芸術の価値とは?

このQ&Aのポイント
  • ヒトは曖昧模糊としたものに価値をつけ、順列を付けたがる生き物だなぁ、たまに感じることがあります。
  • 芸術の価値は「多数決」で成り立っていると考えていました。多数が評価しているものが価値の高いもの、少数が評価しているものが価値の低いものとされています。
  • しかし、個人の感性によって芸術の良し悪しは異なるため、価値は必ずしも絶対的なものではないとも言えます。皆様はどのように芸術の価値を捉えていますか?
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芸術の価値

ヒトは曖昧模糊としたものに価値をつけ、順列を付けたがる生き物だなぁ、たまに感じることがあります。 例えば「芸術」の価値。○○展「金賞」作品、といった具合に優劣を付けています。 私は、今までこういったあいまいなものの価値は「多数決」で成り立っていると考えていました。 つまり、 「多数が評価している」=「価値の高いもの」で、 「少数が評価している」=「価値の低いもの」、といった感じです。 例えば、 ピカソの絵画⇒芸術評論家や有識者が多数評価⇒よい作品、みたいな考え方です。(極論ですが) 私は、芸術の良し悪しを判断できません。例えばピカソの「ゲルニカ」などを見ても「ねじれたヒトや動物がラクガキみたいな絵」としてしか感じませんし、歌舞伎役者の浮世絵を見ても「このヒトは何でこんな目玉が飛び出しているのか。眼圧が高いのかな?人体はこのような構造にはなっていないのでは…」としか感じられません。よって、先述のような尺度を使って足りない感性を補っているのですが。 皆様は芸術の価値とはどのように決まるものだと思いますか。 もちろん、私の答えが皆様の納得される答えとは思っていません。 皆様なりの価値基準を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#159989
noname#159989
回答No.1

芸術でお腹はふくれません。 そうしたものは見る人によりけりで骨董品などもそうであるように価値を認める人にとって価値のあるものでしかないでしょう。 多くの人の感動や評価を得るものにはそれだけ芸術的価値があるのは確かでしょう。 感動、つまり人の心を動かす力があるものです。 芸術でお腹はふくれませんが感動は人に生きる力を与えます。 数値などで基準化されるものとは異質だと思います。 人の心を数値化なんてできないでしょう。 芸術作品を見て、人は何かを連想したり記憶を思い起こしたり衝撃を受けたりして、それを感動と言うのだと思います。 強いて言えばよりたくさんの人の感動、感銘を呼んだものが良い作品と言われるのでしょう。 しかし少数派の支持だから価値が低いとは言えません。 作品の露出度の問題だからです。 より多くの人に見てもらえる機会を得れば支持する人も多いのは当然のこと。 いかに多くの人の目に触れるかと言う事も大切な条件、要素です。 画家などの芸術家の作品が没後に評価される事が多いのはそれだけ時間を経ているからという事があります。 優れた作品は時代を経ても人づてに歩み続け多くの人の目にとまる。 つまり出会いの多さという事も価値を決める基準と言えますね。

yuki-alpha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 貴方の回答が、私の疑問にとって一番納得できるかたちを示しているとおもいます。 >多くの人の感動や評価を得るものにはそれだけ芸術的価値があるのは確かでしょう。 >感動、つまり人の心を動かす力があるものです。 >芸術でお腹はふくれませんが感動は人に生きる力を与えます。 たしかにそうですね、ラクガキのような駄作には誰も感動しないわけですし。よい作品には見るヒトに対して強い影響力があるのだとおもいます。それをみんなが認めれば価値といえるのでしょうか。 >数値などで基準化されるものとは異質だと思います。 まぁ、そうされた世界というのも見てみたい気もします。主に怖いもの見たさではありますが。 人間の脳、ひいては心の仕組みが全て解明されたら、不可能ではないかも。怪奇小説のネタになりそうですね(笑) ご意見たいへん参考になりました、改めてお礼申し上げます。

その他の回答 (4)

  • nokko-777
  • ベストアンサー率40% (91/227)
回答No.5

こんにちは。 とても興味深いご質問だったので、「回答」というか私の「意見」を書かせて頂きます。 私は若い頃、音大を卒業して音楽家を目指し日々研鑽を積んでおりました。 音楽も瞬間芸術のうちの1つです。 コンクルール等は、数十人の審査員によって順位が決まるワケですが、 ある程度、人数が絞られるまでにはスムーズに行くようですが、 そこから先「優勝・それ以下」を決めるのには何時間も議論される事があります。 私はそこで「審査員の好み」が大きく左右されていると考えています。 好みは人それぞれで、自分が1番だと思った人が1番じゃないのはおかしい という意見がぶつかっているのだと。 国際コンクール等では「満場一致」で優勝が決まることは滅多にありませんし、 中には「1位なしの2位」なんてのもあります。 全く意味がわかりませんよね。 一般投票と審査員が選んだ1位が一致する事もあまりありません。 なので、芸術の価値なんてあってないような物。 つまり、つまり本人の好みや状況によっても変わる物だと思っています。 私もクラシック音楽を聴いて、泣いてしまう時があります。 悲しいワケでも、辛いワケでもありません。 「何故泣いてるの?」と聞かれても私自身もわかりません。 質問者様もTVCM等で自然に耳に入って来る音楽と違って 自らCDを購入したり、コンサートに行ったりする事はありませんか? それは自分の好みであり、そういった自分から起こす行動こそが 質問者様の「感情を揺さぶっている」のです。 そのような物がわたしは芸術の価値なんだと思っています。 このご質問は芸術を志している方にとっては「一生の課題」であり また「一生解決する事が出来ない事」と考えています。

yuki-alpha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。もうベストアンサーは選んでしまった後で申し訳ないのですが、貴方様のご意見もなかなか面白く、こうして筆(?)を執らせていただきました次第です。 >「1位なしの2位」 初めて聞きました。たいへん面白可笑しくかつ腹立たしい評価ですね。 女:「私と彼女、どっちが大切なの!?」 男:「俺には1番なんて選べない。どっちも大切ってことでどうよ!?」 (直後、女ふたりからグーパンチ) みたいな光景が目に浮かびました。 好意的にとれば審査員の苦渋の決断。翻して見れば、参加者のいままでの努力を無にするような侮辱。なんとも言いがたい評価ですね。 >質問者様もTVCM等で自然に耳に入って来る音楽と違って >自らCDを購入したり、コンサートに行ったりする事はありませんか? >それは自分の好みであり、そういった自分から起こす行動こそが >質問者様の「感情を揺さぶっている」のです。 残念ながらどちらも経験ありませんが、私の「感情を揺さぶるもの」が芸術の価値ですか、なるほど。確かにそうかもしれません。 「では、芸術的な作品に対して、この作品が芸術的と感じる点を箇条書きにしてすべて答えなさい。」 といわれても、書き出した答えは薄っぺらで共感できないものになるのは不思議ですね。 また、その点を機械的・科学的に満たした物体を前にしても、なんら心動かすものは感じられないのでしょうね、おそらくは。粗悪なデッドコピーができるのが関の山だと思います。 貴方様のおっしゃる「心を動かすもの」とは、きっと今の人間の言語では表現できないくらい、高度で複雑な代物なのでしょうね。それでいて、各人の「好み」、ときおり「エゴ」も含んで価値が変化する。 その様が、まるで私には、見方によって輝き方が千変万化する「プレシャス・オパール」の原石に見えます。この変化こそが、私を惹きつけて止まないんだなと、あらためて認識した次第です。 ちなみに、「プレシャス・オパール」はグーグル画像検索ですぐ見つかります。大変きれいですので一度見てみることをお勧めします。 http://images.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi&biw=940&bih=815&sei=Hhr0TvUMzPWYBfXtrIYC&tbm=isch ご意見ありがとうございました。

noname#152060
noname#152060
回答No.4

芸術の価値は、自分で決めるモノです。他人がどう思おうと関係ないですね。 芸術評論家や有識者・・・って、正直「作品を作ってる人たちより胡散臭い」ヤツでしょ。 作り手とその製作物を観て感動する人は「自分」があるけど、ウンチクを語るヤツは・・・自分の言葉で語るならともかく、他人の言葉や比較なんてするヤツは「自分」が無いっしょ。 ピカソの絵が「ツマンナイ」と感じるなら、それを声を大にして言えばいい。言っていいんだよ。それがアナタの感性なんだから。 浮世絵だって、あんなものは茶器の包み紙として海外に流出したものを向こうの人が「いい。ドコの絵だ、こりゃ!」って事で再評価されたもんだ。 ○○展の金賞作品に全然魅力を感じなく、それよりも落選したコッチの方が私には何か伝わってくる。それならそれでいいんだよ。隣の人と同じ感性じゃなくていいんだ。 それを、無理やり同じにしようとするから「価値は?」なんて脳ミソが腐ってるような疑問が浮かぶんだ。確固たる自分がありゃ、そんな疑問なんて浮かぶ・・・そんな発想自体をしない。 絵だけじゃないでしょ。 先日、サッカーのトヨタカップでメッシがやってきてバリ3ガチのプレーを魅せたけど、あの決勝の90分で「なるほど。バロンドールを連取してさらに今年も候補最右翼なワケだ」と、私は感じた。 ただ、間違えちゃいけないのは「自分が感動したからって、他人がそうであるとは限らない」って事。逆も然りで、「自分が『こんなもの』と思ったからといって、他人もそうであるとは限らない」って事。それを忘れちゃいけない。 評論家や有識者を胡散臭いというのは、それを弁えずに押し付けようとする(事がある・多い)から。 他人に言われたから、他人が言ってるから・・・ってのは、ナンセンスって事っちゃね。

yuki-alpha
質問者

補足

結論から申し上げますと、貴方の回答は押し付けがましく、偏見が混じっており、偉そうな物言いに反感しか感じません。礼には礼を、非礼には非礼を。というわけで、それなりの対応をさせていただきます。 >芸術評論家や有識者・・・って、正直「作品を作ってる人たちより胡散臭い」ヤツでしょ。 それは何を根拠に語っていますか?具体例は? >それを、無理やり同じにしようとするから「価値は?」なんて脳ミソが腐ってるような疑問が浮かぶんだ。確固たる自分がありゃ、そんな疑問なんて浮かぶ・・・そんな発想自体をしない。 つい直前まで「隣の人と同じ感性じゃなくていいんだ。」といっていた口が「そんな発想自体しない」となぜいえますか?感性は人それぞれならば、私の疑問がどのような疑問を抱いても、感性の自由であり否定するのは間違っています。 >ただ、間違えちゃいけないのは「自分が感動したからって、他人がそうであるとは限らない」って事。逆も然りで、「自分が『こんなもの』と思ったからといって、他人もそうであるとは限らない」って事。それを忘れちゃいけない。 >評論家や有識者を胡散臭いというのは、それを弁えずに押し付けようとする(事がある・多い)から。 それが分かっていながら、なぜ自分の意見を私に押し付けようとしているのが理解できないのか。人の非はよく見えるが自分の非はよく見えないクチですか?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

1,大多数の人が良い、と思ったモノ。 2,権威ある人が、良いと決めたモノ。 3,その人だけが、良い、と感じたモノ。 と、こういう種類が考えられます。 商業価値があるものは、1,と2,でしょう。 しかし、私の経験では、これらは、大体一致するようにも 思えます。 一般に良い、と言われているモノはやはり良いモノが 多いようです。 ある程度良くないと、権威がある人でも良いとは 言えないと思います。そうでないと、権威を失います。 但し、私にもゲルニカは解りません。 これは私の審美観が未熟だからだと思っています。 私は格闘技が好きなんですが、テレビや映画で、格闘技を やっている俳優を視て、これは鍛えた人か、素人が 真似しているだけか、てのは一目で判ります。 芸術もたぶん同じなのでしょう。 鍛えられた人の目は、素人の目と違うのだと思っています。

yuki-alpha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >但し、私にもゲルニカは解りません。 >これは私の審美観が未熟だからだと思っています。 私の友達も芸術が好きなので、「ピカソの「ゲルニカ」って、どうしてすごいの?ラクガキとどう違う?」みたいなことを訊いたことがあります。 そしたら、「ピカソは基礎が出来た上で独自の理論(キュビズム)を突き詰めて、あの絵にたどり着いた。ラクガキはやみくもに描いた結果で、そこに理論がない。そこが違う。」と言っていました。この意見に、私も「なるほど、そうなのか」と思いました。 >芸術もたぶん同じなのでしょう。 >鍛えられた人の目は、素人の目と違うのだと思っています。 たしかに、そうなのでしょうね。 なんでも鑑定団で出てくる壺などをみると、露骨にそれが表れますよね。あるときは、出品者が大枚はたいて買った壺が、何の価値もない駄作だったり。また、あるときは、物置の隅に転がっていた汚い壺が、ウン百万もするお宝だったり。 で、解説を聞くと「いや~、その壺、景色がいいですね~。釉薬がいい具合に溶け出してます」とか。あれも、長い歴史で積み上げられた陶磁器のノウハウで、良し悪しを判断しているのかな、と。 そういった世界が見えてくれば、芸術品に違った見方も出来るのかなと考えた次第です。 貴方の意見は大変参考になりました。ありがとうございます。

noname#148554
noname#148554
回答No.2

絵だと、「うわあ~」「これいいね~」「こんなの見たことない」「うちのトイレに飾りたい」「この色合いが好きなんだよね~」 などのように、人を感動させたり、癒したり、その人のお気に入りになるような作品になれば、それが芸術の役割を果たしたことになると思います。 賞は、審査員の多くが感動して良いと思ったものがもらえるので、多数決はしょうがないかなあと思います。金賞、銀賞・・・の他に、審査員特別賞とかがありますよね。それは誰か個人が「いいな」と気に入ったのだと思います。 賞をもらうことと、芸術の価値というのは別物ですよね。たしかに美しさ、緻密さ、斬新さ、作るまでの労力、サイズ、時代の反映なども加味して序列がついてしまうと思います。 う~ん。難しい。 例えばあるビルを建てるとすると、普通は合理性を考えて設計しますよね。直角、まっすぐ、窓はアルミ、床はフローリング、屋根は無くて屋上・・・とか。でも、芸術は合理性(技術)を無視します。バルコニーは曲線、玄関は丸い石を並べる、端っこだけはなぜかレンガ、無駄な柱がある・・・とか。でもなぜか人はそれに見とれて癒されます。変だなあと思ったりもします。 日本庭園も芸術ですよね。庭師さんの技術だけではなくセンスも必要です。庭園があるからこそ家屋も映えて、「きれいだなあ」とか感動しますよね。 質問者さんも、歌舞伎役者の浮世絵を見たときに「何でこんな目玉が飛び出しているのか?眼圧が高いのか?」と思うのですよね。見た人にそう思わせるのも、芸術だからだと思いますよ。見た人が何かを感じ、考えてしまうような作品。普通のデッサンや写真よりおもしろいなあと私は思います。 質問者さんが好きな絵や工芸品があれば、それが質問者さんのお気に入りとなるので、それを描いた人や作った人は「よかったなあ」と思うのではないでしょうか。お客さんが気に入って買ってくれることがうれしいことだと思います。 昔の美術品や工芸品で「価値のあるもの」とされているのは、【独自性(個性)】が一番要素として大きいと思いますよ。

yuki-alpha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 答えを出すのが難しいテーマかと思いますが、真摯に回答していただき、たいへん嬉しく思います。芸術の価値といったあいまいなものに最初から価値は付けられない。なぜなら自分と他者の感性は違うから。 でも、実際の世の中を見てみると、芸術作品としてもてはやされる作品もあれば、一生日の目を見ない作品もある。そういった「格差」はどこからくるのか?ひいては、「芸術の価値」は、誰が、どこで決めるのか? そのあたりの理解を深めるために、皆さまのご意見を賜った次第です。 >でも、芸術は合理性(技術)を無視します。 確かに、芸術性と合理性は相反することが多いですよね。 たしか、デザイナーズ物件といいましたか、芸術的な間取りをしたあまりに通常の家具が置けず、通常の家より住みにくい、笑い話のような家があるそうです。 >質問者さんが好きな絵や工芸品があれば、それが質問者さんのお気に入りとなるので、それを描いた人や作った人は「よかったなあ」と思うのではないでしょうか。 絵や工芸品といったものではないのですが、個人的には「機能美」を備えたものは好きです。使い手の事を考慮しつつ、スマートなデザイン。そして、面白いアイディアがプラスされれば、なお良しと感じます。 身近な例で言うと、「マウス」とかですね。 (1)初期…四角いハコに2つのボタンがついているだけ。 (2)中期…ホイールがついてスクロール可能に。利便性が向上した。 (3)後期…人口工学に基づいて、カドの取れた洗練されたデザインに。持ちやすくなった。(エルゴノミクス デザイン) こういった「機能美」も、芸術性と利便性を兼ね備えた、広い意味での「芸術」と言えるのでしょうか。このようなモノの価値ならば理解できるのですが。 本当に、この手の話題は色んな意見が聴けて興味深く思います、ありがとうございました。

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