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多神教と一神教の分類はいつ誰が行ったんでしょうか?

YJY3の回答

  • YJY3
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回答No.5

「一神教を作った人」自身ではないでしょうか? もともと世界の人々は、(現実の物も空想上の物も含めて)いろいろな物を「神」と呼んでいました。そんな時、“彼”が『俺の考えは、今までの奴らとは違うぜ。なんたって俺は、神は1人しかいないと考えてるんだからなあ。』と言ったのではないでしょうか。そして彼以外の人々は、彼に「あなたがたとは違うんです」と言われたことによって、「そうか、違うのか」と思い、自らの宗教を『彼とは違う宗教』(多神教)と規定したのではないでしょうか。それが“分類”の起源だと思います。 そもそも一神教と多神教って内容はそう変わりませんよね? だってユダヤ教にせよキリスト教にせよ、大天使ミカエルやら魔王サタンやら、そういう「人を超えた存在」が複数出てくるのです。もし(多神教と言われる)ギリシャ神話の信者に対し、キリスト教のことを“神”“天使”などの言葉を使わずに説明したとしたらどうでしょう。例えば唯一の神のことは「圧倒的に尊い名無しさん」とでも呼ぶのです。 するとギリシャ神話の信者は、『へえ、その宗教にはミカエルやらサタンやら、神が沢山出てくるんだなあ。俺らの宗教と同じだ。で、その尊い名無しが、俺らの宗教でいえば最高神ゼウスに当たるわけだ。でもその名無しは随分強い奴だな。ゼウスですらそこまで圧倒的ではないぞ。』と言うと思います。 つまり一神教と多神教の違いなんて、「我々の宗教は、神が1人しかいない宗教」と『自己申告』しているか否かでしかないわけです。そうであるならば、最初に自己申告した者こそが、最初に分類した者と言うべきだと思います。 おそらくこういうことではないでしょうか? 昔、ある場所にある人がいた。彼は、周りの人々が色々なものを「神...神...神...神.....」と呼んでいる中で育ってきたが、それをウザイと感じていた。そしてある時閃いた! 『神は1人しかいない』というアイデアを! 彼はそのアイデアの斬新さ、明快さ、クールさに酔いしれた。しかし、しばらくして気付いた。「これ、実は相当つまらないんじゃね?」と。 ギリシャ神話を始め、神がたくさん出てくる宗教が人気があるのは、その神々の織り成す物語の面白さや、その神々をかたどった多種多様な美しい偶像などが原因だ。登場人物(神物?)が1人しかいない宗教ではそれは不可能だ。よし、もっと沢山の者を登場させなければ! この時点で、彼の新宗教の内容は「神は1人」から離れてしまっています。しかし、内容的には離れても、彼はせっかく思いついたそのアイデアを捨てたくはありません。 そこで考えた方法が、 ――「圧倒的に尊い名無しさん」以外の超人的な者を、何がなんでも“神”とは呼ばない。「これは神じゃない! ○○だ!」と言う。―― という方法です。○○には“天使”とか“悪魔”という言葉が入ります。 かくして彼とその一派は、延々と「我々の宗教は、神が1人しかいない宗教」と『自己申告』を続けることとなった。 以上が私の推測です。

fukushima0625
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 面白い考え方だと思います(・∀・)

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