進化の過程で苦しまずに死ねる機能の理由と重要性

このQ&Aのポイント
  • 進化の過程で苦しみを感じずに死ねる機能を持つ生物の理由や重要性について考えてみました。
  • 生物が進化の過程で苦しみを感じずに死ねる機能を手に入れた理由やその重要性について探求してみました。
  • 進化の中で生物が苦しまずに死ねる機能を獲得した経緯やその意義について考えてみました。
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なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか

進化の過程で『苦しまずに死ねるような』機能を生物が持つに至った理由は何ですか? 単純に疑問に思いました。ビートたけし著の『たけしの死ぬための生き方』で『食われている生物は最初は苦しそうだが最後には気持ち良さそうな表情になっている』と書かれていました。また、鮭などの魚は卵を産んで受精させた後には幸福ホルモンが出て死んでしまうそうです。人間でも非常に高い所から落下すると地面に激突する前に意識を失う人も多いそうです。 なぜ進化の過程でこれらの機能を持つようにいたったのでしょうか。また、これらの機能は生きていく上で、子孫を残す上では維持すべき程に大事なのでしょうか。また、子孫を残す上で必要なら、どの様に必要なのでしょうか。 変な質問ですがよろしくお願いします。

noname#142902
noname#142902

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  • mrsamama
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回答No.54

mrsamamaです。 いつも、大変ごていねいなお礼をありがとうございます。 これはもはや回答ではないので、読み流してください。 お礼もお気遣いいただきませんように。 HPを見てくださったとのことなので、 これから先、ご縁があればメールも使えるでしょう。 あなたのお礼のトーンが微妙に変わったように感じました。 ヨロイが一枚、薄着になった感じがして… どちらが、という並べ方にあまり価値はありませんが、 私の方が教えていただくことが多いと思っていましたし、 それがトーンに出てきた感じがして、 あ、なんか関係がおさまりよく落ち着いた?みたいな印象。 オピオイドってのは、まったくよくわからないです。 でも、大学の臨床医などは「末期がんにはモルヒネが効かないんだよ」と よく言っています。 (「だから鍼」って、本当、ゴーマンだよあんたたちは、と思うけど。 実際、彼らはどこまでも「ねじ伏せる発想」の医療ですよね)。 もうひとつ、内因性に対して外来物質になるんだろうけど、 アヘン類は幻覚が違って、不快なネタなんだそうですよ(出所曖昧情報だけど)。 内因性ってことは、コントロールタワーである脳が 準備の上、承認の上の、いわば「末期対応チーム」の1パーツですよね。 でも、外来物質として投与されたものは、脳の予定外。 受容体も化学物質も同じで作用が変わってしまうとしたら、 臨死体験(の幸福感)の本質は脳が作り出すものであって、 オピオイドは仕事をやりやすくする導入剤に過ぎないんでしょうね…。 心(脳)の準備がないところにアヘンを入れても、 心の不安を反映した、いやなネタの幻覚になってしまう、ということかな。 こういう話は、私が「見たもの」を見たまま評価するから出てくるので、 ある意味、いーかげんです。 ただ、論理的にウラを取ろうとすると、 一気に情報が増えて、しかもバイアスがかかり、枠組みが狭まる。 ウラが取れればそれに越したことはないけど、 本質は直感で見た方がやりやすいんです、もちろん大間違いもするけど。 傲慢という言葉が、お礼の中に何度も出てきて(私が書いたせいもあるけど) 私もかなり傲慢です。人を蔑むし、見下したりもするし。 ただ、自分が「ともすれば傲慢さを忘れてしまう」ということを 自分で知っているのと、考えもしないのと、差ってそこだと思うんです。 医者が傲慢になるのは、これもう仕方ないことで、 「まるで学ぶ気がない患者」ばっかりと対峙してるんだから、なおさらです。 ある人が、歯医者で「口の中を無菌にして歯周病を予防する」といわれ、 無保険でマクロライドのシロップで朝晩のうがいを勧められたそうです。 呆れてモノが言えません。耐性菌増やすなんて、知ったこっちゃない。 誰でも同じ、医者に限らず善人もいるしクズもいる。バカも利口もますよね。 「自分の小さな箱から出る方法」というようなタイトルだったと思いますが、 自己啓発モノでありながら、うーん、と唸らせられた本があります。 箱とは「傲慢」のこと、「保守」のことなんだな、と、今言葉になりました。 フロイトが見つけた「防衛」―――測り知れない人類の泣き所。 思う、ゆえに我がある。 でも、動物は「自意識(我)がない」と言われているのに、やっぱり「在る」。 アイデンティティだってもっている。 現代の、目を覆いたくなるような退廃が、 全部「我、《思う》」ところから始まってきたとしたら…。 我、思うけど、我利はなくなった、でないといけなかったんだなー、 なんて思ってしまいます。 パスカルの時代も人々は勝手だったのだろうけど、 さすがに地球レベルで食い潰す憂慮までは、彼は考えなかった。 「結局のところ、」といえる現代、我利のある我、は致命的な気がします。 たった4%の「現実」で、科学が勝負している…っていうのは、 うーん、やっぱり数字(科学)って、モノゴト端的にわかりやすく説明しますね。 4%かぁ…少ないな、と思います。 HPからジャンプするネットマガジンの連載の最終回が 新しい本の最終章からの抜粋です。 トップページのリンクを貼っていないので、 ネットマガジンに入ってから、バックナンバーで跳ばないと出てきません。 ここに書いたことは、もうまったく空想のアソビなのですが、 でも96%(+ダーウィンとアインシュタインで1%ずつ)は 直感的に「見えるもの」だけで考えると、こうなるなー…という話です。 「たからじま」というタイトルで掲載しています。 慈悲や同情。 それは辛いですよね。 なんていうのかな、「殴られる辛さ・他人が殴られるのを見る辛さ」 どっちもどっちも…。 介入して「オレ、いいやつだ!」と 喜びのオブラートでも持ってないと、とても耐えられない。 小室哲也は、私はチャイコフスキーだと思ってました(笑)。 よく知っているわけでないし(何しろ何年もテレビを見てない) 「わかりやすく、親しみやすく、軽いメロディをどんどん作れる」 バレエ曲なんか聞いていると、チャイコフスキーってそういう才で、 小室哲也もコレだなー、なんて思っていました。認識、改めますです(笑)。 利益が優先すると、天衣にハサミ入れて飾り立ててしまうのでしょうかね… もったいないなぁ、現代人すぎたんでしょうね。 漫画は手にするまでにしばらく時間がかかるかもしれません、ごめんなさい。 でも、描いている人たちも医者と同じ、バカも利口も、善人もクズもいる。 最後にスローな雰囲気で回答書けて、よかったです。 多くは、あなたのおかげだと思います。 私はこんな風に、思って、スグ言ってしまう人間なので、 言葉は薄っぺらで、底が浅いといつも思っています。 それでも、そういう見方でいくつかは真実をそのまま見ていると思うし、 真偽の見分けがつかないから一緒くただけど…大事にしたいです。 終始、ご丁寧な対応をしてくださいまして、ありがとうございます。 また、お会いしましょう。互いの健闘・奮闘祈りつつ。

noname#142902
質問者

お礼

そうですね。私は人の縁には恵まれな人生だったので人に対して壁を作ります。鎧とも言えます。あなたのホームページなどを拝見してあなたの人柄などが分かって安心しました。割と迫害されてばかりの人生で、人が怖かったりするのです。私はバガボンドの主人公と割と似ていると思います。 そういえば西洋はねじ伏せる医療ですね。これは参考になりました。人体のフィードバックはまだ10パーセント程度しか研究されていません。(by標準生理学第6版)よってアヘンなどの外因性では体内のオピオイドと微妙に構造式や受容体の種類や作用も違うと思います。そのあたりももう少しくわしく調べると面白そうですね。ひとつ官能基がつくだけでも変わってしまう所が科学の奥深い所です。 私も傲慢ですね。色々と欲深くもあります。確かに己の醜さ・弱さを自覚しているか否かは大きな違いと思いますね。自分の悪を知らないか。自分の悪を知って反省するか。悪と知って、更に悪を犯すか。人間は3種類に分かれそうです。 <誰でも同じ、医者に限らず善人もいるしクズもいる。バカも利口もますよね。 私は人に順列やその様なラベルを貼るのは好きではありません。クズと思われる人も差別しないで、立派な人間に育てよう。そういう姿勢が私は大事だと思います。バカだったら色々と教えてあげれば良いと思っています。こちらのホームページでも。私だって苦労する前はわがまま放題のクズ人間でしたし、勉強する前はバカで仕方がなかったと痛感しています。私自身は誰も責められないと考えております。このあたりは少々価値観が違っているのかもしれませんが……。 慈悲と同意。そうですね。一方でかわいい子には旅をさせないと、とも考えています。昔、成る程と思ったやり取りがあります。「お前は死神とどこが違う。」「死神はお前に終焉をもたらす。私はお前に道を作ってやることができる。あとは自分で歩くが良かろう。」たとえ可哀想でも心を鬼にして鍛える、不幸に耐えさせる。そういう態度は大事だと思っています。自分自身も不幸で色々と鍛えられました。不幸は道を作ることも多いと思っています。 小室さんは私も最初は派手だと思っていました。しかし彼の歌の楽譜を手に入れる機会があって、それらを熟読したら(意外と単純なメロディー)と驚きました。シンセサイザーがうるさいだけで、メロディーラインはいい意味でシンプルでしたね。 こちらこそとても勉強になりました。昨日、産経新聞で衝撃的な内容が書いてありました。どうやら東北大震災に連動した大震災が関東・伊豆半島などで起こるのが確実だそうです。お互いに地震対策を万全にして生き残りましょう。そちらは都心に近いので、どうかお気をつけて。足袋よりも靴を履いてください。脱げない靴をはいてください。浮き輪は火の粉で溶けてしまいます。防火金庫ですら火災に1時間しか耐えられません。家や不動産はあきらめて体ひとつで逃げましょう。防火シートは「燃やして」処分します。防火シートでは不動産は守れません。私はそうします。川に飛び込むと深みに足をとられて溺れてしまいます。公共施設に逃げてください。公園では火の粉にやられてしまいます。子供という弱者を守れる小学校へ逃げてください。荷物は出来るだけもたないで逃げてください。命が大切です。荷物は後でどうにでもなります。 お互いに生き残りましょう。また何らかの機会であなたとの縁があると嬉しいです。この度は本当にありがとうございました。

その他の回答 (53)

回答No.3

正解はないのかもしれませんが、学会で主流の仮説では、 最後のチャンスにかけるためとなっています。 ライオンに首を噛まれたシマウマが痛がっているだけでは、逃げられないですよね? ですのでそういう危機的な状況が起こった際は、痛みを緩和し、最後の延命の機会を 狙う、、という延命のための機構です。 「機序が危機がおきたとき」にというものですので、自殺や産卵でも起きてしまいますが 本来的にはそれを狙った機能ではない、、というのが今の通説です。 ただ、神様にでも聞いてみないと実のところはわからないですけどね。

noname#142902
質問者

お礼

最後のチャンス、逆転を狙う、ということですね。これは仰るとおりです。痛がるだけでなく、危機の際にも冷静になれるように、と。死ぬ時に出る幸福ホルモンはそれを狙って進化しているわけではない、という考え方が通説というのも興味深いです。有難うございました。

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.2

推測ですが、それは楽に死ぬための機能ではないのではないですかね。 苦痛とは苦しむためにあるのではなく、肉体の損傷や精神的(神経的)なストレスを自覚させることでそれを避けるためにありますが、それが過剰にあると逆にそのストレスでダメージを受けます。 また、生きていくためにはあえて苦痛を選択する必要がある場面もあるわけで、状況に応じて苦痛を緩和する機能もまた必要かと思います。 死の瞬間は相当な苦痛が発生するでしょうが、そういう状況において、そういう極端な苦痛を和らげる機能が発動するのはごく自然かと思います。 つまり、楽に死ぬためではなく、ストレスによるダメージを緩和するための機構が死の瞬間のストレスに対して機械的に発揮されているだけかと。それにもしかしたら、苦しみを和らげることで冷静さを取り戻し、なんとか起死回生の一手を打つこともできるかもしれません。状況にもよると思いますが。 実際のたうちまわりながら苦しんで鬼のような形相で死ぬ人や動物だっていますし。そういう人はそういう機能が上手く働かなかったのでしょうね。

noname#142902
質問者

お礼

推測ですが、それは楽に死ぬための機能ではないのではないですかね。 苦痛とは苦しむためにあるのではなく、肉体の損傷や精神的(神経的)なストレスを自覚させることでそれを避けるためにありますが、それが過剰にあると逆にそのストレスでダメージを受けます。 <推測ですが、それは楽に死ぬための機能ではないのではないですかね。 確かに死ぬための機能ではない、と仮定すると正しそうです。 <苦痛とは苦しむためにあるのではなく、 <肉体の損傷や精神的(神経的)なストレスを自覚させることでそれを避けるためにありますが、 <それが過剰にあると逆にそのストレスでダメージを受けます。 成る程。 <また、生きていくためにはあえて苦痛を選択する必要がある場面もあるわけで、 <状況に応じて苦痛を緩和する機能もまた必要かと思います。 確かに苦痛を緩和して心身への損害を減らす機能は必要ですね。 <死の瞬間は相当な苦痛が発生するでしょうが、そういう状況において、 <そういう極端な苦痛を和らげる機能が発動するのはごく自然かと思います。 仰るとおりです。その様に教えてもらって初めて気付けました。 <つまり、楽に死ぬためではなく、 <ストレスによるダメージを緩和するための機構が <死の瞬間のストレスに対して機械的に発揮されているだけかと。 成る程。死ぬ為の機能ではなくて、苦痛を和らげる機能が死ぬ時に機械的に働いているだけと。 <それにもしかしたら、苦しみを和らげることで冷静さを取り戻し、 <なんとか起死回生の一手を打つこともできるかもしれません。状況にもよると思いますが。 これも説得力があります。 <実際のたうちまわりながら苦しんで鬼のような形相で死ぬ人や動物だっていますし。 <そういう人はそういう機能が上手く働かなかったのでしょうね。 仰るとおりです。 とても勉強になりました。丁寧に有難うございました。

  • zakire
  • ベストアンサー率37% (104/276)
回答No.1

死が苦痛である、というのがそもそも前提として間違っていませんか? 「生きている」という状態の方が物質全体から見れば異常な状態であるわけで、お勤めを終えてシャバに戻るんだ、と思えば安らかになるのが当然な気もしますが。 だからといって脱獄をお勧めしているわけではありません。念のため。

noname#142902
質問者

お礼

仰るとおりかもしれません。仏陀が生を『苦』と表現したように、生物は生きているほうが苦しそうです。 と、すると苦しい死から解放されるのに更に幸福ホルモンが出る必要も感じられませんが……。 このあたりは難しいですね。 ちなみに私はシャバよりもお勤めの方が好きです。討ち死には免れますから。 前提の間違いを教えてくださって誠に有難うございました。

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