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縄文人は海を渡っていた?

聞くところによるとエクアドルから日本の縄文土器が出土しているらしいですが これは縄文人が海を渡って南米に到達したという事でしょうか? 日本人とエクアドルのインディオは遺伝子が似ているとも言うし… 鬼界カルデラの大噴火で西日本一帯が壊滅した時期 古代縄文人は新天地を目指した(目指さざるおえなかった…)と思うとロマンを感じますね☆

  • 歴史
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回答No.3

縄文土器を「日本人?」が作ったかどうかは分かっていませんが、縄文時代の人がアリューシャン経由や太平洋を船で渡ったとか、日本から南下してフィリピン等を経由して南米に渡ったとの文献も有ります。 また、縄文時代の人は南米の最先端まで行ったとの史実もあり人類は最後まで新天地を目指したのでしょうね。 まさにロマン。

azuki-7
質問者

お礼

やはり日本人の祖先は偉大ですね 大陸でオロオロしていたチョン民族とは大違いですね

その他の回答 (11)

回答No.12

#11の者です。 >スンダ大陸ってのはムー大陸とは違うものでしょうか? そもそもムー大陸は、太平洋全域に類似の巨石文化が 分布している事を説明するために(それらの島をつないで) 太平洋の真ん中にあったはず、という根拠の薄弱な説であり (プレートテクトニクス的に無理)、その根拠である「太平洋 全域にある類似の巨石文化」のルーツがスンダ大陸の海没 による「太平洋全域」への拡散である場合、ムー大陸説と 関係はあっても、(位置の異なる)ムー大陸そのものとは 言い難いです。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます

回答No.11

縄文人はイレズミをしていたらしい事が壁画や土偶から 推測されており、その習慣は広く太平洋に分布している ポリネシア人と同じです。 既に遺伝子解析からも、そうした事実は指摘されています。 「縄文人が海を渡った」というよりも、ネイティブアメリカンは 最終氷期の約1万年前にアメリカ大陸に渡った事が明らかと なっており(アイヌの系統:アイヌにもイレズミの習慣があった)、 縄文人と共通の文化的要因を持っていても不思議はありません。 ちなみに、ポリネシア人と呼んでいる、太平洋全域に分布して いる航海能力の高い人々が拡散したのは、1万年前の最終 氷期が終わって温暖化で海面上昇した時期(日本では縄文 海進と呼ばれる6千年前まで)である事が遺伝子解析で明ら かとなっており、氷河期の海面低下により赤道付近に現れる インドネシア、マレーシア、フィリピンに及ぶ巨大な幻の大陸、 「スンダ大陸」が海没して、そこに住む人々が拡散したためと 推測されています。 つまり、縄文土器のルーツは、幻のスンダ大陸にあるのかも 知れません。

azuki-7
質問者

お礼

スンダ大陸ってのはムー大陸とは違うものでしょうか?

  • paddrink
  • ベストアンサー率50% (236/465)
回答No.10

縄文人が黒曜石を求めて,神津島へ丸木船で渡り、神津島の黒曜石が日本各地で発見されている話は有名です。 http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_09.html 八丈島でも縄文土器が発見されていますね。 しかし,南米までの渡航となると,概要航海に耐えられる大きな喫水線の深い船が必要ですが,(飲料水や食料の積載) 縄文時代の遺跡からは大きな船の部品さえ発見されてないのが実情です。 エクアドルで発見された土器は日本の九州地方の特徴を持っていると言われていますが、 人類最初の遠洋航海を実現したラピタ人は,その発祥は台湾と推測されています。 5000年前に人口の増加,黒曜石の交易、アウトリガーカヌーなどの新しい技術の開発により,ニューカレドニア辺りのポリネシアまで航海していきました。 ラピタ人の子孫と考えられるポリネシア人も,アウトリガーカヌーで方位磁石も持たずに,数千キロの遠洋航海を行います。 アウトリガーカヌーとは 丸木舟を二個繋ぎ合わせて荒波の中でも転覆し難くした構造の船です。ヨットのように風を受けて進むことも可能になります。 縄文人もポリネシア人も人種的には近いと言われています。 ラピタ人と縄文人の交易が、九州の縄文土器をエクアドルまで運んだのかもしれませんね。 縄文人の渡米に関しては以下のHPが参考になるでしょう。 http://www.jsdi.or.jp/~kuri/KABUDATA/kodaishi-kan-taiheiyo.htm

参考URL:
http://www.jsdi.or.jp/~kuri/KABUDATA/kodaishi-kan-taiheiyo.htm
azuki-7
質問者

お礼

アウトリガーの船で行ったらしいです 食料は魚を釣っていたでしょう 水は雨水で確保できるそうです ヨットで世界一周した人の話だと 当時のほうが航海はしやすかったのでは?と言ってました 黒曜石のは神津島に住んでいた縄文人が本土に移住してきた と 考えるのが自然な気がします

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.9

日本から南米へはちと無理がある。 逆に「南米から日本へ」、あるいは「日本から北米へ」なら、可能性はある。 南米から日本ならペルー海流→赤道海流→日本海流 日本から北米なら日本海流→北太平洋海流→カリフォルニア海流 てな具合に、上手く潮に乗れば古代船(ちょっと大型の葦船)でも不可能じゃない。 実際にペルー海流→ポリネシアまでは実証した人がいる。

azuki-7
質問者

お礼

多分インドネシア経由で行ったと思います さすがに太平洋横切るのは無理でしょう でも北米で日本の土器が見つかってないところを見ると やはりそっちには行ってないみたいですね

回答No.8

エクアドルは嘘ですが、硫黄島あたりまでなら行ってたはずですよ。

azuki-7
質問者

お礼

それがうそではなかったのです 泣

noname#177763
noname#177763
回答No.7

こんばんは。 5000年前に日本が大陸から離れて、 カムチャッカ半島とアラスカ半島が離れた根拠は どこからきているのですか?

azuki-7
質問者

お礼

陸続きに南米まで行ったならその途中に痕跡(土器とか)あるはず しかし北米で日本の縄文土器は出ていません 5000年前はすでに日本は島になってましたよ♪

  • toshineko
  • ベストアンサー率44% (258/575)
回答No.6

シンクロニシティ=共時性のなせる業か?

参考URL:
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/100saru.html
azuki-7
質問者

お礼

それは猿ですね

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 その「縄文土器」が日本の縄文土器であるとの結論がいかなる分析から明らかになったのか。その論拠次第です。縄目の文様が日本の縄文土器のそれと似ているように見えるからといって、それが直ちに縄文土器であるとの結論に結び付けるのはいささか性急であり、学問的裏付けを欠いているとはいえないでしょうか。  夢を壊すようで申し訳ありませんが。

azuki-7
質問者

お礼

成分を分析した結果 年代は間違いなく縄文時代で エクアドルには存在しない物質が土器の破片から検出されたそうです それは日本にしか無いらしく現代にも存在しない事から  後世に誰かが持ち込んだという可能性も無いみたいで やはり縄文人が作り上げたものらしいです

  • Nebusoku3
  • ベストアンサー率38% (1437/3766)
回答No.4

同時発生ということもあります。 同じようなものが遠く離れた地方でも作られた偶発的な同期発生かもしれません。  ある人がすごい発想で新しいものを考えてが考えたが世界のどこか同じような発想のものが出来上がってきた。両者にはコミュニケーションの手段が全くない。。。。など。 でもその出土したものは日本の縄文土器ですよね。5000年前となると世界の4大文明のエジプト文明 メソポタミア文明 インダス文明 黄河文明 が起きたころかな? そのころ、何らかの手段があって物品のやり取りが行われていたのかもしれないですね。 逆に日本の縄文土器はエクアドルの方が元祖だったのかもしれません。 出土品の多さで比較し、多数決で決めてしまう方法も? 無いですかね。

azuki-7
質問者

お礼

日本の土器は単純な構造から徐々に進化していますが エクアドルの土器は突然ある程度進化した状態のものから作り出されています これはつまり縄文人がエクアドルまで行って作った あるいは当時居たエクアドル人に作り方を教えたと考えるべきです 縄文人というと原始人というイメージですが 実は高い航海技術を持つ海洋民族なんです

  • nevel
  • ベストアンサー率13% (39/288)
回答No.2

縄文時代には、太平洋にムー大陸が有った。 日本⇒海⇒ムー大陸⇒海⇒南米

azuki-7
質問者

お礼

5000年前じゃムー大陸はありませんね

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