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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ミスへの自分の考え(出来るだけ多くの方の閲覧希望))

ミス・間違いに関する結論と挑戦へのトラウマ

tebyoshiの回答

  • tebyoshi
  • ベストアンサー率21% (29/138)
回答No.3

はじめまして。 辛かったんですね…。 「ミスに対しての定義」が正しいか? という質問に対しては 「人、状況や過程、性格、経験により一律には言えない」 が私の回答です。 文章を読んでいて、私は「再挑戦」に対する恐怖心を排除したい、との質問だと思いました。 恐怖心はどこから来ると思いますか? 成功体験が無いから? ミスして罵倒されたから? 違います。 自分に負けているからです。 トラウマなんて簡単に使っちゃいけない言葉だと思いますが私だって三十数年生きてきてそれに当てはまるような事はひとつやふたつありますよ。だけど結局打破できるのは自分の心一つなんです。 ミスしてしまったら0になります。 でもマイナスになる事は無いのです。やってもやらなくても0なら やってみて1になったら儲けもの。 もっと楽に行きましょう。 大丈夫。

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  • スポーツでできたトラウマ

    以下の文を読んで、スポーツに対して出来たトラウマを払拭する為の方法・考え方についてアドバイスありませんでしょうか? 自分は中学の頃、初心者でバスケ部に入りました。 がしかし、そこにいた数名の同級生の経験者の部員に陰湿ないじめをされ、しかも長期間されてそれが原因で全くバスケが出来ない体になってしまいました。 その内容というのは ・体がそいつらにあたると「触んな」「キショイ」 ・意図的に私にパスをしない ・私がシュートを打つともの凄く切れてまたキショイ等の罵倒をする ・シュートを売って外そうもんなら罵倒の嵐 当時何か私にしゃくに触る事があったかもしれないですが、この様な事をされる程そいつらに対して何かをしたというのは断じてありませんでした。 これらの他にもまだまだありましたが、こういうのを何度もされたため、私は積極的にプレー等出来ない体になってしまいました。 「こいつにディフェンスつくとまたキモいとか言ってくるかな」 「いまシュート打てるけど、もし打ったらまたキショイとか死ねとか言ってくるかな・・・」 こんな事考えてたら思い切って挑戦してシュートを打つ事すら、ドリブルでディフェンスを割ろうとする事すら出来ません。 スポーツというのは、特に始めはトライして思い切って挑戦して、失敗しながらもその失敗から学んで上手くなるものだと思いますが、その「トライ」すら出来なかった為、私はスポーツを何も楽しむ事が出来ず、ただただトラウマが残るという悲惨な結果に終わってしまいました。 そのトラウマを22歳になる今まで引きずってしまっています。 スポーツ以外の色々な場、例えばビジネスでも「失敗を恐れずやってみる事が大切」という事を聞きますが、私は当時のトラウマがある為に「でも俺は失敗を恐れずやってみたらいじめが待ってたもんな・・・」とそう言う事を聞く度に思ってしまいます。 本当にこの記憶さえ消せればこんな事は思わないのですが・・・。 どんな団体のスポーツ(野球、サッカー、バスケ、バレー等)でもいいのですが、皆さんが初心者で初めてそのスポーツを始めた時に、私みたいな事をされていたら必ずトラウマが出来てしまっていたように思えるのですが、それについてどう思われますか? もうこのトラウマを引きずりたく無い。。。。 皆様のアドバイス、切望しております。

  • こんな経験、忘れたらいいですよね?

    23歳です。 僕は中学時代、バスケ部で陰湿ないじめに遭いました。 僕は初心者でバスケを始めたのですが、1ヶ月が経つ頃から僕とは別の小学校から来たバスケ経験者の同級生数名に陰湿なイジメをされ始めたんです。 いじめの理由は恐らく「なんとなく嫌だ、むかつく」こんな理由だったと思います。 僕は大学まで出ましたが、大学卒業するまでその中学の部活以外で、バイト等も含めいじめの行為に遭ったことがありません。 今思い返しても、当時いじめを受けたのは、 いじめをして来た人間の性格が腐っていたからだと断言できます。 部活では、 ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレられる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒をされる ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責めて馬鹿にして攻撃して来る こういったことをされました。 明らかにシュートチャンスでシュート打てる時や、自分でカットインしてシュートに持って行きたい時、外したら何を言われるか分からないし、決めても嫌な顔をされるかもしれない・・・ 大人でも始めたての仕事で、罵倒やいじめを繰り返されたらさすがに心を痛めます。 そんなことをまだ13歳14歳の思春期にされたら、ダメージは相当。 こんなことを延々と繰り返された僕は、 徐々に挑戦というものをしなくなって行きました。 まだ数ヶ月の初心者。 どれだけ意識していてもミスはあります。 でも、ミスすると罵倒される状態だったらもう怖くて挑戦できないですよね。 「思い切って挑戦する」→「失敗するかもしれない」→「失敗したらそこから何かを学んで次に繋げる」 このプロセスが、何かを上達させるには不可欠です。 しかし、僕はこの第一段階である「挑戦する」っていう行動を取れなかったんです。 もうボールを持ったらパスをして、自分では攻めない。 こういう状況に追いやられていました。 そして他にも、 「下手クソはシュート打つな」 「下手クソは○○するな」 こういった発言をされていたと述べましたが、僕は下手だから練習しようとしたんです。 下手だからシュート打って練習しますし、 下手だからドリブルとか果敢に責めたりして、上達しようとしていたんです。 でも「下手だからするな」と言われたら、一生上手くなることができません。 家でいくら1人で練習しようが、実際の練習で上述したようないじめの行為をされていたらその成果を発揮できません。 「下手だから○○するな」と言われない為には、上手くなってから始めないといけなくなります。 しかし上手くなるには、実際に部活で皆と一緒に練習しないといけない。 でもその練習にちゃんと参加できないようにさせられていたので、もう上手くなりようがない。 こんな負のサイクルに追いやられていました。 中学の部活でこの様な経験をした僕は、2つの"誤った"理論を頭に刷り込まれてしまいました。 1つめが、「思い切って何かに挑戦すると、いじめみたいな酷い目に遭う」 2つめが、「何を始めるにも"完璧になってから"始めないと、酷い目に遭う」 この2つの理論です。 何かに挑戦すると、勿論"失敗"するという可能性が出てくる。 それは誰しもそうだと思います。 普通にスポーツでもそうですし、 仕事でもそう。 趣味でもそう。 何でもそうです。 何かに挑戦するということは、成功することも勿論ありますが、失敗もつきまといます。 しかし、失敗をするともの凄く酷い目に遭わされるという状況だったら、さすがにもう行動ができない。 僕は当時そういう状態を2年以上も経験したので、 それが"真理"であるという勘違いをしてしまってるんです。 もしそれが真理なら、みんな誰も何も始めようとしないですよね。 2つめに関しても同じ。 「できるようになってからはじめる」じゃ、いつまでたっても何も始められません。 スポーツでも、仕事でも、語学でも、 「ちゃんとリフティングができるようになってから始める」 「ちゃんと仕事の内容を完璧に覚えてから始める」 こんなことやっていたら、いつまでたってもやるべきことができませんよね。 何でも「やりながら」できるようにしていくのが普通な訳です。 完璧になってから始めよう!だと、そのやりたいことを始められる日は来ないです。 よって、上の2つの理論は間違っているんです。 成功者の方達もそうですし、色んな本やメディアでも 「失敗を恐れず、挑戦する事が大事」 「初めの一歩を踏み出そう。転びながら学ぶんだ」 このような事が言われていることからも、 僕の2つの理論は誤っているんです。 だから僕は、この2つの理論は、 「いじめを受けていたという、ある種の"特殊"な環境にいたからこそ生まれた誤った理屈である」 ということを認識して、もう忘れてこれからはどんどんと思い切って一歩踏み出し、積極的に挑戦していきたいんですよね。 そこで皆さんに質問です。 僕はこれから、いじめの経験から導き出されたこの2つ理論などもう忘れて、 世の中で言われているように、どんどんと色々な事に挑戦して行って、成功体験を積んでもいいですよね? こうやって確認を取るのもおかしいと思いますが、 自分でいくら考えても不安なので今回質問させて頂きました。

  • 積極的になる事は駄目な事なのでしょうか?

    スポーツや仕事でもそうですが、何かを積極的にやろうとすることはつまり「挑戦する事」ですよね? スポーツなら皆のチームメイトがいる中シュートを打ったり、仕事なら新しい事に挑戦したり。しかし「挑戦する」という事は同時に「ミスが起きる」かもしれないという事です。 それは絶対に避けられない事で、ミスが起こる事を前提として挑戦します。 スポーツなら打てば外れる事はいくらでもあるし、仕事でも上手く行かなかったという事はざらにあります。そんな時に、じゃぁそのミスした事をもの凄く咎めて、その人を罵倒し陰湿なイジメまでして苦しめたりしますか?しかも長期間に渡って。  そんな事をしたら、元々積極的に何事も挑戦しようとしていた人もだんだんと気が病んで消極的になるかもしれません。 「try and error」のerrorの部分を異常なまでに非難すればスポーツでも仕事でも絶対に積極的になれないと思うのです。 もちろん、ただ何も考えずに自分の為だけにやりたい放題やってはいけません。 自分が「ここだ」と思ったとき。直感で、ないしは色々思考を練らし後に「いける」と思ったときに挑戦します。 そうして起こったミスを咎めていては誰一人、日本全国誰一人として何にも挑戦出来ないとおもうのですが、皆様もそう思いませんか? 英語でもよく「間違う事を恐れずにどんどんチャレンジすべき」といいます。 そこで間違った時にいちいち異常なまでに非難していては誰も喋れなくなります。 スポーツでも同じ事だと思うのです。 そう私が思うのも、私は昔初心者で団体スポーツを始めた時にミスを異常なまでに責められ、陰湿なイジメを何度もされたからです。 初めのうちは練習したものを実践してやろうと積極性に満ちていたのですが、ミスしたときの異常なまでの非難、そしてそれによるイジメ等を長期間に渡って繰り返されとうとう私の性格は何事にも挑戦出来ない消極的な人間、人の目を気にする人間になってしまいました。 普通のプレー中シュートを外したりした時異常に謝ったりしていました。陰湿な嫌がらせをされない為にです。 そんな消極的で人の目を気にする人間になってもう6年ほど経つのですが、ずっと心の中でそのトラウマと葛藤していました。 このままでいいんだろうかと考えた末、当時私がされた事は間違ってるじゃないかという結論が出て、昔出来たように何事も積極的に失敗を恐れず挑戦していきたいと思うようになってきました。 そこで皆様に質問です。 皆様の積極的になる事に関する私の考えに対する意見をお聞きしたいのと、もう「当時」のような幼稚ないじめ、悪口は無いのだから、私はこれから失敗を恐れずどんどんと挑戦していってもいいですよね? 回答お待ちしております。

  • 間違い、失敗はいいことですよね?

    同じミスを7回も8回もしてたら駄目かもしれないですが、自分を成長させる為にはミスや失敗は不可欠ですよね? その間違い等を通して、自分の悪い点を見直しそれを改善する為の努力をすればそれでいいですよね? 世の中には様々な偉人がいて私たちは彼らの成功例を知っていますが、絶対にその成功を掴む為に何百という失敗をしているはず。 数多くのベストセラーを出している予備校講師の人が、新人の講師にどうやってベストセラーを出せるのか聞かれた時、彼は、 「ベストセラーが出るまで書き続けなさい」 と言ったそうです。 つまりは売れずに周りの期待等を裏切っても、諦めずに書き続けなさい、という事です。 以上の様に、やはり間違いは絶対に自分を成長させる為には必要な物です。 3、4回間違えてうまく出来ない人を罵倒し、「出来ない人」等のレッテルを張るのはどうかと思います。 皆様もそう思いませんか? 私は中学に入った時団体の球技系の部活に入りましたが、そこで陰湿な虐めをされました。 何年も経験があるなら言われても仕方ないですが、初心者でまだまだ全然思うようにプレー出来ないにも関わらず、ミスをすると 「キショイ」 「下手くそ」 「ダルい」 「パス悪い」    等の罵倒を延々とされました。 確かにチームプレーなので、ほぼ練習は誰かとします。なので自分がミスすると相手に迷惑がかかるのはわかるのですが、 その様な罵倒はするべきものでは無いと思います。 なんとか迷惑をかけないように家で練習したのですが、それでも初心者なので毎日劇的に上手くなるということはなく、 ミスしながらじゃないと上手くなれませんでした。 しかし、ミスする度に上記で挙げた様な罵倒。 結果私は人の顔色や目を気にする性格になってしまい、周りに迷惑をかけたらどうしようとしか考える事が出来なくなってしまいました。 しかし、絶対にそのような虐めをしていた人間達も、始めたばかりの頃は出来なかったはず。ミスを沢山したはず。 そんな時に彼らが私にした様な事をされていたとしたら、彼らは実力をのばす事が出来たでしょうか? 例えばプロ野球でいえば、有名な選手にイチローがいます。 彼は今でこそプロなので何度も空振り等をしたら周りから何かを言われるかもしれませんが、絶対に野球を始めた頃や、 高校時代もミスを沢山したはず。 しかし当時私がされたようないじめ、罵倒をミスする度に言われていたとしたら、彼は果たして上手くなれたでしょうか? もちろん身体能力はずば抜けて高かったでしょうが、心がおそらく潰れていたのではないかと思います。 私が当時初心者でミスした時、そんな「いじめ」「罵倒」という卑劣な行為をして突き離すのではなく、 なぜミスをするのか、どのタイミングでパスを出せばいいのか等をその人達が教えてくれていたとしたら、 心を病まずにすんだのではないかと思います。 (もちろん自分自身でどうすれば上手くなれるか研究はしていました) 今は色々な本を読んだり、「達人」と呼ばれている人の話をきいて、 「間違うことはいい事だ。間違うという事は間違いじゃない。 当時私がされた事は明らかに間違っていた。 なのでもうトラウマみたいになっていた、間違った時に周りから何かされたりしないか等の事は考えず、間違いを恐れずどんどん挑戦していこう」 と思えるようになりました。 前置きが長くなり申し訳ありません。 皆様は、あなたの周りの人たちが「間違ったり、失敗したりする事」をどう捉えますか? 相手の非を突き罵倒し、虐め等をする為の道具として使いますか? それともなぜ間違ったのかを説明し、成長させるためのプラスの材料として使いますか? 回答お待ちしております。

  • 過去の経験をいつまでも引きずりたくない。

    【失敗を恐れず挑戦し、とにかく初めの一歩を踏み出して転びながらでも学んでいく為に・・・】 23歳です。 僕は中学時代、バスケ部で陰湿ないじめに遭いました。 僕は初心者でバスケを始めたのですが、1ヶ月が経つ頃から僕とは別の小学校から来たバスケ経験者の同級生数名に陰湿なイジメをされ始めたんです。 いじめの理由は恐らく「なんとなく嫌だ、むかつく」こんな理由だったと思います。 僕は大学まで出ましたが、大学卒業するまでその中学の部活以来、バイト等も含めいじめの行為に遭ったことがありません。 今思い返しても、当時いじめを受けたのは、 いじめをして来た人間の性格が腐っていたからだと断言できます。 部活では、 ・バスケなので体と体がぶつかるのは仕方ないのに当たると「キモイ」「死ね」等の暴言を吐かれる ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレられる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒をされる ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責めて来る ・ミスしたら馬鹿にして攻撃して来る こういったことをされました。 大人でも始めたての仕事で、罵倒やいじめを繰り返されたらさすがに心を痛めます。 そんなことを、まだ13歳14歳の思春期にされたら、ダメージは相当。 明らかにシュートチャンスでシュート打てる状態でも、外したら何を言われるか分からないし、決めても嫌な顔をされる。 自分でカットインしてシュートに持って行きたいけど、もし外れたら何言われるか分からない、酷い罵倒をされるかもしれない。 こんなことを延々と繰り返された僕は、 徐々に挑戦というものをしなくなって行きました。 まだ数ヶ月の初心者。 どれだけ意識していてもミスはあります。 でも、ミスすると罵倒される状態だったらもう怖くて挑戦できないですよね。 「思い切って挑戦する」→「失敗するかもしれない」→「失敗したらそこから何かを学んで次に繋げる」 このプロセスが、何かを上達させるには不可欠です。 しかし、僕はこの第一段階である「挑戦する」っていう行動を取れなかったんです。 もうボールを持ったらパスをして、自分では攻めない。 こういう状況に追いやられていました。 そして他にも、 「下手クソはシュート打つな」 「下手クソは○○するな」 こういった発言をされていたと述べましたが、僕は下手だから練習しようとしたんです。 下手だからシュート打って練習しますし、 下手だからドリブルとか果敢に責めたりして、上達しようとしていたんです。 でも「下手だからするな」と言われたら、一生上手くなることができません。 家でいくら1人で練習しようが、実際の練習で上述したようないじめの行為をされていたらその成果を発揮できません。 「下手だから○○するな」と言われない為には、上手くなってから始めないといけなくなります。 しかし上手くなるには、実際に部活で皆と一緒に練習しないといけない。 でもその練習にちゃんと参加できないようにさせられていたので、もう上手くなりようがない。 こんな負のサイクルに追いやられていました。 中学の部活でこの様な経験をした僕は、2つの"誤った"理論を頭に刷り込まれてしまいました。 1つめが、「思い切って何かに挑戦すると、いじめみたいな酷い目に遭う」 2つめが、「何を始めるにも"完璧になってから"始めないと、酷い目に遭う」 この2つの理論です。 何かに挑戦すると、勿論"失敗"するという可能性が出てくる。  それは誰しもそうだと思います。 普通にスポーツでもそうですし、 仕事でもそう。 趣味でもそう。 何でもそうです。 何かに挑戦するということは、成功することも勿論ありますが、失敗もつきまといます。 しかし、失敗をするともの凄く酷い目に遭わされるという状況だったら、さすがにもう行動ができない。 僕は当時そういう状態を2年以上も経験したので、 それが"真理"であるという勘違いをしてしまってるんです。 もしそれが真理なら、みんな誰も何も始めようとしないですよね。 2つめに関しても同じ。 「できるようになってからはじめる」じゃ、いつまでたっても何も始められません。 スポーツでも、仕事でも、語学でも、 「ちゃんとリフティングができるようになってから始める」 「ちゃんと仕事の内容を完璧に覚えてから始める」 「熟語を全て頭の中に叩き込んでから、英語を喋る」 こんなことやっていたら、いつまでたってもやるべきことができませんよね。 何でも「やりながら」できるようにしていくのが普通な訳です。 完璧になってから始めよう!だと、そのやりたいことを始められる日は来ないです。 よって、上の2つの理論は間違っているんです。 成功者の方達もそうですし、色んな本やメディアでも 「失敗を恐れず、挑戦する事が大事」 「初めの一歩を踏み出そう。転びながら学ぶんだ」 このような事が言われていることからも、 僕の2つの理論は誤っていると断言できます。 よって僕は、この2つの理論は、 「いじめを受けていたという、ある種の"特殊"な環境にいたからこそ生まれた誤った理屈である」 ということを認識しないといけない。。。 ここで皆さんに質問です。 こんな経験をした僕が、一体どうすれば2つの理論が誤っていると「実感を伴った形で」認識することが出来るでしょうか? 多くの回答、お待ちしております。

  • 失敗を恐れて挑戦できない・・・

    何かをしようと思う時、失敗を恐れず挑戦する事が大事。 もし失敗したとしても、その失敗した原因を考えて次は失敗しないようにすればいい。 とにかく挑戦する事が大事。 やってみる事、行動に移す事が大事。 何もしなければ何も始まらないから。 この様な事をよく皆さんも耳にすると思いますし、自分もこの様な言葉は至極全うな意見だと思います。 あの発明家として有名なエジソンも何千回と失敗したでしょう。 しかし失敗する度原因を探り、また挑戦するという事を繰り返した結果歴史的な発明をする事が出来たのです。 あの日本が誇る打者イチローも、毎回ヒットが打てる訳じゃないわけです。 10回に5、6回は何も出来ずに終わってしまうのです。 でもその挑戦があるからヒットは生まれるのです。 だからとにかくやってみる事が大事。 挑戦して失敗したら原因を探って改善。 これを繰り返す事が成長する為に不可欠だと自分は強く感じます。 しかしながら、私は昔のトラウマがあり未だに失敗する事を異常恐れてしまっています。 それは中学の時、初心者で入部した球技系の団体クラブに入った事がきっかけです。 当時は初心者だった為、いくら頑張ってもやはりミスをしてしまっていました。 しかし、団体クラブだったためミスをする度同級生のそのスポーツ経験者達から酷い陰湿なイジメを受けました。 その経験者達の性格も異常に悪かったと今となっては思いますが、当時の自分はそれに怯える事しか出来ず、「次はこうしたらミスせずプレー出来るのではないか」と思っても、もし万が一ミスしたときのイジメの行為を考えるとどうしても積極的にプレーする事が出来なかったのです。  そしてだんだんと私は練習中ボールが来てもパスばかり。。。。 明らかにシュート出来る時もパスばかり。。。。 自分は性格まで消極的な人間になってしまいました。 よって中学時代は本当に何にもする事無く終わり、そのトラウマを抱えたまま今(22歳男)に至ります。 しかしながら、未だにそのトラウマを抱えている自分ですが、先ほど上述した言葉から考えるとこのトラウマは(トラウマというより「ミスをしたら酷い罰を受ける」という脅迫観念は)全く抱く必要が無いものだと今は非常に強く思います。 中学生のアホのガキがした行為を、未だに覚えていて苦しむ必要等無いと思うのです。 トライ&エラーのスタンスで何事にも挑戦し、エラーをした場合はその原因を探って改善し次はミスをしない様に心がける。 こういう態度で日々生きて行けば、自分を限りなく成長させ気持ちよく毎日を生きて行けると思うのです。 そこで皆様に質問です。 この最後で述べた結論を持って自分はこれから生きて行っても大丈夫ですよね? 本来は第三者に聞くべき事ではないと思うのですが、長年抱えていた悩みなだけにどうしても他の方に答えを頂きたくて今回質問させて頂きました。 それでは回答の方お待ちしております。

  • 過去と今とを繋げないように。。。。

    終わった過去を今と繋げて苦しむ時がよくあります。 当方は昔部活でいじめを受け、全くというほど挑戦したり自分の能力を向上させる事が出来ませんでした。 シュートを打ったら「お前が打つな」外したら「キッショ」等の罵倒をされ結果いじめられる等の行為をされていました(だいぶ省略しましたが実際はもっと陰湿でした)。 私はその様な事を経験したので、よくテレビとかでスポーツ選手が「失敗を恐れずどんどん挑戦したい。可能性を広めたい」と言っているのを見ると、「俺は当時周りで幼稚で陰湿ないじめがあったために失敗を恐れず挑戦したくても出来なかった。いいなぁ、どんどん挑戦したり可能性を試す事が出来る人は」(もちろんプロはプロなので極力ミスは避けなければなりませんが、)と思ったり、バラエティ番組で芸人がスベッたりするのを恐れず挑戦する、みたいなのを言っているのをきくと、「この人達も当時の私のように、ウケなかったりする度に罵倒され皆から無視されるといったような陰湿なイジメを半年以上される事になったら絶対に挑戦出来ないだろうな」と思ってしまいます。 本の中でも「間違う事を恐れずに挑戦しろ」と書いてある事が何度もあります。 その様な言葉をテレビや本で目にしたりする度に上記の様な事を考えてしまうためもの凄く気分が悪くなります。そして時間も無駄にしてしまいます。それまでしていた思考も止めるため頭が悪くなります。 そこでもう一度このトラウマを深く考えた結果、一つの答えが自分の中で出ました。 それを皆さんに見て頂き、皆様の意見を聞きたいと思います。 「当時確かに家で何度も練習して実際の練習でその成果を出そうとした時にことごとく阻止され、陰湿な行為をされ成長する事が出来なかった時が、「スポーツ」が出来なかった時が3年間続いたけど、その後全く違う環境でいざ挑戦してみると、その様な陰湿ないじめをされる事もなくいくらでも自分の可能性を試す事が出来た。 中学の頃は明らかに周りの人間が悪く、その様な行為を咎める人間がいなかった環境にいた自分の運が悪かっただけだから、もう今後テレビや本で間違えを恐れず挑戦しろ、等の言葉を聞いても絶対に昔の挑戦出来なかった時の事を思い出して「この人達も俺だったら・・・」みたいな事を考えて気分を悪くし時間を無駄にするのは止めよう。過去と今を繋げるのはもう絶対に止めよう。間違えを恐れずに挑戦するというのは、人間が成長する上で絶対に必要な事だ。」というものです。 長くなりました。 回答お待ちしております。

  • ミスを恐れず挑戦する事は大切ですよね?

    だいぶ昔の話になるのですが、中学時代部活内でミスをした結果陰湿なイジメや罵倒を散々されてとても辛い思いをした事があります。 部活内の人間の質もかなり悪かった記憶があるのですが、それ以来挑戦してミスをしてしまうかもしれないならもう挑戦自体するのをやめよう。と思う様になってしまいました。 もちろん理由はミスをした結果陰湿なイジメや罵倒をされるのを恐れた為です。 しかしそれ以来6年程が経つのですが、このままのスタンスで行けば自分は何一つ挑戦出来ず、やりたい事を出来ずに人生を終わらしてしまうのではないかという不安が最近強くなって来ました。 なので自分なりにこの様な結論を出しました。 「これからは周りに何人もの人と一緒に何か物事をする会社やスポーツ等の環境において、考えた結果いけると思ったらどんどんと挑戦し自分の可能性を広げていこう。もしミスをしても、何故ミスをしたのかをよく考え次ぎまた挑戦する時に同じ過ちを犯さないようにすればいい。当時は異常なまでに陰湿な行為をしてくる輩がいたがそれはそれ。精神年齢が低かった輩が沢山いた環境にいてしまった自分の選択のミスが招いた事で、当時の事をトラウマとして心に留めておくのは止めよう。常に挑戦しようという心構えで前向きに生きて行こう」 というものです。 この意見に対しての皆様の意見をお聞きしたいと思い今回質問させて頂きました。 回答お待ちしております。

  • 失敗を恐れず挑戦していいですよね?

    昔、中学の時に部活(バスケ)でイジメに遭っていました。 イジメに遭っていた為、初心者で始めたスポーツだったのでミスはどうしても避けられなかったのですが、ミスする度に陰湿なイジメを何度も何度もされました。 (他にも初心者でミスしている人は何人もいたのですが、自分だけ嫌がらせを沢山されました) 酷いイジメをされるのを恐れた自分は、もう挑戦する事を止めて練習では殆ど何もしなくなり、何もしなくなると同時に酷いイジメは無くなりました。 この経験から「失敗を恐れず挑戦して失敗したらイジメの行為を受ける。ならば挑戦しないでおこう」という式が頭の中に出来上がってしまい、そのスタンスのまま今の今まで(現在20代前半)来てしまったのですが、よく考えてみると、自分は当時「陰湿ないじめに遭っていた」状態だったのでミスをした時に異常なまでに非難されて攻撃されたのは流れとしてはごく自然だったと思います。 なぜなら「嫌われていて、イジメられていたから」。 (ちなみに自分はその部活以外ではイジメを受けた事がなく、普通に友達もいました。そのイジメの行為をしてきた数人がかなり陰湿で人として最悪だったと覚えています) 以上の事から、失敗をした時に異常なまでに精神的に苦しめられたのは、自分が当時イジメられていた立場で、イジメをしてくる輩達がいた環境(つまり部活)に属していたからであって、「失敗を恐れず挑戦したが結果的に失敗した」からでは決してないと言えます。 イチローだって現在は世界トップレベルのバッターですが、彼が野球をやり始めた頃は失敗の連続だったでしょう。そんな時に失敗した事を執拗に責められ、精神的に苦しめられイジメられていたら、とてもじゃないが野球どころでは無かったでしょう。 エジソンも数多くの発明をした事で有名ですが、その発明の裏には沢山失敗があったはず。 しかし失敗する度に精神的に苦しめられてイジメられていたら実験どころでは無かったと思います。 なのでこれからもちろんスポーツもそうですが、スポーツ以外のどんな事に対しても、「失敗を恐れず挑戦」していけばいいと思えるようになったのですが、皆さんはこの「失敗を恐れず挑戦する」という考えについてどう思いますか(もちろん失敗したらそれから学ぶのは前提です)? 私は失敗を恐れずどんどん挑戦すればいいですよね? (もちろん何も考えずにただ行動するという訳ではありません) 回答お待ちしております。

  • 「挑戦する」という事が出来ません…。

    現在21歳、大学3回生です。 まず題名の様な状態になった原因は、中学の部活でされた陰湿なイジメが原因でした。 当時バスケ部に入っていたのですが、中一の時初心者だった自分がシュートを打とうとする度に 相当陰湿な悪口を大声言われたり、「外したらもう一生打つな」、「お前みたいなのがシュート打つな」とかを言われたりしてました。 時には他の部活のメンバーに「あいつにはパスを回すな」と裏工作をして皆にいい、自分だけものすごく辛い経験をしたこともあります。 初めは初心者だったので上手くなりたい一心で積極的なプレーをしようと、何事にも挑戦して行こうと決めていたのですが、上記の事が長期に渡って続くにつれ、「もし自分が何もしなければ、こんな辛いことは起きないかもしれない。じゃぁもうシュートを打とうとするのは止めて、ボールを持ったらすぐパスをし、自分は何も挑戦しないでおこう」、そう思うようなりました。 正直止めても陰湿ないじめをする人もいましたが、自分がシュートを打ったり、何かに「挑戦しよう」としたときに言われる悪口は無くなりました。(当然ですよね。何もしていないのでいいようがありませんから) 結局、相当馬鹿だった自分はその部活を辞めずに中学3まで続け、約2年半、上記の事を続けたためもう頭にその感覚がこびりついたんでしょう、それ以来何か自分が挑戦しようとして、そしてそれが少しでも周りの人達を影響してしまうような時はいつもその中学の事を思い出し、「失敗をするとまた何かをされるのではないか」と不安になり結局挑戦するのをやめる、といったような事を今の今まで続けてきてしまいました。 よく、「間違う事を恐れずに、挑戦する事が大事」といいますが、それが例えば一人で行うもの(資格勉強等)なら失敗しても自分が責任を負うだけですが、それが例えばミスすると少しでも他人に影響するものであれば、 その周りの中の何人かは「○○が失敗したせいで自分にも影響した。挑戦してくれなければよかったのに」と思う人がいるかもしれませんよね? そしてその人達が他の人達に、その気持ちを裏で言ったりして他の人達もそれに賛同するとなると、結果的にその失敗した周りの人達はその人が挑戦するのを酷く嫌い始めるのではないか……と、中学のトラウマがある私は「挑戦すること」という事に対してその様な考えが浮かんでしまいます。 なので、「間違う事を恐れずに、挑戦する事が大事」と言っている人に対して、「この人も自分みたいな過去があればこんな言葉絶対口から出てこないだろうな…」 そう考えてしまいます。 正直何度も何度も「中学の記憶が今すぐ消えてくれれば」と思った事があります。 何故なら「挑戦することが大事。間違う事はいいことだ」と言う人は星の数ほどいるので、やはり自分の考えは「たまたま辛い経験がある極まれな考え」だと気付いているからです。 もし万人が私と同じ考えならこの世の中は何も発展しないですから。 だから、私の極少数の、自分にとって何一つプラスにならない考えなど捨てて、どんどんその大多数が支持している「挑戦することが大事」というの考えを持って生活していきたいのですが、これからの私がそれをするにはどういった気持ちで生きていけば可能になるでしょうか? 私の過去の様な経験が無い方達には正直今の私の考えを本当の意味で理解する事は出来ないと思いますが、もしアドバイス頂けるならお待ちしております。