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未開人たちは、モーツァルトを聴いて感動しますか?

noname#7978の回答

noname#7978
noname#7978
回答No.6

生まれたときからアフリカに住み、その文化に馴染んで、自国の民族音楽が生活の一部となっている人々に突然、西洋の音楽を聴かせても、理解できなくて、感動することもない、とアフリカの民族音楽の研究者に教わったことがあります。 人間は経験に基づいて良い、悪いを判断するみたいです。私は小さい頃からピアノを習い、モーツァルトを聴いて、ベートーヴェンを聴いて育ってきました。だからこんなに素晴らしいものはないと今でも思います。 現代音楽を考えてみるとおもしろいかもしれませんね。例えば、モーツァルトやベートーヴェンのような音楽にしか馴染んでいなかった人に、いきなり、床を蹴って音を出したり、新聞紙を叩きつけて音を出したり、ピアノを自分のヒジを使って、ドからドまでの音を黒鍵も含めて全て、思いっきりジャーンと叩きならして、それが音楽だと言われても、ただただショックを受けるだけで、こんなものは音楽ではない、音楽は楽しむもので、こんなメチャクチャでハチャメチャなものはない、と思って現代音楽を否定すると思います。私も最初はそうでした。でも、今は違います。 そういう音楽を何度も聴いて、親しみ、その音楽の価値を考え、真剣に向き合ったときに、ピアノを腕で叩きつけて音を出したりするような音楽や、シェーンベルク、武満徹、J.ケージ、ブーレーズ、クセナキスのような前衛音楽を聴いても、そこに喜びを感じるようになりました。それは、何度も繰り返し聴くことで、その音楽に馴染み、自分の経験となったからです。だから、現代音楽を音楽とも思わない人とか、拒否する人は、たいてい、一回聴いただけでその音楽を判断して、それが今まで馴染んできた自分の知っている音楽とは全然違っていたために、理解できなかっただけなのですよ。モーツァルトやベートーヴェンの時代とは違った時代の音楽なのだから、モーツァルトを聴く耳と同じ耳で、同じ聴き方で、現代音楽を聴いても理解できなくて当然かもしれませんね。 音楽に親しんでいる人は誰だって経験したことがあると思いますが、初めてドビュッシーやラヴェルの音楽を聴いたときや、スクリャービンの後期のピアノソナタを聴いたときに、最初は理解できなくて、馴染めなかったのに、いつしかその音楽に馴染み、今ではドビュッシーを聴くことになんの抵抗もないし、美しいと感じる、という経験。これは、最初は今までにそういう経験がなかったために理解できなくて分からなかっただけで、何度もその音楽を聴くことで馴染んで美しいと感じるようになった、ということです。 だから、アフリカの人たちにいきなりモーツァルトやベートーヴェンを聴かせても、今までにそういう音楽を聴いた経験がないため、最初は楽しいとも感じないし、これが音楽だと言っても受け入れないと思います。でも、何度も聴かせて、その音楽に馴染んでもらって、その人の経験の一部となった時には、絶対にその音楽の素晴らしさが分かってもらえると思います。 アフリカの人たちがモーツァルトやベートーヴェンの音楽を聴いても感動しないのは、私たちが初めて現代音楽を聴いて理解できなくて感動することもない、というのと同じことではないかな、。私は現代音楽(J.ケージ、ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキス、ルトスワフスキ、その他、「今」生きている作曲家の音楽‘リンドベルイとか、ラッヘンマンとか、マクミランとか’がいます)にも感動するし、モーツァルトやベートーヴェン、ショパン、シューマン、ブラームス、ワーグナー、シェーンベルクのような音楽も大好きです。でも、最初から全ての音楽を美しいと思ったわけではありません。経験によってです。 ショパンが好きだ好きだという人は、おそらくどの作曲家よりもショパンを繰り返し何度も聴いてると思います。人って不思議なもので、何度も何度も繰り返しある一つの音楽を聴き続けると、その音楽に愛情を感じるようになり、より深く理解でき、大好きになるみたいですよ。だから、何か馴染めないなと感じた音楽があったら、自分には今までこういう音楽に出会った経験がなかったために理解できないだけなんだ、自分の音楽の世界をもっと広げるために、馴染めないと思った音楽でも何度も聴いてみて、理解できるようになろう、と思って、様々な音楽を聴いていくと、ある時ふと、何を好きと感じるのかは、自分にはどんな経験があるのかにつながる問題であることや、嫌いと感じることは、単にそういう経験がなかっただけなんだということとかに、気がつくのではないかと思います。 と、いろいんなことを書きましたが、質問内容と違っていたらごめんなさいね!

noname#6938
質問者

お礼

私も、lutowinnさんの仰るように、 繰り返し聴くことは非常に大事だと思います。 人は音楽を聴くとき、案外、聴き捨てている部分がたくさんあるもので、 反復して聴くことは、聴き捨てていた部分に改めて気付かせてくれたり、 以前聴いた意味とは、時には全く違った意味付けをもって 聴く事を可能にしてくれますね。 ところで、これについて、二つのまったく違った可能性を考えてみました。 一つは、本来的にその曲は普遍的な美を有していたのであるが、 当初はその美しさに気付かず、 何度も聴いているうちに、その曲が持つ先天的な美しさを、 やっと理解できるようになったということです。 (おそらく、lutowinnさんの仰られているのはそういうことだと思います。) 美はあくまで、その曲自体が潜在的に持っているもので、 聴く人は、その人の外側にある美を「理解」したのです。 そうならば、モーツァルトはまさしく美を現出する天才であり、 それを理解しない未開人は、救いようのない、低次元の人種・・・ というのは言い過ぎかもしれませんが(ああ、また問題発言^^;) とにかく美を解しない状態ということかもしれません。 反復によって「開眼」したわけです。 もう一つの可能性は、 反復して聴いているうちに、その曲が、 美しく「思えるようになった」という可能性です。 つまり価値観が変化。 その曲は決して普遍的に美しいというわけではなく、 聴く人の内に新たな美的価値観が生まれたのです。 言い換えれば、聴く人がその曲を美しいということに、 意識的にせよそうでないにせよ、「取り決めた」とも言えます。 ですから、もともとの価値観の違う未開人が聴いて、 前者と後者で、決定的に違うのは、 それとも、その曲そのものの側にあるのか、 そもそも「美」が、聴く人の側にあるのか、 ということだと思います。 もちろん、以上は、なんとも薄っぺらで単純な図式化された思索で、 本当に美を理解するというのは、 もっと高度な過程を持っているのかもしれませんが。 人間の頭の中(あるいは心の中?)は、 最初はからっぽで、反復による「教育」が、 「美」を「取り決めている」姿も少し考えるのです。 とても参考になりました。ご回答ありがとうございました。

noname#6938
質問者

補足

字数制限があり、相当な要約になっていました。読みにくかったらごめんさい。

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