肝硬変末期の父。もう死期が近いのに転院を迫られて…

このQ&Aのポイント
  • 父の肝硬変末期についての状況と、転院を迫られている状況について説明されています。
  • 母の希望条件として、現在の病院で父の最期を看取りたいということ、または実家の近くの病院に転院したいということが挙げられています。
  • 父の容態や病院の対応についての考えや、家族の希望に沿った対応方法をアドバイスしてほしいという要望が述べられています。
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肝硬変末期の父。もう死期が近いのに転院を迫られて…

このカテゴリに父のことで何度も投稿しています。 お気を悪くされる方には本当に申し訳ありません… 匿名ですが、私は、「nao913」です。 少し、ためらいましたましたが、「質問履歴」を「公開」にしました。 全部で63件ありますが、初めの20件の中に今回の父の件での質問があります。 ご参考にしてください。 さて、今回の質問ですが、 金曜日(3月8日)に母が病院のケースワーカーの人から、 転院先リストを渡され、明日の3月11日の月曜日に、 回答してくれと言われました。 転院先は今の病院のあるN区に3つ、 そして私たちの住んでいるS区に2つ。この2つは距離も時間も近いです。 母の希望条件は、 1:今の病院で父の最期を看取りたい  (理由:慣れた個室だから。看護師さん等スタッフのサービスが充実し、      何よりも主治医の先生が若いですが、良い先生で、      「本当はボクも最期まで診たいんです」って言ってくださいました。) 2:1がダメなら実家の近いS区の2つの病院のどちらかに。   S区の1つの病院に父の母の祖母がお世話になって介護施設に入っています。   ですから、昨日、帰りの車の中で母が、   祖母の世話になっているK病院の院長先生に面識があるから、   そういう「コネ」を使っても近くに父を置いておきたい、と言いました。 3:上の1も2もダメなら、遠いですがN区の3つの病院のうちのどれか…      これは、ほとんど希望していません。 それに、弟が東京から新幹線で飛んで帰ってきて、 それからのアクセスを考えると、N区の3つはダメです。 それから、母の希望条件は、 個室で看取りたいということ。 個室の料金や駐車場の料金、そういう金銭的な面と、 看護師さんなどの看護体勢など… ネットで分かったことは、N区の3つの病院が車でとてつもなく遠く、 運転に慣れない母、東京から帰ってくる弟を考えると、ダメでということだけです。 で、自動的にS区の2つに絞られました。 私は、今から、今日は日曜ですが、 N区も含め、5つの病院の個室料金を、 電話で聞くしかないというところです。 一方で、父は昨日とうとう耐えられずに、3回目の腹水を抜きました… 朝に先生の回診があって、その時、父が自ら、「ぬ、抜いてください」 と先生に言いました。 それだけ苦しかったのでしょう・・・・・ 一昨日の18時にも先生が来てくれました。 病状を詳しく聞きました。 ・ 肝硬変末期の患者は最後は、どうしても腹水を抜いてくれと言う。 ・ 心不全、感染症等の危険性は少ない。 ・ 腹水を抜くと、1ヶ月が限度で最期が来る。 ・ 肝性脳症は安定している。アンモニアが肝臓である程度、分解できているかも? ・ 点滴の量を減らしたのは、利尿剤が効かず、腹水がたまるだけだから。 そして… ・ 「イベント」=静脈瘤破裂等の出血、腹水を抜くことがあると、          体力が、癌の場合のように下り坂ではなく、階段のように、          ガクンと落ちてしまう。 ・ 「餓死」  いま、口からゼリーも食べない父は点滴で入れている栄養は200キロカロリーだけ。 人間は何も食べないと2週間で死ぬ、と言われました。 以上、父の容態について書きました。 本題の転院先の件ですが、 病院は病院の事情で、無理と分かりながら、こっちに「ふっかけて」いるなと思いました。 そのケースワーカーの人が来た時は母が1人だけだったので、 明日の回答日には男の私が居ようと思います。 母だと女性ということで、なめてかかってくるので…? 母は、どうしても今の病院で、今の個室の体勢で、父を看取りたいと思っています。 それが無理なら、S区の2つの病院に転院です。 私たち息子は、母の意向に沿います。 1つの病院に居られるのは、3ヶ月までが限度???と聞きました。 そういうものなのでしょうか??? 父は2月1日に入院です。まだ1ヶ月と10日です。 今の病院は、関西のK市でも1,2番になる大きな総合病院です。 ネットの口コミを調べましたが、患者数の違いもありますが、 転院リストの5つより断然に口コミが多く、評価も高い。 しかし、そういう病院は、自分のところから、「看取るような患者」を入れておきたくない? のでしょうか????? 病院の経営面は全く解りませんが、 主治医の先生、看護師さん、個室の状態、等に私たちはとても満足しています。 それ故、病院サイドの今回の転院の押しつけに、私たちは憤慨と落胆です… 長々と書きました。 いつもながら、申し訳ありません。 私は、とにかく、父を「穏やかに逝かせてあげたい」と考え、 そして、母の思うように、母に満足して?父を看取らせてあげたい。 そう考えています。 弟に関しても、もう覚悟が出来たようで(3回目の腹水で)、 弟にも満足して看取らせてあげたいと希望しています。 以上、こういう病院の対応の仕方への、こっちからの対応方法について、 アドバイスをよろしくお願いします。m(_ _"m) ちなみに、母は、主治医の先生には迷惑をかけたくない、と言っています。。。。

noname#215716
noname#215716

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

>1つの病院に居られるのは、3ヶ月までが限度???と聞きました。 そういうものなのでしょうか??? >父は2月1日に入院です。まだ1ヶ月と10日です。  3ヶ月経つと、入院している方の基本入院費が減額されるので、病院側としては減収になってしまいます。そのため、転院を促されるのです。俗に90日ルールと呼ばれます。  また、現在は一般病床と呼ばれる病院の平均入院日数は17.9日です。   http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001vpkq-att/2r9852000001vpok.pdf >しかし、そういう病院は、自分のところから、「看取るような患者」を入れておきたくない? のでしょうか?????  そうではなくて、単純に、急性期と呼ばれる病院に長期(1ヶ月)の入院は無理なのです。  現在の医療制度では、仕方ないことだと思うしかありません。 >看護師さんなどの看護体勢など…  看護体制については、7対1から10対1になれば当然ですが悪くなります。  私であれば、明日の回答は、希望としてはこのままで、それが無理ならS区の病院ということにします。まずは、S区の病院に転院できるか確認してもらって、S区の病院への転院は無理の返事があってから考えればよいのではないでしょうか?    病院へ通うのも疲れることでしょう。  どうぞご自愛下さい。  

noname#215716
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 それから、1日で6件もご意見を頂き、他の5人の方にもお礼が 言いたいのですが、先ほど病院から帰って来たところで、 明日、母がケースワーカーの人に返事をするのですが、 午前に来るか、午後に来るかも分からないので、 朝から病院に行かないといけません。 私も休まなければいけません。 金曜日にケースワーカーの人が来て、明日の回答で、 この土日では、N区、S区の病院に電話をしても、 詳しいことは聞けませんでした。 ひとまず、6人の皆さまのご意見を参考にさせて貰い、 明日は、母と相談しますが、「保留」という形で回答する だろうと思います。 心情的、感情的には、「可哀想」や「無慈悲」と言って貰えれば それは確かに有り難いのですが、 例えばNo.4の方のご意見のように、 客観的に見れば、私たちだけが無理を押し通すのも、 それは、いけないこと、と思いました…… 今の病院は、車で片道25分かかり、 自分の家庭の生活と父の看護を両立するには、 かなり疲れが出てしまいます… ただ、やはり、在宅看護だけは無理と思っています。 在宅で、急な吐血や不慮の事態が起きて父が亡くなった場合、 母の性格からして、自分の責任と、自分を追い詰める可能性があるからです。 とにかく、今日は(も?)疲れました… また、明日の朝に時間が有れば、お返事させて頂きます。 父の方は、昨日、3回目の腹水を抜きましたが、 依然として苦しそうでした… 孫の私の娘も妻が連れて来てくれましたが、 嬉しそうな顔を見せてくれるものの、 1分か2分で、目を閉じてしまいます… しんどい、のでしょうね… 本人もしんどい。 周りの家族もしんどい。 人間が1人、その人生を終える、 そのことだけで、ここまで大変なことなのか!? と思い知らされています・・・・・ 申し訳ありません、もう寝させて頂きます。 大変、失礼します。m(_ _"m)

その他の回答 (7)

  • Brian12
  • ベストアンサー率25% (187/723)
回答No.8

 余生を自宅で送ることが良いと思います。  回答No.3の方と同じ意見です。  10年前になりますが、私は入院中の義父にそう薦めて喜ばれました。その年の夏に亡くなりました。  最期にも立ち会い、穏やかに逝くことができたと思います。  また、それ以前のことですが、祖母は私の腕の中で看取りました。96歳のとき、庭で転び、2週間程で床ずれがひどくなりました。その苦痛でのみ生きていたようで、抱くとスヤスヤと眠るのです。3週間目の訪問の時に「逝かせてあげるね」と言って、祖母を抱きました。  一昨年、母は病院で亡くなり、看取ることができませんでした。残念です。

noname#215716
質問者

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ありがとうございました。 父の余命が「1週間」と宣告されました。 また、このカテゴリ:「家族」の欄で質問させて貰います。 どうか、よろしくお願いします。 m(_ _"m)

  • uhhoho-i
  • ベストアンサー率11% (11/97)
回答No.7

転院を迫られているのは入院している病院の種類のためではないでしょうか。 急性期病院は急性期の患者さんを見る病院です。 急性期を脱し、状態が安定してきたら転院をお願いします。 そして、また急性期の患者さんを入院させ、治療していくのです。 療養型の病院は急性期を脱した患者さんが行く場所です。 たとえば脳梗塞や脳出血になった方などで症状が安定して、後はリハビリをしていくとなれば 急性期の病院からリハビリ病院に転院していきます。 役割の問題です。 急性期の病院でなかなかベッドが空かなければ救急車を受けたくても入院させることができなくなってしまします。たらいまわしのように。 もしくは救急外来に行っても、うちはベッドに空きがないので他の病院に行ってくれって言われてしまうかもしれません。 そうならないために(悪いなりに)安定している患者はそういう病院へ移るだけのこと。 大げさにいえば、あなたの父上が転院を渋ったままずっと居座ることで誰かが心臓発作や脳梗塞・脳出血発症し、救急車でその病院に問い合わせても満床で断られてしまう可能性があるということ。 もしくはベッドが空いていないから別の病院をに行ってくださいと言われてしまう可能性もあるのです。 それがあなたのお母様の可能性もありますよね? 同じ病院という名前だからややこしいのだと思いますが、診療所・急性期病院・療養型病院など それぞれに役目がありますので、それに沿って行くのが筋だと思います。

noname#215716
質問者

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  • bbkuma
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回答No.5

S区の病院が近ければそちらに転院したら? 今入院している病院って規模も評価も高い急性期の病院なんでしょ? そういう病院って待ち患者も多いし、救急患者の受け入れに備えても 空きベット作って置きたいんですよ。 つまり、質問者様のお父様に対する緊急の治療は終わっており、 あとは別に今の病院でなくても転院リストに上がった病院でも 十分な治療ができると判断されたので、転院のお願いが来たのだと思います。 冷たい言い方をすれば、他の急な高度な治療を要する患者さんのために 部屋を空けてくれませんか?ってこと。 最近もあったじゃないですか、36回救急車の受け入れ拒否されて亡くなった って事件。そんなことにならないように空きベット作っておきたいのですよ。 病人抱える家族にしては理不尽な話で、なんて冷たいのか!って思うかも 知れませんが、現状はそうなんです。 厚生労働省の指針でも、急性期の高度な治療をする病院と、看取り を待つ治療をするような病院との住み分けが進んでおり、 質問者さまのお父様の状態の患者さんは、病院を変えなければならないのです。 (一週間以内に亡くなったりせずに、安定していると判断されたのでしょう) 急性期の病院に看取りまでいさせてくださいっていうのは、わがままな話なんです。 ひどいとこだと、在宅でって言われる可能性もあるのに、 今の病院はかなり良心的だと思います。 質問者さまにとっては本当に理不尽かと思いますが、世の中がそういう流れ になっており、主治医に迷惑をかけたくないのなら素直に転院して下さい。 他の急を要する患者さんのために部屋を空けてあげて下さい。 お願いします。

noname#215716
質問者

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  • ghostk
  • ベストアンサー率46% (6/13)
回答No.4

切ないですよね。 医者としても最後まで、看取ってあげたい、だけど、病院の方針で患者を転院させなければならない。 ケースワーカーさんは淡々とお仕事されているだけです。 まず、お父様は動かせられる状態なのか、主治医に確認しましたか? 移動に耐えられる体力は有りそうですか? 体力ないなら、動かす事の方が危険です。 たまに連携取れない病院がありますので、主治医の先生に確認を。 月曜にケースワーカーが答えを聞きに来るそうですが、まだ入院して3ヶ月経っていない事と、家族として動かせる状態に思えないので、主治医に確認したい事をお伝えして下さい。 あと、ケースワーカーさんに紹介して貰った病院が、今と同じ体制でお父様を見て貰えるのだろうかと確認しても良いです。 素人では、細かい所が分からない、調べようもない、病院にどう伝えて聞いたら良いのか分からないと話します。 転院の必要性があるのは理解出来る、しかし、病院を決めるのには余りにも情報が無くて家族としては、ここが大変良くしてくれるので、ここと同じような体制を取ってくれるような所でないと安心できない。 この位有れば、少々転院への時間稼ぎは出来ます。 私の母は肝臓の難病がありました。 最初に入院した病院のケースワーカーから転院の話と、転院する病院のリストを渡されました。 父が医療関係の仕事していたので、病院には詳しいですし、知り合いのいる病院も有りました。 しかし、現在入院している病院での体制治療が、転院先のリストでは出来ない事が父には明白でした。 質を落としての治療入院は意味が無いと、父はケースワーカーに言い切りました。 入院して1ヶ月で転院の話が出て、結果、4ヶ月は同じ病院に居る事が出来ました。 まあ、病状も安定していなかった事も有りますけど。 月曜はぜひお母様の側にいてあげて下さい。 そして、ケースワーカーさんとのやり取りを毅然としてあげて下さい。 後、気になったのですが、静脈瘤の大きさはどの位なのでしょうか? 大きさによっては、いつ破裂するか分かりません。 転院する際の寝台車は思ったよりも揺れます。 肝硬変末期では、揺れる刺激で破裂する可能性が有るからと、主治医がひやひやしていた事も有ります。 転院と言われるなら、その辺りも確認した方がベターです。 看護する側は、今は色々張り詰めていて、何とかなっていても、何かの拍子で疲れがどっと出てきます。 どうか、お母様も、貴方も、極限までご無理をされませんように。 夫婦の死に別れは残った方の精神状態がしばらくはとても大変です。 私の父は母が亡くなる前は母しか見えてませんでしたし、亡くなって葬儀が終わって家族だけになったら、魂が抜けたような状態にしばらくなっていました。 今までの看護と介護の疲れも有ったのだろうと思いますが、それ以上に心の穴が大変でした。 なので、特にお母様に気を付けてあげて下さい。 他の質問も読みました。 弟さんは、お母様や貴方より距離があって、思ってはいても普段の様子は分かりません。 それに巣立ってしまっているので、側にいる人の方が精神的にも大変です。 大変な中、弟にも気を使える優しい貴方と言う兄がいるのです。 弟さんは大丈夫です。 私は、知的障害のある姉ですが、居てくれるそれだけで救われましたよ。 姉妹の下からの意見です。 どうか、良い方向に進んでくれますように。。。

noname#215716
質問者

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  • pakukuro
  • ベストアンサー率10% (70/665)
回答No.3

とてもつらい状況に置かれて気の毒に思います。 なんだかんだいっても、人間の尊厳なんて、、、 規則やら病院の都合で飛んでしまうのが現状なのですね。 穏やかに逝かせてあげたい!!そこまでいきつくまで相当悩んで苦しんだことでしょう。 最後は自宅での終焉ということはできないものでしょうか? 私も両親をすでに亡くしております。 あまり的確なアドバイスもできないのに回答してごめんなさい。 人間、だれしも行く道です。 杓子定規や利益主義、、どうにかならないものかと嘆く一人です。

noname#215716
質問者

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  • yasuto07
  • ベストアンサー率12% (1344/10625)
回答No.2

エスクの病院に空きがあるか確認すれば、、、ダメなら、ジタクデミトレバ、訪問看護で。もう食事も取れないし、水分だけ、オムツ交換と、タイコウ、着替え程度ダケデ、ミトレルノデハ。

  • ikuchan250
  • ベストアンサー率24% (1063/4275)
回答No.1

私も昨年9月に友人を肝臓癌で見送りました。 まさに、あなたのお父さんのような状況と思いました。 似た様なメールがあってから(腹水ヌク)4週間後に逝ってしまったように 記憶しています。(あなたに配慮しなくてゴメン。でも事実なので) 最後に本人からメールを貰ったのは約3週間弱前。娘さんから2週間弱前。 最後は仕事中にメールが入り、亡くなったとの事でした。 ただ、午後8時に病院を出て、明日来る約束をした直後の未明、急変した らしいです。9月に入ってからはあちこち蝕まれているので悲鳴を上げていて 痛み止め(モルヒネ)も最大限使ってこれ以上使うと心臓が止まる位だった そうです。 私も共として何とか出来ないかOkwaveに相談しましたが、そんな重い内容は 息女してしまえ、という成熟していない回答にがっかり来て、削除依頼し (厭ならスルーしたら良いのに、大手小町では親身に回答頂き助かりました。 その点okwaveの人的薄さを感じました) >つの病院に居られるのは、3ヶ月までが限度???と聞きました。 >そういうものなのでしょうか??? これは現状の保健医療制度からくる点数制度の問題で3ヶ月を超えると 診療報酬が減るので病院の儲けにならないから切り捨てられるのです。 あなたがお聞きになった様にすでに腹水を抜いておられる状況なので 本当に余談を許さない状況と思います。(早ければ月内) 結構黄疸も酷いと思います。 (我が友は黄疸3でネットで調べると黄疸10の人がいて、約4ヶ月存命 だったので、まだお見舞いに行ける余裕はあるな、と抜かっておりましたら 急転直下致しました) すでに延命治療もなにもない状況ですから、痛みの少ない方法で 見送ってあげるのが良いと思います(というか、見てる方は辛い) とりあえず、S区の2つを選んでおいて、何時まで置いて貰えるのかを、 確認されて、それまで持ちこたえられるか、が焦点になると思います。 何のお役にもたてず申し訳ない

noname#215716
質問者

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    度々、書き込んでいます。 家族の看護がいったい、どういうものなのか?分からなくなってきました… 71歳の父は、C型肝炎から肝硬変、肝臓癌となり、 年末から腹水がたまり、足も腫れて、仕事も辞めました。 そして、とうとう 2月1日、肝性脳症で風呂場で倒れ、緊急入院 私と母が交代で毎日、腹水で食欲のない父の食事の世話等で通い始めました。 でも、まだ元気そうに見えました… 2月16日、1回目の腹水を抜き、 2月18日、食道静脈瘤破裂で吐血… 個室に移される… この日以後、家族、私と母と弟は一変しました。 もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません 母は病院に泊まり込み、私は母のサポートで1日病院に、 弟は東京から週末ごとに帰省します。  もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません。 食道からの吐血なので、固形物は食べられず、 点滴と水だけ… 腹水でお腹がパンパンなので、 水を飲みたがりますが、飲むと腹水を圧迫して苦しみます。 3月2日、とうとう2回目の腹水を抜きました… 体力が落ちることが分かっていて。 腹水を抜いて、私と母に冗談を飛ばすように、よく喋るようになりましたが、 それも3日後ぐらいから、腹水が元の状態にもどり、 昼間でも寝ている時間がかなり長いです。 でも、3時間ほど毎に、「み、水、飲ませてくれ・・・」 と言うので、家族はとても看護師さんだけに任せる訳にはいきません。 母は病院の父の個室で寝て、24時間看護の体勢、 私は息子ですが、うつ病の為、家族の食事を作って、病院に通います。 でも、私にも家庭があるので、19時までには帰宅したいところ。 弟は今週は、大阪に出張もないので、東京に居ます。 私や弟が父に出来ることは、とても母にはかないません。 ただ、母の「サポート」をするしかないんだ、と分かりました。 肝心の父のここ最近は、「小康状態」としか言い表せません。 私が10時から18時までいる間は、 喋ることも少なく、ほとんど寝ていて、 でも突然、「み、水をくれ…」というので、吸い飲みで口に注ぎます。 それしか口に入れるものが無いので、「美味しい美味しい」と言ってくれます… 会話らしい会話も出来ず。 母は、一昨日は風邪で病院に、昨日は髪のカットに行きました。 実家の用事もありますし、祖母の介護施設の手続き等々、することがあり、 父だけに時間を使えないので。 その間、私が父を看ています。 何もしないのに、病院に居るだけで疲れます… 私は、家の車から実家で、実家の車に乗り換えて、病院に行きます。 母は、実家の車しか運転できないと言うので。 昨日の出来事の1つですが、 母がカットから実家の車で病院に帰って来て、駐車場に止めました。 もう18時を過ぎていて、私は焦っていました。母も焦っていました。 携帯に母から連絡があり、駐車場の方に向かいました。 「駐車券はどこ?」 「車の中」 「何階のどの辺りに止めたの?」 「3階の昨日とは違う方」 それで、別れて私は車の方へ、母は病院の方へ、 でも、実家の車のカギの引き渡しを受けていませんでした。 すぐ母の携帯に何度もかけても、出ません。  何で携帯に気づかないのか!? とにかく父の部屋に戻っていると思って急いで病院に戻るも居らず、 携帯にでた母は、買い物をしていました… 切れたらいけないと思いつつ、切れそうになりながら、 やっと母からカギを受け貰い、駐車場へ。 「3階に止めてあるからね」と言われたので3階で車を探します。 ありません。 また携帯にかけますが、母はでません! 4階を探してもなく、2階に行って、やっと車を見つけた時に、携帯に母から、 「ごめんね。えらい運動させてしまったね~。」 笑って言っていました。 私も、「2階だったよ」と笑って言うしか出来ませんでした。 夜の、「慣れない車」の運転の前なので、怒ってはいけないいけない。落ち着いてと。 そういう「一こま」でした。 私は帰宅してから、家族と夕食の後、 次の日の夕食を料理して、23時。 もう疲れて寝るだけです。 何か、何というか? 肝心の父を看護しているのか?父は殆ど寝ているだけで、 たまに体を拭いたり、寝返りをするため看護師さんの手伝いをして、 父の横ですることもなく、 でも、自分には自分の家族の生活があって、料理・買い物等で疲れて、 母にも、母の用事が何かとあって、 母の方が、病院の簡易ベッドなので、疲れているはずで… 肝心の父と会話もなく、 母も私も疲れるだけで… 看取るというか、家族の看護って、こんなものなんでしょうか? 長々と書いて、すみません・・・・

  • 肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟

    もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、 C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、 C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、 とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、 腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、 毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。 腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。 2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、 回復に向かうと思っていた矢先の 2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、 6人部屋から個室に移されました。 その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、 次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。 まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした… 酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、 見てはいけないものを見てしまったという感じと、 父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。 それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、 http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html 病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、 「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!? と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、 現在の父の状態は、危険因子が3つ、 ・ 肝硬変 ・ 腹水 ・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」 と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・ 私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、 「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。 父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。 C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、 「酒を断つ」ことは一切しませんでした。 外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。 「自業自得」と言えばそれまでですが… しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・ 大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。 「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。 と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。 今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、 「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。  けっこう惨めなモノです… でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと… 惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、 情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」 って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。  こうなると、けっこう「楽」なものです。 一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。 M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。 そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、 M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。 また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、 父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います… 父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、 そんなこと(挫折)を話す父ではありません。 しかし、弟は違うと思うんです。 私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、 サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、 高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。 私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。 弟は私と違って、優しいヤツです。 しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。 父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。 それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、 母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。 私宛のメールに、 「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、  腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、  アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。  だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」   と… 母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。 弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。 水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・ 「現実」が見えていないのか????? 「現実」を直視しようと出来ないのか…????? 大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。 東京で家庭を持った弟です。 私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。 一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い… そういう父の思い出が、私には多々あります。 しかし、東京に居る弟には「無い」。 私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。 でも、弟は東京と神戸という「距離」が、 「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと… それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか… 私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか??? とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、 健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。 母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが… 私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、 39歳の今の弟にさせたくないんです。 父はもう長くありません。 父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか??? いま39歳で、会社も家庭も順風な弟を「廃人」のようにさせたくないのです…

  • 肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟が

    もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、 C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、 C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、 とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、 腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、 毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。 腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。 2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、 回復に向かうと思っていた矢先の 2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、 6人部屋から個室に移されました。 その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、 次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。 まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした… 酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、 見てはいけないものを見てしまったという感じと、 父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。 それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、 http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html 病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、 「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!? と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、 現在の父の状態は、危険因子が3つ、 ・ 肝硬変 ・ 腹水 ・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」 と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・ 私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、 「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。 父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。 C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、 「酒を断つ」ことは一切しませんでした。 外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。 「自業自得」と言えばそれまでですが… しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・ 大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。 「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。 と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。 今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、 「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。  けっこう惨めなモノです… でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと… 惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、 情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」 って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。  こうなると、けっこう「楽」なものです。 一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。 M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。 そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、 M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。 また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、 父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います… 父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、 そんなこと(挫折)を話す父ではありません。 しかし、弟は違うと思うんです。 私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、 サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、 高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。 私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。 弟は私と違って、優しいヤツです。 しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。 父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。 それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、 母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。 私宛のメールに、 「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、  腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、  アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。  だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」   と… 母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。 弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。 水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・ 「現実」が見えていないのか????? 「現実」を直視しようと出来ないのか…????? 大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。 東京で家庭を持った弟です。 私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。 一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い… そういう父の思い出が、私には多々あります。 しかし、東京に居る弟には「無い」。 私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。 でも、弟は東京と神戸という「距離」が、 「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと… それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか… 私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか??? とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、 健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。 母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが… 私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、 39歳の今の弟にさせたくないんです。 父はもう長くありません。 父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか???

  • 肝硬変末期の腹水で苦しむ父と私の後悔

    C型肝炎から肝硬変末期になり、 腹水で苦しむ父の話です。 2月1日に肝性脳症で倒れて、入院しました。 それから毎日、母と私が父の看病に行っています。 今は総合病院で肝臓で代謝できないアンモニア等を、 点滴で除き、栄養も点滴で補充して貰っています。 一昨日、お腹に針を刺して腹水を抜き、 昨日、パンパンに腹水で腫れていた両足が 見違えるほどにきれいになって、 腹水で「しんどい~、しんどい~」と繰り返していた父が、 昨日は5時間ほど病院に居ましたが、 父の口から、「しんどい」の一言も出てきませんでした。 でも、針で腹水を抜き出す治療は何度もできませんが… 入院当初、私は父との別れが、もう近いと思っていました。 1ヶ月か、2ヶ月か…と、 そんなに腹水でしんどいなら、 いっそ肝性昏睡になってしまった方が、 父にとって良いのではないか? とさえ思っていました。 それは私だけの考えでしたが。 でも、昨日の父の回復した様子、 私が食べさせるのですが、 父の食事を食べる様子を見ていると、 父には、まだまだ「生きたい」という気持ちが有るのではないか? そういう父の生命力を感じました。 3月から今の病院を出て、家の近くの病院に移ります。 そこで、父の最期まで「闘病」をするつもりです。 私のことになってしまいますが、 私は長男で、思春期には父に反抗し、 うつ病になって、就職も出来ませんでした。 でも妻と2人の娘がいます。 近所の私は、毎週のように孫を連れて 父のところに遊びに行きました。 多分、父の期待に報えなかった私の懺悔の気持ちから… 今でも後悔しています。 そして、父の最期が来る時までに、 今まで親不孝を父に謝って、許して貰いたい、 その一心で、毎日、父の病院に足が向かいます。 映画じゃないですけど、1日便せん1枚の手紙を書いたりしています。 そんなことをしても、最後まで父への後悔は消えないだろうな… と思ってもいます。 最後に質問になりますが、 父の最期は、まだまだ先のことになると思いますが、 父から、許しの言葉を貰えなくても、私は良いです、 それよりも、父のように腹水で苦しんだ家族を看取られた方に聞きたいのですが、 どんなことを父にしてやれば、苦しみが癒えますか? (手足のマッサージとか?) それと、どんなことをすれば、最後に楽しい?良い思い出が残せますか? 病院食は不味いので、美味しいものも食べさせてやりたいです。 家族を亡くされた方には、嫌なことを思い出させてしまいますが、 どうか、アドバイスの方、よろしくお願いします。 m(_ _"m)ペコ

  • 肝硬変末期の父が余命1週間と宣告されました…

    よろしくお願いします。 もし出来れば、医療関係の方のアドバイスを求めています まず、私は匿名ですが、「nao913」です。 質問履歴を公開にしています。 このカテゴリ:「家族」の欄で、何度も投稿しています。 父の病状については、 http://okwave.jp/qa/q7973280.html を参考にしてください。 さて、一昨日、母が主治医から余命1週間と宣告されました。 尿の量が減っているな、と思っていましたが、 肝硬変末期の上に「腎不全」が来たみたいです…… 人工透析が1週間できなければ、どうなるか素人でも解りますね…… 今の父に人工透析をしても意味が無いことも素人でも解ります。 そこで、質問なのですが、 父は、肝硬変末期で、3回、腹水を抜いて、 それでも、またお腹も両脚も腫れています。 こんな父が、穏やかに最期を迎えることが出来るでしょうか??? 腎不全の最期というのは、どういうものなのでしょうか??? 遅れましたが、私は父の長男(42歳)です。 私は父の病院へは、車で25分で行けます。 しかし、弟は東京に居り、関西のK市の、この病院には、 どんなに早くても3~4時間かかります。 父の最期に弟も居させたいと思ってもいます…… どうか、アドバイス、よろしくお願いします。 m(_ _"m)

  • 肝硬変末期の父が余命1週間と宣告されました…

    よろしくお願いします。 もし出来れば、医療関係の方のアドバイスを求めています まず、私は匿名ですが、「nao913」です。 質問履歴を公開にしています。 カテゴリ:「家族」の欄で、何度も投稿しています。 父の病状については、 http://okwave.jp/qa/q7973280.html を参考にしてください。 さて、一昨日、母が主治医から余命1週間と宣告されました。 尿の量が減っているな、と思っていましたが、 肝硬変末期の上に「腎不全」が来たみたいです…… 人工透析が1週間できなければ、どうなるか素人でも解りますね…… 今の父に人工透析をしても意味が無いことも素人でも解ります。 そこで、質問なのですが、 父は、肝硬変末期で、3回、腹水を抜いて、 それでも、またお腹も両脚も腫れています。 こんな父が、穏やかに最期を迎えることが出来るでしょうか??? 腎不全の最期というのは、どういうものなのでしょうか??? 遅れましたが、私は父の長男(42歳)です。 私は父の病院へは、車で25分で行けます。 しかし、弟は東京に居り、関西のK市の、この病院には、 どんなに早くても3~4時間かかります。 父の最期に弟も居させたいと思ってもいます…… どうか、アドバイス、よろしくお願いします。 m(_ _"m)

  • 肝硬変と腹水で苦しむ父を見ていられません…

    71歳の父です。 もう長くはありません・・・ C型肝炎から肝硬変になり、もう肝不全になって、 今は、入院して、肝臓で処理できないアンモニア等を点滴の薬で処理しており、 アンモニアが身体に回って、肝性脳症(昏睡)になるのを防いでいます。 腹水で、お腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足も腹水で腫れてしまっています。 私は長男で、父の家から車で5分のところに住んでいます。 弟家族は、東京に住んでいて、ここは神戸ですので、新幹線で3時間かかりますが、 父が倒れて入院してから、毎週のように帰って来ています。 父の孫は、私の家族に2人、弟の家族に2人います。 今は、その肝性脳炎・昏睡で倒れた父を、 何とか薬で肝性脳炎になって、意識がなくなってしまうのを止めているだけで、 腹水は、利尿剤等を使ってもなかなか抜けません。 残るのは、お腹に針を刺して腹水を抜くだけですが、 それも、すぐに腹水がたまってしまうそうです。 病院のベッドで起きている時は、腹水のせいで、 「しんどい~、苦しい~、苦しい~」 とばかり言っています。 本当に、苦しいんだと思います・・・ 私と母が交代で、毎日、父の看病をしています。 肝性脳炎・昏睡には、5段階のレベルがあるそうで、 私が見る限り、昼間にウトウトと寝る程度で、 5段階の1番目ほどしか当てはまらないと思います。 父は、テレビも見ていますし。 でも、食欲も無く、歩くことも出来なくなりました。 父にとって楽しいことなんて何もありません。 今のところは、私と母で、毎日、父の状態を見て、 肝性脳炎・昏睡が進んでいないか?を確かめるだけです。 父は、2月1日に倒れました。 さすがに、その時は、もう昏睡になって、意識が戻らないかと思って、 私も母や弟と同じように、かなり動揺しました。 でも、3年前から肝臓癌が発症していて、 もともとが肝硬変ですので、1年前から腹水がたまっていたのか、 かなり苦しそうで、「癌」というのが頭にありましたから、 その時から、父の最期を考えてきました。 だから、私の中では、もう、父を看取るように心の準備をしてきました。 母も弟も、そういう覚悟はしています。 しかし、ここからが私の質問になるのですが、 もう後のない父に、今の肝性脳症・昏睡だけを防ぐ治療って、 父が昏睡になるまで?心不全にとかになるまで続けるのでしょうか??? 今の総合病院には2月いっぱいまでしか居られず、 3月からは、実家の近くの病院か介護施設に入るしかありません。 母がとても父の介護を出来ないので… 私もそうです… 私たちは、そこで父を看取るつもりです。 でも、「私は」、母や弟と違って、 もう、父は充分に生きてくれたと思いますので、 今の苦しいだけの、治る見込みのない「闘病」生活なんか 父には、意味が無いと思うんです。 まだ主治医の先生に会って詳しく話をしてはいませんが。 そんなに腹水が苦しいなら、まだ昏睡状態の方が良いのではないか? と思っています。 要するに、今の治療は、ただの「延命治療」に過ぎないと思うのです。 かなり極端な話ですが。 私、個人の話になりますが、 思春期に、父という高い壁があって、かなり父に反抗しました。 大学受験に失敗し、うつ病になって、就職が出来ませんでした。 今は、妻の収入で、「主夫」として生きています。 そういう私に、父は失望したと思います。 親不孝者です。 ですから、毎日、父の病室に足が向かいます。 映画じゃないですが、毎日、短い手紙を父に書いて渡しています。 父に謝って、許して欲しいんです。 私は父の家から車まで5分の所に住んでいるので、 毎週のように、2人の娘を連れて、遊びに行っていました。 ですから、もう過去のことは、父と私の間では「和解」しているかと思います… それでも、肝性脳症になっている父から、 一言でも、許してくれるような言葉が欲しい・・・ でも、もう父には、闘病生活なんかしなくていい、 今まで本当に私たちのために、頑張って生きてくれたね、 本当にありがとうね。 もう、好きなだけ、好きなお酒を飲んできたんだし、 これ以上、私のために無理をして生きてくれなくてもいいんだよ… って思うんです。 このように、まだ私の中でも、矛盾していますが、 母と弟は少しでも長く生きて欲しいようで、 私は、今の治療さえ、父には、ただの「苦しい延命」に思えています。 それでも、私個人として、悔いなく父を看取るには、 いま、何をすれば良いのか??? それが分かりません・・・ 長くなってすみません。 これを読んで頂いた方には、 ただ感じたことだけでも良いですので、 何か私に言葉をかけてください。 どうか、よろしくお願いします。。。。。

  • 肝硬変末期の父はこんな状態でも生きないと…?

    何度も投稿している者です。 昨日、父の主治医から初めて説明を受けました。 危険因子は3つ。 ・ 食道静脈瘤:今度、2回目の破裂をすると致命的に… ・ 肝硬変 ・ 腹水 私は42歳の男性ですが、 この医師が私より若く30歳代のように見えたからではなく、 この医師の説明が全く意味不明にしか思えませんでした。 素人に理解不可能な説明が続きました。 塾の講師をする私から見れば、家族に理解・納得させる気が無いんです。 まあ、こんな医者はどうでもいいんですが。 昨日、今日と、母がいったん家に帰って、お風呂をし、 私と父で、父の個室に居る時間が長くなりました。 父は、「み、み、水をくれ・・・」と言います。 私は、水を飲んだら腹水がさらに貯まって、父が苦しくなるから、 「ゆっくりな、時間かけて飲もう、父さん…」 と言って飲ましても、100mlの吸い飲みをすぐに空にしてしまいます。 父は、「も、もっと、水くれ・・・」と言います。 仕方なく父の希望に添うように 1時間ほどかけて700~800mlの水を飲ませてしまいました… それからが、ちょっとした地獄でした。 飲んだ水で、腹水を圧迫したのか、父が苦しみだし、 「押してくれ」 「何を?何を?」 「な、な、ナースコール」 「ええんか?押してええんか?」 「いや、待ってくれ・・・」 を3回繰り返し。 ようやく、父が寝てくれたので、とりあえず外の風に当たろうと、病院の外へ。 部屋に戻ると、父は苦しんでいました・・・ 「しんどい~、しんどい~、しんどい~」と言うだけ… 私はさすがにヘトヘトになって、 父の顔を見ることも出来ず、 「しんどいなぁ~!、しんどいなぁ~!」 「でも、父さん、今まで、しんどいこといっぱいしてきたやんかぁ~!」 「会社でもしんどかったやろ~!」 って言うだけ… 辛かった・・・・ 「看取るというの辛さ」というのが初めて理解できました。 胃ガンや肺ガンの末期の方が「痛い」と言うと聞きます。 父は肝臓癌もありますが、転移もなく、小さいままで、 腹水の「苦しみ」が堪らないんだと思います。 「虫の息」と言いますが、まさに今の父は「虫の息」です。 人は、ここまで苦しんで、憔悴しきってからで、死なないといけないんですか????? 確かに、犬や猫と違うから、安易に他人が死をもたらすことは出来ません。 でも、もう父は十分に私たちの為に生きてくれました。 昨日、今日、と溜まらず私は、 「父さん、しんどいな~、ありがとうな~、ここまで生きてくれて、ありがとうな~」 って、何度も何度も繰り返し言いました。 私も辛くて憔悴しきっています。 母は、泊まり込んで1人で父を看ています。 母の方が・・・・・ もう私には十分です。 ここまで生きてくれて、ありがとう。 ここまで生きてくれて、おつかれさまでした。 心の準備はしてきました。 父はもうお腹以外は、骨と皮だけです。 酸素チューブと点滴のチューブ、 ただの延命? 私には苦しみをいつまで父に与え続けるのかと思ってしまいます。