解決済みの質問
現代は、多くの人が多くの不安と向き合っています。
病気や死、仕事や家族の心配、将来の大災害や大切にしているものを失うことへの不安など数え出したら、不安の材料になることはいくらでもあると思います。
又、現代は「明日が見えない社会」或いは「無縁社会」と言われ、仕事に不安をかかえていたり、人との絆を見つけられず、孤独に陥っている人も多いようです。
皆さんは、このような有形・無形の不安とどのように向き合い、どのようにそれらの不安を解消或いはご自分の力に変えていますか?
又、現代人の不安は、昔と比べてどのように変質しているのでしょうか?
例えば、昔の戦争や飢饉の際は、皆明日をも知れぬ不安にさいなまれ、戦国武将はいつ討ち死にするかもしれない不安があったのだと思うのですが、彼らは常に「武士道」という精神的バックボーンが身についており、死に対する覚悟が出来ていたのでしょうか?
答えられる部分のみで結構ですので、よろしくご教示下さい。
投稿日時 - 2012-01-28 17:55:14
小さな意見を一つ。
人間は、知らないものを恐れます。
恐ろしいので、ついついそれについて考えます。
知らないのに考えようとすればするほど、
既知の恐れや不安で「判らない」部分を埋めようと
します。
恐怖が恐怖を無限連鎖で産んでしまう思考は、
知らないのに判ろうとする矛盾から生まれます。
死について、体験するときは死ぬとき只一度だと
言うのに。 生きている限り判るはずのない事。
それが、死。
世情不安にしても災害や大事故にしても、つまるところ
生老病死を忌み嫌う恐怖が根っこにあります。
その、どの苦しみも頭では十分の一も理解できないと
言うのに、頭で考え、頭で理解しようとする。
結局、自らの僅かな生の中で、自らの経験でしか
捉えることの出来ない真実。
生老病死は、生きていることそのものです。
単に、別な言葉で置き換えているに過ぎません。
同じものです。
頭で考えて、一歩も踏み出さない限り、恐怖と不安に
苛まれ続けてしまう。
必死で小舟の櫂を漕ぐ、そのように、現実に生きて経験した
ことだけで思考する回路を持つことです。
地獄に生きる人々は、沢山の生老病死を毎日見て暮らして
いますし、親、子供、兄弟、友達、身近な人間の生老病死を
何度も体験して生きていたりもします。
不安や恐怖が無い分けではないにせよ、そういう世界で
生きている人間は、もっともっと必死ですよ。
情報化の海に暮らす私たちは、経験ではなく他人の知識で
生を代行しているようになってしまいました。
何でも既に決定済みで、自分が誰かなのかさえ判らず、
メディアに踊らされてアジの群れの一匹のように右往左往。
それは、騙されていることです。
じっと沈思黙考するだけでも、その思考深度が著しく深くなれば
つまらない情報に踊らされて自分を見失うことも無くなってきます。
徹底的に深く思考するんです。 生半可ではダメです。
半可通の知識を溜め込んでもダメです。
自分の言葉で自分の思考をする。
知らないことを本当の意味で識ろうとすること。
つまるところ、生とは、その一点に凝縮されるものだと思います。
目から血が出るほど考え抜くか、時を忘れるほど行動するか。
暇な暮らしからこそ、恐怖や不安が沸き起こるものです。
投稿日時 - 2012-01-28 21:07:14
補足
単なる技術的な示唆ではなく、心の持ち方について具体的に書いて頂き、頭一つ抜けた論評だったので、ベストアンサーをお贈りします。有難うございました。
投稿日時 - 2012-01-29 17:47:45
お礼
なるほど、考えてもわからない、体験したことのないことを
あれこれ無理矢理頭で考える所に不安が出てくるのですね。
>情報化の海に暮らす私たちは、経験ではなく他人の知識で
>生を代行しているようになってしまいました。
なるほど「言い得て妙」ですね。
徹底的に深く思考するとともに、時を忘れるほど行動すること
・・・そこから不安や恐怖を消し、真に自分の人生を生きることが
出来るようになるのですね。
大変参考になりました。
投稿日時 - 2012-01-28 21:46:14
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ベストアンサー以外の回答(8件中 1~5件目)
先を見すぎないようにしています。
配偶者が心臓病を患っていて医師には「数年後か数ヵ月後かは分からない」と言われているので先を考えれば、凹むばかりです。
それよりは今日、明日を二人で楽しく過ごしたほうがいいでしょう。
深夜、布団に入るときに「今日も楽しそうに笑ってくれて大丈夫だった。これなら明日も大丈夫。」と振り返り、朝、挨拶を交わしながら「やっぱり大丈夫だった。これなら今日一日は大丈夫。」と安心する。
この繰り返しが50年くらい続いてくれるといいのですが・・・
今のように誰でも多くの情報が簡単に手に入らない昔の人もあまり先のことで不安がっていなかったのではないでしょうか。
「来年は杉の当たり年なので花粉の飛散量も増大します」などという長期予報を聞けば現代人(花粉症の人)は不安になりますが、昔の人は予報そのものがないので不安になりようがありません。
放射能が・・・ウィルスが・・・隕石が・・・大地震が・・・戦争が・・・
知識が増えれば増えるほど不安も増えることは、昨年からの放射能騒ぎの中で数十年も誰も気にすることなく埋められていた放射性夜光塗料が大騒ぎに発展したことが証明しているように思います。
投稿日時 - 2012-01-28 20:32:00
お礼
cucumber-yさん、ようこそおいで下さいました。
先を見すぎないこともいいかもしれませんね。
日々無事であることを感謝する、というのは基本動作にしたいものです。
私は、カトリック信者であると同時に、幼時から祖母の影響で「神」や「宗教」というものに関心が高く、日々「感謝」することは大切だと言われてきました。でも生身の人間で必ずしもそうではなく、不平タラタラ・・・のこともあります。やはり原点に還ることが大事だと思いました。
又、おっしゃるように、現代は情報が過大になり、徒に不安を煽る面もあると思います。
投稿日時 - 2012-01-28 20:55:01
No.5さんの
「自分を他人と比較しない事によって、不安や心配はほぼ皆無となります」というお答え、
勉強になりますなぁ~。
渡辺美里の「悲しいね」という曲の歌詞にも、
「一番の勇気はいつの日も 自分らしく素直に生きること」
というフレーズがあります。
私の考えは、大したもんではありませんが、
少し前に流行った「鈍感力(どんかんりょく)」という考え方や、
「ま、いっか。」という考え方とか
あと私の尊敬するタモリさんの座右の銘「「適当」「現状維持」「やる気のある者は去れ」とか、
母親に教えてもらった考え方「なんとかなるさ」」という言葉とか…。
昔の人はどうだったかわかりませんが、
「生きにくさ」「精神的つらさ」は今のほうが大きいかもしれません。
質問者さんは、
このような質問をするくらいだから「真面目」「デリケート」「繊細」な
方なんだと思います。
自分で言うのも何ですけど、
実は私もそうです。
そういうタイプは、特に生きにくい時代なのかもしれません。
まぁ…。
「適当」がいいんではないですか?
そういうタイプだからこそ「適当に「適当に」「まいっか」「どうでもいいか」を
心がけながら、生きていくと、いいかもしれません。
投稿日時 - 2012-01-28 19:36:37
補足
すみません。「お礼」で、いかにも、私自身、この問題を解決済みであり、逆に自説を述べるためにこの質問を立てたように聞こえたかもしれません。
けれども、私にも確かに「不安」はあり、多くの人にも同じように色々あると思いますので、引き続き、色んなアイディアを頂ければ幸いです。
例えば、2012年1月11日放送のNHK「ためしてガッテン」の「不眠ストレス緊張撃退 1日15分!脳の簡単トレ」http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20120111.html
では、バンジージャンプに望む前に「恐怖を必死に消そう」とした人に比べ、長年瞑想(坐禅)の修行をしてきて無心の境地に入ることの上手なお坊さんの方が圧倒的に、気持を強く保つことが出来ることが実証されましたね。
それほど「プロの技」でなくてもいいですから、皆さんのいつも実践されている「心の持ち方」など色んなこのような実践例を教えて頂ければ有難いです。
投稿日時 - 2012-01-28 20:26:03
お礼
roccariaさん、度々色んな質問や回答でご一緒していますね。
そこで私のことをどう感じられたかわかりませんが、私自身は、あまり「真面目」「デリケート」「繊細」な方ではないし、そうありたくないと思っています。まあ、人間は複雑かつ矛盾した生き物ですから、そうした面も一方ではあるのかもしれませんが・・・・。
それで、私もあなたのおっしゃる通り、あまり物事を深く考えこまず、いい意味で、「適当に」「まいっか」「どうでもいいか」を心がけながら、生きていこうとしているつもりです。ひところブームになった「鈍感力」も大切な心がけですね。
実は、この質問は、普段あまり「不安」を覚えず、物事を深刻に捉えようとしない私にとって、異例な質問であると思います。
しかし、そういう私でさえ、全く不安がないといえばうそになります。勿論その背景には色んな欲もありますし、「本来だったらこうなった」筈なのに、満たされないものもあります。それに私はこだわりの強い人間なので、やはりどうしても「こうあるべき」というものも、依然として根強い面もあります。
どんな人間も葛藤が強いものなので、こうした面は誰にもあると思いますが、私は、ただこうした葛藤に対し、「なるようになるさ」とその日その日を生きていくだけではやはり申し訳ないし、良くないと思うのです。
五木寛之氏の著書にもありますが、人は色々な世の中の生きにくさに立ち向かい、ただ「楽しく」ではなく、もっと悩むところは悩みぬき、考えるべき所は考え抜き、工夫するところは工夫し抜き、生きていくところに「有意義な人生」があるのではないでしょうか?
そのために、やはり私は古今の知識人と対話できる「読書」が一番大切だと思うのです。
自説を滔々と述べ立て、失礼しました。
投稿日時 - 2012-01-28 20:11:38
全て成すがままです
病気や事故に合わぬよう最善を尽くしていますが、不安・心配の域までは行っていません
不安・心配の原因は判断を他人に委ねた結果生じるケースが多く、心配しても結果に繋がらないことから無駄です
それにどんな悪条件が重なっても最後の結果は一つであって、早いか遅いかの違いだけ
自分を他人と比較しない事によって、不安や心配はほぼ皆無となります
投稿日時 - 2012-01-28 18:50:14
お礼
日々、最善を尽くした上で、心配しても仕方のないことは心配しない。自分と他人を比較しない。
ということは大事ですね。
投稿日時 - 2012-01-28 19:34:55
不安は、その形の違いはあれ誰にもあることだと思います。
私は不安な要素があると、それに立ち向かっていきたくなります。
あえて。
別に他にも道があるのに、そこを避けて通るのがきらいです。
なんというのか。
避ける事が、逃げることと直結してしまうのですかね(笑)。
逃げるのがきらい。
これはある意味、自分の弱い部分の象徴なのかもしれません。
立ち向かっていくことで、自分の弱さを隠しているのかもしれませんね。
しかし。
年を取るにつれ、その辺りは上手く立ち回るようになってきました。
押したり引いたりで。
ずるくなったのかもしれませんね。
良い事か悪いことかは別にして。
昔と比べて。
現代では物質的には比べ物にならないほど、豊かになっていると思います。
でも人間の欲望にはきりが無い。
更に上を望みます。
そういった葛藤の中に、様々な様相の不安が、生まれてくるのでしょう。
また精神面だと物事が複雑に絡まっている故に、不安要素は計り知れないほど多くなっているのかも知れませんね。
でも、人間が生きていく限り、今も未来も不安がなくなることなんて無いでしょうから、それといかに上手くやっていけるかが肝なのかもしれません。
投稿日時 - 2012-01-28 18:35:27
お礼
前の方は「逃げる」ことも時には必要とおっしゃっていましたが、やはり「逃げない」で「立ち向かう」ことも時には必要ですか?まあ、時と場合によりますね。立ち向かうことによって一気に解決することもあるし、意外とその悩みの対象物がさほど、悩むほどのことはないものなのかもしれませんものね。
私もいつも思うのですが、現代は昔に比べてよほど恵まれているにもかかわらず、人々が不安を覚えるのは、すなわち、人間の欲望が増して、更に上を望み、不安の要因がいよいよ複雑になっているのだと思います。生きている以上不安はなくならないと観念して、うまくつきあっていくしかありませんね。
投稿日時 - 2012-01-28 19:33:16