- ベストアンサー
戦艦大和の建造とその使命
tandeの回答
- tande
- ベストアンサー率12% (22/179)
>一億総特攻のさきがけとして沖縄へ向かい、 沖縄到着の後、浅瀬へ乗り上げ海上砲台として アメリカ軍攻撃が目的ではなかったのですか。 全く違います。 沖縄近海にいると思われる敵水上艦艇及び輸送船団攻撃が目的です。 陸海軍の航空総攻撃に呼応しての艦隊出撃であり、言ってしまえばフィリピン沖海戦と似たような作戦なのです。 >特攻で出撃すれば帰りの燃料は不要のはず。 いいえ、特攻機は帰りの燃料が必要と日本軍は考えています。 ですので、基本的に特攻機は往復分の燃料を搭載して出撃しています。 日本軍は必要と考え、poppsさんは不要と考える、全くの逆の考えとは面白いですね。
関連するQ&A
- 戦艦大和を撃沈できる戦艦はあるか
戦艦大和は航空攻撃の魚雷被弾で沈みました。 建造当時はそんなことは想像もしなかっただろうが、 主力艦の打ち合いで勝敗を決する従来の戦法では 攻撃、防御両面で大和、武蔵を凌駕する艦はありません。 では1対1で大和と遭遇してしまった米英艦は絶対勝てない のでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- アメリカが大和型戦艦の存在を開戦前に知っていたら?
旧日本海軍大和型戦艦(大和・武蔵)は、世界最大46cm主砲を搭載した超弩級戦艦として厳重な機密保持の中建造されましたが、十分な活躍ができず両艦とも悲劇的な最期を遂げました。 歴史に“もし”“IF”は言ってはいけないかもしれませんが、もしアメリカ側が第二次世界大戦開戦前に大和型戦艦の存在をかぎつけたとしたら、状況はどう変わったと思われるでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- イージス対大和
現在の軍艦は海上自衛隊も、米海軍も艦砲は、一艦に一、ないし、二しかありません、もし架空戦記ではありませんが、旧帝国海軍の戦艦大和と、海上自衛隊のイージス艦が一対一で対決したら勝敗はどうなるのでしょうか、どなたかおしえてください。くだらない質問かもしれませんが。
- ベストアンサー
- その他(趣味・娯楽・エンターテイメント)
- 戦艦「大和」と「武蔵」の違いについて
太平洋戦争当時、日本海軍が誇った世界最大級の戦艦「大和」は、私が知る限り大きさや排水量などは戦艦「武蔵」と同じで外観もうりふたつに思うのですが、何か装備の面などで違いがあるのでしょうか? また、仮に同じだとしたら何故「大和」ばかり話題になるのでしょうか?
- 締切済み
- 歴史
- 戦艦大和実は弱い!??
こんにちは 歴史を勉強してます 太平洋戦争で日本海軍の誇る戦艦大和ですが この戦艦は主砲はすごい世界最大ですが 速力がたった27ノット 例えば敵空母を発見して砲撃しようと思っても逃げられちゃうし 駆逐艦や巡洋艦も相手が速いので逃げられちゃう 天敵飛行機にはめっぽう弱い この戦艦当時としてはどう使うつもりだったのでしょうか? それとこれはおまけで皆さんが司令官ならどう使います?
- 締切済み
- 歴史
- 「戦艦大和」・「戦艦武蔵」という新鋭巨大艦を帝国海軍が保有していたこと
「戦艦大和」・「戦艦武蔵」という新鋭巨大艦を帝国海軍が保有していたことを国民は、昭和20年9月の帝国議会で初めて知ったと思うのですが、私の理解は正しいでしょうか。 もし、そうであるのなら、戦時中にその存在を公表しなかったのはなぜですか。 初めての海戦までは敵国に知られたくないので秘密にするのは分かるのですが、マリアナ沖海戦以降も秘密にしておく理由が分かりません。 艦名は発表しなくてもよいですが、 世界一の新鋭巨大戦艦「大和」「武蔵」を保有しているということを国民に知らせた方が、戦意を高揚できると思うのですが・・・。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
物事には諸説あって然るべきとはいえ、tandeさんと 小生の情報が全くの正反対なのはなんでかと思います(笑)。 大和出撃は犬死にだ、と反対した伊藤整一司令官は 「>一億総特攻のさきがけとして沖縄へ・・・」の言葉で 出撃を承諾したという、”男たちの大和”か”連合艦隊”で そんな場面があったと思うのですが。まあ映画ですから 本当かどうかはなんとも。 片道燃料も、軍歌に(鶴田浩二さんが歌ってました) ♪・・・ 燃料~片道~テンツルシャン 涙で積んで~~ 行くは~ 琉球~ 死出の旅 え~ええ死出の旅~ というのがあって、行って死んでこい なのです。 また戦争末期には特攻機の車輪は離陸と共に外れるようにして 生還はできないようにしていたそうです。(節約のため車輪は 使いまわし、それも木製だったそうです) 燃料満タン(俗にいうマソリンがんたん、それも言うなら ガソリン満タンやろ)でも、車輪なしでは着陸できません。 もう歴戦の優秀なパイロットも居ないので、まともに着陸出来ん のなら帰ってくんな、といった考えもあったかも。 では、玉音放送で終戦を知った 宇垣纏 がその後、部下を連れて 沖縄へ特攻をかけた時、燃料は往復分積んでいたでしょうか。 燃料の量はともかく、彼は死ぬのを目的に出撃したのだから 建前は片道分と解釈できます。 ずいぶん大和と話がそれてしまいましたが、こんな議論が 楽しい今日この頃。(明日が休みだからか) 回答ありがとうございました。