有木 巨智麿のプロフィール

@kothimaro 有木 巨智麿
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 この宇宙を構成する物質・時間・空間・精神の探求者です。一言で言えば、それらは「神秘」です。  自然科学を専攻し物質から成る宇宙を学びましたが、神官の家系に生まれたせいか精神から成る宇宙も見えます。  両者の融合を目指し、日々科学的思索と瞑想に精進しています。  私の思想は、左Webサイトにまとめていますので、参照下されば幸いです。

  • 不安を感じやすい

    不安を感じやすい 物心ついたころから理由のない不安を感じやすい人間でした しかしそういった自分を「だめ」とか「弱いからだ」と思い 隠したり、異常な精神力でカバーして生きてきました ただの不安感だけでなく、さまざまな症状(といったらよいものか判断しかねますが・・・)が出たり治ったりで 病名も時と場合によりいくつかもらったり いったい何が何なのかわからない状態で 毎日、なんとか生き延びるといった具合で 人生の3分の2はこういった状態ですごしました 生きるにはこらえたり、苦しんで時間を過ごすしか方法がなかったので、そういった人生を過ごしてきましたが ほんの少し、安定して(安定の方法は人それぞれなのでここには書かないでおきます) このことが、正常でないと気がつきました ほんの少し、生き方の他の選択肢もあるんだと気がつきました (ずっと100点取っていないといけない感じで、 80点はダメだ、できなかったって思わなくちゃいけなかったけれど 今は、60点って半分以上でいい点数じゃないか や 40点だったら、とりあえず10点プラスするのは何をすればいいんだろう?といった考え方が 肯定できるようになった) かといって、今すぐに生き方を変えられる状態でもないので 今まで生きてきた時間を整理しながら箱に入れて、 すぐに必要のないものは、さよならしながらいけたらと思っている状態です こんな状態でも生きてこれた時間や環境に感謝をしながら生きていますし (まだときどきできないときもありますが) 環境を変えれば、変わる部分もあると思いますが、消耗が激しいため まだしばらく外的基準(環境や状況)を極力変えず 自分の気持ちや考え方を自然な気持ちで感じられるようにし、 そこから自分と、環境を変えていけたらいいなと考えています ここで気持ちの整理をしていきたく、教えていただきたいのですが <ひとつめ> まず、あるはずのない不安が発生していて そのことを隠さなければいけないといった心理状態 これを言葉にするとどういった状況なのでしょうか 自分はどんな気持ちでこらえていたのでしょうか いつ火がつくかわからない爆弾を抱えて生きている? <ふたつめ> このことを隠さなければいけないといった心理状態は 何を引き起こすのでしょうか 人に理解してもらえない、 人は自分と違う、 人間不信? <みっつめ> 仕方がなかったにせよ、判断基準が自分の意思とは違ったもので 生きてきた時間を どうとらえていけばよいのでしょうか 今、気がついてよかったじゃないか 3年後気がつくより、今でよかったじゃないか? 安定と不安定を行き来していて、 ずっと張りつめていたより、ふらついている感じでもあります 似た感じのお話でも、アドバイスでも結構です ただ勝手ながら、非難否定的な意見はやめてください

  • 神様は存在しますか?

    まず、私の考えをいいますと・・・ 神様は存在しないだろうと思っています。 これに対して、いや、違うというお考えがあれば教えてください。 神様が存在するという証拠も、存在しないという証拠もない。 だから厳密にはどちらとも言うことはできない。 でも、存在しそうか、しなそうかということは考えることができる。 存在しなそうという根拠は 1)宗教で考えられている神様は、民族によって内容がバラバラである。これを統一的に考えるのは困難。これらの宗教のうちどれか1つの神様が正しいということを考えることも難しい。どちらかと言うと宗教は衰退しているようにみえる。ヨーロッパやアメリカでのキリスト教信者の減少など。 2)神様が存在するなら、その神様をつくったのは誰か?どうやってつくったのか?という問題が発生する。それに対し、神様はもともと存在したのだという意見も聞くけど、私は納得できない。やはり、最初に誰か(何か)がつくらないと存在できない気がする。 神様説に対する反論として・・・ 神様が存在する根拠として世界があまりにもすばらしくできていて神様なしには考えられないというのがあります。インテリジェント・デザインとか。 1)たしかに生物の体はほんとうによくできていると思います。でも誰かがデザインしたにしては無駄が多い。痕跡器官など。これらは生物進化の結果だと思います。 2)地球は人間が住みやすい環境です。これは偶然で説明できるのか?という意見があります。それに対しては人間原理で考えることができます。つまり地球の環境がうまくできているのは、もしうまくできていなかったら人間が存在できない。つまり、「当たり」の環境にしか人間は存在できないので、なんで「当たり」しかないのだろうね、不思議だね。という話になるということ。 「神様を信じるとしあわせになる。だから神様を信じる」というのは、ありだと思います。 ただ、「信じるとしあわせになるから、神様は存在する」というのは論理的につながっていないと思います。 念のために申しますと信仰は各人が選択するもので、そこに立ち入るつもりはありません。神様の存在について客観的なお話を聞きたいだけです。 論理的に神様が存在しそうという考えがありましたら教えてください。 以下、余談になります。 神様の存在を信じている人と議論して不満に思うのは、神様はいないだろうというと、「君は神様が存在しないということを信仰しているのだ」と言われてしまうことです。つまり「君も自分も信仰の方向が違うだけで信仰しているのは同じなのだ」という相対的なあつかいに持ち込まれてしまうのです。 私としては神様が存在する証拠や根拠が納得できれば、神様が存在するほうに考えを変えるつもりなのですが、やはりこれも信仰なのかな?と。 私が「妖精は存在しない」と言ったら誰も「君は妖精が存在しないという信仰を持っているのだ」とは言わないですよね。もし、神様と妖精はどこが違うのでしょうね。もしよかったらこの点もお教えください。

  • 神の存在を信じているが崇拝はしていない

    仮に神が人間を創ったとする。 その人間は戦争、差別など愚かなことをいつまでたってもやめない。 自分たちは地球のの支配者だと思い、他の生物を平気で殺す。 自分たちのつくったシステムで、貧富の差をつくり弱者をなかす。 他人の痛みなどわからない。人はそういうふうに創られている。 こんな人間をつくりあげた神を崇拝できるのか? 神を崇拝している人は、その理由を教えてほしい。

  • 神 信仰ならびに宗教についての一般理論

     哲学カテが 劣化して来ていませんか。  神とは何かについて 十年一日のごとく ああでもないこうでもないと おままごとを繰り返していませんか。  神は人間がつくったんだとか 全知全能なら何でもできるのではないのかとか いったい全体 よくもそんな落書きを書きなぐって 哲学だと言えるのでしょうか。  人類史上もっとも新しいもっとも妥当な見解を示します。  あらゆる疑問と自由なご批判をフルボッコでどうぞお寄せください。  1. 神は 概念ではないのですが 人間の言葉で・つまり概念として何とか理解しようとひとはつとめます。  2. 概念ではなく経験事象ではないという意味は 次のように図示できるはずです。   (あ) 神は 《非知》である。 ~~~~~~     経験事象       可知         既知         未知       不可知(知り得ないと知ったものごと)     非経験の場(因果関係から自由な場を想定する)       非知 (知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ)       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  3. この非知ないし非経験の場を・つまり神をひとが心に受け容れた――これが《信じる》ということなのですが――とき われわれ人間の存在のあり方として次のように図示出来るのではないか。   (い) 《信じる》のは 《非思考の庭〔なる動態〕》である ~~~     信じる:《非思考の庭》:信仰なる動態;⇒ヒラメキ直観     --------------------------     考える:《思考の緑野》:理性←→オシエとしての宗教     感じる:《感性の原野》:知覚;直感ヒラメキ     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  3-1.  《オシエとしての宗教》という意味は まづ一般に成文化されていなくても何らかのオシエがあります。これが 教義となって教祖・教団をともなうなら まさに宗教です。      3-2. 言いかえると オシエは 概念であり想像の世界でもあります。つまり 宗教は 《信じる》とは別の問題であり領域です。宗教の説く《神》は 信じる神とは 別物です。  3-3. もともとは 《信じる》からオシエが得られたとも言えるでしょうが 言葉として教義として成ったなら それは言わば《信仰というセミの抜け殻》になってしまいます。宗教は じつは信仰の自殺行為です。  4. 《信仰》である《非思考の庭》は 実際に具体的に次のようなかたちを採っています。  《梵我一如》というかたちを 一般類型として捉えることが出来ると思います。   (う) 信仰は すべて《梵我一如》類型で捉えることができる ~~~~~   =《非思考の庭》が 次の二層構造を成すと考えられる。   A. ブラフマニズム:梵我一如    梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神    我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我   B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)    無梵:空(シューニャター)・ゼロ    無我:アン‐アートマン;ニルワーナ   C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)    仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)       / マハーワイローチャナ(大日如来)    仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)   D. クリスチアニズム:霊霊一如    霊:神・聖霊    霊:《神の宮なるわれ》   E. (プラトン?):霊霊一如    霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)    霊:《われ》   F. 《もののあはれを知る》    霊:かみ(自然および超自然)    霊:われ(自然本性)   G. ユダヤイズム:霊霊一如    霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)    霊:われ   H. イスラーム:霊霊一如    霊:アッラーフ(イラーハ=神)    霊:われ   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   4-1. 神は 名がちがっても みな同じひとつの神である。つまり 《非知》である。  4-2. 非知は 経験事象を超えており因果関係から自由であり 経験的な有無をも超えている。     よって人間の言葉で表わそうとすれば 神は有るとも無いとも言いうる。非知は けっきょく絶対ということですから 絶対有とも絶対無とも言い得ます。  4-3. すなわち 有神論も無神論も まったく同じ《非思考の庭》なる信仰である。と帰結されます。     有神論の中で その神の名が いくつかに分かれるというかたちです。       4-4. なお 多神教だとか汎神論だとかというのは 神の《依り代》がいくつかあると見立てた結果持たれた信仰のかたちです。同じひとつの神が 具体的に山の神や海の神として依り代(または 補助線)になっていると見るとき やほよろづの神々が持たれます。  4-5. むろん 《非知》というのも・そして《神》というのもすべて神を理解しようとして持たれる人間の言葉なのであり それらは・それらもすべて 神の依り代です。《かみ》という言葉は 神そのものではなく 依り代のひとつです。神を知りたいというとき人が自由に引く補助線です。  4-6. 人びとは この補助線(依り代)として臨時に用いる神にかんしてその概念を問題にして 全知全能であるとか いやそのように人間がつくったんだとかと言っています。仮りの理論であると心得ないのなら ちゃんちゃらおかしいと哲学は言わなければなりません。  4-7. 神についてのお医者さんごっこは もうやめにしましょう。さもなければ 哲学の劣化は じつに人間の劣化そのものです。  4-8. なぜなら むかしの人びとは それでもまだ曲がりなりにも素直な心で ほんとうの神――非知なるナゾ――をそれぞれ信じていた〔と言える部分が大きい〕と考えられるからです。信じることはそっちのけであるわ かと言って思考能力はおままごとの状態にとどまるわでは いったい何のかんばせがあって みなさんは 生きているのか。

  • E=mc2の「m」

    アインシュタインのE=mc2とあり、eがエネルギー、mが光速、cが質量 だったと思うんですが、 1.mの光速っていうのは、光の速度の事なんですか? 2.エネルギーを求めるには、単純に光速×質量×質量をすればいいんですか? この2つをできるだけ分かりやすくお願いします。

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    • noname#251292
    • 物理学
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