• 締切済み

未来形(であろう)を強調するような連体修飾語

初めまして、北欧ラトビアで日本語の教鞭を執っているラトビア人のウギスです。生徒からの質問ですが、何としても未来形を強調するような連体修飾語として「娶るであろう嫁は調理が上手い人であるべきだ」、「明日バスで出会うであろう美人は僕の妻になるかもしれない」や「気付かない内に来るであろう世界滅亡の日」みたいに 「動詞辞書形+『であろう』+名詞」 という形は日本語規範文法で何と呼ばれるのですか。そして、これを違和感なく使っていらっしゃる方々の意見や例文も宜しくお願いします。

みんなの回答

回答No.3

英語は過去形と現在形は存在しますが、未来形と言う決まった形は存在しません。 学校の先生はwill=be going toでこれは未来形だと教えるでしょうが、実はwillは未来形ではなく未来に向かう意志です。 それに対してbe going toは物事の動作がすでに始まっている状況を示してます。 willとbe going toの使い方も違います。 willは~頃◯◯するでしょう。とか~するつもりと言う未確定の状況でよく使います。 つまり、絶対に~するとは限らないということです。 be going toはこれから確実に物事の動作を行うことを示してます。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.2

初めまして。教科書ではなく自分で考えて日本語を学習している日本人です。 「めとるなら料理上手の嫁にすべきだ」 「明日、バスで出逢った美人が僕の妻になるかもしれない」 「誰も気が付かないまま迎える世界滅亡の日」 「であろう+名詞」で日本語を作る安直は、間違いではないし、実際に学力のある日本人が多用する構文だろうが、残念ながら人工的でわざとらしい日本語だ。まるで整形美人のようだ。 良い日本語を求めたいのであれば「であろう+名詞」を使わない作文を学ぶべきです。 未来形の強調とは未来形が明示されていない不安に由来するのであろうし、英語を義務教育でかじらされた全ての日本人も同じアレルギーを抱えるようになったのですが、未来時制を意識したくなる構文がそもそも日本的な日本語ではないのです。 つまり未来形を強調したくなる日本語はその時点で良くない日本語と判定できます。 外国語に洗脳されたのか、日本人のインテリの多くが、「であろう+名詞」を典型例とする整形美人の日本語をばらまいています。進学した学生はそのインテリの文章で学ぶという連鎖によって日本人の日本語が人工的になってきています。危機的です。ラトビアから後押ししないでください。 私自身、純日本的な日本語を書くのに苦労しています。 お求めの文法用語を見つけられるのも結構ですが生徒には別の構文で日本語を作る習慣を教えるべきだと思います。可能と自然は異なります。

回答No.1

名前はありません。特別扱いしなければならないような構文ではないから。 問題があるとすれば、 1.「であろう」は「だろう」の改まった形。 「でしょう」は丁寧形だが、丁寧形は「でしょう」に限らず、どれも名詞修飾に使えない。 2.「であろう」は本来、断定の助動詞「だ」+動詞「ある」+推量の助動詞「う」の連語形だが、一語化(あるいは文法化 grammaticalisation)が進み、動詞の辞書形(連体形)にも付くようになった、 という点くらいか。 なお、「であろう」「だろう」は未来形ではない。あくまで推量の助動詞。過去の「た」の後にも使える。 「多くの人が見たであろう番組」 「彼が読んだであろう本」 「私の合格を誰よりも喜んでくれたであろう父」 現在のことでもよい。 「彼女が今でも住んでいるであろう町」 「今頃はもう雪が降り積もっているであろう山」 「一年中込んでいるであろう遊園地」 >これを違和感なく使っていらっしゃる方々の意見や例文も宜しくお願いします。 使っていますが、意見というと? 何を言えばいいんでしょうか? 例文なら、Googleで検索してみましょう。例えば、こんなのがありました。 「おそらくAndroidでしか出せないであろう衝撃作」 「語り継がれるであろう、アップルマップ9つの思い出」 「作者ぐらいしか使ってないであろうPyTenjinのマニアックな機能」 「学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ」 「増加するであろう”サイバー冤罪”」 「アニメ化したら売れるであろうゲーム」 「今後50年、人間が直面するであろう問題」 「生涯言わないであろう言葉」 「結婚できないであろう男」 ふむ、否定の「ない」の後に使われることが多いみたいですね。

関連するQ&A

  • 連体修飾語について

    1.飛び回っている蝶 2.誰にあげるおみやげですか 3.充実した人生を心から楽しむ人の一枚です。 上記の連体修飾語を詳しく説明していただけませんか? それから、ほかの難しい(分かりにくい)連体修飾語の例文を作っていただけませんか? どうぞよろしくお願いします。

  • 述語「名詞+だ」にかかる修飾語は、連体修飾語?

    初歩的な質問でお恥ずかしい限りですが、よろしくお願いいたします。 中1国語の教科書(光村)に、文法の修飾語に関する説明の例題として、以下のものがありました。 『色あせた写真は祖母の宝物だ。』 これを文の成分で示すと、 色あせた/写真は/祖母の/宝物だ。 ⇒修飾語/主語/修飾語/述語 …というふうになり、「色あせた」は「写真は」を、「祖母の」は「宝物だ」を修飾する、ということまでは分かります。 では、「祖母の」は、連体修飾語と連用修飾語のどちらですか? 同じく、教科書の説明には、 『体言…主語となる文節の中で、中心となる単語。  用言…それだけで述語となる単語。』 『連用修飾語…用言を含む文節を修飾。』  連体修飾語…体言を含む文節を修飾。』 と書かれいます。 述語「宝物だ」は「名詞+だ(助動詞)」であって、単独で述語となることができる単語はないですよね。(この時点ですでにあまり自信がないのですが…) ですから「祖母の」は「宝物」という名詞にかかる、連体修飾語だと思うのですが、上記の体言の説明では、体言は主語の文節の中にある単語であると限定されてしまっています。 いったい「祖母の」は連体修飾語と連用修飾語のどちらなのでしょうか…? 私が学生のころは、「体言は名詞」「用言は動詞・形容詞・形容動詞」という理解で、体言は主語限定というような教わり方はしなかったように思います。 私が覚えていないだけかもしれませんが…。 どなたか、解説をお願いいたします。

  • 連体詞「あの」の被修飾語

    あのぼんやり光っている恐ろしい針の山も(蜘蛛の糸より) を単語に分けると あの/ぼんやり/光っ/て/いる/恐ろしい/針の山/も となりますね? あの(連体詞) ぼんやり(副詞) 光っ(動詞) て(助詞) いる(動詞=補助動詞) 恐ろしい(形容詞) 針の山(名詞=固有名詞) も(助詞) となると思いますが合っていますか? 「あの」が修飾しているのは「針の山」 ということになりますか?

  • 連体修飾格

    古文にも漢文にもでてくる格助詞の「の」について教えて下さい。 区別の仕方がいまいち分かりません。 (1)「~の」と訳せれば連体格 (2)「~が」と訳せれば主格 で、(1)は名詞にはさまれてると習いましたが、名詞に挟まれてる時以外も連体格になることはありますか? いま、漢文の予習をしてるんですが (3)「先生之恥」と(4)「孤之願也」はどっちも連体格でいいんでしょうか? (4)は「私の願いである」と訳すと思うのですが、之の下にある願いは動詞で連体形ですよね?名詞じゃないけど、「~の」と訳せるから連体格でいいんですか? それから、之の下の語が名詞かどうかわからない場合は文脈判断?

  • 国文法(修飾語)

    国文法の質問です。  修飾語は、連用修飾語、連体修飾語に分類されます。連用修飾語は用言(動詞、形容詞、形容動詞)を修飾し、連体修飾語は体言を修飾するということですが、次の修飾語はどちらに分類すればよいのでしょうか。  (1)とても大きな手の人がいる。   「とても」  (2)もっとゆっくり話してください   「もっと」 (1)の「とても」は「大きな」という連体詞を修飾し、(2)の「もっと」は「ゆっくり」という副詞を修飾していると思われます。

  • 「いつ」「どこで」は修飾語?

    小学校3年国語の教科書に「 「だれに」「なにを」に当たる言葉を修飾語といいます。「いつ」「どこでにあたる言葉も修飾語です。」と書いてありました。わたしは名詞や動詞を修飾するのが修飾語と思っていたのですが今は違うんでしょうか?

  • 連体修飾の「食べるもの」と複合語の「食べ物」の違いについて教えてください

    外国人に日本語を教える場合、連体修飾語の「食べるもの」「書くもの」「買うもの」と複合語の「食べ物」「書き物」「買い物」の意味の違いをどう説明したら分かりやすいか、教えてください。

  • SOVで後置修飾の言語についての質問

    なぜチベット語やソマリ語は、SOV語順にもかかわらず、修飾語順がNAなのですか? SOV語順の言語においては、動詞の直後に名詞を置くことで修飾ができる前置修飾の方が動詞を連体形や分詞に活用する必要がない為、そのように発展する事が多いと思うのですが、SOV NA言語は、なぜ後置修飾なのでしょうか?

  • 名詞の連体形

    こんばんは、 白いマラサイです。 今回は名詞の連体形について問題があります。 「学生な日々」のような、学生と日々も同じく名詞でしょうか、なぜその間に「な」を使いますか。 辞書に調べたら、「な」は助動詞「だ」の連体形であり、他の語に接続とき使っている、例えば、「学生なので」。 けど、なぜ名詞と名詞の接続は「な」を使いますか、 「学生の日々」ではだめですか? お願いします。

  • 現在分詞を副詞で修飾できますか?

    現在分詞の動詞的用法を副詞で修飾できますか? Seeing cautiously will lead to understanding.(Seeing動名詞の動詞的用法? ← cautiously副詞) 動名詞はこのように修飾できますが 現在分詞も動詞の用法があるのでそれを副詞で修飾できる例文を教えて下さい