間違いと失敗は成長のチャンス? どう捉えるか考えよう

このQ&Aのポイント
  • ミスや失敗は成長に不可欠であると言えます。間違いを通じて自分の悪い点を見直し、改善する努力をすることが大切です。
  • 成功を掴むためには数多くの失敗が必要です。偉人たちも何百回もの失敗を経験しています。
  • 一方、間違いや失敗を突き罵倒し、虐めの道具として使うことは誤りです。成長を促すためには間違いの原因を理解し、プラスの材料として扱うべきです。
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間違い、失敗はいいことですよね?

同じミスを7回も8回もしてたら駄目かもしれないですが、自分を成長させる為にはミスや失敗は不可欠ですよね? その間違い等を通して、自分の悪い点を見直しそれを改善する為の努力をすればそれでいいですよね? 世の中には様々な偉人がいて私たちは彼らの成功例を知っていますが、絶対にその成功を掴む為に何百という失敗をしているはず。 数多くのベストセラーを出している予備校講師の人が、新人の講師にどうやってベストセラーを出せるのか聞かれた時、彼は、 「ベストセラーが出るまで書き続けなさい」 と言ったそうです。 つまりは売れずに周りの期待等を裏切っても、諦めずに書き続けなさい、という事です。 以上の様に、やはり間違いは絶対に自分を成長させる為には必要な物です。 3、4回間違えてうまく出来ない人を罵倒し、「出来ない人」等のレッテルを張るのはどうかと思います。 皆様もそう思いませんか? 私は中学に入った時団体の球技系の部活に入りましたが、そこで陰湿な虐めをされました。 何年も経験があるなら言われても仕方ないですが、初心者でまだまだ全然思うようにプレー出来ないにも関わらず、ミスをすると 「キショイ」 「下手くそ」 「ダルい」 「パス悪い」    等の罵倒を延々とされました。 確かにチームプレーなので、ほぼ練習は誰かとします。なので自分がミスすると相手に迷惑がかかるのはわかるのですが、 その様な罵倒はするべきものでは無いと思います。 なんとか迷惑をかけないように家で練習したのですが、それでも初心者なので毎日劇的に上手くなるということはなく、 ミスしながらじゃないと上手くなれませんでした。 しかし、ミスする度に上記で挙げた様な罵倒。 結果私は人の顔色や目を気にする性格になってしまい、周りに迷惑をかけたらどうしようとしか考える事が出来なくなってしまいました。 しかし、絶対にそのような虐めをしていた人間達も、始めたばかりの頃は出来なかったはず。ミスを沢山したはず。 そんな時に彼らが私にした様な事をされていたとしたら、彼らは実力をのばす事が出来たでしょうか? 例えばプロ野球でいえば、有名な選手にイチローがいます。 彼は今でこそプロなので何度も空振り等をしたら周りから何かを言われるかもしれませんが、絶対に野球を始めた頃や、 高校時代もミスを沢山したはず。 しかし当時私がされたようないじめ、罵倒をミスする度に言われていたとしたら、彼は果たして上手くなれたでしょうか? もちろん身体能力はずば抜けて高かったでしょうが、心がおそらく潰れていたのではないかと思います。 私が当時初心者でミスした時、そんな「いじめ」「罵倒」という卑劣な行為をして突き離すのではなく、 なぜミスをするのか、どのタイミングでパスを出せばいいのか等をその人達が教えてくれていたとしたら、 心を病まずにすんだのではないかと思います。 (もちろん自分自身でどうすれば上手くなれるか研究はしていました) 今は色々な本を読んだり、「達人」と呼ばれている人の話をきいて、 「間違うことはいい事だ。間違うという事は間違いじゃない。 当時私がされた事は明らかに間違っていた。 なのでもうトラウマみたいになっていた、間違った時に周りから何かされたりしないか等の事は考えず、間違いを恐れずどんどん挑戦していこう」 と思えるようになりました。 前置きが長くなり申し訳ありません。 皆様は、あなたの周りの人たちが「間違ったり、失敗したりする事」をどう捉えますか? 相手の非を突き罵倒し、虐め等をする為の道具として使いますか? それともなぜ間違ったのかを説明し、成長させるためのプラスの材料として使いますか? 回答お待ちしております。

質問者が選んだベストアンサー

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  • beck_ham
  • ベストアンサー率31% (24/77)
回答No.8

随分と悩んだようですね。 質問文の最後に書かれている様な心境になるまでは 時間が要ったことでしょう。 ただ、「成功」するに至るまで、間違いや失敗は「不可抗力」である場合 はあるにしても、「不可欠」といったような「前提条件」としてあるべきでは ないと思います。 そもそも「間違い」とは本来あるべき姿とは違った結果に使われるべき 言葉だと思いますが、質問者さんの言う「間違い」は、そういった意味も あるでしょうが、「周りの期待値よりも下回った結果しか出せない」 といった意味合いも多分に含まれている様な気がします。 その場合、「その先にある正解に辿り着く為には、ちょっと時間がかかる」 程度に思いますので、「間違い」とは思いません。 むしろ、チームとして正解を求めているなら、多少厳しくても特訓し、 出来るまで協力します。 しかし「間違い」自体は望む結果とは違う訳ですから、「いいこと」ではありません。 ですが「間違い」により、「自分に何が足りないか、どうすればいいのか」 を気付くことが出来れば、その人にとっては「いいこと」です。 ただ、「その人にとっては」ということです。その時点では、周りからすれば 「いいこと」ではありません。(罵倒や虐めは論外) だから、世の成功者は成功するまで「間違いはいいこと」なんて公表しないのです。 間違いや失敗は誰しもやってしまいます。 ですがその時には、周りからの叱責(罵倒や虐めは除く)は甘んじて受け入れ なければなりません。 その上で、次に進むために間違いや失敗から教訓を得るべく反省することこそが その人の「人生の糧」となる訳ですから、そのような意味で「いいこと」なのです。 決して周りに対しては「いいこと」ではありませんから、「間違いはいいこと」とは 言わないほうがいいと思います。 あえて厳しい言い方をすれば、 間違いや失敗を「人生の糧」に出来るかどうかは、その人の個人的な思考に因るところ ですので、周りの人は関係ありません。 ただ、「同じ間違い」「同じ失敗」を繰り返された場合は、かなり厳しい叱責が飛ぶ ことを念頭に置きながら精進して下さい。

kschoo1
質問者

お礼

>質問者さんの言う「間違い」は、そういった意味も あるでしょうが、「周りの期待値よりも下回った結果しか出せない」 といった意味合いも多分に含まれている様な気がします。 仰るとおりです。 言葉が足りませんでした。 >間違いや失敗は誰しもやってしまいます。 ですがその時には、周りからの叱責(罵倒や虐めは除く)は甘んじて受け入れ なければなりません。 もちろんです。 私の質問の仕方がかなり悪かったようです。 この質問をしてから気付いた、失敗するという事、ミスするという事に対する自分の意見をまとめて再度質問をしたいと思います。 貴重なアドバイスありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • hagekappa
  • ベストアンサー率19% (26/132)
回答No.7

小さいながら運送会社をやっています 失敗を貶していたのではお互いに何も成長しないと思います 委縮していたら成功するものも成功しませんからね 人間ですから、ミスもあるでしょう 私もミスしますしね 大切なのはミスそのものよりも、次にミスしないよう努力する姿勢だと思います 1度ミスして2度目で成功する人もいれば、10度目で成功する人もいるでしょう ですので、私はミスしてしまった後の努力する姿勢を評価しています 子供達にも失敗は悪い事では無い、悪いのは失敗したあとに、能力のせいにすることだと教えています 努力する姿勢や気持ちが米1粒ほどの大きさがあれば、米1粒分ほどですが、次に生かされるからです

kschoo1
質問者

お礼

>委縮していたら成功するものも成功しませんからね 人間ですから、ミスもあるでしょう 私もミスしますしね 大切なのはミスそのものよりも、次にミスしないよう努力する姿勢だと思います そうですよね。 私も萎縮してしまっていました。 なのでこのような質問をしたのですが、質問内容が少しよくなかったみたいですね。 回答ありがとうございました。

  • UinOZ
  • ベストアンサー率55% (98/177)
回答No.6

あなたは正しいと思います◎ 車の免許を取った人がまるで「教習所史上最速で取れた」かのように言ったり、「一回も試験に落ちた事がなかった」と自慢する人がいますよね。試験に落ちたり、運転を覚えられなければお金がかかって来ることですし、早く免許が欲しいのでほとんどの生徒はなんとか教習所を早く出ようとしていました。随分前の事ですが私もその中の一人でした。 その日は外でコーナーの曲がり方を一対一で教官に教えてもらう日だったのですが、私がとにかく試験にパスするよう、教官にどんくさい印象を持たれないように緊張していながらも必死でした。私がミスを何度もしてその度謝っていた時の教官の言葉が今でも忘れられません。 「ミスする為に教習所来ているんだから良いんだよ。教習所来たらどんどん間違えなきゃ。最速で免許取ったらもう隣でブレーキかけてくれる人いないよ?免許取って道路で人跳ねたら、それ全部君の責任だけど、今、間違って人を跳ねたら私の責任だから。みんな早く免許取ろうとしてるみたいだけど、教習所の練習期間が長い方が後々事故もないし運転も上手くなるんだけどなぁ」。あの教官の言った事は全てに当てはまると今でも私は思っています。 学生ということ自体が、大人になる練習期間であるのですから学校やそれに付随するクラブ、部活は言わば「間違いを繰り返してもいい場所」なはずです。世間に出て就職すれば自然にミスは許されない事として認知されるのですから、学生の時にミスをして、今後に繋げることを学ばなければいつ学べるのか。会社ですら新入社員がミスをする事から仕事を学ぶ事実を受容していないと、その会社では有望な人材が育たないことになります。新しいプロジェクトに参加すればベテラン社員でもミスをする事もあるでしょうし、そうなれば当の本人だけに限らず社員全員が上司のミスから学ぶ事が出来る。 学校の先輩なんかは自分も練習の身なはずですが、未熟過ぎて「ミスはあげつらうもの」としか学べなかったのでしょうね。

kschoo1
質問者

お礼

>学生ということ自体が、大人になる練習期間であるのですから学校やそれに付随するクラブ、部活は言わば「間違いを繰り返してもいい場所」なはずです。世間に出て就職すれば自然にミスは許されない事として認知されるのですから、学生の時にミスをして、今後に繋げることを学ばなければいつ学べるのか。 本当に仰る通りです。 そこでミスをしないといつ学ぶのかっていう話ですよね。 回答ありがとうございました。

回答No.5

失敗を恐れず何事にもチャレンジするのはいいことです。それで失敗したのなら仕方ないと思います。 でも本人が「失敗はいいこと」と思い始めたらだめだと考えます。 それはただの「失敗はいいこと」という開き直りでしょう。

kschoo1
質問者

お礼

仰る通りです。 私の質問の仕方が悪かったみたいです。 私が言いたかったのは、「失敗を恐れずどんどん挑戦する。そこで失敗したとして周りに多少足りとも迷惑をかけてしまったとしても、次からは失敗しない様試行錯誤し努力すればいい。 今自分が出せるもてる力を全て使って失敗したのなら誰もその人を「罵倒」したり「イジメ」をしたりすべきではない」 と言いたかったのです。 貴重なアドバイスありがとうございました。

  • DJ-Potato
  • ベストアンサー率36% (692/1917)
回答No.4

失敗を反省し、今後に役立てているならいいですが、 失敗しておきながら「間違い・失敗はいいことですよね」と開き直るヤツは許せません。 指導者の立場であれば、成長させるためのプラスの材料として使うことが好ましいですが、 球技の部活の仲間は、レギュラーを争うライバルです。 「病め医者、死ね坊主」という言葉もある通り、あなたを成長させるために自分の練習を犠牲にできる人はいません。 間違えたり失敗したりした場合は、罵倒は適切でないにしても叱責はされて然るべきです。 偉人や達人も、「失敗して叱責されることを恐れずに懸命に努力を続けることが大事」であって、「失敗しても叱責してはいけない、叱責する方が間違っている」とは言っていません。 まぁ、間違えて叱責されることを恐れずにどんどん挑戦していこう、という気持ちになっているようですから、その意気を忘れずに頑張ってください。

kschoo1
質問者

お礼

>失敗しておきながら「間違い・失敗はいいことですよね」と開き直るヤツは許せません。 それは私も許せませんね。 >間違えたり失敗したりした場合は、罵倒は適切でないにしても叱責はされて然るべきです。 偉人や達人も、「失敗して叱責されることを恐れずに懸命に努力を続けることが大事」であって、「失敗しても叱責してはいけない、叱責する方が間違っている」とは言っていません。 仰る通りです。 私の質問の仕方が間違っていた様です。  誤解を与えてしまい申し訳ありません。

  • konata508
  • ベストアンサー率26% (514/1954)
回答No.3

個人的な意見です。参考程度に。 >皆様は、あなたの周りの人たちが「間違ったり、失敗したりする事」をどう捉えますか? この辺は指導者の考え方なのでしょうけども、叱って伸びるタイプや甘やかしたほうがいいタイプなどいるので答えはないと思います。説明するかも説明しても理解しなかったり感情が先になってふてくされる人もいますので何とも言えませんね。他人をどうにかするのは割と大変ですからね。 個人的には自分でポジティブに考えるしかないと思いますが。個人差あるのでどうも。 ただ、スポーツは体育会系の考え方なので基本「負けず嫌い」が多いからそういう口調多いことは確かですね。ただ、その後のとらえ方はなんともいえないし、それが「ふるいにかける」ことでもあるのでしょう(集団競技でもレギュラー争いがあるので回りはライバルでもありますので) まぁ、過去があって今のあなたがあるのでしょうし、正直メンタル的に弱いひとは壁を崩せないですよ(なにも言われなくても気負うタイプはプレッシャーで崩れちゃうから)たとえオリンピック選手でも金メダル逃しただけで国辱扱いを受けてかなりショックを受けるみたいです。でも、その後にばねにしている人もいますからね。そういう「ストレス」も成長には必要でしょうね。

kschoo1
質問者

お礼

貴重なアドバイスありがとうございました。 参考にさせて頂きます。

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10269)
回答No.2

>同じミスを7回も8回もしてたら駄目かもしれないですが、自分を成長させる為にはミスや失敗は不可欠ですよね? 確かにその通りですが、ミスや失敗をした本人があからさまに言っていいことではありません。 たとえ不可避のミスだったとしても、もしミスをした本人がそう言っていたら、私はその人に対する評価を大幅に下げます。

kschoo1
質問者

お礼

>たとえ不可避のミスだったとしても、もしミスをした本人がそう言っていたら、私はその人に対する評価を大幅に下げます。 本人が言えばそれはさすがに駄目ですよね。仰る通りです。 回答ありがとうございました。

  • prizon19
  • ベストアンサー率12% (6/50)
回答No.1

迷惑です。 運転を誤ってひき殺したら「失敗はいいことですよね?」とはいきません。

kschoo1
質問者

お礼

それもそうです。 回答ありがとうございました。

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  • 失敗を恐れて挑戦できない・・・

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    それなりのプレーが出来るバスケ経験者の方に質問です。 例えば、バスケを始めてまだ半年程度の初心者の人(以下A)と同じ部活やクラブチームで練習するとします。  そのAはまだ経験が全然ないためパスミスやドリブルミス、シュートミス等をよくするのですが、そんな彼にミスをする度 「ダルッ」 「キショ」 「お前シュート外すし打つな」 等の罵倒、さらにもの凄く嫌そうな顔をしたりキレたり、なるべくパスを回さないようする。挙げ句の果てにはそのAがいない時に裏でチームの皆にAにボールをパスしないようにして精神的に苦しめたりしますか? Aはミスをしたら何故ミスをしてしまったのか、どうすればいいプレーが出来るのかとちゃんと考えそして改善できるよう努力できる人間で、一人でこつこつと地道に練習できる人間です。 言わば彼がするミスというのは上手くなるためには避けられないミスで、彼はミスを通して上達している発展途上の状況です。 そんな状況の人に以上の様な罵倒・いじめをし、Aが消極的な性格になり自分で積極的にプレーせずボールを持ったらすぐに自分のところへパスしてくれる、自分に何も迷惑がかからないようになるまでAを精神的に苦しめますか? 確かにAが練習中ミスするということは周りの人たちにそれなりに迷惑になるでしょう。 ただそれを本当に「迷惑な事」「自分の成長を妨げる事」と考え、Aが出来るようになるよう協力したりせず「罵倒」や「いじめ」をしてAの成長を妨げ潰しますか? 経験者の方の意見をお聞きしたいです。 (皆様も思うようにプレー出来ない「初心者」の段階の時期がありましたよね。よく思い出してみて下さい) ※何故この様な質問をするのかという質問は今回ご遠慮下さい

  • 辛い記憶に苦しめられた時、どうすれば?

    現在21歳の者です。 時折、昔(中学)いじめられていた時の記憶がフラッシュバックの様に蘇ります。 当時いじめられていた部活で、人の努力や頑張りをひがみ、成長を妨げる様な行為をしてくる人間がいました。 普段から平気でいじめの様な行為をしてくるその人間が、私が向上心もって積極的になっているのをみたら絶対にいじめをエスカレートさせると思ったので、その人間がいる部活では全く積極的になることが出来ず、ただただいじめによるストレスを抱えたまま日々を過ごしていました。 その人間は部活では好き放題していたので、気に食わない奴がいるといじめをするその人間をただただ怯える事しか出来ず、私は部活では自分の能力を向上させる事は出来ませんでした。 当時は本当に辛かったのですが、現在たまにその当時の事がフラッシュバックし、また当時の出来事を脳内で再体験してしまいます。 結果、チームでするスポーツや単独でする勉強においても、「頑張って向上心もって取り組む事によって、また当時の様な奴が現在にも現れ自分の成長を阻害するのではないか」と思いもの凄く怖くなるのです。 自分の頑張り、成長を僻む奴が陰湿ないじめをしてきて、結果私は当時の様に人の顔色ばかりを伺う行動を取らざるを得なくなるのではないか、という考えが浮かんできてしまうのです。 チームのスポーツや皆でする仕事ならこのような考えが浮かんで来てしまうのも仕方ないとして、単独でする勉強にまでもこのような考えが浮かんでくるとなるともう辛くて何も出来なくなります。 そもそも「成長を妨げる」という行為が間違っている行為だから、私は自分を追い込まず、人が大勢いる場所でも、自分単独で活動する場所でもどんどん向上心をもって自分の能力の向上を計りたいと思っているのですが、なかなかフラッシュバックすると負のスパイラルから抜けられなくなります。 こんな時私はどうすればいいでしょうか? 私は「自分は悪く無かった。 人の成長を認められず、陰湿ないじめをした当時の人間達が悪いから、大丈夫。 もう今後当時の様な事が起きたらどうしようという心配をする必要はないから。周りは大人だから」 と自分に言い聞かす事で少しだけですが気を和らげる事が出来ますが、効果は芳しくありません。 何かアドバイスはありませんでしょうか? 回答お待ちしております。

  • 積極的になる事は駄目な事なのでしょうか?

    スポーツや仕事でもそうですが、何かを積極的にやろうとすることはつまり「挑戦する事」ですよね? スポーツなら皆のチームメイトがいる中シュートを打ったり、仕事なら新しい事に挑戦したり。しかし「挑戦する」という事は同時に「ミスが起きる」かもしれないという事です。 それは絶対に避けられない事で、ミスが起こる事を前提として挑戦します。 スポーツなら打てば外れる事はいくらでもあるし、仕事でも上手く行かなかったという事はざらにあります。そんな時に、じゃぁそのミスした事をもの凄く咎めて、その人を罵倒し陰湿なイジメまでして苦しめたりしますか?しかも長期間に渡って。  そんな事をしたら、元々積極的に何事も挑戦しようとしていた人もだんだんと気が病んで消極的になるかもしれません。 「try and error」のerrorの部分を異常なまでに非難すればスポーツでも仕事でも絶対に積極的になれないと思うのです。 もちろん、ただ何も考えずに自分の為だけにやりたい放題やってはいけません。 自分が「ここだ」と思ったとき。直感で、ないしは色々思考を練らし後に「いける」と思ったときに挑戦します。 そうして起こったミスを咎めていては誰一人、日本全国誰一人として何にも挑戦出来ないとおもうのですが、皆様もそう思いませんか? 英語でもよく「間違う事を恐れずにどんどんチャレンジすべき」といいます。 そこで間違った時にいちいち異常なまでに非難していては誰も喋れなくなります。 スポーツでも同じ事だと思うのです。 そう私が思うのも、私は昔初心者で団体スポーツを始めた時にミスを異常なまでに責められ、陰湿なイジメを何度もされたからです。 初めのうちは練習したものを実践してやろうと積極性に満ちていたのですが、ミスしたときの異常なまでの非難、そしてそれによるイジメ等を長期間に渡って繰り返されとうとう私の性格は何事にも挑戦出来ない消極的な人間、人の目を気にする人間になってしまいました。 普通のプレー中シュートを外したりした時異常に謝ったりしていました。陰湿な嫌がらせをされない為にです。 そんな消極的で人の目を気にする人間になってもう6年ほど経つのですが、ずっと心の中でそのトラウマと葛藤していました。 このままでいいんだろうかと考えた末、当時私がされた事は間違ってるじゃないかという結論が出て、昔出来たように何事も積極的に失敗を恐れず挑戦していきたいと思うようになってきました。 そこで皆様に質問です。 皆様の積極的になる事に関する私の考えに対する意見をお聞きしたいのと、もう「当時」のような幼稚ないじめ、悪口は無いのだから、私はこれから失敗を恐れずどんどんと挑戦していってもいいですよね? 回答お待ちしております。

  • スポーツをやっている方に質問です。

    特にチームプレーをやっている方に質問です。 初心者、ないしは現段階ではあまり上手くないが上手くなろうと頑張っている方が、上手いひとのプレーを真似したとします。 しかし、やはりまだまだ練習・経験が浅い為失敗してしまいました。 そんな時、その人にミスした事を咎め罵倒し、陰湿なイジメまでしてその人の向上心、積極性を潰したりしますか? スポーツというのは基礎練習をしながら上手い人のプレーを盗み、実際の練習・試合でそれを実践していく。 上手くいく事もあるが、初めはミスの数の方が多い。 しかしその過程を経てやがては徐々に思う様に体が動いてくれて上手い人の様なプレーが出来る様になる。 つまりスポーツにはtry and errorは付き物で、それが無ければ上達は絶対に望めない。 今プロで活躍されてるスポーツ選手も小学校の頃ややり始めの頃は絶対にこのtry and errorを繰り返したはず。 そのtry and error の「error」を咎め、その人を罵倒し陰湿なイジメをする程苦しめたりしたら、しかも長期に渡ってそれをしたら、果たしてその初心者の人や上手くなろうと努力している人は積極的にプレー出来るでしょうか? 皆様の意見をお聞かせ下さい。