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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:釈尊のさとりについて)

釈尊のさとりについて

hanniyagiの回答

  • hanniyagi
  • ベストアンサー率15% (14/88)
回答No.6

その教典の原典とおぼしき教典、の原典訳にめを通したことがあります。 正直、ひどいな、と思いました。大乗仏教が、ヒンズーに転化した、身売りを果たした、教典。 と思いました。 後につづくのは。説法をしたとて、誰が理解しよう。理解してもらえなければ。私には徒労が 残るだけだと、説法を始めようとはしない釈迦に。 世界の王梵天は、ああ人類は滅びる。真に正しく悟った御方が、説法をしようとは。なさらないのだ。と嘆き、釈迦の元に現れ。 世の中には、知的素養に恵まれた者もいるのです。あなたの説法を聞けば 目覚める者も現れるでしょう。 かってマガダ国に悪い思想が広まりました どうか、正しい教えをときたまえ。と勧めます。 釈迦は梵天の言葉を受け 池の蓮に思いをめぐらし、水中に生まれ、水中に没するもの。水中に生まれ、水面に葉を広げるもの。水中に生まれ、水面に顔を出し、さらに水面から立ち上がり、 水に汚されないもの。、、 いわゆる、梵天勧請、と蓮の台座に座った、釈迦=仏様。 の起源となる教典であろう、と思いました。 さらに、 釈迦は立ち上がり。(第一声を)発せられた。 耳ある者どもに、甘露の門は開かれた 己が信仰を捨てよ。 酷いと思ったことは、 梵天(ブラフマン)という、ヒンズー教の神を登場させている。 事ではなく。 かってマガダ国に悪い思想が広まりました。と言っている。 悪い思想、とは、本来の釈迦の思想、仏教を指している。と云うこと。 大乗とは、それまでの仏教を、小乗、(小さい乗り物、思想)と見下し 、否定しようとする運動、方向、であり。 釈迦の思想が、過去のインド哲学、バラモン思想の否定という、部分に対する 、バラモン思想、からの反抗、の形態となるものです。 バラモンは、神官、神事を司る階級であり、知恵の階級、であると共に、 神を否定出来ない階級の意味があり。釈迦の知恵に賛同し、仏教者となっても。 釈迦がいなくなれば、元に戻る、釈迦の思想と、ヒンズーを含む、バラモン思想と、融合 しよう、心の思想への転化、との方向が起こるのは、釈迦自身が予測していた事 でもあるのでしょう。 釈迦の思想の神髄と言える。縁起の理法、もまた。西洋、形而上学的、因果律。 と解釈されています。それに対して、深淵で微妙で世人の理解するものではない。などと もったいを付けているだけなのです。 後段の文章は、理法の解釈を除けば、苦集滅道、四諦八正道、法門、などと云われる 。釈迦の最初の説法。 「世界の歴史」によると。 かって修行、苦行を共にした、5人のバラモン修行者を前に 修行者達よ。 ここに4っの真理がある。 苦と苦の滅と苦の滅に至る道とである。 苦とは何か、生も苦老いも苦、死も苦であり、 愛する者と離別するのも苦なら、好まぬ者と結合するのも苦である。 苦の起源とは何か 喜びと貪りとを伴い、あれこれ執著する、愛執である。 苦の滅とは何か。愛着の心を残りなく捨て去る事である。 苦の滅にいたる道とは何か 八つの正しい道 1、正しい思惟(理法、考え方) 2、正しい認識 3、正しい言葉 4、正しい行為 5、正しい生活 6、正しい努力 7,正しい思念 そして 8、正しい瞑想 である。  というようなものです。 釈迦の思想が、仏教、ブッデイズム。仏主義。仏(悟りに導くもの、外からの縁と自身の知恵) を求め、奉じて生きよ。という主義なのです。 仏教の悟りとは、仏(導くもの)を縁として起こること、より高められた、八っの道、が悟りなのです。 29歳で、妻子も、皇太子、という地位も捨て。当然自分自身を捨てて まで求めた、ものが、自己の充足感、涅槃の境地、などであろう筈がありません 。この世界の在り方、起こり方、と合致する、考え方、を求め、仏、として、伝える 事。それが、人々を高め、救う道。とする哲学なのです。 当然、私見であり、私見は、すべては否定されるべものであり。すべては肯定されるべき 意味を持っている。 そんなところです。

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