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あさま山荘事件

ラジオで冒頭の事件について「2月29日に突入のはずだったが、それだと仮に殉職者が出た場合、命日が4年に一度しかないのはかわいそうだから28日になった」と言うようなことをコメントしていました。 率直に、これは事実ですか? 一分一秒でも遅ければ遅いほど人質のリスクは増大するものと思われます。 それなのにそんな情緒的(?)な理由で突入を遅らせるなんていうことが有りうるのでしょうか? また、事実としても、それを公言するというのも理解し難いことです。 真偽のほどご存知のかたお教えください。 よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • fedotov
  • ベストアンサー率48% (710/1461)
回答No.5

事実ですが、28日は予定通りの決行です。 (29日→28日は、延期ではないですよね。) 突入日は2月28日に決まっていましたが、警視庁警備本部が 前日に予報の天候不良を理由に1日延期を提言してきたので、 佐々淳行氏(警察庁)が、28日に決行する為に、1日延期する 問題点として指摘したのです。 「1日延ばせば明後日は29日でしょうが。 今年は閏年だから29日があるんだ! 閏年は4年に1回しか来ないんですよ。 もし殉職者が出たらどうするんです!? 4年に1回しか命日が来ないじゃないですか!」

  • DieMeute
  • ベストアンサー率70% (571/807)
回答No.4

間違いです。 それと、???なのですが質問を読むと、29日に突入の予定が28日になったのなら、突入が早まったわけで遅らせていないと思いますが。質問者さんの言う「情緒的(?)な理由で突入を遅らせるなんていうこと・・・」とは逆なのではないかと思うのですが・・・。 それはともかく・・・ No.1さんの紹介している佐々淳行さん(あさま山荘事件で警察の現地指揮チームのNo2の地位にいた人)著書の「連合赤軍・あさま山荘事件」によれば・・・(文庫版で233~234ページ) もともと突入予定は27日の予定だったそうです。 そこに警察庁から大雪注意報だから大事をとって決行日を1日延期しろと言ってきたそうです。 それで28日に突入予定になりましたが、またも警察庁から中央気象台に照会したら28日も大雪注意報で15cmから20cmの降雪が見込まれているので、車両スリップ事故などが懸念されるので、決行をもう1日延ばしたらどうかと言ってきたそうです。 それに対し佐々さんは・・・ ・・決死隊の人選も終わり、すべて準備を整え、いざやるぞと士気を盛り上げたところなのに、上のほうは何を遅疑逡巡してるのだ。第一線が決死の覚悟をしているのに中央が優柔不断の一日延ばしは困る ・・と思ったそうです。 そして、佐々さんは断固予定通り決行させてほしいと強硬に意見具申したそうです。 そして、その時に佐々さんが・・・ 「一日延ばせば明後日は29日でしょうが。今年は閏年だから29日があるんだ。閏年は4年に1回しか来ないんですよ。もし殉職者が出たらどうするんです。四年に1回しか命日こないじゃないですか!」 と言ったそうです。 この発言については・・・ 「言わずもがなの言いすぎをしてしまった」 「これが私の悪い癖なんだと後から反省する」 と佐々さんは著書に書いてます。 つまり最初から29日が突入予定日だった事実はありません。 元々の突入予定日は27日です。それが一度延期され、28日になりました。 その28日の予定も上の警察庁から天候を理由に延期したらと言ってきたけど、現場ではそれに反対し、その時ちょっと言い過ぎた部分があったというわけです。 警察庁が延期を言って来たのも天候が理由であり、その時点で既に4人もの機動隊員が犯人グループからの銃撃で負傷しており慎重になってもおかしくないでしょう。 つまりラジオは正確な話ではありません。事実を少々捻じ曲げています。

回答No.3

俺が聞いた話では、東京警視庁の幕僚部隊、丸山参事官、石川三郎警視正、佐々淳行警視正、宇田川信一警視らが長野県警本部長、野中庸らと協議し、連合赤軍の犯人グループの篭城は2月19日から始まり、10日間が人質の体力の限界であろうという判断のもと、2月28日に突入作戦実行を決断します。東京の後藤田正晴警察庁長官にもその事は伝えられました。後藤田長官は、後の後藤田官房長官です。それで、本部長の野中庸が記者会見で2月28日に強行突入の旨、発表したんです。 しかし突入日前夜、東京の後藤田の側近グループから指令があり、2月28日は大雪だから強攻突入は一日伸ばせ、という連絡が来たんです。連絡を受けたのは丸山参事官です。丸山は猛烈に東京に「現場を信頼しろ。何の為に俺達はここへ来てるんだ」と抗議しますが、東京は言う事を聞かない。そこで現場から2月29日の話が出たんです。「あんた達の言う事聞いて1日伸ばして2月29日にして、もしも殉職者が出たらどうする。4年に1回しか命日が来ない。これは大問題である」と。東京の体裁優先の心理をついたんですね。体裁・世間の目を優先する東京にとって、これは由々しき問題でありました。東京はこの案を受け入れ、人質の命よりも体裁を優先したんです。それで2月28日、予定通り、強攻突入という事になり、8時間にも渡る攻防戦の末、人質は無事救助。犯人は全員「生け捕り」になりました。 原因は、警視庁幕僚隊の指揮系統と、東京の指揮系統に軋轢があったからです。 これは事実と受け止めて良いでしょう。実際、突入前夜は大雪が降り、あさま山荘までの道はすっかり雪が積もってしまい、例の鉄球クレーン車が走行できない状態にありました。当時はガードレールも無い。一歩踏み間違えば崖下に転落です。そこで地元の住民が除雪を買って出たんです。夜中に気付かれない様に除雪し、クレーンの通れる道を作りました。 いつの世も、お偉いさんは「体裁」を優先します。また、長野県警と警視庁機動隊との「縄張り」についても軋轢が生じ、10日間にも渡る長期戦になってしまったわけです。長野県警は長野の事件は長野で解決すると言い張り、警視庁は、東大安田講堂攻防戦や、60年安保闘争鎮圧の、実戦経験もある。こういった細かい「軋轢」が重なって長期化してしまったんだと、俺は考えます。

  • spdace77
  • ベストアンサー率28% (28/97)
回答No.2

色々と説はありますが… 当時のことと現在のことを一緒に考えていては歴史は語れません。 一分一秒でも遅ければ、といいますがこういう人質戦ではなによりタイミングがものを言います。 早くてもダメ、遅くてもダメ。 当時、このような事件についてのノウハウがあったとは思えないし、未だに話題になるほど、 この事件の特殊性を鑑みると、突撃するタイミングなんて意外とそんなものかもしれない。 事実として公言することも、当時から40年もたったことで、別に不思議ではない。 ずっと秘匿しとく方が問題ですし、 例えばアメリカでも日本でも、50年位たてば当時の秘密文書も公開されることもある。 事実を公言出来なければ、捏造なんでもありの歴史になると思いませんか? 当時の関係者との連続性が薄れているからこその、突入理由のひとつであると思う。 逆に言えば、殉職者が出るかもしれないと、覚悟した上での発言でもあると言える。 軽く取るか、重く取るかは受け手の違いな発言であると思う。

  • 6n0s0h04
  • ベストアンサー率19% (25/129)
回答No.1

図書館に行って、次の本を読みましょう。 連合赤軍「あさま山荘」事件  文春文庫 佐々淳行(さっさ あつゆき) 貴方の直観の正しさが証明されます。 読書を積んで、ご自分の才能を伸ばして下さい。

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