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『三四郎』についての本

ghostbusterの回答

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回答No.2

あまり現物を見ずに本を買った経験がないので、コメントするのがむずかしいな、と思いつつ何点か補足を。 ・翰林書房「漱石研究」について 所属の図書館で定期購読しているので、バックナンバーを探してみたのですが、当該の号はちょっと見あたりませんでした。 いい雑誌だと思います。 それでも、雑誌というのは、どうしても本に較べて分量は限られます。一号の、それもひとつの論文だけ取り出して、読んでおもしろい、あるいは、なんらかの参考になる、というものではないのではないかという気がするのです。 こうした雑誌は、定期購読しながら、連載を読んだり、あるいは適当におもしろそうなところを拾い読みしながら、ああ、この人はこんなことを考えているのか、それではこの人の本を読んでみよう、という性格のものだと思うんです。おそらくこの雑誌の中だけで完結した論考はないでしょう。 そういうことを考えると、この雑誌一冊に\2,400払うのはちょっともったいないかなー、と思います。 むしろ、それくらいなら発行人である小森さんの評論を読んだ方がいいかな、と思います。ちくま新書から出ている『漱石を読みなおす』あたりはいかがでしょうか。個別『三四郎』からは離れるのですが。 ・その他の評論に関して 漱石の評論はそれこそ山のようにあって、たとえばアマゾンで検索しても、ずいぶん出てきます。 で、ですねぇ。 やっぱり質問者さんには、お忙しいかと思いますが、本屋にいらっしゃって、現物をお手にとって、ご自身に馴染まれるものを探していただきたいと思うのです。やっぱり、本を読むというのは、そこから始まっているかな、と。 たとえば漱石評論の有名どころでは、柄谷行人を上げていませんし、比較的最近出た丸谷才一も上げていません(理由を書き出すと大変長くなるので省略)。 けれども『闊歩する漱石』がおもしろそうだ、と思われたら、ぜひお読みくださればいいんです。 なんというか、本はアタリもあればハズレもあります。ハズレを何回も引くうちに、初めて自分の好み、みたいなものがわかってくるのだと思うんです。たぶん、本を読むということは、知らなかった自分に出会うことでもあると思うので、どうか、本を読むのがおきらいでなければ、ハズレ覚悟でいろいろな本に手を出してみてください。 ・内田百閒について(「閒」辞書登録させていただきました。ありがとうございました) 講談社の全集で百閒を読んだのは、実家にいた時期なので、かれこれ十年以上前のことになります。したがって多くはそのタイトルと内容が一致しません。手元にある数冊は、古本屋をめぐって集めた旺文社文庫が中心ですが、いまは筑摩から再刊されているんですね。 これは純粋に私の感想なのですが、百閒という人は、内側に地獄を抱えた人だったと思います。 ひょうひょうとした側面、あるいは、元祖「テツ」(笑)、おからにはワインと断言する趣味人、といったの側面が今日ではむしろ強調されていますが、それだけではない、内面の深い闇をうかがわせる作品がいくつもあります。百閒の作品の中には、モダンホラーとしかいいようのないような一連の作品群がありますが、それらはそうした闇の部分から生まれたものであると私は思っています。中でも自殺直前の芥川と過ごしたことを描いた『河童忌』などは、読んでいて鬼気迫るものがある。 漱石の『坊っちゃん』をユーモア小説とはどうやっても読めないように、百閒を“ユーモラスな味わいをもった作家”とする評価にはどうしても馴染めないのです。 その作品を折に触れ読み返しつつも、百閒は、私にとっては大変に怖ろしい作家でもあります。 なお私が持っている河出のアンソロジーには、『漱石遺毛』『漱石先生臨終期』ほか、『漱石先生の書き潰し原稿』『漱石山房の元旦』『寺田寅彦博士』など三十編の随筆が編まれています。 ・もうひとつ追加 『三四郎』とはどんどん逸れていって申し訳ないのですが、『坊っちゃんとその時代』というマンガがおもしろかったのを思い出しました。 マンガなので、フィクションの部分もかなりあります。ドイツから鴎外を追ってきたエリスと二葉亭四迷が話をする場面など、そりゃないだろう、と思ってしまうのですが、一方、漱石山房の雰囲気など、確かにああしたものであったのかもしれない、と思わせるような説得力があります。こんななかから「三四郎」のイメージが生まれてきたのかなぁ、と思った記憶があります。 あと、この人の描き出した啄木像は秀逸。もし興味がおありでしたら。 原作者の関川夏央はこのあと『二葉亭四迷の明治四十二年』という本を上梓していて、これまた大変おもしろい。って言い出したら、坪内祐三の『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』も上げたくなっちゃうんだけど、まぁここらへんは漱石を生み出した明治という時代に興味をお持ちになったら、ということで。

noname#9152
質問者

お礼

おっしゃるとおりです。前はよく本屋に一日入り浸っていたのですが、最近はそれができず、なるべくハズレを引かないように、効率良く読書をしようと質問をたててみたのですが、そんなムシのいい話なんてありませんよね。ハズレを気にせず、自分が気になったものをどんどん読んでいこうと思います。 『坊っちゃんとその時代』は一巻読んで、あまり気が乗らなかったのでそれきりにしました。やはり人それぞれ感じ方が違うようです。『闊歩する漱石』は気になっていました(どうして分るんですか)。回答者さんが取り上げなかったことなど気にせず、むしろ吉本隆明よりも先に読んでみようかと思います。 内田百閒は「ちくま日本文学全集」の一冊を読んだだけです。でも回答者さんの百閒論を読んで他のも読んでみたくなりました。しかし未読の漱石も山ほどあるし、三四郎もまた読みたいし、鴎外も読みたいし、ってとこなんだけど、忙しいからって言い訳は言わないことにします。(鴻巣訳と逍遥訳はどうなったって聞かないで!) 厳しいことも言われましたが、おかげで目が覚めました。ありがとうございました。

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