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同和教育は必要なんですか?

私自身の経験で言うと、友達どうしでそんな事が話題になった事はないし、 親からも聞いたことはありません。 学校や企業の教育でそういう問題があると知ったのです。 私はそんな差別は理不尽だと思うので気にしませんが、 中には近所でどこか同和地区か聞いてまわる人もいるでしょう。 同和教育はかえって「寝た子を起こす」事になっていないでしょうか? みなさんの見解を教えて下さい。

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回答No.5

「寝た子を起こす」という批判の前提は、(同和教育以外の)「誰も起こさない」ということです。 本当に、「誰も寝た子を起こさない」と言えますか? もしも、誰かが起こす可能性があるのなら、「その前に」、「正しく」起こす必要があるのです。 それが、同和教育の基本です。 もうひとつ、「いちいち話題にしなければ、そのうち差別はなくなる」という意見もあります。 これも、「本当に誰も(同和教育以外の場面で)話題にしない」ということは言えないのと、現に差別に苦しんでいる人は、「そのうち差別がなくなるからほっといていい」のかという点で、説得力を欠きます。 もうひとつ、たとえ差別がなくなったとしても、実際にあったという歴史を知っておくのは無駄ではありません。 あと、同和教育とは、「差別をしない」ことを学ぶのではありません、「差別に気づくこと」「差別をさせないこと」を学ぶのです。 だから、少なくとも、「私(達)は差別をしたことがない」というのは、「だから同和教育は不要だ」という理由にはならないのですね。 実際、日常的な場面で直接差別を見たことがないというケースは多いでしょう。 でも、結婚や就職の場面ではまだ、まま見受けられます。 なにより、「私はそんな差別は理不尽だと思うので気にしません」というのが、差別というのを正しく知った故だというのに注意してください。 もしも、「昔からあの地域の人とはつきあいがないのだ」とか、「結婚するなら、どこそこは柄が悪いからなぁ」という言葉が最初に出会う言葉だったら、「それは理不尽だ」と気づけたでしょうか? たとえば、「あの人はダメだ」といわれた場合、理由がわかっていれば同調することも、否定することもできます。 差別を差別と見破ることの難しさは、「なんとなく」とか「むかしから」という、理由が明らかにされない点にあります。

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回答No.8

No.6 で触れられているような講習会では、こういうたとえがありました。 今、数人で100m競走をしています。 ところが、走り始めてから、ある人の足が縛られていることに誰かが気づきました。 さっそく、この人の足を自由にしたのですが、さて、 ・もう差別は取り払ったのだから、この状態でスタートする。 ・差別を取り除くことができたのだから、差別に起因する格差を是正してから再スタートする。 どちらが、「平等」でしょうか? 実際、差別というのは、「差別されている」というだけにとどまりません。 それにより、受けなければならなかった、ハンデというのは確かに存在しているのです。 少なくともある時点では。

  • 777oichan
  • ベストアンサー率28% (1059/3688)
回答No.7

被差別部落の問題は、もう50年以上も私の心の中の釈然としない重苦しい気持ちと、遣り切れない感覚で貴方様の仰る「寝た子を起こす」事は必要なのか、してよいのかと自問自答しているところです。    私が小学生の頃に越してきましたが道路の反対側が「部落」でした。 其の地区の子供とは遊んではいけないとか家には入れるな、、親に言われて理解は出来ませんでした。少し時間が経ってから事実が解って来て、驚きまた嫌な気分になってしまいました。普通に遊んだり話も出来ているのに何故そんなことがあるのか疑問で悔しい思いもありました。当人たちはずっと小さい時から被差別部落に暮らし、親からも色々と部落以外の人との接し方などは聞いていたようです。面と向かってはお互いには触れる事は無かったのですが、子供心にも、どろっとしたものがいつもありました。就職活動の際にも、興信所が調査に来て、部落で「00さんは部落民?」と聞いてしまい一揉めありました。同級生が結婚する時も同じ部落出身者としか出来ないので、、悲しい顔が今でも思い出されます。 そんな暗い時代から政府や団体、行政などによる融和政策が活発化していく中で、利権に群がりまた活動勢力の拡大などが目的となってしまい、、、本来の同和の意味がねじ曲げられてしまいました。 歴史のなかで発生し、何をしても現実には消滅・改善はされていないのですから、知らない事よりは正面から向き合うことも必要ではないでしょうか。貴方様のように殆ど影響がない場所にくらしている人には理解できない部分もありまた同和地区に暮らす人、部落出身の方の思いや考えも様々ですから、本当にややこしいし困難な事柄としか言えません。答えとして単純に「同和教育」は必要か?---必要と思います。

  • taranko
  • ベストアンサー率21% (516/2403)
回答No.6

>同和教育はかえって「寝た子を起こす」事になっていないでしょうか? 以前私も同じように思っておりました。 ただ、田舎では結婚をする年齢になるとどうしても周りの年寄り共が勝手に相手の 事を調べて寝た子を起こします。 未だにこんな事があるという事は、数は減ると思いますが次の世代にも引き継がれると 思われます。 人の入れ替わりが激しいところでは調べても意味の無いことですが、田舎では まだまだこんな感じなので、後々のために教育は必要かと思います。 ※写真のような講演会は不要かな・・・ 以前に学校の先生をしていた友人と口論になりました。 その時勤めていた学校では同和地区の子を集めて勉強会をしているという事 学力の底上げは良い事かもしれませんが、人の集め方がおかしいだろう、 一番差別しているのはお前たち先生じゃないのか? 人数多くなり難しいかも知れないが、やるなら地区関係なくやりたい人全員だろう こんな口論をしたのがまだ10年ぐらい前の話です。 ※現在やっているかどうか不明です。

回答No.4

日本のある地域では同和教育を職業にして食っている人達がおるそうです。 かれらにしてみれば同和教育の予算がでるかどうかは死活問題ですから、教育の必要性を主張します。 でも、このような地域は全国でもごく限られた地域で、その地域の特殊性、地域経済(?)の問題のようです。

  • Lig1020
  • ベストアンサー率39% (49/125)
回答No.3

同和教育をする年齢は変えたほうがいいかもしれないというのが自分の意見です。 小学生の頃に教えるから「寝た子(差別意識がない子供)を起こす(差別意識をつける)」ことになってしまうんだと思うからです。

  • BearCave
  • ベストアンサー率20% (189/909)
回答No.2

「問題があることを知らない=問題解決」ではないですから。 同和差別がなくなるように訴え続けることは必要です。

noname#255857
noname#255857
回答No.1

>「寝た子を起こす」 そうなっている場合もあれば、そうでない場合もあると思う。 地域によってはやっぱりそういうのがひどい所はあるようですね。 トータルではプラスになっているとは思うよ。

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