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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:パワ・ハラ電磁波はアース役が核反応させうるか?)

パワ・ハラ電磁波のアース役とは?

NemurinekoNyaの回答

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回答No.3

こんばんはです。 この問題について、さらに空想を広げて(実は、眠り猫は、こうした空想的な思考は結構苦手)、考えてみました。 ☆☆☆☆☆☆ 色のついたパワハラ電波(セクハラはもろイロもなので論外!!)は駄目ですよ。 原子核(自我)のまわりを回る電子(表層的自己)に影響を与えるだけで、核に影響を与えませんから。一時的には変わって見えるかもしれませんが、その変化は電子の状態の変化であって、すぐに元の状態に戻ってしまうので。 核を変えよう、変質させようとしたら、正負・偏りのない中性子か何かが必要ではないのでしょうか。でないと、核までは届かない。すぐに、電子などによって弾かれてしまう。 と書いて思ったのですけれども、表面的な自分である電子は、自己や自我といった核的な部分を回っていますけれども、自己を取り巻く社会や世界を考えるとき、これは極めて重要な役割を果たします。物質を結びつける化学結合をはじめに、原子や分子は、基本的にこの表面的な電子によって結びついていますから。化学的な結合は、すべて電子によって結びついていると言っても過言ではないので。核を飛び回る電子が、原子間の接着剤を果たす。社会という有機的な結合は、電子の共有化によって成り立っている。表層的・交渉的な自分、電子の共有化などによって、社会という巨大な有機体は成り立っている(笑い)。 でも、それは同時に自己を縛り付けるもの、シガラミともなります。 その中を忙しく飛び回る電子もやがて、シガラミなどに窮屈さを感じます。自由を失っている核は、なおさら孤立化します。息苦しさを感じて、窒息しそうになる。その束縛から逃れるように、宗教や哲学などに救いを求める。あるいは、その苦しさから逃れるために、有機的結合と徹底的に同化することを目指す。埋没する。そして、息苦しさを忘れたふりをする。。。。。。。 電子という観点から、社会と真の自己との関係性を考えてみました。 社会との関係性を考えるとき、原子核ではなく、交渉性のある、しかし、浮気性の電子に注目すべきなんでしょう。共有結合などの場合、それまで自分に属していた電子は相手の核を回ることも可能で、区別はできなくなってしまう。金属の自由電子などは、それまで自分が属していた核が誰であったのかすら忘れて、勝手気ままにどこまでも勝手に金属内を飛び回る(笑い)。 というわけで、このアナロジーにしたがうと、 ~~~~~~  この《核》にかんしては日本は 先進国で大国になる使命を帯びていましょう。  あたらしい社会力学の理論と実践を! ~~~~~~ の社会力学や行動心理学といったものは、核ではなく、電子の理論になると思います。 この手の理論では、見た目の振る舞いは変わるかもしれないけれど、原子核はほとんど変わらないじゃないかと。もっと、核の構造にまで踏み込んだ理論が必要になるのではあるまいかと。 じゃ、核の構造を変えるインパクトのあるものはないか。 電荷を持たない、正負のバイアスのかかっていない中性子や、陽子といった核を構成していたもの、あるいは核を構成しうるものを直接ぶつけるしかないのでは。 でないと、核は分裂したりはしないと思うんですよ。 では、愛はこれになりうるのか。 電荷を持った(プラスのバイアスのかかった)愛だと、原子核に到達する前に電気的な反発力で弾かれてしまいます。この電気的な反発力に打ち勝とうと、光速ちかくにまで加速させてからぶつけると、今度は、核が壊れるどころか、素粒子レベルまでに分解してしまうかもしれない。(他者の)愛といっても所詮は、原子核本来の強い相互作用・核力である自己愛とは異質なもの、他所者ですから。自我そのものや、自我を構成しものそのものが崩壊しかねない。 バイアスのかかっていない中性的な愛、厳しさと優しさを同時に兼ね備えて、結果的にプラスマイナス・ゼロの愛でないと、駄目ということになりますかね。 こうした一連の考察からすると。。。。。。。

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  まづ印象つよく入って来たところは 次のふたつです。  (あ)★ こうした空想的な思考  (い)★ バイアスのかかっていない中性的な愛、厳しさと優しさを同時に兼ね備えて、結果的にプラスマイナス・ゼロの愛でないと、駄目ということになりますかね。    ☆ 後者は うまいことおっしゃると思いました。基本的にそうだと思いました。  前者は 考えるに自然科学の認識内容を人文や社会にかかわる現実のことがらに当てはめることが《空想的》なのかと思いますが ですが扱っている内容は じっさいの現実の問題ですので いやそれはおかしいとも思いました。  【1】 愛は 基本的に中性的なふるまいである。  命題(い)にかんしてです。  なぜなら いかにその人が必要としているモノやコトであっても 言ってみれば相手にはたらきかける要素を持つ愛は 大きくは押しつけの部類に入る行為であると思われるからです。  たぶん サマリアの男が隣人となったという事例のように半死半生の状態にある――つまり精神的にもそのような状態にある――場合にこそ 《押しつけ》はゆるされ有効だという見方に片向きます。  ふつうにおこなうボランティアは 相手の了解を取って 押しつけですが受け容れてもらえますか?と確認することさえ大事ではないかと考えます。  【1-1】 ただし言論においては 愛はどういう行為か?  一般に自己表現としては 愛は あくまで対等の立ち場にある二者のあいだで成り立つ。これが命題(い)の基本的な視点だと見ます。  (ゆえにこそ――いいわるいは別にして――新潟の人びとは 往年の政治家 T 氏が批判を浴びることになろうと 恩返しで支持しつづけました。今回の後継者についての選挙結果は もう貸し借りがチャラになっていたのだと受け取られます。へんな形であろうと 対等の立ち場でこそ愛なるほどこしは成り立ちます)。  ただし言論としての自己表現については どういうことになるか?   つまりこの場合は特にはパワ・ハラ行為がおこなわれているといった場面において どういう愛としての自己表現が考えられるか? に集中しています。  【1-2】 やはり《核心》をつくことは 必要ではないか? まづハラスメントの起きる場について。  命題(あ)とも関連するはずですが まづそのハラスメントの起こる場としては 次のように確かに捉えられます。  ★ ~~~~  社会という有機的な結合は、〔表面的な自分としての互いの〕電子の共有化によって成り立っている。表層的・交渉的な自分、電子の共有化などによって、社会という巨大な有機体は成り立っている(笑い)。  でも、それは同時に自己を縛り付けるもの、シガラミともなります。  その中を忙しく飛び回る電子もやがて、シガラミなどに窮屈さを感じます。自由を失っている核は、なおさら孤立化します。  ~~~~~~  このような社会としての具体的な特定の場で起こる問題についてです。  【1-3】 やはり《核心》をつくことは 必要ではないか?  くわしい議論を端折ることがゆるされるならば けっきょくそのパワ・ハラ氏の自由電子にのみうったえかけても あまり効果はない。つまりそのガミガミ氏の原子核にまでとどく表現が欠かせない。となるのではあるまいか。  おそらく飛び回る電子の流れなどを変えようとしたり押さえつけようとしたりしても埒は開かない。核心をついて 自己の核にかかわるような再編成をせまる必要がある。のではあるまいか。    こういう意味での《(い) バイアスのかかっていない中性的な愛》としての自己表現がのぞまれる。こう考えます。  ニュートリノのごとく相手の原子核を通り過ぎてゆく言葉であってよいのではないでしょうか。気づきは おそらく本人の問題だと考えられるからです。そうでなければほんとうの・つまりふつうの核反応は起こらないというようにも見られます。  【1-4】 もし本人の本気の自由電子が ガミガミ電波として飛んで来たときには?  ☆☆(No.2お礼欄) ~~~   ガミガミ中性子を照射するのではなく つまりただしそのように先に能動性の放射能行為があった場合に 例によってアース役は これを自分が巨大な反射鏡のごとき存在となって その能動行為者に向けてガミガミ中性子の撥ね返りを誘導する。ということです。  ~~~~~~~~~~  この場合は ニュートリノのごとくにではなく じっさいに本人の原子核をまで照射することもありうる。こう見られます。カウンターパンチはあり。だと見られます。    【2】 シガラミを部分的にふくむ自由電子の錯綜関係の場としての社会において その縁起過程の逆観は いかに成し遂げるのか?  命題(あ)の空想ということではない理論と実践が問い求められています。という見方から どういう現実の把握と処方箋が得られるか? です。  【2-1】 おそらく灰身滅智としてのニルワーナは要らない。    《さとり》とは何か? という問題なのですが まづニルワーナは要らない。  自由電子を押さえつけることに意味は無く 原子核の自然本性の芯を消滅させることは無用である。よく用いよくそのチカラを発揮させることが肝要である。  シガラミは《苦》ですが――つまり自分のたとえ良いと思われる内容の行為や考えであっても 世間には通らないことがあるし思うようにならないところの苦ですが―― では そこからの覚醒とは いったいどういう事態か?  【2-2】 《さとり》は ボディサトワとしての自己表現にあり それは 動態であり死ぬまでつづく愛(=自己の自治)の過程である。  完全なるさとりを得たと言われるような状態としてのブッダは 要らない。ない。たえず自己生成しているはずである。だから ブッダの神格化は無用である。    原子核の運動としての自己 これを表現して活き動きする存在する人間は 自己自身の自治および社会の共同自治としての《愛》に生きる。これは 一般にボディサトワと呼ばれる。  【2-3】 では ボディサトワの愛とは どういう経験現実か?  さとりが空想でないということは どういう経験行為か?  シガラミが 世の中にただよっているといった認識に終わるものなのか?  その認識を 無明つまり煩悩から明知へ転回するという愛は どういう現実か?   ・【1-4】のカウンターパンチは 愛か? 慈悲か?   ・【1-3】のニュートリノのごとき中性的な愛は 実現可能か?  【2-4】 シガラミに絡まった自由電子をかかえる原子核ないし《自己》は 現実に《自己組織化》しうるか?  パワ・ハラには及ばない《自己》を 人びとは築き得るか?  シガラミを自分たちの共同自治のチカラのもとにおさめうるか?  ★ 自我そのものや、自我を構成するものそのものが崩壊しかねない。  ☆ と たとえ しても ひとは中性子等の照射によって他者に対してその再自己組織化をうながしうるか?  《火の中をくぐり抜けて来た者のように》 たとえ炉心溶融が起きたとしても 自己組織化を果たしておのれのおのれである存在に立ち還るべきか そうでないか?  あたらしい社会力学は いかなる内容として捉えられるか?

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  • 日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?

     ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。  これを あらためて問います。  昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:  1. きわめて話し下手である。  2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。  3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。  4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。  5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。  6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。  7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。  いまは  8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。  9. 相手の粗さがしを考えている。  10. 道は相手がゆづるものと思っている。  11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。  12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。  13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・  原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。  14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。  15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。  16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。  17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。  このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。  18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。  19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。  20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。  21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。  22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。  23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。  おまけ:  24. ところが ここまで来ても誰も――愚痴のほかは――何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか?  25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?  26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのだろうか?  27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのか? だとしても ただそれだけではないのか? この認識の瞬間に 悪夢は消えたのではないか。  とことん自由で建設的なご批判をお寄せください。賛成票をもどうぞ。

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    現在非常に大きな敵と戦っています。私一人が国家を相手にしている感じです。(または、数十名 VS 全世界。)そこで皆さんのお力をお借りしたいのですが、どのようにすればこの勝負に勝つ事が出来るでしょうか?核ミサイルでも持っていれば互角に駆け引き出来るのでしょうが。。。  参考になる本があれば教えて下さい。本来なら本を読んで勉強するところなのですが、何分精神に障害があるため、この質問に概要から詳細までを回答くれたら助かります。 宜しくお願いします。

  • 宇宙空間で核爆発が起きたら

    お世話になっております。horagaiです。 ちょっとした疑問なのですが、宇宙で原爆(または水爆)を爆発させたら 周囲への影響はあるのでしょうか。 地球上では大気があるので瞬間的な高温で膨張した空気が物理的、熱的な エネルギーを周囲に伝播させ、大規模な破壊をもたらすわけですよね。 宇宙ではエネルギーを伝播する空気がないので、爆心のそばに他の物体 例えば宇宙船などがあっても無傷のような気がしますが。 もちろん放射線や電磁波は空気の有無に関係なく放出されますが、核爆弾の 爆発の際に生じる電磁エネルギー(赤外線、可視光線、紫外線、X線、γ線等) や放射線(α線、β線、中性子線等)はそれだけで周囲の物体に物理的破壊を もたらすほどの総和量および密度を持つものでしょうか (生物への影響はここでは考えないことにします) また核反応で生じる放射能物質はどうなるのでしょう。地球上なら空気と ともに外側に流れていくわけですが、宇宙では?その場に留まる? それとも運動エネルギーを与えられて四方八方に飛んで行く? その場合それが地球上での空気の役を果たすのでしょうか それにしても量的に見て空気の膨張ほどの影響力はないように思えます。 地球に衝突しそうな小惑星を見つけたら核ミサイルで破壊してしまう、 という計画もあるようですが、上のことを考えるとそんなことがうまく 行くのか?という疑問が起こります。 それともミサイルをぶつけた時の衝突エネルギーだけで破壊しようと いうのでしょうか。それなら核ミサイルでなくてもよさそうですが。