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古代、天皇の称号とされる「須賣良伎」の出典
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No.3 です。 二次(三次)資料ですが、 小学館の「日本国語大辞典」巻七が一番詳しいようです。 p1070 「すめみまのみこと」の項 1. 常陸風土記(717~724年)久慈郡 に 「珠売美万命(スメミマノミコト)」 2 令集解 儀制・天子条(738年)に 「須売弥麻乃美己等(スメミマノミコト)」 3 令集解 喪装・服紀条 「須売良美己止(スメラミコト)」 同じ令でも担当者が違うとこの通りです。 先答6.の令義解(リョウノギゲ)(838年)とは別の書 平凡社の「日本史大事典」巻四 p104 「スメラミコト」の項 736年 遣唐使に託された唐の国書に 「勅(チョクス) 日本国王 主明楽美御徳(スメラミコト)」の 一節がある。 1. と共に「須」でない「す」がありました。 先答の2.と異なります。 どの辞書も似たり寄ったりですが、違うのもあります。 先答の1.の養老6年の件、他の本ではこの記載はなく、 誤りのようです。 ご迷惑お掛けしました。 種本があると思います。 書き足りないことはまだまだあるのですが、時間がなくこれ位に します。
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- Pinhole-09
- ベストアンサー率46% (597/1294)
私の知る情報では、一番古いものは 1. 養老6年(720)の「書紀」の記載に 「須売良美己止(スメラミコト)」があるそうです。 2. 天平8年(736)に遣唐使がもたらした唐の国書に 「須明楽美御徳(スメラミコト)」 3. 天平10年(738)の「古記」に 「須売弥麻乃美己等(スメラミノミコト)」 4. 天平19年(747)の法隆寺縁起井流資材帳に 「須売呂岐(スメロキ?スメラキでしょうか)」 5. 八世紀頃の万葉集に 「須売呂伎」、「須米良美」 6. 永和4年(838)の「令義解」に 「須明楽美御徳」 「日本歴史大事典」、「国史大事典」などによりました。 「古事記」をざっと見てもないようなので、二次資料に よりました。 調べればもっとあるのでしょう。 当時は表音文字なので何とでも書けます。 出だしの「須」が共通なのが不思議です。 この点誰か研究して欲しいですね。
お礼
Pinhole-09さま 多くの情報を提供していただき、厚くお礼を申し上げます。 1.続日本紀の養老4年(720)と養老6年(722)をざっと調べましたが、 「須売良美己止」を見つけられませんでした。じっくりチェックし直してみます。 5.万葉集につきましては、ANo.2 に記しましたように、 20/4370に「須米良」、20/4465に「須賣呂伎」と「須賣良」の記載がありました。 なお、20/4370で「須米良美久佐」は 「須米良すめら」+「美久佐みくさ=御軍」 と岩波日本古典文学大系では解しているようです。 2.3.4.6.は蔵書にありませんので、図書館ででもゆっくり調べる所存です。 ありがとうございました。 「須」の件ですが、「ス」に当て得る漢字が案外少ないため「須」が慣用されていたのではないかと愚考します。 地名「アスカ」の古い表記4件(1)安須可(2)阿須可(3)阿須箇(4)阿須迦もすべて「須」です。 「ス」に当てた万葉仮名は 須 周 州 洲 酒 珠 数 寸 主 秀 素 蒭 輸 殊 ・ 栖 渚 酢 ですが、須・素・栖・酢以外はシュ、シュウなどですから。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
万葉考槻落葉 P42(荒木田 1746-1804) の書では、須米良伎は 間違いじゃ なんて書いてある 須米良昏^ (萬、四三七〇〕にあるとも
お礼
早速、ありがとうございます。 万葉集20/4370に 「須米良」 を確認できました。 嬉しいです。
補足
万葉集20/4465にも、須賣呂伎が2カ所と 須賣良がありました。 調べ方が雑であったことを反省しています。 感謝しています。
- isa-98
- ベストアンサー率23% (205/859)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%99%E3%82%81%E3%82%89%E3%81%8E&stype=0&dtype=0 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/110495700000/
お礼
ご回答ありがとうございます。 日本紀竟宴和歌に須米良伎、須賣良伎、須賣漏岐、須明樂美御德などの漢字表記がされているのか、調べてみたいと思います。 ただ、この書は812年以降であるのが残念です。
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