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死刑制度反対の意見

よく死刑制度の反対意見に「冤罪」という言葉がでますが、その言葉は反対意見でいうことには適していないような気がします。 死刑ではないにしろ、全ての罰則において冤罪はおきてはならないものです。 死刑はとりかえしがつかないといいますが、他の罰則でさえ、もし誤って受けることになれば人生が狂います。 犯罪をしたことが確定できている場合は、その罪に見合ったものとして死刑制度はあってもいいと思いますが、なぜ反対する人はなぜ反対しているのでしょうか。 「国が人を殺すことは、国の文化が命を大切にしていないことになる」 「加害者は生きて罪を償い続けたほうがよい」 この言葉もよく反対意見にありますが、あまり納得ができません。

みんなの回答

  • shoshiman
  • ベストアンサー率74% (35/47)
回答No.9

ただ討論がしたいのではなく、質問なのであれば、 きちんと法的な観点から真摯に回答します。 >よく死刑制度の反対意見に「冤罪」という言葉がでますが、 >その言葉は反対意見でいうことには適していないような気がします。 単に、冤罪事件がおきてしまった場合に被害を和らげよう という趣旨です。 >死刑ではないにしろ、 >全ての罰則において冤罪はおきてはならないものです。 >死刑はとりかえしがつかないといいますが、他の罰則でさえ、 >もし誤って受けることになれば人生が狂います。 例えば、すべての交通事故はおきてはならないものです。 死亡事故は取り返しがつかないといいますが、 他の事故でも人生は狂います。 では、シートベルトをする意味は無いのでしょうか? シートベルトをしたからといって、事故が減るわけではありません。 それでも人の命を一つでも守れるならば、守りたいわけです。 同様に、死刑を廃止したからといって、冤罪が減るわけではありません。 それでも人の命を一つでも守れるならば、守りたいわけです。 >犯罪をしたことが確定できている場合は、 >その罪に見合ったものとして死刑制度はあってもいいと思いますが、 >なぜ反対する人はなぜ反対しているのでしょうか。 冤罪を理由に死刑に反対する人のほかには、 大きく分けると 1.死刑制度は無くても良いという人(無ければならない理由が無い) 2.死刑はその罪に見合っていないという人 3.死刑制度には無駄な税金(死刑裁判費用)がかかるという人 がいます。 1. 主に犯罪抑止力が無いことを挙げる人が多いですが、 「なぜ廃止すべきなのか?」について明確な理由が無いのと同じで 「なぜ死ぬべきなのか?」について明確な理由も 無いのです。 そして、法的な観点から言うと、 原則として、全ての刑罰には その刑罰が存在しなければならない理由が 必要なのです。 2. 実は死刑は、 全ての刑罰におけるバランスの観点から言うと 整合性が取れません。 「人の命を奪ったのだから死ぬべき!」 というのが主な死刑の考え方ですが、 これを同害報復と言います。 しかし、同害報復とは 被害者の事情を100%考慮し、 加害者の事情が皆無である場合に はじめて認められるものです。 例えば、被害者が死んでしまったとしても 事件がわざと起こされたものでない場合には、 加害者は死刑にはなりません。 「わざとじゃない」ことは被害者には全く関係ない事情ですし ちょっと注意さえすれば命を奪うことは避けれたかもしれません。 現に一生を通じて死亡事故を起こさない人は沢山います。 それでも、どれだけ苦しんで死んだとしても 夢も希望も全ての人権を奪われた被害者のことを無視し、 (本当は罰を受ける時点で無視しているわけではない) 加害者側の事情だけを考慮しており、 死刑を回避するわけです。 そして、実は全ての事件において、例外なく 加害者には不幸な生い立ち等のなんらかの事情が 存在しています。 だからと言って、 何をしてもいいわけではありませんので、 当然、無罪にはなりません。 そして、わざとじゃない場合よりも わざとである場合のほうが罪は 重いです。 しかし、加害者の事情は皆無というわけではなく 同害で報復しなければならないという理由には ならないのです。 3. 「凶悪犯を税金で養うな!」という人がいますが、 アメリカなどでは、死刑廃止によって費用削減を図る という事例が意外に多くあります。 日本では 廃止したほうが費用削減なのか 殺したほうが費用削減なのか 分かりませんが、 アメリカの事例のソースを提示して 死刑に反対する輩がいるのは 事実です。 >「国が人を殺すことは、国の文化が命を大切にしていないことになる」 >「加害者は生きて罪を償い続けたほうがよい」 >この言葉もよく反対意見にありますが、あまり納得ができません。 まあ、私も 法的な理論や考え方を前提にしなければ 命を大切にしていないのは賛成派か反対派か どちらなのかは分かりません。 まして「生きて罪を償い続けたほうがよい」なんて その人の勝手な主観のような気がします。 ただ、あくまでも、法理論的には 消極的な死刑反対論がもっとも整合性が取れていると 私は思います。

kokosu525
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • tk-kubota
  • ベストアンサー率46% (2277/4892)
回答No.8

>・・・自然の消滅が一番でしたら、病気や怪我の治療で延命することも自然とは言えないような気がします。 医療による延命は、人の英知の賜です。 それは自然から与えられたものです。 死刑の執行は、人の英知と言えないです。 だから、この2つは次元が違うのでリンクできないです。 なお、極悪犯は社会悪から生まれます。 自然の賜ではないのです。

kokosu525
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • love_pet2
  • ベストアンサー率21% (176/826)
回答No.7

>責任の取り方であると思います。 日本人はことのほか この「責任」というものにこだわりますよね。でも、これは英語の responsibilityとも違うものですね。むしろ ヤクザの「落とし前」に近いものです。 これを語ると非常に長くなるので 詳細は割愛させていただきます。 >ここらへんの話は興味があります。どのような対応がうまくいくのでしょうか。 一筋縄でいく方法はありません。ただ、いじめの問題にしてもいじめられる側にも原因があることを認識する必要はあります。 >どのような経験をしてきたのでしょうか。 ここでは書ききれません。あしからず。 >執行されたかどうかだけの公表だけで良いです。 これだと、死刑囚を社会からデリートするだけで たとえ死刑に値する命でも その命にはそれなりの重みがあるということが認識されにくく、従って人命の軽視にも繋がると思います。

kokosu525
質問者

お礼

死刑賛成においても、なぜ賛成なのかを考えさせられる回答です。 食肉も生きているところを殺して食肉にしている姿をみることで、ただスーパーに並んでいる姿だけをみるより命を実感できますし、実際にみる事で認識する効果があるのかと思いました。命の尊さを知る事は、身近な家族や親戚・友人などの死を持って実感しますが、国が命を奪うという点では、それらと異なり、国民の一人として今この時間に死刑が執行されているという認識が必要なのかと思いました。 回答、ありがとうございました。

  • love_pet2
  • ベストアンサー率21% (176/826)
回答No.6

>また、福祉の仕事につき考えが変わるとはどのような心境でしょうか。 福祉と言っても、主に いじめ、虐待、DVなどの問題に関わってきました。 暴力に対し暴力でお仕置きしても根本的な解決にならないことを実感しましたね。 死刑もその延長ではないでしょうか。 >死刑は厳しくしないと意味がないというのもなぜ意味がないのかわかりません。 日本で死刑になるような凶悪な殺人者は死刑の有無に関わらず殺人を犯しますよ。 死刑というのは本来冷酷なものです。そして、過失致死などを除き、明らかな殺意があれば 同情の余地のあるような殺人まで容赦なく公開処刑することによって 国民の対し威嚇効果を発揮することができるのであって、今の日本の死刑制度は国民のガス抜き程度なので 政治に利用されるんですよ。

参考URL:
http://okwave.jp/qa/q8006207.html
kokosu525
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 確かに、暴力に対して暴力で返すという行為が解決に至らないということはわかります。いじめ、虐待、DVがあったとして、その加害者に罰をあたえたところで根本的な解決にはなりませんね。 なぜ、いじめが発生しているのか、なぜ虐待をする必要があるのかを個人だけではなく、環境や人間関係を踏まえて考えなければいけないものだと思います。 死刑は、犯罪の仕返しの方法としても考えていませんし、死刑が暴力の延長とも考えられません。他者からのお仕置きではなく、責任の取り方であると思います。 話はずれますが、 >福祉と言っても、主に いじめ、虐待、DVなどの問題に関わってきました。暴力に対し暴力でお仕置きしても根本的な解決にならないことを実感しましたね。 ここらへんの話は興味があります。どのような対応がうまくいくのでしょうか。どのような経験をしてきたのでしょうか。 家庭に介入する大変お仕事だと思います。 死刑を犯罪の抑止力との視点では考えていません。死刑のあるなしで犯罪の件数に影響があるのは、死刑制度のなくなったその時だけの一時的な変化くらいかと思います。犯罪の抑止力は、死刑の有無ではなく、軽い犯罪でもしっかりと取りしまわれる事だと思っています。万引きやいじめなど世間が軽く見ているような事こそしっかりと対応する事が治安維持などにつながると思います(それらの罪を重くするということではありません)。 死刑の公開は、特に望んでいるものではありません。執行されたかどうかだけの公表だけで良いです。

  • cherry77_
  • ベストアンサー率23% (291/1261)
回答No.5

目撃者も多数で、現行犯で捕まえれば 冤罪も存在しません。 それらの事例にまで、死刑を廃止する必要は無いのだから 制度的に廃止する理由は、冤罪論では不可能だねw

参考URL:
http://okwave.jp/qa/q7926504.html
kokosu525
質問者

お礼

まさにそう思います。 冤罪と死刑とを語りだすと、死刑が必要かどうかの論点からずれています。 回答、ありがとうございました。

  • love_pet2
  • ベストアンサー率21% (176/826)
回答No.4

死刑廃止はある意味 車のシートベルトに似ているかもしれません。シートベルトで事故は防げないけど、それでも死亡事故は大幅に減らせます。 昔は私もkokosu525さんと似たような考えでした。しかし、結婚して子どもが出来て、福祉の仕事に付き、法律を勉強し、海外の死刑の事情を見ているうち考えが変わってきました。 ↓の質問もご覧ください。 死刑というのは 本当はこのくらい厳しくやらないと意味がないんですよ。

参考URL:
http://okwave.jp/qa/q7979865.html?pg=1&isShow=open
kokosu525
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 海外の13歳の少女の死刑の例ですか。 国によっては同性愛で死刑になる場合もあるし、どのような罪で死刑になるかで死刑制度そのものの廃止か賛成かは問えません。 この例は私の主観ですが死刑が妥当とは思えません。なんでもかんでも死刑に該当させるのを賛成しているわけではないです。 この例では13歳が対象となっていますが、その姿を自分のお子さんと重ねたので反対意見になったということでしょうか。 また、福祉の仕事につき考えが変わるとはどのような心境でしょうか。要介護高齢者・障害者など社会的弱者を以前は排除し、施設などに収監するような社会でしたが、デンマークの知的障害者の親の会から始まり1959年に法律化されたノーマライゼーションや、社会的排除ではなく社会の一員として誰もが過ごしていくというソーシャルインクルージョンなどの概念によって社会や地域の中で受け入れるようになってきています。 ただ、犯罪者をそれと同様に考えるのは違うような気がします。 社会参加に難がある点では同じかもしれませんが、人の共同生活・社会生活を自身が崩そうとした点は異なると思います。 死刑は厳しくしないと意味がないというのもなぜ意味がないのかわかりません。

kokosu525
質問者

補足

死刑廃止がシートベルト?

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.3

納得がいかないのは当たり前。反対意見には砂粒ひとつの論理も無いからです。じゃなぜ反対しているか?それは自分が死刑に処せられる側の立場だからです。それだけです。

kokosu525
質問者

お礼

なるほど。 死刑の賛成も反対も、いつのまにか感情論になっている節があるので、論理的な意見を聞いて考えてみたいものです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

”よく死刑制度の反対意見に「冤罪」という言葉がでますが、  その言葉は反対意見でいうことには適していないような気がします。”      ↑ 全くその通りで、冤罪の可能性ということは、理論上は 反対意見にはなりません。 しかし、実際に死刑廃止にした国では、冤罪がきっかけに なった場合が多いのです。 死刑になった人が、実は無罪だった、という衝撃が 理論も何も吹き飛ばして、死刑を廃止にもっていって しまうのです。 だから、死刑反対論者は、冤罪を強調する訳です。 だから、彼らは、心の底では、冤罪を望んでいると思います。 決定的な冤罪事件が発生したら、死刑廃止には 非常に有利になります。  

kokosu525
質問者

お礼

感情論は、内容がないにもかかわらず交渉や決定において有効な手段です。話し合いの場面で感情に訴えてくる人がいた場合は、もうこの人には何もないということ。 死刑廃止ではなく冤罪の起きないシステムが重要なのに、冤罪が起きた場合の解決方法が死刑廃止なのはおかしなものです。 回答、ありがとうございます。

  • tk-kubota
  • ベストアンサー率46% (2277/4892)
回答No.1

人は自然に「生」を受けています。 その「生」は自然と消滅するのが自然です。 それを法律と言う名の下での殺人は許せないです。 仮に、自然より法律を優先したいのであれば、 世界中を同一の法律とならなければ不公平です。 同じ人間でありながら、ある所では死刑で、 ある所では死刑は免れると言う社会は道理に合わないです。

kokosu525
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 上3行の考えは嫌いではありません。 すごくきれいな考えで何度か読み返しました。 「生」は自然の消滅が一番良いことですか。 確かに法律は人が作るものです。 しかし、自然の消滅が一番でしたら、病気や怪我の治療で延命することも自然とは言えないような気がします。 また、世界共通で医療の技術が揃っているわけではなく、ある国では治療ができず息絶え、ある国では生きることができるのでは不公平になるのでしょうか。確かに不公平ではありますね。できることならばみんな生きるようにしたいわけですから。 不公平といえば世界共通にしないと不公平ならば、死刑制度に限らずどの法律も当てはまります。

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    私は死刑賛成です。 死刑に反対する人は、以下の理由で反対だそうです。 (1)仕返しは愚か (2)犯罪抑止力にならない (3)冤罪者も死刑にしてしまう (4)死刑廃止は世界的流行 (5)社会発展や人間進化の妨げ (6)加害者の更生 しかし、以下の理由から死刑に反対する理由が納得出来ません。 皆さんはどう思いますか? (1)死刑は仕返し制度ではなく、重罪を犯した者への罰則 (2)死刑の結果、犯罪抑止力に繋がる可能性はあるが、犯罪抑止力の為に死刑があるわけではない (3)冤罪者発生は無罪有罪のジャッジが問題であって、ジャッジ後の罰則である死刑との関連は無い (4)本質追及に疎く流行に流され易い日本人が多い (5)死刑廃止は加害者保護に発展し、更なる凶悪犯の増加を招き、治安悪化に繋がる (6)加害者の更正より被害者及び残された親族救済を優先するのが人として有るべき姿

  • 「死刑制度」について

    死刑制度について、どう思いますか? 世論調査は81%が「場合によっては賛成」と答えていて。 「いかなる場合も反対」という人が6%。 その他の回答は「分からない」というものでした。 私は中学3年生です。 今年から初めて「公民」を習い。 裁判や政治のしくみについて簡単に学びました。 「死刑廃止」の活動について興味をもったので、自分で調べていると。 この世論調査を見つけ、そして先進国が死刑制度を廃止している中。 日本だけは死刑の数が増えていると知りました。 このことについてみなさんはどう思いますか・・? 死刑の執行方法が大きな苦痛を伴う「絞首刑」であることも知りました。 一番長い記録では14分も苦しんだ人がいるようです。 自殺しないように当日の朝に死刑執行を知らされ。 家族と立ち会ったり、遺書を書いたりする時間も与えられないと聞きました (数時間後、すぐに処刑されるため) 死刑について調べるうちに。 なぜ死刑制度はあるのだろう、と思いました。 遺族の立場にたってみると、「殺してやりたい」と思うと思います。 私も、もし家族が殺されたら絶対に殺したいと思います。 でも「殺してやりたい」と「殺してよい」は別ものだと思います・・ 「死んでつぐなう」という昔からある日本文化が受け継がれ、 先進国の中でも唯一「死刑制度」がある国。 という今の形になっているのでしょうか。 アメリカも死刑制度があるようですが、州ごとに廃止が進んでいると聞いています。 「無実だ!」と寸前まで叫んでいる人が死刑にされるのを考えると。 「死んでつぐなう」というより「殺してつぐなう」ための制度のように思います。 極端に言えば「死刑」より「殺刑」というほうが正しいような・・ 過激な言葉ばかり並べてごめんなさい。 たしかに死刑にされる人はそれほどのことをしたのかもしれません。 でも冤罪だったら、もう命は戻ってこない。 それに死刑制度がある意味が私にはあまりよく分かりません。 遺族の気を晴らすため・・・? 国民に対しての見せしめ・・? 文化的な考えの「死んでつぐなえ」・・? 更生するとは考えられない・・? テレビでよく「更生するとは考えられない、よって死刑」という裁判官の言葉を耳にします。 でも「更生できない」と、どうして裁判官が決め付けられるのかと疑問に思いました。 被告人とは裁判が行われてる時間しか関わっていないのに。 どうしてそんなことが分かるのかと思いました。 人は変わると思います。 いい意味でも、悪い意味でも・・・ この世界で一番してはいけないこと。 他人に対しては「命を奪うこと」 自分に対しても「命を奪うこと」 命はこの世で唯一無二のものだと私は考えます・・ でも死刑制度がある今の日本では 「どんなときでも人は人の命を奪ってはいけない、命はもっとも大切なものだ」と。 胸をはって言えない気がします・・ もし死刑制度が本当に正しいもので、必要なものなら、 たとえ日本以外の全ての国が制度を廃止したとしても。 胸をはって死刑を執行すればよいのだと思います。 日本は国際会議のときも他国から「死刑制度を廃止するように」と言われているらしいです。 でも世論調査の「国民の多数が死刑制度を支持している」と言って 他国の声を聞かないようです。 みなさんはどう思いますか・・ 私は公民を学び始めてから時事問題対策のためにニュースや新聞をよく見るようになりました。 そして今、さまざまな問題に関心を持ちました。 疑問に思うことや矛盾ではないかと思うこともあります。 これからもっと学んでいきたいと思っています。 もし質問文の中に間違えた点があれば、ご指摘お願いします・・ 中3で知識の浅いやつが何言ってるんだと思われるかもしれません、ごめんなさい。 でもただ純粋に疑問を持ったので、どなたか教えてくれると嬉しいです。 死刑制度について、どう思いますか。