• 締切済み

神との決別は何時?

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.9

 こんにちは。  あえてこてこての宗教の議論をかかげてみます。  ▼ (アウグスティヌス:神の治療) ~~~~~  ところで治療は健康にいたる道である。  これと同じようにこの治療は罪びとたちを救いだし 健康を回復させるためになされる。  医者が傷口を縫い合わせるときは むやみにでなく 適切におこなう。そして傷の手当という実用だけではなく 見た目にも美しく見えるようにする。  それと同じように知恵の行なう治療は人間の姿をとることによって われわれの傷口に合わせてくださる。  ある傷にはそれに合ったものをまたある傷にはそれと反対のものをあてがうのと同じである。  身体の傷を治療する医者も 熱を帯びたものには冷たいもの 湿気のあるものには乾いたもの その他そうした類のもののように ある反対のものをあてがう。  ところが似たものをあてがう場合もある。丸い傷口には丸い絆創膏を 細長い傷口には細長い絆創膏をあてがい すべての肢体に同じものをあてがうのでなく 同じ形の傷には同じ形の布をあてがう。  このように神の知恵が人を治療なさるとき 治療するために ご自身をさし出される。医者みづからが薬になる。  だから人は傲慢のために高みから落ちたので 人を癒すために神が低くなられたのである。蛇の知恵によって欺かれ 神の愚かさによって解放される。  けれども神はかの知恵と呼ばれているのに 神をなみする者にとっては 神は愚かであった。そのようにかの愚かと呼ばれた方は 悪魔に打ち克つ者にとっては知恵なのである。  われわれは われわれが死ぬために不死の性質を悪用したのであるが キリストはわれわれが生きるために死すべき性質をよく用いられた。女性の腐ったこころから死が始まり 女性の完全な体から救いが現われた。  神の徳を模範とすることによってわれわれの悪徳が治療されることは異種療法に属する。  女に欺かれた者どもを女から生まれた者が 人びとを一人のひとが 死すべき者たちを一人の死すべき者が 死者たちを死によって解放されたのは われわれの肢体や傷口に 傷と似た形の繃帯をあてがうのと同じである。  やりかけた仕事を私のように進める必要のない暇な方々がもっと熱心にお調べになったら これ以外にもいろいろ キリスト教的な異種療法や同種療法の症例が見つかることであろう。  『キリスト教の教え De doctrina christiana 』 加藤武訳 第一巻第14章〔13〕)  ~~~~~~~~~~~~  ☆ 人間は死んでいた。というわけのようです。高みに登りそこから落ちたけれども なお高みにいると思っていたと。  いや いまも死んでいるのかも。それゆえ 神が――神の独り子が――死を死に去って行かねばならなかったというたいそうな話です。

関連するQ&A

  • なぜ神は多様か。

    タイトル通りの内容です。 現実として宗教=神(仏)は多様に存在していることに関して、信仰を持つ人間はその本質としての絶対性といかにして折り合いをつけるかという問題を考えたく、質問致しました。 結局のところは、原理主義と多元主義のいずれかに落ち着くと思われますが、前者の場合、原理主義と原理主義の対立が殺戮や荒廃をもたらすという、救済との矛盾がいかにして克服されるか、後者の場合、ではそもそも神の多元性の原因は何か、というような疑問があります。

  • 神は完全ではありえないのでは?

     キリスト教等の一部の宗教では、神は完全なる存在と見做されている場合があるようですが、果たして神は完全な存在と言えるのでしょうか?  もしも、完全な存在というものが存在するとしますと、それはその存在のみで自己完結した存在でなければならないと思います。  己のために、何か己以外のものを必要とする様な存在は、完全な存在とは言えないと思います。  ですから、完全な存在は、己以外のものを必要とする事は無い筈です。  又、完全な存在である以上、他の存在に影響されるなどという事も無い筈です。  又、完全な存在が自己完結している以上、己以外の存在に対して敢えて働きかけたり、逆に己以外の存在から何らかの影響を敢えて受けたりする必要はない筈です。  又、必要性の無い事をする存在は、完全な存在とは言えないと思います。  ですから、完全な存在は、己以外の存在に対して何かを働きかける事は無いと思います。  つまり、完全な存在というものが存在したとしますと、それは人間の役に立つ事は一切なく、人間に対して害のある事を行う事も無く、自ら動く事も、人間を含めた他の存在によって、何かの影響を受ける事も無い訳で、只存在しているというだけの存在であり、人間にとっては、何の役にも立たないものの、邪魔になる訳でもない、まるで道端の石ころの様な価値の無い存在という事になると思います。  しかし、キリスト教を始め、多くの宗教においては、神は世界を創造し、人間を始めとする全ての生き物を作り出し、人間を導く存在だとされています。  又、上記のものとは異なる性格を持つ神を信仰している宗教においても、神は人間との間に、何らかの関わりを持っている場合が殆どです。  もし神が完全な存在であるとしますと、神にとって、その様な行為は全く行う必要のない事の筈ですから、不要な事を行っている神は不完全な存在だという事になるのではないかと思います。  この「神は不完全ではないのか?」という命題に、「キリスト教等の『神は完全なる存在』としている宗教」や「その様な宗教から1歩離れた視点から考察している哲学者」は、それぞれ、どの様な考えから、どの様な結論を得ているのでしょうか?  もし、御分かりになるのでしたら、その考えと結論は、どういった立場の何という人物の考えなのかという事も、併せて御教え頂けたら幸いです。

  • あなたは神様は いると思いますか。

    あなたは 神様がいると思いますか。 いるとしたら どんな神様ですか。 良い神様 悪い悪魔 私は神様の存在は 半信半疑です。 神様が居れば 罪ない人間が命を落とす事はないですよね。 信仰は別で 神様は存在すると 思いますか あなたは 神様を信じますか 私は 神様と話がしたいです。

  • 宗教(神)を信じるという事について

    私は宗教を否定も肯定もしない人間ですが、神を崇拝する宗教を信じる方、よろしければ以下の質問にお答え下さい。 (1)「この世界、また我々人間をつくったのは神である」と信じる根拠は? (2)なぜ、神の存在を信じられるのか? (3)キリスト教のイエスは本当に死後、生き返ったのか? (4)宗教を崇拝しない私のような人間が多い日本の方が、むしろ「おかしい状態」なのか? (私は人間が神をつくったと思っています) 以上、よろしくお願いします。

  • 神は存在しないのか?

    苫米地英人の「なぜ、脳は神を創ったのか?」という本を読みました。 その中に、パトリックグリムという人が「神は存在しない」と証明 したと書いてありました。その概要は、(ゲーデルの不完全性定理などから) 完全な系は存在しないので、神という完全な系は存在し得ない、ということらしいです。 しかし、考えてみたのですが、「完全な系は存在しない」というのは、あくまでも 人間の言語から構築する系についての限界のことであり、人間の思考を超えた 完全な系が存在することは否定できないのではないでしょうか? つまり、全知全能の神は存在しえないのではなく、仮に全知全能の神が存在したと しても、その神の思し召しは人間(言語)には理解できない、ということではないでしょうか? まあ、そうだとしても、今ある宗教は神の言葉ではなく、人間の言葉の積み重ねにすぎない ことになるので、宗教における神の否定にはなるとは思いますが。 人智を超えた全知全能の神を否定することはできるのでしょうか? 私は、この世界には自分たちの思惑を超えた何者かがいるようには思いますが。 肝心のグリムやらゲーデルやら全く無知なので、そういうとっかかりでも 教えていただけたら幸いです。よろしくお願いします。

  • 神様について

    ”神”とは、何なんでしょう? 私が聞いたことのある物として、 1.すべての物(木の1本1本 髪1本1本など・・・)に対して、一つの神が存在する。 2.動物(人間を含めた・・)等の産まれた日から、死ぬ日までのすべての行動を決めている。(知っている) 各宗教によっても考え方が違ってくると思いますので、神に関する色々なことをおしえてください。 参考URLも大歓迎です! よろしくお願いします。

  • 神様は存在しますか?

    まず、私の考えをいいますと・・・ 神様は存在しないだろうと思っています。 これに対して、いや、違うというお考えがあれば教えてください。 神様が存在するという証拠も、存在しないという証拠もない。 だから厳密にはどちらとも言うことはできない。 でも、存在しそうか、しなそうかということは考えることができる。 存在しなそうという根拠は 1)宗教で考えられている神様は、民族によって内容がバラバラである。これを統一的に考えるのは困難。これらの宗教のうちどれか1つの神様が正しいということを考えることも難しい。どちらかと言うと宗教は衰退しているようにみえる。ヨーロッパやアメリカでのキリスト教信者の減少など。 2)神様が存在するなら、その神様をつくったのは誰か?どうやってつくったのか?という問題が発生する。それに対し、神様はもともと存在したのだという意見も聞くけど、私は納得できない。やはり、最初に誰か(何か)がつくらないと存在できない気がする。 神様説に対する反論として・・・ 神様が存在する根拠として世界があまりにもすばらしくできていて神様なしには考えられないというのがあります。インテリジェント・デザインとか。 1)たしかに生物の体はほんとうによくできていると思います。でも誰かがデザインしたにしては無駄が多い。痕跡器官など。これらは生物進化の結果だと思います。 2)地球は人間が住みやすい環境です。これは偶然で説明できるのか?という意見があります。それに対しては人間原理で考えることができます。つまり地球の環境がうまくできているのは、もしうまくできていなかったら人間が存在できない。つまり、「当たり」の環境にしか人間は存在できないので、なんで「当たり」しかないのだろうね、不思議だね。という話になるということ。 「神様を信じるとしあわせになる。だから神様を信じる」というのは、ありだと思います。 ただ、「信じるとしあわせになるから、神様は存在する」というのは論理的につながっていないと思います。 念のために申しますと信仰は各人が選択するもので、そこに立ち入るつもりはありません。神様の存在について客観的なお話を聞きたいだけです。 論理的に神様が存在しそうという考えがありましたら教えてください。 以下、余談になります。 神様の存在を信じている人と議論して不満に思うのは、神様はいないだろうというと、「君は神様が存在しないということを信仰しているのだ」と言われてしまうことです。つまり「君も自分も信仰の方向が違うだけで信仰しているのは同じなのだ」という相対的なあつかいに持ち込まれてしまうのです。 私としては神様が存在する証拠や根拠が納得できれば、神様が存在するほうに考えを変えるつもりなのですが、やはりこれも信仰なのかな?と。 私が「妖精は存在しない」と言ったら誰も「君は妖精が存在しないという信仰を持っているのだ」とは言わないですよね。もし、神様と妖精はどこが違うのでしょうね。もしよかったらこの点もお教えください。

  • 神を信じるためには

    クリスチャンのかたにお尋ねします。 どうすれば天地の創造主、全能の父なる神の存在を信じられるようになりますか? 私はこれまで、人間やその他の動植物はすべて偶然によってこの地球上に現れたと思ってました。たまたま地球が太陽からほど良い距離にあって、暑すぎず寒すぎずという環境だったために生命が生まれ繁栄したと。 ただ、この生命の発生はほんとに奇跡的なことなのだということを最近知り、もしかしたら、そこに神の意思が働いているのかもしれないと、ほんの少しだけ思います。 でも、神の存在を信じる、には至りません。なかなか信じられなくて困っています。聖書を読んだり、インターネット放送で教会の礼拝を視聴したりしているのですが、なかなかついていけません。創造主の存在が信じられない状態では先に進みません。現状では、神に祈ることすら、なかなかできないのです。 どうすれば神の存在を信じられるようになるのでしょうか? 教会に行きたいのですが、勇気がなくて行けずにいます。

  • 神様はいますかヽ(´ー`)/

    神様がいるよ~って方は、 あなたがいるとする神様の定義(宗教名でもいいです)と 神様がいる理由(存在証明)を教えてください。 神様なんていないよっ~て方なら不在証明を。 私は一般的な宗教そのものに疑問を持っていたので 神様がいるとされる方の理由を知りたくて 質問しました。 回答内容に疑問が浮かんできたら お礼のなかで再度質問させてくださいね。 頭が悪いので分かりやすい言葉で お願いします。ヽ(´ー`)/

  • ぶっちゃけ神って悪魔じゃないんですか?

    イスラエルとパレスチナの宗教解釈問題起因の戦争をラジオで面白おかしく講談風にやっていて、なるほど元は兄弟喧嘩なのねとか、ああだから一夫多妻制があるのかとか、それって純血主義で差別じゃね?とか、なるほどイスラエルはだから神様みたいな名前なのねとか、出ましたルール変更!とか、やっと合点がいったのですが… でも、私には神は人心を惑わす存在にしか感じませんでした。いやそれこそが悪魔の仕業!とか言われたらぐうの音も出ませんが笑 神も悪魔も人間になぜ干渉するのか、無視して今を生きるという結論に至らないのが不思議です。 もちろん神に逆ギレする場面もある様ですが、人間は言い負かされてしまいました。 その結果、多くの人間が死にましたよね。