認する術は少ないとフロイト自身言っている。  事実この概念を想定するのはマゾヒズムやサディズムの発生機序や、陰性治癒反応、それに外傷神経症という夢の願望充足の例外を捉えるためである。  しかしこの概念は超自我の破壊性を説明するものとして考えられており(エディプスコンプレックスを通して父親からの去勢不安や父親自身への子供の怒りが超自我という分裂した自我に引き継がれて、死の欲動は子供の中心的な自我から分裂して存在するという理論)、それ故にフロイトにおいては重要なものとして後年まで考えられた。  ~~~~~~  ☆ というふうに   ( b ) フロイトの説じたいも あやふやなのでしょうか?  ▲(同上) ~~~~  § 後継者の発展  Federnは最重度のメランコリーに「死の欲動」が観察されるとし、同様の指摘はしばしばなされる。  フロイトの弟子にも受け入れた者はいたが、しかし大勢ではフロイトの「死の欲動」概念は批判が多く、フロイト死後になってから、死の欲動の考えを取り入れた学者達により新たな展開がなされてゆく。  継承発展させた人物はメラニー・クライン、ジャック・ラカンが代表的である。  現代では「死の欲動」という概念は精神分析の臨床では用いられにくく、むしろ「攻撃性(アグレッション)」それ自体が本質的なものとして考えられている。  それは臨床において現れるのは「死の欲動」という概念ではなく、むしろ医師への攻撃的な反応や怒りだからである。  また自傷行為や自罰行為も見られ、このことから「攻撃的なもの」としての死の欲動の概念が深く考えられるようになった。  ~~~~~~~~~  ☆ 質問者の理解では   ( c ) たとえば広義のエロスなる生の欲動は おそらく生物としての生まれつきのチカラとそのハタラキだと考えますが タナトスなる《死の欲動》は もしそれがあったとしても飽くまで後天的なクセとして形成されたものである。すなわち 派生的・第二次的な性癖であると捉えましたが その点 どうなのでしょう?  ( d ) ただし 次のような・元に戻るような見方も提出されていました。すなわちやはり 生来の欲動ではないかという。その点 どうなのでしょう?  ▲ (同上) ~~~~  § 現代への影響  フロイトに先立ちフリードリヒ・ニーチェが「神の死」を言明し、当時楽観主義は知識人の間では既に力を失っていた。  フロイトの思考の変遷も悲観的な世界情勢と無縁ではなかったであろう。  彼は第二次世界大戦の戦禍を見ずに亡くなったが、はからずもその後ヒロシマ・ナガサキへの核爆弾の投下、ホロコーストなどが起こって破壊衝動を「予言」したような形になり、水爆開発などで現在では計算上は人類を複数回滅ぼせるほどの大量破壊兵器を所持していることが明らかになっている。  後世多くの精神分析家が「死の欲動」論を援用してこのような人間の暗黒面の解明に切り込んだ。  ~~~~~~~~  ( e ) この《死の欲動》を 人間なる存在そのものの中に組み込む見方は まわり回って例のユングの《四位一体》説と軌を一にしていると思われるのですが その点 どうなのでしょう?  すなわち 神の三位一体に それと同等の位格を持つ悪なる神を加える見方です。この第四の位格のアクマが けっきょくタナトスなる死の欲動と類型的に同じ内容となっている。のではないか?  よろしくどうぞ。  ( f ) ヨーロッパの知性は 気がくるっている。のではないでしょうか? 四位一体説に立つなら 善は悪 悪は善というふうに 何でもかんでも うまく言いくるめることが出来ます。不法行為も犯罪もすべて 悪であるが同時に善であるとなります。善〔なる神〕と悪〔なる神〕とが互いに同等であるならです。  しかも わるいことに 神などは存在しないとする向きがあっても その説は――存在するという説についてと同じように――ついぞ証明しえないことなのですから。  組織宗教としてのキリスト教は 観念の神をいだきこれを何だかんだといじくるのは くるっていませんか?

  • 健全な不平等思想

    半世紀前までか、10年前までか、100年前までかわかりませんが、いわゆる封建社会的な名残としての「不平等思想」が一般的に人々の意識にわたっていた時代は、かなり精神的に健康で、社会的ひずみも少なかったことはないでしょうか。 いまは、似非平等思想がはびこったために、社会のひずみや意識のすさみ方が激しいといえないでしょうか。

  • 南北朝時代の中国仏教史についての質問です。

    唯識思想という考え方が外から伝来したのはわかるのですが、それが南北朝時代の中国仏教にどのような影響を与えたのかがよくわからないので教えて欲しいです。また、それによって当時の仏教がどんな展開をしていったのかも解説していただけるとありがたいです。

  • 「ヤマアラシのジレンマ」と恋愛・結婚

    精神分析学の創始者、ジグムント・フロイトが言っていた、人間関係に関する興味深いエピソードがあります。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが…。 昔、ヤマアラシの夫婦がいました。ある冬の晩のこと、猛烈な吹雪が吹き荒れ、凍えそうになるくらい寒くて仕方のないヤマアラシの夫婦は互いの身を寄せて温まろうとしました。ところがヤマアラシは互いの背中にあるトゲのため、身を寄せようとすればするほど相手のトゲが痛くてたまりません。かといって、痛いからといって体を離そうとすると、今度は寒くて凍えそうになってしまう、というもの。 ここでフロイトが言うトゲというのは、人間の心にある、誰しもが持っている攻撃性とか敵意とか憎悪とか、そういったマイナスの感情のことです。そしてフロイトがこのエピソードで言いたいことは、人間は近付けば近付くほど、つまり相手との距離が縮めば縮むほど、自分のトゲで相手を傷付けるし、また、相手のトゲで自分も傷付く、と言うのです。 一見仲の良さそうなカップルや夫婦も実は、何てこともあるんじゃないかと思うんですが…。 こういうことって実際ご経験されたことはありますか?あるいは、それを乗り切ったご経験ってありますか?またそれはどうやってですか?

  • 世紀末美術

    ヨーロッパの19世紀末美術に興味があるのですが、 なぜこの頃は退廃的だといわれているのでしょうか? ただ単に終末思想からきているのでしょうか? 当時は産業革命があったり、科学・医学も発展し、 退廃的な美術が流行るとは考えにくいのですが・・・・。 また、性的・エロティックな絵画が 当時批判されたのは何故でしょうか?(クリムトなど) 女性の性をテーマにすることがタブーであったならば その理由も聞きたいです。 よろしくお願いします。