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多神教と一神教の分類はいつ誰が行ったんでしょうか?

nacamの回答

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.3

多神教と一神教は、基本的に同じもので、単に見え方が異なるだけのものでしかありません。 一般的に政治状態が中央集権を求める場合、宗教は一神教化し、地方分権が進む場合、多神教化します。 日本の神道においては、多神教と言われていますが、明治期から第二次大戦の終戦までの間は、多神教ではなく、一神教でした。 天皇への権力集中が、一神教化をもたらしたのです。 ゾロアスター教は、アケメネス朝時代は、アフラマズラーを中心とした一神教でしたが、ヘレニズム文化の流入により、アフラマズラーと、本来アフラマズラーにより創造された存在のアンラマンユとの二神教となり、2人の神がズルワーンの元で多神教化してゆきます。 バラモン教においては、ベーダの時代に、インドラへの集中が起こり、多神教からインドラの絶対神化が起こります。 しかし、インドラの力が絶対的になるに従い、インドラに対抗できる神がいなくなると、インドラは名目だけの存在にまつりあげられ、多神教となってゆきます。 キリスト教においては、グノーシス派はキリスト教であっても多神教でしたし、ボゴミール派では、キリストとサタナエルとの対立を描く二紙教でした。 カトリックにおいては、神は多数の天使や悪魔を生み出し、さらには守護聖人なども生み出す一方、異教の神々とキリストやマリアとの統合が行われ、実質的な多神教を形成しています。 イスラム教においては、異教の神々を異端とすることにより、実質的に異教の神を求める多神教となってします。 バハイ教においては、多神教の神々を包括する一神教です。 バハイ教において、多神教の神々は、唯一の神による多数の化身であるとしているのです。 多神教と一神教は、単に宗教の一時期の状態が、中央集権的なのか、分権的なのかによるだけのことであり、周囲の環境が変われば、当然変化してゆくのです。

fukushima0625
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 宗教は政治と密接に関わりあってきたのですね。 様々な例を挙げていただきわかりやすかったです。 ただ、私の質問の仕方が悪かったのですが…… 様々な宗教を「多神教」「一神教」と区別した人がいるはずだと思うんです。 きっとその宗教を信仰している人は「自分は多神教を信仰している」とは考えないでしょう。 のちの時代の学者が宗教を研究する便宜上、その二つの単語を生み出したと考えます。 その起源が分かればなぁ、という質問だったのですが……分かりづらくてすみません。 でも、大変勉強になる回答でした(゜∀゜)

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