進化の過程で苦しまずに死ねる機能の理由と重要性

このQ&Aのポイント
  • 進化の過程で苦しみを感じずに死ねる機能を持つ生物の理由や重要性について考えてみました。
  • 生物が進化の過程で苦しみを感じずに死ねる機能を手に入れた理由やその重要性について探求してみました。
  • 進化の中で生物が苦しまずに死ねる機能を獲得した経緯やその意義について考えてみました。
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なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか

進化の過程で『苦しまずに死ねるような』機能を生物が持つに至った理由は何ですか? 単純に疑問に思いました。ビートたけし著の『たけしの死ぬための生き方』で『食われている生物は最初は苦しそうだが最後には気持ち良さそうな表情になっている』と書かれていました。また、鮭などの魚は卵を産んで受精させた後には幸福ホルモンが出て死んでしまうそうです。人間でも非常に高い所から落下すると地面に激突する前に意識を失う人も多いそうです。 なぜ進化の過程でこれらの機能を持つようにいたったのでしょうか。また、これらの機能は生きていく上で、子孫を残す上では維持すべき程に大事なのでしょうか。また、子孫を残す上で必要なら、どの様に必要なのでしょうか。 変な質問ですがよろしくお願いします。

noname#142902
noname#142902

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  • mrsamama
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回答No.54

mrsamamaです。 いつも、大変ごていねいなお礼をありがとうございます。 これはもはや回答ではないので、読み流してください。 お礼もお気遣いいただきませんように。 HPを見てくださったとのことなので、 これから先、ご縁があればメールも使えるでしょう。 あなたのお礼のトーンが微妙に変わったように感じました。 ヨロイが一枚、薄着になった感じがして… どちらが、という並べ方にあまり価値はありませんが、 私の方が教えていただくことが多いと思っていましたし、 それがトーンに出てきた感じがして、 あ、なんか関係がおさまりよく落ち着いた?みたいな印象。 オピオイドってのは、まったくよくわからないです。 でも、大学の臨床医などは「末期がんにはモルヒネが効かないんだよ」と よく言っています。 (「だから鍼」って、本当、ゴーマンだよあんたたちは、と思うけど。 実際、彼らはどこまでも「ねじ伏せる発想」の医療ですよね)。 もうひとつ、内因性に対して外来物質になるんだろうけど、 アヘン類は幻覚が違って、不快なネタなんだそうですよ(出所曖昧情報だけど)。 内因性ってことは、コントロールタワーである脳が 準備の上、承認の上の、いわば「末期対応チーム」の1パーツですよね。 でも、外来物質として投与されたものは、脳の予定外。 受容体も化学物質も同じで作用が変わってしまうとしたら、 臨死体験(の幸福感)の本質は脳が作り出すものであって、 オピオイドは仕事をやりやすくする導入剤に過ぎないんでしょうね…。 心(脳)の準備がないところにアヘンを入れても、 心の不安を反映した、いやなネタの幻覚になってしまう、ということかな。 こういう話は、私が「見たもの」を見たまま評価するから出てくるので、 ある意味、いーかげんです。 ただ、論理的にウラを取ろうとすると、 一気に情報が増えて、しかもバイアスがかかり、枠組みが狭まる。 ウラが取れればそれに越したことはないけど、 本質は直感で見た方がやりやすいんです、もちろん大間違いもするけど。 傲慢という言葉が、お礼の中に何度も出てきて(私が書いたせいもあるけど) 私もかなり傲慢です。人を蔑むし、見下したりもするし。 ただ、自分が「ともすれば傲慢さを忘れてしまう」ということを 自分で知っているのと、考えもしないのと、差ってそこだと思うんです。 医者が傲慢になるのは、これもう仕方ないことで、 「まるで学ぶ気がない患者」ばっかりと対峙してるんだから、なおさらです。 ある人が、歯医者で「口の中を無菌にして歯周病を予防する」といわれ、 無保険でマクロライドのシロップで朝晩のうがいを勧められたそうです。 呆れてモノが言えません。耐性菌増やすなんて、知ったこっちゃない。 誰でも同じ、医者に限らず善人もいるしクズもいる。バカも利口もますよね。 「自分の小さな箱から出る方法」というようなタイトルだったと思いますが、 自己啓発モノでありながら、うーん、と唸らせられた本があります。 箱とは「傲慢」のこと、「保守」のことなんだな、と、今言葉になりました。 フロイトが見つけた「防衛」―――測り知れない人類の泣き所。 思う、ゆえに我がある。 でも、動物は「自意識(我)がない」と言われているのに、やっぱり「在る」。 アイデンティティだってもっている。 現代の、目を覆いたくなるような退廃が、 全部「我、《思う》」ところから始まってきたとしたら…。 我、思うけど、我利はなくなった、でないといけなかったんだなー、 なんて思ってしまいます。 パスカルの時代も人々は勝手だったのだろうけど、 さすがに地球レベルで食い潰す憂慮までは、彼は考えなかった。 「結局のところ、」といえる現代、我利のある我、は致命的な気がします。 たった4%の「現実」で、科学が勝負している…っていうのは、 うーん、やっぱり数字(科学)って、モノゴト端的にわかりやすく説明しますね。 4%かぁ…少ないな、と思います。 HPからジャンプするネットマガジンの連載の最終回が 新しい本の最終章からの抜粋です。 トップページのリンクを貼っていないので、 ネットマガジンに入ってから、バックナンバーで跳ばないと出てきません。 ここに書いたことは、もうまったく空想のアソビなのですが、 でも96%(+ダーウィンとアインシュタインで1%ずつ)は 直感的に「見えるもの」だけで考えると、こうなるなー…という話です。 「たからじま」というタイトルで掲載しています。 慈悲や同情。 それは辛いですよね。 なんていうのかな、「殴られる辛さ・他人が殴られるのを見る辛さ」 どっちもどっちも…。 介入して「オレ、いいやつだ!」と 喜びのオブラートでも持ってないと、とても耐えられない。 小室哲也は、私はチャイコフスキーだと思ってました(笑)。 よく知っているわけでないし(何しろ何年もテレビを見てない) 「わかりやすく、親しみやすく、軽いメロディをどんどん作れる」 バレエ曲なんか聞いていると、チャイコフスキーってそういう才で、 小室哲也もコレだなー、なんて思っていました。認識、改めますです(笑)。 利益が優先すると、天衣にハサミ入れて飾り立ててしまうのでしょうかね… もったいないなぁ、現代人すぎたんでしょうね。 漫画は手にするまでにしばらく時間がかかるかもしれません、ごめんなさい。 でも、描いている人たちも医者と同じ、バカも利口も、善人もクズもいる。 最後にスローな雰囲気で回答書けて、よかったです。 多くは、あなたのおかげだと思います。 私はこんな風に、思って、スグ言ってしまう人間なので、 言葉は薄っぺらで、底が浅いといつも思っています。 それでも、そういう見方でいくつかは真実をそのまま見ていると思うし、 真偽の見分けがつかないから一緒くただけど…大事にしたいです。 終始、ご丁寧な対応をしてくださいまして、ありがとうございます。 また、お会いしましょう。互いの健闘・奮闘祈りつつ。

noname#142902
質問者

お礼

そうですね。私は人の縁には恵まれな人生だったので人に対して壁を作ります。鎧とも言えます。あなたのホームページなどを拝見してあなたの人柄などが分かって安心しました。割と迫害されてばかりの人生で、人が怖かったりするのです。私はバガボンドの主人公と割と似ていると思います。 そういえば西洋はねじ伏せる医療ですね。これは参考になりました。人体のフィードバックはまだ10パーセント程度しか研究されていません。(by標準生理学第6版)よってアヘンなどの外因性では体内のオピオイドと微妙に構造式や受容体の種類や作用も違うと思います。そのあたりももう少しくわしく調べると面白そうですね。ひとつ官能基がつくだけでも変わってしまう所が科学の奥深い所です。 私も傲慢ですね。色々と欲深くもあります。確かに己の醜さ・弱さを自覚しているか否かは大きな違いと思いますね。自分の悪を知らないか。自分の悪を知って反省するか。悪と知って、更に悪を犯すか。人間は3種類に分かれそうです。 <誰でも同じ、医者に限らず善人もいるしクズもいる。バカも利口もますよね。 私は人に順列やその様なラベルを貼るのは好きではありません。クズと思われる人も差別しないで、立派な人間に育てよう。そういう姿勢が私は大事だと思います。バカだったら色々と教えてあげれば良いと思っています。こちらのホームページでも。私だって苦労する前はわがまま放題のクズ人間でしたし、勉強する前はバカで仕方がなかったと痛感しています。私自身は誰も責められないと考えております。このあたりは少々価値観が違っているのかもしれませんが……。 慈悲と同意。そうですね。一方でかわいい子には旅をさせないと、とも考えています。昔、成る程と思ったやり取りがあります。「お前は死神とどこが違う。」「死神はお前に終焉をもたらす。私はお前に道を作ってやることができる。あとは自分で歩くが良かろう。」たとえ可哀想でも心を鬼にして鍛える、不幸に耐えさせる。そういう態度は大事だと思っています。自分自身も不幸で色々と鍛えられました。不幸は道を作ることも多いと思っています。 小室さんは私も最初は派手だと思っていました。しかし彼の歌の楽譜を手に入れる機会があって、それらを熟読したら(意外と単純なメロディー)と驚きました。シンセサイザーがうるさいだけで、メロディーラインはいい意味でシンプルでしたね。 こちらこそとても勉強になりました。昨日、産経新聞で衝撃的な内容が書いてありました。どうやら東北大震災に連動した大震災が関東・伊豆半島などで起こるのが確実だそうです。お互いに地震対策を万全にして生き残りましょう。そちらは都心に近いので、どうかお気をつけて。足袋よりも靴を履いてください。脱げない靴をはいてください。浮き輪は火の粉で溶けてしまいます。防火金庫ですら火災に1時間しか耐えられません。家や不動産はあきらめて体ひとつで逃げましょう。防火シートは「燃やして」処分します。防火シートでは不動産は守れません。私はそうします。川に飛び込むと深みに足をとられて溺れてしまいます。公共施設に逃げてください。公園では火の粉にやられてしまいます。子供という弱者を守れる小学校へ逃げてください。荷物は出来るだけもたないで逃げてください。命が大切です。荷物は後でどうにでもなります。 お互いに生き残りましょう。また何らかの機会であなたとの縁があると嬉しいです。この度は本当にありがとうございました。

その他の回答 (53)

noname#160718
noname#160718
回答No.13

 Jagar39です。  まず、先の回答(No.15)の中で判りづらい構成の文章がありました。 > 前提として「死の間際にしか動作しない遺伝子」を仮定したわけですから、子はもちろん孫の世代にも影響しません。そういう「前提」を定義したわけですから。 > もしするのなら、それは「死の間際にしか動作しない」という仮定条件を覆すことになりますよね。 > その結果、「そのような遺伝子は選択されて集団内に定着することはない」という結論が導かれ、そこから「死の間際に動作する遺伝子があるならば、その遺伝子は生きている間にも「有利」な形で動作するものでなければならない」ということが確信を持って言えるわけです。  この文章、2段落目と3段落目の順序がおかしいために意味が通らなくなってしまいました。  「仮定条件」を前提に考察を進め、ある結論に達しようとする際に、途中で自分でその仮定条件を覆してしまうと、結論がぶれてしまう、という意味の文章です。  つまりこの文章は、 ------------------------------------------------  前提として「死の間際にしか動作しない遺伝子」を仮定したわけですから、子はもちろん孫の世代にも影響しません。そういう「前提」を定義したわけですから。  その結果、「そのような遺伝子は選択されて集団内に定着することはない」という結論が導かれ、そこから「死の間際に動作する遺伝子があるならば、その遺伝子は生きている間にも「有利」な形で動作するものでなければならない」ということが確信を持って言えるわけです。  孫の代への影響を考える、ということは、それは「死の間際にしか動作しない」という仮定条件を覆すことになりますよね。 ------------------------------------------------  ということです。 >ハングアップ自体は意味が厳密には分からなくてもニュアンスで文全体の意味は納得できるレベルでした。  ハングアップはそういう意図で使いました。  具体的なメカニズムを決めずに「進化によってその機能を獲得した経緯」を論じたかったので、処理不能かつ過大な課題を与えられた脳が「お手上げ」するニュアンスが伝わっていたのなら、それで意図どおりです。  メカニズムについては、オピオイド以外にも候補がありそうですけどね。もしかしたら1種類ではないのかもしれないし。 >しかしモルヒネを投与し続けられないのも私は知っています。モルヒネ中毒になるからです。  余命1ヶ月の人がモルヒネ中毒になったからといって、それが何だっていうんだ、というのが苦痛を抱える患者あるいはそれを見続ける近親者の気持ちでしょうね。  私の父が亡くなったときに終末期医療を受けるか否かで医師と家族でずいぶん議論しました。結局父本人が拒否したので(まだ病気と闘う意志満々だったので)通常の病室で可能な限り苦痛を緩和してくれるような治療方針(治癒する見込みはゼロなので治療というのも変ですが)に落ち着きました。  その医師に聞いたのですが、モルヒネの弊害を極力抑えながら連続投与する方法はあるそうです。それでも効かなくなれば神経ブロックという方法もあるので、痛みに関してはほぼ抑えることができる、ということでした。  ただ痛みを抑えるのと意識を明瞭に保つことを両立するのは難しく、父はそれを嫌がったのでホスピスへの転室は拒否しました。  それでも覚悟していたよりずいぶん楽に逝きましたが・・・ >しかしモルヒネを打ち続けられないのでプラセボという偽の薬を投与したこともあったそうです  これ、ほんとですか??  プラセボというのは、「プラセボ効果」という現象のことで、何か具体的な薬の名称ではないのですが、睡眠薬だといってブドウ糖の錠剤を渡してもすやすや眠れる、というような現象のことを指します。つまり、「信じる者は救われる」の薬理作用版のようなことなのですが・・・  いくら何でも末期ガンの苦痛にはプラセボ効果は無効でしょう。それにインフォームド・コンセントはどうなっているんでしょう?  オピオイドというのは単一の物質名ではなく、オピオイド受容体に結合する物質の総称です。そしてその最もよく知られた物質がモルヒネなんです。  脳内ではモルヒネは分泌されないのですが、エンドルフィン等の物質が分泌されます。その薬理作用はモルヒネと同等です。それで脳内オピオイドのことを「脳内麻薬」とも言うのです。  ですから、激しい苦痛を抱えるはずの人が安らかに亡くなった、という事例を見た場合、それが脳内オピオイドによるものなのか、投与されたモルヒネによるものなのか、識別することはできません。  というより、モルヒネが投与されていたのなら、間違いなくモルヒネの効果でしょう。効果のある量を投与したのでしょうから。  私は質問者さんのこの文を読んで、「医療によるもの」と益々確信しました。  死を受け入れた場合にだけ、苦痛緩和を最優先とした(というかそれのみ)医療を施してくれるのです。終末期医療では回復することは想定しませんし、無意味な延命もしません。その替わり、苦痛の緩和だけをケアしてくれるのです。  そのような医療は、本人の意志がなければしてくれません。どんなに絶望的な状況であろうと、本人が生きることを希望すれば、そういう医療を施さざるを得ませんから。 >骨折して痛いはずのライオンやチーターですら暴れずに死を受け入れます。  そもそもその前に、ヒト以外の動物が「死」とい概念を理解しているか?という疑問があります。  私は理解していないと思います。ヒトでも死を理解するのは少年期以降でしょ。  骨折等の大ケガをしたり死の痛みに耐える動物が騒がずにじっとしているのは、ある意味当然です。泣き喚いたり暴れたりすれば、体力を消耗するのでそれだけ死期を早めるからです。つまりそんな行動は「進化的に不利」なんです。  ヒトが泣き喚いたり暴れたりするのは、「苦痛を訴えれば助けてもらえる可能性がある」からです。呪術師の祈祷まで遡れば、「医療行為」はおそらく数万年前まで遡れるでしょう。喚けば誰かが何とかしてくれるかもしれないから喚くので(その行動もまたヒトのような社会では有利に働くでしょう)、動物は喚いても誰からも助けてもらえないのは確かで、喚いただけ体力を消耗して死期を早める、あるいは死ななくても良いケガで死ぬ羽目になるからじっと耐えるのです。  激しい苦痛に襲われた動物が暴れず騒がずじっと動かずに耐えるのは、生き延びるための最善の方法で「適応的」だと思いますが、死を受け入れている、と思うのは余計な情報(死という概念やその動物は助からないだろうという判断の基になる知識)を持っている我々ヒトの、勝手な思いこみではないでしょうか? >もともとは快楽死の機能についての質問なのです。快楽死遺伝子はあくまでも質問の補助の為に作り出された言葉です。  そのとおりですよ。「快楽死遺伝子」とはこのQ&Aの中で定義した言葉ですから。  その「機能」を考えたときに、「死を受け入れればオピオイドが出る」というのは、因果関係が矛盾するのではないか?という疑問を提示したわけです。  「死を受け入れればオピオイドが出る」という「機能」を信じるのならば、それが進化的に獲得されてきた経緯はまた別に考えなければならない、ということです。これまで考えてきた「快楽死」の機能とは因果関係が違うのですから、つまりは制御系が異なるということです。 >生物の全ての機能が遺伝子によって営まれているわけではありません  その根拠の提示が必要ですね。 >生物の尿を作る機能は水が必要です。遺伝子だけでは機能は働きません。よって機能は遺伝子だけでは動きません。  そういう言い方をするのなら、始めから遺伝子だけでは何一つ働くことはできません。  遺伝子は「レシピ」ですから、これは「レシピだけではケーキはできない」と言っているのと同じ、当たり前のことなんです。  遺伝子は元々、「AとBを基にCというタンパク質を作れ」という指令しかしていません。もしくはその遺伝子の制御系か。  脳内のオピオイドの分泌にしても、合成、分泌、受け取り全てが遺伝子によってコードされていて、その制御も遺伝子によって行われています。 >信仰という精神的機能を遺伝子が担うとしたら、猿でも信仰心があるとは思いませんか? 人間とチンパンジーは体内の蛋白質合成が80パーセント等しいのですから。  ヒトとチンパンジーは、タンパク質レベルでは80%以上が「異なる」と書きましたよ。等しい、ではないです。  信仰そのものは電子が直接生み出したものではありますまいが、信仰心を生むような精神構造は遺伝子によって規定されているでしょう。でなければ、それこそチンパンジーが信仰心を持ってもおかしくないことになります。  臨死体験については、私は脳内の現象と思っています。  私たちは、外界の全ての情報を「脳」による情報処理の結果として受け取っています。ですから、本当の体験と脳内の現象を、私たちは本質的に区別できないのでは?  臨死体験については話が逸れるので、別の機会にした方が良いかもしれませんね。私はこの話題にはそんなに熱心に語るものは持ってないですけど。

noname#142902
質問者

お礼

<メカニズムについては、オピオイド以外にも候補がありそうですけどね。 生理学ではわかっていないことの方が多いくらいだそうです。 <モルヒネの弊害を極力抑えながら連続投与する方法はあるそうです。 今ならあるのでしょう。 >しかしモルヒネを打ち続けられないのでプラセボという偽の薬を投与したこともあったそうです <これ、ほんとですか?? 本当です。これはだいぶ昔の話ですが。ある医者にプラセボを投入しても末期癌の痛みを抑えることが出来た。そしてその痛みを抑えられたのは患者に本当の薬を投与したと信じ込ませた俺の信頼のお陰である。と、いう話を延々とされたことがあります。その医者、実際は偉い人なのですが……。 <モルヒネが投与されていたのなら、間違いなくモルヒネの効果でしょう。 確かに脳内オピオイドによるものか、モルヒネによるものかは分かりません。実際、モルヒネの効果かどうかも分かりません。 <私は質問者さんのこの文を読んで、「医療によるもの」と益々確信しました。 <死を受け入れた場合にだけ、苦痛緩和を最優先とした(というかそれのみ)医療を <施してくれるのです。終末期医療では回復することは想定しませんし、無意味な延命もしません。 <その替わり、苦痛の緩和だけをケアしてくれるのです。 苦痛緩和を最優先するからこそ痛みや苦しみが減るというのは想定外でした。そもそも村山聖さんのように癌と戦う場合には苦しみ、死を受け入れた場合には苦しまないような結果を医療はもたらすのかもしれません。 <そもそもその前に、ヒト以外の動物が「死」とい概念を理解しているか?という疑問があります。 <私は理解していないと思います。ヒトでも死を理解するのは少年期以降でしょ。 私は理解していると思います。と、いうのも私は生まれてすぐに激しい黄疸で生死の境を彷徨いました。当時の技術では助かるかどうか分からない状態でした。それで生きるか死ぬか半々のところを一晩中彷徨っていました。その時、死ぬのが非常に怖かったのを今でも覚えています。一応、交換輸血という処置は受けました。しかしその交換輸血という処置では考えられないほどの恐怖と苦痛を味わったのを覚えています。今でも病院は怖いですし、その時のことを夢にみることもあります。よって赤子でも死は非常に恐怖のはずです。ですので赤子でも理解しているなら人以外でも死を理解していると思います。ただ、犬や猫などの他の動物がそもそも死を理解できないという考えは非常に興味深いです。 <動物は喚いても誰からも助けてもらえないのは確かで、喚いただけ体力を消耗して死期を早める、 <あるいは死ななくても良いケガで死ぬ羽目になるからじっと耐えるのです。 暴れれば人間は仲間に守ってもらえる。他の動物は暴れても助けてもらえない。その差は何がもたらすのでしょうか? このあたりの理解が私には足りません。 <死を受け入れている、と思うのは余計な情報(死という概念やその動物は助からないだろうという <判断の基になる知識)を持っている我々ヒトの、勝手な思いこみではないでしょうか? かもしれません。このあたりは考察が必要です。 <ヒトとチンパンジーは、タンパク質レベルでは80%以上が「異なる」と書きましたよ。 <等しい、ではないです。 非常に勘違いしていました。失礼しました。 <信仰心を生むような精神構造は遺伝子によって規定されているでしょう。 と、いうことは遺伝子が信仰心をも生む、と考えているということですか? <臨死体験については、私は脳内の現象と思っています。 <私たちは、外界の全ての情報を「脳」による情報処理の結果として受け取っています。 <ですから、本当の体験と脳内の現象を、私たちは本質的に区別できないのでは? かもしれません。しかし一方で脳内の現象で臨死体験ほどの体験はできないのでは、とも思っています。 どちらにしろ私はまだまだ様々な面で不勉強という事が分かりました。今回も色々と教えてくださって誠に有難うございました。

noname#142902
質問者

補足

補足欄ですみません。 あなたは科学を学ぶのは論理が大事と仰いました。しかし医学部では『嘘を』教えている事実があります。完全な嘘ではありませんが、真実にほど遠いことを真実に見せかけて教えています。その嘘を教えることを容認している学会が存在する事実を考えると、あなたの仰る『論理が大事』の原点の論理自体が強者によって都合よく曲げられている可能性があると思いませんか? 科学は論理が大事。その通りです。しかし一方で事実を都合よく捻じ曲げる人々や見てみぬ振りをする人々が学会には大勢います。 日本の学会ならまだしも、欧米圏ではその現象は顕著です。それどころか真実でもお金にならない論理は激しく妨害し、迫害し、圧殺し、反論者を脅している事実があります。逆に金になるならばでっちあげてでも真実に仕立て上げている論理もあります。それで結局は『正しくない論理』が定着しているそうです。これは医学界の話ですが。日本では医学部でもその正しい論理は教えられていなくて洋書で初めてその論理を知って愕然としました。このあたりは読んでいて驚きました。ですのであなたの考える論理自体が間違っている、強者によってゆがめられている可能性も0ではないということを頭に入れておいてくれると嬉しく思います。 だいぶ変な補足ですが、読んでくださって誠に有難うございました。

noname#160718
noname#160718
回答No.12

 質問されると答えてしまうのですが・・・Jagar39です。 >産子数にも影響はしません。しかし孫の世代はどうなるか、というところまで考慮する必要があると思いました  前提として「死の間際にしか動作しない遺伝子」を仮定したわけですから、子はもちろん孫の世代にも影響しません。そういう「前提」を定義したわけですから。  もしするのなら、それは「死の間際にしか動作しない」という仮定条件を覆すことになりますよね。  その結果、「そのような遺伝子は選択されて集団内に定着することはない」という結論が導かれ、そこから「死の間際に動作する遺伝子があるならば、その遺伝子は生きている間にも「有利」な形で動作するものでなければならない」ということが確信を持って言えるわけです。 >ただ、快楽死遺伝子は子孫を増やす上ではプラスにもマイナスにもならないので運がよければ残るかもしれません  残らない、とは言ってません。「集団内で定着しない」と言っているのです。  シマウマのうち、10万頭に1頭くらい「死の間際にしか動作しない快楽死遺伝子」を持っている個体がいたとしても、別に「珍しいね」で終わる話です。  「集団内で定着する」というのは、ほとんどの個体がその遺伝子を持つ、という状態です。でなければ「動物は苦しまずに死ぬ機能を持っている」とは言えませんから。 >数式を使うとむしろ分かり辛いですね  きちんと各変数を丁寧に説明して、各行の数式の意味を説明した上の数式だと判りやすいですよ。  なのでこのような場所では、あまり数式は使わないですね。使っても説明は入れるので、結局二度手間になることが大半ですから。  論文や専門書だと変数の説明だけで数式の意味までは普通は説明してくれません。それを省略するための数式ですから。  ただし、変数の意味の説明はそれこそ「絶対」です。 >運の要素もあるということですね。  ただし、この「遺伝的浮動」は集団の規模が小さい場合は比較的よく起きますが、規模が大きい場合には起きにくいです。その上で書いた「数学的には確率はほぼゼロ」ということになります。 >仮定条件がやや不十分だったということですね  というかですね、やってしまった自分で言うのもなんですが、この循環論法というやつ、「論理」を操る上ではかなり「致命的」とも言えるやっちゃいけないことです。論証したい結論を仮定条件に組み入れてしまうわけですから、どんな結論も思うがままに出て当たり前ですもん。「やや不十分」なんて生やさしいものじゃないんですよ。 >ただ、このハングアップという言葉はやや分かりづらかったと思います  あの時は納得したって言ってたじゃないのよ・・・  判り辛かったらそう指摘していただければ、いくらでも言葉や説明の仕方を変えるのですがね。  「全停止」でも、PC用語を持ち出して「フリーズ」でも何でも良かったのですが。具体的なメカニズムそのものの考察を横に置いておいて話を進められる単語であれば。 >それはなぜ『死を受け入れた場合にオピオイドが出やすいか』ということです  この現象、ほんとにあるんでしょうかね?私はまずそこを疑っていますが・・・  現代の医療では痛みを軽減することに限定すれば、相当なことができますから。終末医療とかホスピスのことはご存じだと思いますが、オピオイドではなくそれこそモルヒネを大量投与してくれます。  モルヒネの大量投与をすれば助かっても廃人ですから、それこそ「死を受け入れる」という本人の意志がなければそこまでしてくれませんが、意志表示すればホスピスでなくてもかなりの苦痛軽減処置はしてくれますよ。  なので私は、気持ちの持ちようで死の迎え方が変わることには異存は唱えませんが、「死を受け入れれば楽に死ねる」というのは医療の問題ではないのか?と思っています。  それに、ガン等で激しい苦痛を味わう→オピオイドが出て苦痛が軽減される→死を受け入れる気持ちになれる、というならまだしも、死を受け入れればオピオイドが出る、というのは、少なくともこれまで考えてきた「快楽死遺伝子」とは因果関係が逆であるように思います。  なので、「死を受け入れれば楽に死ねる」のが医療のような外部要因ではなくヒトの内部に要因があるのだとしても、それはまた別のメカニズムではないかと思います。そのうち誰かが興味深い研究結果を発表するかもしれませんね。 >空っぽな主張でいちいち納得しないような頭脳になるように努力していきます  このような質問をしてくれれば良いんですよ。  例えネイチャーに掲載された論文(ネイチャーは自然科学系では世界で最も権威がある学術雑誌です)でも、これで完璧、もう一点の疑問の余地もない、というものは存在しません。  学術論文というのは、投稿されてから「査読」という過程を経ます。投稿された学術誌の編集委員と外部の査読者の複数で論文を審査し、論理的な飛躍や矛盾がないか、データの取り扱いは適切か、結論に新規性はあるか、といったことを審査して、その査読を通らないと掲載されません。査読者から何度も書き直しや追加実験を求められ、投稿から受領(acceptと言います)まで1年かかることも珍しくありません。  そこまでして掲載された論文でも、議論の余地はおおいにあるのが普通です。というよりそもそも学術論文の目的が「さらなる議論のためのネタを提出する」という一面もありますから。  まして、このサイトのような場所では回答する者の知識レベルも様々ですし、推敲しながら書いているわけでもありませんから、矛盾や論理的に納得できないポイントがあれば、どんどん再質問していただいた方がありがたいです。

noname#142902
質問者

お礼

質問されると答えてしまうのですが・・・Jagar39です。 <前提として「死の間際にしか動作しない遺伝子」を仮定したわけですから、 <子はもちろん孫の世代にも影響しません。そういう「前提」を定義したわけですから。  もしするのなら、それは「死の間際にしか動作しない」という仮定条件を覆すことになりますよね。  その結果、「そのような遺伝子は選択されて集団内に定着することはない」という結論が導かれ、そこから「死の間際に動作する遺伝子があるならば、その遺伝子は生きている間にも「有利」な形で動作するものでなければならない」ということが確信を持って言えるわけです。 >ただ、快楽死遺伝子は子孫を増やす上ではプラスにもマイナスにもならないので運がよければ残るかもしれません  残らない、とは言ってません。「集団内で定着しない」と言っているのです。  シマウマのうち、10万頭に1頭くらい「死の間際にしか動作しない快楽死遺伝子」を持っている個体がいたとしても、別に「珍しいね」で終わる話です。  「集団内で定着する」というのは、ほとんどの個体がその遺伝子を持つ、という状態です。でなければ「動物は苦しまずに死ぬ機能を持っている」とは言えませんから。 >数式を使うとむしろ分かり辛いですね <きちんと各変数を丁寧に説明して、各行の数式の意味を説明した上の数式だと判りやすいですよ。 数式があると逆に分かりやすい場合もあるのですか。私は学部レベルではネルンストの式やシュレーディンガー方程式あたりしかすぐには出てきません。一般的には数式が出た時点で敬遠する人が多いので私はあまり数式は使わないことにしています。そのために数式は分かりづらいと言う印象を持ってしまっています。 >運の要素もあるということですね。  ただし、この「遺伝的浮動」は集団の規模が小さい場合は比較的よく起きますが、規模が大きい場合には起きにくいです。その上で書いた「数学的には確率はほぼゼロ」ということになります。 >仮定条件がやや不十分だったということですね 循環論法の危険性をしっかりと説明してくださって有難うございます。 >ただ、このハングアップという言葉はやや分かりづらかったと思います <あの時は納得したって言ってたじゃないのよ・・・ <判り辛かったらそう指摘していただければ、いくらでも言葉や説明の仕方を変えるのですがね。 納得はハングアップという語句の定義ではなく、全体の文面です。ハングアップ自体は意味が厳密には分からなくてもニュアンスで文全体の意味は納得できるレベルでした。出来るだけ片仮名語を使わないで下さると私は嬉しく思います。横文字には弱いので。 >それはなぜ『死を受け入れた場合にオピオイドが出やすいか』ということです 確かにモルヒネの大量投与というのは聞いたことがあります。しかしモルヒネを投与し続けられないのも私は知っています。モルヒネ中毒になるからです。そのためにモルヒネだけで苦しみを0にするのは無理でしょう。実際に私は医者にその話を聞きました。末期癌の患者はモルヒネが切れると暴れたそうです。しかしモルヒネを打ち続けられないのでプラセボという偽の薬を投与したこともあったそうです。よっって末期癌でも苦しみが0で死ねる人はいないでしょう。しかし親戚の人は相当な苦しみ(床ずれを含む)を死の直前に受け続けました。モルヒネは投与されていたかもしれませんが、皮膚はただれ、スパゲッティ症候群、多臓器不全、糖尿病、おまけに死臭が漂う状態です。それでもその人は全く苦しい表情をしないで亡くなりました。むしろ亡くなる少し前には多くの人に感謝の言葉を述べて幸せな顔をしていました。このあたりの事情を考えると私は死を受け入れるとオピオイドが出やすい、は本当だと思います。また、野生の動物を見たとき、死に対して抵抗しているものはいません。骨折して痛いはずのライオンやチーターですら暴れずに死を受け入れます。近所の犬も全く騒がずに息を引き取りました。 <「死を受け入れれば楽に死ねる」というのは医療の問題ではないのか?と思っています。 末期癌で苦しんだ人と多臓器不全で苦しまなかった人がいるという事実があるので私は医療の問題では説明できないと考えています。 <それに、ガン等で激しい苦痛を味わう→オピオイドが出て苦痛が軽減される→死を受け入れる気持ち <になれる、というならまだしも、死を受け入れればオピオイドが出る、というのは、 <少なくともこれまで考えてきた「快楽死遺伝子」とは因果関係が逆であるように思います。 申し訳ないのですが、あなた方に色々と教えてもらって急激に自分が成長した為に私のお礼の内容自体にも深く調べれば矛盾が見えるはずです。また、これまで考えてきたのは快楽死遺伝子ではありません。あくまでも安楽死の機能について私は質問しました。それは質問の題を見ればわかるはずです。NO.5であなたが快楽死遺伝子について定義していますが、もともとは快楽死の機能についての質問なのです。快楽死遺伝子はあくまでも質問の補助の為に作り出された言葉です。本当なら <「楽に死ぬための機能」というのが仮に存在するとして <(それを適当に「快楽死遺伝子」とネーミングしてみた)、 機能と遺伝子は等号で結ばれてはいけません。この場合もネーミングは快楽死遺伝子とはしてはわかり辛くなります。そもそも生物の機能だからといって快楽死遺伝子を想定するのは厳密には正しいかどうか分かりません。生物の全ての機能が遺伝子によって営まれているわけではありません。身体的でもそうです。生物の尿を作る機能は水が必要です。遺伝子だけでは機能は働きません。よって機能は遺伝子だけでは動きません。性格でもそうです。私に信仰があるのは遺伝子の為ではありません。家族が神社へお参りしたり、先祖の仏壇に手を合わせるのを見て私も信仰を持つようになったのです。信仰という精神的機能を遺伝子が担うとしたら、猿でも信仰心があるとは思いませんか? 人間とチンパンジーは体内の蛋白質合成が80パーセント等しいのですから。信仰心は遺伝子のために存在するのではありません。ですので信仰心という性格の一部が遺伝子のせいでなければ、性格も遺伝子が規定するという理論も怪しいのかもしれません。 <「死を受け入れれば楽に死ねる」のが医療のような外部要因ではなくヒトの内部に <要因があるのだとしても、それはまた別のメカニズムではないかと思います。 <そのうち誰かが興味深い研究結果を発表するかもしれませんね。 知っていましたか? カプラン臨床精神医学に書いてあります。人間は臨死体験をするのだそうです。 自分自身の肉体を眺めており会話が聞こえてくるという体外離脱体験が含まれる。平和と静けさを感じ、遠くの物音を聞き、暗いトンネルに入り、肉体を後に残し、死んだ愛する人と出会い、光の物体を目撃し、やり残した仕事を完成させるため人生に戻る。……中略……体験した者はそれを実際に起きたことと感じ、夢や幻覚とは区別している。このような体験は生き方を一掃するような変化を引き起こす。 引用:カプラン臨床精神医学67ページ ここまでの事柄を人間の内部に原因を求めては不自然と私は感じます。利己的な遺伝子からすると、上述の臨死体験をする人間にあふれている事実(アメリカでは40パーセントだそうです)を上手に説明できません。 <学術論文の目的が「さらなる議論のためのネタを提出する」という一面もありますから。 このあたりは知りませんでした。有難うございました。 <まして、このサイトのような場所では回答する者の知識レベルも様々ですし、 <推敲しながら書いているわけでもありませんから、矛盾や論理的に納得できないポイントがあれば、 <どんどん再質問していただいた方がありがたいです。 有難うございます。 何回も色々と騒動がありましたが、丁寧に教えてくださって本当に嬉しいです。有難うございました。

noname#142902
質問者

補足

正直言うと論文の査読制度など、身分が『上の者』は信頼できないという気持ちが私にはあります。今、手元に朝日新聞の夕刊(今きた夕刊です)があって読んでいますが、論文でおどろくべき記事があります。東北大の総長が新たに論文2本を二重投稿していたというのです。彼は昨年11月にも論文の二重投稿をしていたそうです。よって判明している所では彼は3種類の論文を二重投稿していた、ということです。 私はエリート校の出身ですが、そこの人達は人格的に素晴らしいのではなく、むしろ逆でした。如何に他人を蹴落とすか。如何に利己的に振舞うか。そういうことを考えてばかりの人の集まりでした。こういう人が日本の中枢に入るのか、と思うとエリート層に対して見方が冷めてしまいました。矢張りいい人はなかなか上にいかないのは定説のようです。銀行でも良い人は支店長どまりでした。ずる賢く、利己的に、上手に排他的に振舞う人が頭取になったものです。東大の研究所ですら似た様なものでしたし。先程書いた『自分の自慢で生徒の学習時間を浪費する』医者が上の地位にいるという事実もあります。 http://okwave.jp/qa/q6701159.html という記事もありますし。 そういう『エリート層の性質』が嫌になってしまって私は学会も入りたくないと思っているのです。 実際、有名な学会でも嘘を述べている人は大勢います。もっと言えば日本の医学部では教えられていない重要な内容もあるのです。お金儲けをする為に『嘘の情報を』日本の医学部で教えている事実をあなたは知らないのですか? その内容を書くと私の身分が怪しくなるので書けないのですが。これは聞かないで下さると嬉しく思います。医学大辞典を隅から隅まで読めばもしかしたら気付けるかもしれません。逆にそうしないと気付けない『落とし穴』というのがあるのです。だからこそ私は問答無用で『全て』を覚えたいと思っています。辞典として使う本があっても、いつでも辞典を持ち歩けるものではありませんから。機械は壊れます。最後は自分の身体ひとつです。震災に遭った時、いちいち辞典を調べる時間や労力はありません。 thegenus様が貴方につっかかっているようですが、何か思い当たることはないのですか? 喧嘩両成敗という言葉があるように、あなたにも何か悪い面があるのではないでしょうか。私は様々な人と交流していますが、thegenus様のように徹底して嫌な態度をとる人は私にはいません。それは私は子供でもお年寄りでも誰にでも相手を最大限尊重するように心がけているからです。また、相手がそういう態度に出た場合には自分の悪い点を反省して治すようにしています。私は年下だろうとよちよち歩きの子供だろうと自分が悪いと思ったら素直に謝ってしまう人間です。こういうのは非常に差し出がましくて申し訳ないのですが、どうしても気になったので書いてしまいました。 ちなみにあなたに対する回答のお礼は後で書きます。今は色々と立て込んでいるので。 嫌な内容もだいぶ含まれていたと思いますが、読んで下さって有難うございました。

  • thegenus
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回答No.11

性行為の報酬とか、捕食者との軍拡競争とか、違う話です。違う話を結んだら、納得されない方が正しいですね。オピオイドが早めに出ると不利になる設定を持って来ているだけの詭弁ですね。違うケースでしょ。そもそもそういう議論をしない既出回答の説の方が賢明なんじゃないの。 自分自身が終わりにするのか続けるのかさえはっきりしないのです。結局、本題について何を言いたいのかもぶれています。他の回答者の意見を焼き直しただけです。 短い文の間でさえも支離滅裂なのですよ。壮大な自然を相手に仕事しているという自覚が、勘違いのの始まりです。 >「そんな人とは「議論」ができませんし、するのも時間の無駄なので、質問者さんに対する回答はしたいところですが、「彼」が関与してそれに応じてしまった自分の浅はかさも反省しつつ、この話はこれまでにします。 > これ、誰のことか質問者さんには判ってますよね?念のためですが質問者さんのことではないですよ。 >でも、これほどまでの「空っぽな主張」にいちいち納得してしまう人も、ほんとはあんまり相手にしたくないな・・という気持ちも告白しておきます。」 「でも」以下の、「空っぽな主張にいちいち納得してしまう「人物」」とは、質問者、b-w-step さんのことですからね。ほんとは、相手に、したくなかったのだそうです。告白ですからね。念のため。人間としてというか回答者として前代未聞ですね。 指摘を受けた自分の方が、あくまで賢いという考え方では、この先も成長しませんね。質問者さんの姿勢を見習いましょう。指摘されなければ、ずっと気がつかなかったのですよ。そんな大事な指摘をタダだと思っているのでしょうか。判断において、一番大事な事だと思うのですが。それこそ人間的にどうなんでしょ。 私の説明で数式を使った部分があります。もし(笑)、これが私の主張であれば、最後に自己採点して、零点にするなんてバカはありませんよね。これは言語を数学的にすれば論理が破綻していることが分かりやすいと思ったいわば翻訳ですよね。それが論理的ではないということは、どうなるの?(笑) 動物に鏡を見せた時の反応と同じです。動物は鏡を知らないのです。数学言語という鏡を使って、歪んだ構成をお見せしたまでです。変数を使ってあげただけ、原文よりは論理的によくなったのではありませんか(笑)それでもブスというのは、「時間の無駄」発言も合わせて、こっちの台詞ですよ。さっぱり?です発言とか、よく自分の事として考え直した方がいい。自分で考えていない、人の受け売り集で、さらには指摘までも我が物にしてしまう、という究極の焼き直し回答ではないですかね。 循環論法発言から分かることは、それらについて検索して戻って来たという告白に過ぎません。循環論法は少しも悪くないのです。それも知らないの?誰がそこを指摘したの(笑) 科学の基礎が分かっていないのです。これ以上教える気にはなれません。教えても、教え方が間違っていると返される始末ですから(笑)馬鹿に資格とはこの事です。昔から世間の大多数は…を偉いと思っていません。乖離していますね。自己肯定指数と自己顕示欲指数が正常値よりも大きいのですね。 自慢ではありませんが、という質問者さん。それらの医学書は、間違いを改訂したのですか。それは自慢できる、すごいことですよ。 要するに事態の客観的事実は、質問者の方がお山大将より先に気がついたということでしょう。質問者の着眼点も横取りして、焼き直した回答者が連続再投稿してあーだこーだ言ってもフコダインですよね。 「フコダイン」 http://fuco-ken.com/ という訳で、言葉については、わざわざ説明していないことがありますが、質問者さんが締め切りを急がないのでしたら、約束はできませんが、少しづつ回答して行こうと思っているところです。「まあ」科学者には通じていると思うのです。それを説明するのもねえ。 生物学系の国家公認のプロが、たとえば「性格」などという甘ったるい言葉を、生物学の文章で使用することは知っていますよ。多くはありませんね。そういう表現のある文章は最初から読まない方なので。んで、それがなんだというのでしょうか(笑)それは文脈を考えないと、トンデモ科学者の言い訳と同じになります。「「性格遺伝子」なんてないだろ」「いや「性格」という言葉は○○精神医学にもあるし、論文にもありますよ。知らないんですか」トンデモさんはよくやるでしょ、コピー片手に。 文脈が違いますね。意味が違います。何よりも生物学で「性格」という安易な言葉遣いが正しいという言い訳にもなりません。動物心理学者になったらいいんじゃないですかね。性格を説明する遺伝子のどこが面白いのでしょうかね。常識的には全面否定されている血液型占いに密かなロマンスですかね。教育者の色欲を性教育で晴らすみたいな。性格の遺伝子化に、現実的な面白さがありますか。存在意義が、娯楽産業でしょう。 科学者が使えば、すべて、科学の言葉遣いになって、非科学者が使えば、任意に科学として認めないという差別でしょうかね。科学者の本や論文は実験部分の記述が形式的に正しければ、他の文脈での表現は自由なんですよ。読んでないと言ってもいいくらいです。 何度も説明してはいるのですが、幸福ホルモンと性格遺伝子は、同じ性格の熟語なのですよ。片方を笑うのならば、もう片方にもそうすべきなのです。一連の投稿内容と投稿行動もそうですが、一貫性がないのでは困りますね。幸福ホルモンを笑うのならば、身を正せということです。性格という言葉を多用していたら心理学なのですよ(笑)要らないのです。性格などという言葉は本当の生物学には。載っている数だけ、自然科学じゃないと思った方がいい。心理学≧精神医学>>>>脳神経外科学=解剖学=……。ある獣医の話では、心理学を含むような性格の特殊な「生物学」の中に、動物学は、あるらしいのです。そうだと思わせる回答内容です。専門知識では隠し切れない、精神性を読み取らなければなりません。肩書きをちらつかせる人には訳があるのですね。 (No.9) >「 ある遺伝子が集団内に定着する、すなわちここで言うと「集団内のどの個体も快楽死遺伝子を持っている」という状態になるためには、元は1個体かせいぜい数個体で突然変異によって生じた遺伝子であるわけですから、「快楽死遺伝子が集団内で頻度を高めていく過程」が絶対的に必要です。集団全ての個体で同じ遺伝子が突然変異によって生じる確率は事実上ゼロですから、論理的必然性としてそうなります。」 「論理的必然性としてそうなります」どういう論理の必然なのでしょうか。また後から修正されるからな。でももう、こんな質問者とは、付き合いきれない、と告白してたし… 要するに遺伝子が分かっていないのです。こういう人は「遺伝子」という言葉も使わない方が身の為なのです。 タンパク質をコードするとかなんとか説明しておいて、その知識が役に立っていないということ! つまり素人と違い、学問的な定義を知っているだけのことで、その使用に際しては、素人が遺伝子と言っているのと、本質的に同じ使用法なのです。快楽遺伝子でも安楽死遺伝子でも何でもいいけどその遺伝子について真面目に考えたら、そんな論理的必然が使える訳ないでしょう。観念的なんだよ。 その点は、質問者さんの方が理解しているということです。技術的専門知識よりも、その科学的感性の方が大事なのです。一般図書「利己的遺伝子」を人に勧める前に、よく読め、と言いたいですね。語弊の多い、一般書ですがね。そういう弊害がレベルの低い専門家に生じているということなのでしょうか。それくらい強力な弊害があるので、読書よりは、日常を観察されて見てください。その観察対象として一番手近なのが、料理です。自炊はどうしているのですか。ワンパターンですよね。私には質問者さんの価値観が、ものすごくよく分かるのです。食費の節約は結果的な節約にした方がいいですよ。つまり節約対象に入れない方がいい。ぜいたく品の除外だけではなくて、やがて量的不足に到りますから。分かっているでしょ、私(笑)。 焼き直し回答と飛躍回答は、もう結構です。それなら説明はNo.2で済んでますよ。今、No.いくつですか。最初から、ハングアップ(?)じゃないと言っているのですよ、後からハングアップで否定的に介入したのですよ。今回もまた。いつのまにか自分の意見になっていませんかね。 しかしドーキンスが100ページ以上かけているのに分からない専門家がいるのですね。質問者さんは、読まない方がいいと思います。本は危険ですよ。分かった気になる人が多くて。自分が考えたんじゃないのですからね。自分で考える過程が、脳の「進化」に必要でしょうね。 「利己的遺伝子」:ニューヨークタイムズの書評「読めばあなたも気分は天才。」 ブックオフでも100円じゃないと思うのですが、専門書が100円なんてあるのですか。私が400円ぐらいで手を打とうかと、セールを待っていたら、売れてしまった専門書が何冊かありますよ。ご提示されたハリソンとかそのほかの本はさすがに100円のものではないでしょ。そこまで安いのは一般書以外には見かけないのですが。500円以下なら、私もあやかりたいですね。

noname#142902
質問者

お礼

<性行為の報酬とか、捕食者との軍拡競争とか、違う話です。 <オピオイドが早めに出ると不利になる設定を持って来ているだけの詭弁ですね。 <違うケースでしょ。そもそもそういう議論をしない既出回答の説の方が賢明なんじゃないの。 これはあくまでも例を挙げて説明しているのでしょう。よって違う話を出して例を出している、と。詭弁かどうかは……難しいです。少なくともそれらの回答で私は新しい情報を学べたのですから。 >でも、これほどまでの「空っぽな主張」にいちいち納得してしまう人も、ほんとはあんまり相手にしたくないな・・という気持ちも告白しておきます。」 <「でも」以下の、「空っぽな主張にいちいち納得してしまう「人物」」とは、 <質問者、b-w-step さんのことですからね。ほんとは、相手に、したくなかったのだそうです。 <告白ですからね。念のため。人間としてというか回答者として前代未聞ですね。 まあ、こういう時代ですから。誰もがストレスフルです。旅行先で外人に啖呵をきられたことを思えば可愛いものです。彼の気持ちも分かります。私にも責められるべき点はありました。 <指摘を受けた自分の方が、あくまで賢いという考え方では、この先も成長しませんね。 成長しないことによる苦しみは末来の成長の糧になると私は思っています。つまり不幸も幸福の種である、と。また、人間の頭脳には差がないと私は考えています。ハリソンなどの間違いを指摘しても小学生よりも賢いとうぬぼれてはいけないな、とは思ってます。他の人と比べて優劣を争わない態度を私も養っていきます。 <私の説明で数式を使った部分があります。もし(笑)、これが私の主張であれば、 <最後に自己採点して、零点にするなんてバカはありませんよね。 この自己採点が0点というのは彼の回答に対してではなくて自分自身に対する回答への自己採点だったのですか。やっと意味が呑み込めました。 <つまりaX=bYと言うのが妥当である。……1 <つまりX=0 である。……2 ここの部分が違っているのではありませんか? 上から下は導き出せませんし、下を上に代入しても式がいつでも成り立つわけではありません。 <自分で考えていない、人の受け売り集で、さらには指摘までも我が物にしてしまう、という究極の焼き直し回答ではないですかね。 彼がどこまで考えたかを分からないので何とも言えません。彼の名前はここで初めて知ったからです。 <馬鹿に資格とはこの事です。昔から世間の大多数は…を偉いと思っていません。乖離していますね。 これは同意します。下にその理由を書いていますが。 <自慢ではありませんが、という質問者さん。それらの医学書は、間違いを改訂したのですか。 <それは自慢できる、すごいことですよ。 はい、そうです。思いっきり自慢です。すみません。褒めてくださって有難うございます。 <質問者の着眼点も横取りして、 <焼き直した回答者が連続再投稿してあーだこーだ言ってもフコダインですよね。 フコイダンは怪しいと思っています。医学大事典や看護大事典にはフコイダンの効能は特に書かれていないのですが。 <という訳で、言葉については、わざわざ説明していないことがありますが、 本当ならば相手の真意を汲み取ること自体も大事な能力だとは思います。その能力も育ててもらっていると思って読んでいきます。 <質問者さんが締め切りを急がないのでしたら、約束はできませんが、 <少しづつ回答して行こうと思っているところです。「まあ」科学者には通じていると思うのです。 <それを説明するのもねえ。 一応急がないつもりではいます。 <生物学系の国家公認のプロが、たとえば「性格」などという甘ったるい言葉を、 <生物学の文章で使用することは知っていますよ。 日本の医学書はまだ文章を推敲できる余地があると感じています。性格は甘ったるいかどうかは私には判断できないのですが、非常に曖昧な言葉とは思っています。 <科学者が使えば、すべて、科学の言葉遣いになって、非科学者が使えば、 <任意に科学として認めないという差別でしょうかね。 そういう事柄・差別は実際に存在しています。医学博士という資格を持っていれば黒を白と言っても良いのです。フコイダンのように。実際、博士は一定の課程を終えれば得られる資格で実力は分かりません。 <何度も説明してはいるのですが、幸福ホルモンと性格遺伝子は、同じ性格の熟語なのですよ。 性格という言葉がいかに怪しいか。幸福ホルモンと性格遺伝子は信頼性ではそれほど変わらないという事実を鑑みるにこのあたりは正しく見えます。幸福ホルモンはオピオイド、性格遺伝子は……遺伝学の専門書は学んでいないので分かりません。 <肩書きをちらつかせる人には訳があるのですね。 実力があるならば肩書きは全く必要ありません。実力が無いから肩書きに頼るものです。人は。本当は資格も同じだと思うのですが。 <「論理的必然性としてそうなります」どういう論理の必然なのでしょうか。 厳密には、何事も定義できないでしょう。ソクラテスの無知の知を覆す知識はありえないはずです。1+1=1になることがあります。粘土と粘土をくっつければひとつの粘土になります。よって本来なら学問は100パーセント成り立つ事柄はないと私は考えます。現代の学問はあやふやな土台の上にあります。数学は1+1=1になる事柄を無視して展開されています。歴史も過去の事柄ではありますが、厳密に言えば100パーセントの真実を教えているわけではありません。『世界五分前仮説』というのがWIKIのページにあるように、何事も完全な証明は不可能でしょう。しかしそれでは学問が成り立たないので、世間一般的には厳密性を減らして学問が成り立っているといえます。その厳密性を減らした論理としての必然のことではないでしょうか。 <要するに遺伝子が分かっていないのです。 私も分かっていませんが……。遺伝学、今度は学びます。 <自炊はどうしているのですか。ワンパターンですよね。 このあたりの指摘はとてもためになりました。有難うございます。 焼き直し回答と飛躍回答は、もう結構です。それなら説明はNo.2で済んでますよ。今、No.いくつですか。最初から、ハングアップ(?)じゃないと言っているのですよ、後からハングアップで否定的に介入したのですよ。今回もまた。いつのまにか自分の意見になっていませんかね。 <本は危険ですよ。分かった気になる人が多くて。 本で分かった気になる危険を念頭においておきます。 <自分が考えたんじゃないのですからね。自分で考える過程が、脳の「進化」に必要でしょうね。 確かにそうですね。 <専門書が100円なんてあるのですか。 それがあるのですから笑いが止まらないのです。ブックオフはブックオフでもど田舎へ行ったりするとあったりします。都会のブックオフは値段がしっかりと考慮されていますが、田舎のブックオフや手薄になっているブックオフは値段が適当につけられています。ブックオフはマイナーな所こそお勧めです あなたの回答の文章は独創性に富んでいてとても面白いと思いました。単語の使い方が独特でした。ただ私は中立的でありたいと願っています。何事に対しても。偏見や先入観を持たずに物事と関わって生きたいと思っています。その様な邪念は自らの成長にマイナスと考えているからです。色々と有難うございました。

noname#160718
noname#160718
回答No.10

 Jagar39です。続きです。  質問は「なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか」でしたので、No.5ではそのメカニズムそのものは後回しにして「進化の過程でその機能を得る過程」に焦点を絞って回答しました。  ま、「快楽死遺伝子」というネーミングをした時点で脳内オピオイドのことが頭にあったのは事実ですが、別にそれが「快楽死」のメカニズムだと考えているわけでもありません。  ですから「ハングアップ」という言葉も、別に特定の生体内現象を指した言葉ではありません。  オピオイドが多量に分泌された結果、強度の麻酔効果が全身にかかったのなら「ハングアップ」状態になるでしょうし、外傷性ショックで死んでも同じです。まあショックのことが念頭にあれば「安楽死遺伝子」のような言葉を選んでいたかもしれませんが。  ですから、オピオイドが「死の間際」にしか分泌されないというのであれば、そのメカニズムは進化的に獲得できることはないのですから、「死の間際にしか分泌されない」ことをまず疑うべきでしょう。他の機能があるはずだと。  オピオイドはストレス軽減物質としての役割があることは判っているのですから、やはりオピオイドの制御系が「快楽死遺伝子」である可能性は高いとは思います。  ストレス軽減システムと簡単に言っても、その進化的な意義はそれなりの考察が必要だと思います。  骨折などの痛みにオピオイドが分泌されて痛みを軽減するのは、有利か不利か?と考えれば、その「制御系」が極めて重要だということは理解できると思います。  オピオイドの分泌量が多すぎて骨折の痛みを感じないほど鎮痛作用が発現されてしまったら、その個体は骨折した足を治癒しないうちに使ってしまってさらに痛めるでしょう。つまり治癒率が低下する→繁殖的に不利、となる可能性があるわけです。  少なすぎても、激しい痛みが継続するとショックを起こしてしまうリスクがあるので、やはり「治癒するはずの傷でショック死してしまう」可能性が高くなり、不利となります。  つまりオピオイドをどのような条件下でどの程度分泌するかは「さじ加減」が難しく、それは「進化的に常にさじ加減が微調整されている」ことを意味するでしょうね。  まあメカニズムの話は詳細に判っていないことも多いのでこの辺で。  狩られるシマウマの話ですが、集団で逃走していて1頭だけがスピードを落として捕まる、といった現象が生物学的に、あるいは進化論的に「自分を犠牲にして集団を救う」と考えるのは危険です。  単純な話、「自己犠牲によって集団を救う遺伝子」があったとします。具体的にはオピオイドを持ち出せば、他の個体がアドレナリン全開で逃走しているのに、自分だけ逃走のストレス軽減のためにオピオイドを多量に分泌してしまって足が緩む、というようなことでも良いです。  その遺伝子は「有利」ですか?  その遺伝子を持つ個体と持たない個体(つまりどこまでもアドレナリン全開で走り続ける)では、持たない個体の方が「平均産子数」が多いのではないですか?逃げおおせた個体は、その後も子を作ることができるわけですから。  ですから、「自己犠牲によって集団を救う機能を持つ」遺伝子は、その集団内で定着することはできません。  ですがそのような「利他行動」は動物では多く見られていて、それが生物学者たちを悩ましていたのですが、それを説明したのがリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」だったわけです。  簡単に言うとこの場合、「自分が犠牲になることによって自分の子を救う」場合は、「有利」となり得る、というのが「利己的な遺伝子」の理屈です。  まず自分が助かって子が食われた場合は、自分はあと2産できるかもしれませんが、子が将来4産するはずであれば2頭の産子の「損」になります。実際は「子」と「孫」の血縁距離も計算に入れなければならないので(子は自分の遺伝子の半分を持っているが孫は1/4しか持たない)、損得勘定はもっと複雑になるのですが。  自己犠牲によって救うのが子ではなく孫、兄弟、いとこ、それぞれ遺伝的距離(要するに遺伝子の共有割合)によって損得勘定は異なってきますが、それぞれの計算において「自分が犠牲になった方が進化的には有利」となる場合がある、というのが「利己的な遺伝子」の理論です。  これ、ドーキンスはもちろん原著論文を何本も書いているのですが、難解な数式のオンパレードですので本当の「専門家」意外にはとても理解できません。私もちんぷんかんぷんです。  ですから、一般書である「利己的な遺伝子」を読むことをお奨めします。数式だと数行で済む論証を言葉で100ページくらいかけて説明してくれてますから。  その「利己的な遺伝子」の理屈を「自分を犠牲にして群れを救うシマウマ」に適用できるかというと、たぶん無理でしょう。  というのは、そのシマウマが犠牲になることによって助かるのは「他の子かもしれない」からです。そうなると自分のこれから先産めたであろう産子数が減少し、ライバルを助けることによって産子数を増やしてしまうからです。  すなわち、「群れ全体に対する自己犠牲遺伝子」は、速やかに淘汰される運命にあります。  群れ全体が逃走している場合、自己犠牲によって助かるのが自分の遺伝子なのか他個体の遺伝子なのかは判らない、わけですから、賭としての勝率が低い、ということです。勝率が低ければ、「大きな集団で長い世代数」では、この自己犠牲遺伝子を持つ個体は持たない個体より、平均産子数は少ないだろう、という帰結になります。  まあ極めて素直に見れば、群れから離れてスピードを落とし、結局食われるシマウマは「生存競争に負けて淘汰されている」ということになるでしょうね。この場合は利己的遺伝子の理論を頭に入れても、やはり「淘汰されたのだ」という見方で正しいと思えます。  その行動(群れから離れて速度を落とす)がオピオイドの分泌が関係していたのだとしても、仲間のシマウマがまだストレスに耐えてアドレナリンを分泌し続けているのに、自分がオピオイドを分泌してしまって逃走のストレスを緩和してしまったということは、その制御系は「不利で淘汰される運命」にあった、ということでしょう。  シマウマの生存競争は、捕食者とのライオンに対抗する機能の向上、という見方ももちろんできます。ライオンより足が速くなる方向に進化し、それに対抗してライオンも足が速くなり、というライオンとシマウマの軍拡競争、という見方です。「足の速さ」ならライオンではなくチーターを持ってくる方が判りやすいでしょうけど。  でも、見方を変えて「逃走するシマウマは誰と競争しているのか?」と考えれば、「他のシマウマ」なんですよ。  他のシマウマより足が速く、他のシマウマより逃走のストレスに耐えてアドレナリンを分泌し続けることができれば、そうでなかった個体に対して「有利」になれるわけです。  というわけで、No.5で書いたように、「快楽死遺伝子」に見えるものがあるとすれば、それは他の機能(つまりこではストレスを軽減する機能)の閾値が生存競争によって限界まで高まった結果、ということが推測できると思います。  ということは、逃走から捕獲されて食われるまでの各段階で、ストレスに応じてそれを緩和するための生理的現象は起きてはいるでしょうが、それは「最小限の制御」でしかないでしょう。痛みを全てキャンセルするほどの大幅な介入はしてくれないはずです。だから手術の時には麻酔が必要なのでしょうから。  死ぬ瞬間にだけ全ての苦痛をキャンセルするほどの大幅介入も、する意義が進化的には見いだせません。  最後に、人の論旨がおかしいとか矛盾している、基礎知識が足りないことに由来する勘違いをしている、と感じた場合はそう述べれば良いです。  ですが、単に「間違っている」と連呼するだけのは議論とは言えませんし、「論理的思考が足りない」と言いながらも自らの論理は提示せず、たまに「提示します」と言っても説明なしに誰にも判らない数式を並べて「零点です」と言えば論理的否定ができた、と思っているのも、そもそも「論理的思考とは何か」が根本的に判っていない証拠でしょう。  まして他質問になりますが、「性格も生物学の対象になっている」という簡単な事実を忘れて(ほんとは知ってるんでしょ?)感情にまかせて「人になつくなどの性質は生物学的性質ではない」などという暴言を吐いてみたり(まさに「人になつく」ことを対象にした研究も存在します)するのは、そもそも「科学議論ができない」人でしょう。  さらに議論のテーマとは関係ない罵詈雑言を多用するのは、科学以前に人としてどうか、というところですな。  そんな人とは「議論」ができませんし、するのも時間の無駄なので、質問者さんに対する回答はしたいところですが、「彼」が関与してそれに応じてしまった自分の浅はかさも反省しつつ、この話はこれまでにします。  これ、誰のことか質問者さんには判ってますよね?念のためですが質問者さんのことではないですよ。  でも、これほどまでの「空っぽな主張」にいちいち納得してしまう人も、ほんとはあんまり相手にしたくないな・・という気持ちも告白しておきます。  こんな人は「重力進化論」や「ウイルス進化論」の本を読んでも納得してしまうんだろうなぁ・・・と。  でも、No.5の私の回答を「納得できない」と表明したことは、この騒動の中で少し成長したんですよね?ピントは少しずれてましたけど。  たくさんの本を読んで精進してください。

noname#142902
質問者

お礼

<ですから「ハングアップ」という言葉も、別に特定の生体内現象を指した言葉ではありません。 ただ、このハングアップという言葉はやや分かりづらかったと思います。一般的な用語ではないと感じました。少なくとも私は意味があまり分からない言葉です。片仮名語ですし……。 <オピオイドが「死の間際」にしか分泌されないというのであれば、 <そのメカニズムは進化的に獲得できることはないのですから、 死の間際にしか使われない性質であれば遺伝的に有利ではない、ということですね。  オピオイドはストレス軽減物質としての役割があることは判っているのですから、やはりオピオイドの制御系が「快楽死遺伝子」である可能性は高いとは思います。 <ストレス軽減システムと簡単に言っても、その進化的な意義はそれなりの考察が必要だと思います。 このあたりの考察は丁寧でとても分かりやすいです。有難うございます。オピオイドのさじ加減は書かれてみて初めて気付けたことです。ただ、このオピオイドで疑問に思った点が1つあります。それはなぜ『死を受け入れた場合にオピオイドが出やすいか』ということです。村山聖という人の『聖の青春』では村山さんは苦しんで亡くなります。しかし私の親戚は死ぬ間際まで相当痛いはずなのに全く苦しんでいませんでした。これはなぜなのでしょうか? <これ、ドーキンスはもちろん原著論文を何本も書いているのですが、 <難解な数式のオンパレードですので本当の「専門家」意外にはとても理解できません。 <私もちんぷんかんぷんです。 <ですから、一般書である「利己的な遺伝子」を読むことをお奨めします。 <数式だと数行で済む論証を言葉で100ページくらいかけて説明してくれてますから。 そのために一般書をお勧めしたのですね。 <その「利己的な遺伝子」の理屈を「自分を犠牲にして群れを救うシマウマ」に適用できるかというと、<たぶん無理でしょう。 このあたりの説明が非常に分かりやすかったです。本当に有難うございます。 <これ、誰のことか質問者さんには判ってますよね?念のためですが質問者さんのことではないですよ。 今度は分かりました。 <でも、これほどまでの「空っぽな主張」にいちいち納得してしまう人も、 <ほんとはあんまり相手にしたくないな・・という気持ちも告白しておきます。 それは人として仕方が無いと思います。そう思いつつも色々と教えてくださって有難うございます。空っぽな主張でいちいち納得しないような頭脳になるように努力していきます。 <こんな人は「重力進化論」や「ウイルス進化論」の本を読んでも納得してしまうんだろうなぁ・・・ 簡単に騙されないように精進していきます。 <でも、No.5の私の回答を「納得できない」と表明したことは、 <この騒動の中で少し成長したんですよね?ピントは少しずれてましたけど。 あなたたちのお陰です。本当に有難うございました。 <たくさんの本を読んで精進してください。 最後まで色々と励ましてくださって本当に有難うございました。

noname#160718
noname#160718
回答No.9

 No.5のJagar39です。ここも最後にします。  No.5での説明は自分でもまずかったな、と思ったのですが、そこは「快楽死遺伝子」を持つ個体も持たない個体も4頭の子を持つ、と仮定したところです。  本来、この「この遺伝子を持っても持たなくてもこの数は同じ」というところを論証しなくてはならないのですが、「結論」を仮定条件にして結論を導くのを循環論法って言ったりします。  というわけでここのところを修正しますが、「快楽死遺伝子」を死の間際にしか働かない遺伝子と仮定した場合、それは「産子数」には影響を及ぼさないでしょ?ということです。  で、もちろんこの後の質問者さんが気にした「その子供を育てられたか否か」にも影響はしませんよね。  産子数に影響を及ぼさない遺伝子は、その対立遺伝子(ここでは快楽死遺伝子を持たない個体の遺伝子)を押しのけて集団内で頻度を増やすことは出来ません。 >上記の説明が詭弁であるという論理的説明。 >問題文。aX=bYと言うのは妥当か  これ、理解できました?私はさっぱりです。数式を使えば論理的だと思っているのようですが、数式の変数それぞれが何を意味するのか、最終的に零点というのは式のどこがどう間違っていたか、を論述しないと「論理的証明」とは言えません。  XとYが対立遺伝子、4nが産子数のことか?というあたりまでは朧気に理解できるのですが、aとbって何?Fは何?もしかしてFって世代数?個体数?X=0というのはどういう意味?さっぱりです。ここを説明しないと論理的に何かを説明したことにはならんのですがね。  ある遺伝子が集団内に定着する、すなわちここで言うと「集団内のどの個体も快楽死遺伝子を持っている」という状態になるためには、元は1個体かせいぜい数個体で突然変異によって生じた遺伝子であるわけですから、「快楽死遺伝子が集団内で頻度を高めていく過程」が絶対的に必要です。集団全ての個体で同じ遺伝子が突然変異によって生じる確率は事実上ゼロですから、論理的必然性としてそうなります。  集団内で頻度を高めていくためには、「その遺伝子を持つ個体の産子数が持たない個体の産子数より多い」ことが絶対条件になります。産子以外に他個体に遺伝子を伝える手段があるなら話は別ですが、有性生殖でしか遺伝子を他個体に伝える手段がない動物(ヒトはもちろん、ここで話題にしているような動物では全てがそうですが)では、それもまた絶対条件になります。  従って、ある遺伝子が対立遺伝子(ここでは快楽死遺伝子を持たない個体の相同遺伝子)を押しのけて集団内で頻度を増やし、定着するためには、「対立遺伝子を持つ個体と比較して産子数を増やすことができる作用を持つ」ことが、やはりまた絶対条件になるわけです。  その「ある遺伝子が産子数の多さによって頻度を増して集団内に定着する現象」を「自然選択」と呼んでいるわけです。  それをざくっと簡単に言い換えると、「繁殖に有利な遺伝子のみが選択される」ということになります。  ここの「繁殖に有利」というのは、どんなに間接的であっても、産子数を増やすことができる作用を持つ、という意味です。むろん、「その産子が繁殖可能年齢まで成長可能」という意味も含みます。  かなり遠回しな例を1つ挙げます。  ヒトで「繁殖活動終了後(女性の閉経等)も長く生存する遺伝子」が有利か否か?ということを考察してみます。  普通に考えれば、これは繁殖活動が終了してから働く遺伝子なので、産子数には影響を及ぼすことが出来ません。ですからこの遺伝子を持っていようがいまいが産子数は変わらず、有利でも不利でもありません。従って集団内に定着することができません。  しかし、ヒトのような緊密な家族を築き、しかも経験が「知恵」として他個体に効率的に伝達できる手段を持っている動物の場合は、繁殖活動終了後の個体によって「生き残るための知恵」を子供に伝達することが可能になり、その子らの生存率は高くなるでしょう。つまり、ヒトの場合はこの遺伝子は「繁殖的に有利」なのです。  家族を基盤とした社会を形成する動物は他にも多くいますが、「知恵を伝達する手段」を持たなければ、その「老人」を養うにも食料が必要ですから、その集団は老人が以内集団と同じ食料収集能力では子孫の生存率がむしろ落ちます。この場合は「不利」な遺伝子として淘汰されることになるでしょう。  また、社会や環境がシンプルであれば(とにかくあのシマウマを倒せば生き延びられる!というような)、長く生きたアドバンテージが現役の親より少なくなりますから、「老人にも食料が必要」というディスアドバンテージと天秤にかけた場合にやはり「不利」になってしまいます。  という諸条件を考慮すると、確かにヒトでは「繁殖活動終了後も長く生きる」ことは有利である、と考えることが出来ます。  ですから「繁殖に有利」というのは厳密には「子孫数を増やすことに有利」という意味です。  それも、本来は「十分大きな集団で、かつ十分長い世代数では」という前置きが必要です。  「有利な遺伝子」を持っていても、他に致死的遺伝子を持ってしまえばその個体は子孫を残すことが出来ません。そうまでいかなくても他に「不利な遺伝子」を持っていることは十分あり得ます。その場合、子孫数はむしろ少ないかもしれません。  さらに偶発要素も山ほどあります。突如洪水に流されて死んでしまうかもしれませんし、ケガをして獲物が狩れず飢え死にするかもしれません。  ですから、「有利な遺伝子が集団に定着できない」あるいは「不利な遺伝子が定着してしまう」ことは数学的にはあり得ます。  このような「偶然によってある遺伝子の集団内での頻度が大きく変動する現象」を遺伝的浮動といいます。  ですが、集団が十分大きく世代数も十分長い場合は、どの偶発的要素も双方の遺伝子に総計では等しく働くと想定することができるので、「有利な遺伝子を持つ個体は、持たない個体と比較して十分大きな集団かつ十分長い世代数では、平均の産子数が多い」ということになります。これが「繁殖的に有利」あるいは「生存に有利」と言われる真の意味です。  ですから、No.5の私の論証が間違っているのは、「論証の目的であるはずの「産子数が同じ」ということを「仮定条件」にして論証をした」ということにあるわけです。  「死ぬときにしか働かない遺伝子であれば、快楽死遺伝子を持つ個体も持たない個体も、その平均産子数は同じでしょ?」という一言だけで論証は足りていたわけですね。平均産子数が同じであれば、その遺伝子が集団内で定着できないのは論証するまでもないことなので、そこを説明に入れようとして論旨の目的を仮定条件に組み入れてしまったのが間違っていた、という次第です。  ですから、「快楽死遺伝子が「死ぬときにしか働かない」遺伝子であれば、その遺伝子は自然選択によっては選択されない」ということですから、別の言い方をすれば、「快楽死遺伝子があるとすれば、それは生きているときにも「有利に」働く遺伝子でなければならない」ということになります。  言い換えれば、「死ぬときにしか働かない生理的作用が進化の過程で得られることはない。従って「そう見える」生理的機能があるならば、それは生きているときにも有利に働くものでなければならない」ということです。  その可能性をNo.5の後段で述べたわけです。  議論する双方に同程度の生物学的知識があれば、No.5の前段は上の2段落だけで済んでいた、ということです。  また、No.5の前段の私の論述を「間違っている」と指摘するには、「論旨の目的である産子数を無条件に仮定してしまうのは循環論法です」と一言言えば済む話だったのです。数式を持ち出す必要はありませんし、その数式も変数の意味を全て説明しないと「論理的説明」になりません。  最後と書きましたが長くなるので続く。

noname#142902
質問者

お礼

No.5のJagar39です。ここも最後にします。 <「快楽死遺伝子」を死の間際にしか働かない遺伝子と仮定した場合、 <それは「産子数」には影響を及ぼさないでしょ?ということです。 産子数にも影響はしません。しかし孫の世代はどうなるか、というところまで考慮する必要があると思いました。 <で、もちろんこの後の質問者さんが気にした「その子供を育てられたか否か」にも <影響はしませんよね。 <産子数に影響を及ぼさない遺伝子は、その対立遺伝子 <(ここでは快楽死遺伝子を持たない個体の遺伝子)を押しのけて集団内で頻度を増やすことは <出来ません。 ただ、快楽死遺伝子は子孫を増やす上ではプラスにもマイナスにもならないので運がよければ残るかもしれません。 >上記の説明が詭弁であるという論理的説明。 >問題文。aX=bYと言うのは妥当か 数式を使うとむしろ分かり辛いですね。数式を使って難しくするとむしろ良くない気がします。高等数学を知っている人ならまだしも中学生あたりでは理解が困難ではないでしょうか。 <集団全ての個体で同じ遺伝子が突然変異によって生じる確率は事実上ゼロですから 確かにそうですね。天文学的数字まで考慮すれば0ではありませんが。ただし、事実上では0ですね。 <集団内で頻度を高めていくためには、 <「その遺伝子を持つ個体の産子数が持たない個体の産子数より多い」ことが絶対条件になります。 このあたりは分かりやすい説明ですね。 <ヒトの場合はこの遺伝子は「繁殖的に有利」なのです。 たけしの万物創世記でも放送していた内容ですね。子育てに手間がかかるからこそ閉経後も生きられるのはプラスです。 <という諸条件を考慮すると、確かにヒトでは「繁殖活動終了後も長く生きる」ことは有利である、 <と考えることが出来ます。 マイナス面までしっかりと考えることが大事だと教えてくださって有難うございます。 <ですから「繁殖に有利」というのは厳密には「子孫数を増やすことに有利」という意味です。 なるほど。 <「有利な遺伝子が集団に定着できない」あるいは「不利な遺伝子が定着してしまう」ことは <数学的にはあり得ます。 運の要素もあるということですね。 <「偶然によってある遺伝子の集団内での頻度が大きく変動する現象」を遺伝的浮動といいます。 分かりやすく教えてくださって有難うございます。 <ですから、No.5の私の論証が間違っているのは、 <「論証の目的であるはずの「産子数が同じ」ということを「仮定条件」にして論証をした」 <ということにあるわけです。 仮定条件がやや不十分だったということですね。 <「死ぬときにしか働かない遺伝子であれば、快楽死遺伝子を持つ個体も持たない個体も、 <その平均産子数は同じでしょ?」という一言だけで論証は足りていたわけですね。 その様に論証するのが大事だということですね。 <また、No.5の前段の私の論述を「間違っている」と指摘するには、 <「論旨の目的である産子数を無条件に仮定してしまうのは循環論法です」と一言言えば <済む話だったのです。数式を持ち出す必要はありませんし、 <その数式も変数の意味を全て説明しないと「論理的説明」になりません。 循環論法という言葉をこれを機に覚えておきます。 本当に丁寧に教えてくださって有難うございます。とても勉強になっています。

  • thegenus
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回答No.8

進化論は暴力についての理論とも言えます。これを肯定する人は競争に理解がなければなりません。 進化も暴力も前後関係が大切ですよね。たとえば両生類みたいのから人間へであって、逆に進化したのではないというのが進化の前後関係ですね。 暴力については、たとえばちかんがちかんしてからちかんをひっぱたくのが悪いですかね。 私はNo.4の回答者です。内容の前後関係で是非を判断されるべきです。 機械論については機械論が正しいということではなくて、近代的な自然科学は機械論でまとめるものなのです。機械論的に解釈されないとカテ違いということになります。質問者さんの意見は分かるのですよ、しかしここで科学宗教という非機械論を展開するのはしたくてもするべきではないのです。できてもしない人は多いのですよ。たくさんあるのですよ。質問者さんに意見したいことも、逆に教えてもらいたいことも。別カテに質問でもされて下さい。もし見つけたら参加しますので。ここでは自然科学が基軸なのです。逆に非自然科学カテなら、自然科学者が機械論や原子論を押し通せるものでもないのですね。すみわけではなく、単に看板と内容の整合性です。 質問者さんは相当な勉強家だと思っています。以前、回答者の立場で、医学書の出版社に問い合わせまでなさいませんでしたか。その質問と回答者を忘れてしまったのですが、たぶんあなたのような気がするのです。間違っていたらすいません。その時、こんな人がいるのだと感動したので、覚えています。私はb-w-stepさんよりも、生物学・医学について、早い時期から長い時間、考えてきたかも知れませんが、学術書を買うなど、学問に金を使うという点では、あなたの方が、数十倍、優れています。私はそういう人を本当に尊敬しています。社交辞令ではありません。動物学者および心理学者の一般書は買わない方がいいです。あなたはこれまでどおり、学術書を買って下さい。じゅうじゅうお分かりかとは思いますがその直感的判断は、ずばり正しいです。私はケチなので、頭使って安く済まそうという愚か者なのです。あなたの蔵書は1万ドルぐらいになる?その数字だけでも朦朧とします。 私は金儲けではない勉強家を尊敬します。宗教が盛んな時代の聖人とはそういう人たちだったでしょう。ケチなはずの私がただで回答するのはそういう人が正しい方向で邁進されることに自分も協力したいと思うからです。私は非功利的な自学を否定しません。大賛成です。私は死ぬまで支持しますよ。しかし、こうも言いたい。 勉強は本に限らない。どんな本で勉強すべきかそこまで研究されてるのは立派ですが、短い人生、本を離れるのも正しい道では。活字に疲弊したら脳神経に逆効果では。活字の本質は記録媒体。逆を言えば、置いておいてもいい物。あなたの場合は購入されるのだから、その有利さが使えますね。ケチな私は、本を買わずに、常にエキスを搾り取ろうとしてきた。本はあった方がいい。あるんだから安心してもいい。脳に必要なのは活字よりも、栄養。脳の善働には健康体。鮭ではなく鶏の卵を丼に割り、半分量の水でよく溶いて、電子レンジで90秒。家畜が自分の子孫を作ろうとした細胞が、出来損ないの茶碗蒸しになります。これが意外に美しくて愛らしい。丼内へ情は脳内の物質。丼内に情はない。鶏の中にも情はない。情は観念です。観念があるものにしかない。丼内の黄色い有機物を箸でさけば水分があふれ出る。無数の断片が生まれ、回転。そしてお好きな調味料で食べます。重力に抗ってすくわれ、粘膜の蠕動にさらわれる。きれいに消化後、色が変わって便になる。見ます。臭います。いい加減なところで流します。単純ですね。してみて下さい。社交辞令の調べますで脳をパンクさせるよりも、2、3分の作業ですから。消化の時間経過も専門書どおりか気にしてね。この平凡な過程を大切に観察すれば、お持ちの蔵書よりも得るものがあります!必要な日常活動への科学的観察の実践。脳も疲れずに、栄養補給にもなる。賢い。気付かされることだらけ。誰も強制しない。著者の文脈に拘束されもしない。私はあなたに無理やり酒や薬を飲ませる気にはなりません。どの本も脳内麻薬を誘発する薬物です。ほどほどに。心配になるような文面ですよ。観念は宗教ぐらいにされては。宗教もそうかもしれませんが、自然科学は知識じゃないと思いますよ。いくらでも現物の対象があるのだから。活字離れのススメですかね(笑)実験室外の現実は複雑で楽しいですよ。それを素直に受け入れれたらそれが正しいのです。生きている人間の周りに、せっかく現実が広がっているのだから、野生的に、観念的な解釈を排除した方が正確だと思います。事実だけです。神や性格や欲情は観念です。原子で優しさを構成できませんよ。出来ない方がいいんじゃないでしょうかね。 (No.5) >「 次にそれらの個体が「繁殖後」であったと仮定します。数字はどうでも良いですけど、とりあえず4頭の子供を作ったとしましょう。  死ぬ間際に快楽死遺伝子を持つ個体は楽に死ねますが、持たない個体は苦しんで死ぬでしょう。  でも、それぞれの個体が残した子孫数は同じです。共に4頭ですから。 >つまり、この「快楽死遺伝子」は、繁殖的な有利さには関係ない、ということになります。  繁殖的な有利さに無関係なら、この遺伝子は突然変異によって集団内に出現したとしても、集団内に固定されることはないでしょう。つまりその集団の大半の個体がその遺伝子を持つような状態には、どれだけ世代数を経てもならない、ということです。 >というわけで、「快楽死遺伝子」は進化の過程で獲得した、という推測はどうやら誤りらしい、という結論が妥当なように思えます。つまりそもそも「快楽死遺伝子」なるものは存在しない、と言っても良いですね。」 これに対して引用好きの質問者さんのお礼が何故か、例外的に、結論の文だけ引用。引用すべき時、引用していない。 上記の説明が詭弁であるという論理的説明。 問題文。aX=bYと言うのは妥当か。 回答。 X=4n, Y=4nとおく。 X=Y 両辺をF倍する。 FX=FY=4Fn ゆえに X=Y つまりaX=bYと言うのが妥当である。 つまりX=0 である。 以上、証明終わり。完璧! 採点は、 零点です。p.s.他にも間違いがあります。 考察。 「どうでもよくない一番大事」→「どうでも良い」 「自分が論理を知らない」→「相手が論理的説明をしない」 「自分から干渉」→「干渉された」 他についても説明しましょうか。 ただ、たけし、つまり芸能人やTVは影響力がありますね。理科教育がとかマスコミが嘆いてみても、本人が支離滅裂ですからね。教えている場合ではありませんね。共に勉強しましょう。活字離れです。現実を物質的に認めて、最小限の知識で拡張させずに分析です。現実(物質)より知識(観念)を取ったら自然科学としてはダメですね。DNA遺伝子は塩基配列です。

noname#142902
質問者

お礼

自然科学はあくまでも機械論を前提にするというのは勉強になりました。科学宗教は非機械論ということも勉強になりました。自然科学は情などを入れずに、単純に数学的に機械的に考えると、いうことですね。有難うございます。 <質問者さんは相当な勉強家だと思っています。以前、回答者の立場で、 <医学書の出版社に問い合わせまでなさいませんでしたか。 <その質問と回答者を忘れてしまったのですが、たぶんあなたのような気がするのです。 私です。よく昔の回答まで覚えていましたね……。SIADHの機構のルービン病理学の表記が違っていた旨を医学書院へ問い合わせました。SIADHは医学的に見れば非常にマニアックな病態ですので間違っていたのでしょう。他にも私は医学大事典、看護大事典、ハリソン内科学、カプラン臨床精神医学、ギャノング生理学、標準生理学、ルービン病理学、カッツング薬理学、オックスフォード現代英英辞典、ロングマン現代英英辞典を筆頭とする多くの他の本の間違いも訂正していることを付け加えておきます。自慢で本当に申し訳ないのですが。ただ、謙虚さを忘れずに学習を続けていく次第です。嫌な思いをした方がいたら誠にすみませんでした。 <私はb-w-stepさんよりも、生物学・医学について、早い時期から長い時間、 <考えてきたかも知れませんが、学術書を買うなど、学問に金を使うという点では、あなたの方が、 <数十倍、優れています。私はそういう人を本当に尊敬しています。社交辞令ではありません。 褒めていただいて本当に嬉しく思います。有難うございます。あなたこそこのような場で相手をしっかりと褒められるというのは素晴らしい人間だと思います。 <動物学者および心理学者の一般書は買わない方がいいです。 一般書は信頼性に欠けるので買わない主義です。特に医学系は名前を売りたいが為に怪しい本も多いです。今の酵素の効果の強調も非常に怪しいと思っています。人体は様々な事柄の集大成です。酵素だけに着目しても木を見て森を見ずです。フッ素を使っても虫歯は防げないとカッツング薬理学に書いてありました。フコイダンに癌を防ぐ作用があるというのは医学大事典ですら全く載っていません。牛乳を飲みすぎればコレステロールが上がると看護大事典に書いてあります。医学では怪しい事柄が非常に多いからこそ少しでも信頼のおける本で学びたいと思います。特にハリソン内科学など医学部生が使う本ならまず信頼できます。東大や京大や自治医大の教授も執筆しているのですから。 <あなたの蔵書は1万ドルぐらいになる?その数字だけでも朦朧とします。 ブックオフなどの古本屋を上手に利用しているのでお金はそれほど使っていません。原価で6000円位の本を105円で買ったことも何度もあります。10050円の本を105円で買ったこともあります。確かに原価で全て買ったら1万ドル位はいくかもしれません。実際はその5分の1から10分の1位しか投資していませんが。本当に古本屋は有難いです。食べるものを節約、服は買わず、テレビは見ず、外食せず、酒は飲まず、煙草も吸わず、といった日々を過ごしております。 <私は金儲けではない勉強家を尊敬します。 有難うございます。逆に私は素直に尊敬するという言葉を使えるあなたを尊敬します。 <勉強は本に限らない。 そうですね。本以外からも学ぶべき部分が沢山あること。最近は見落としていました。書を捨て街へ出ろという名言を思い出しました。本以外からの学習も積極的に取り入れて生きていきます。 回答NO.5では快楽遺伝子を持った個体とその子供の数しか見ていないと言えます。純粋に子供だけを残す観点ではなく、その子供を育てられたか否か。そこまで考察しなければ快楽遺伝子が広まるかどうかは分かりません。どのような遺伝子を持っていても純粋に子供を残すだけならいくらでも出来ます。その後、何体を生殖可能な状態まで育てたか。子供だけでなく孫世代の数はどれ程の数になったか。その考察が足りません。よって回答NO.5は考察としては不十分ではないでしょうか。 自然科学は知識よりも現実を見ること。つまり本よりも現実を見ることが大事というのはとても勉強になりました。学びとは活字だけではない。この学びの原点に気付かせてくださって有難うございました。

  • mrsamama
  • ベストアンサー率41% (35/84)
回答No.7

ちょっと時間が経ってしまっていますけど…。 たけしの本は読んでないし、質問者さんの補足もちょっと多すぎて全部は読んでないです。 で、まず「幸福ホルモン」という名前が、いかにもイメージだけのいーかげんなコトバ、 と思ってしまいますが、それは「オピオイド」という物質のことでしょう。 知ってか知らずか、そういう物質の存在だけは言い当てた、ということかな? オピオイドはウィキとかで調べられるから、詳しくは書きません。 (エンドルフィン・ダイノルフィンなどの名前でも載ってます。 が、誤解や勝手な解釈も多いので、ご注意ください) ランナーズハイや多くの臨死体験の原因物質(真犯人?)です。 体内で生産される「内因性モルヒネ様物質」と言って、 主に痛みをブロックすること、意識をトリップさせることをやります。 簡単には分泌されませんので、脳の管理下で本当の「イザというとき」だけです。 質問者さんの「なぜ?」に対し、「どうして、オピオイドというものが存在するのか」 ということには、答えられます。 ライオンに捕食されるシマウマなどを見ると、棒立ちになって忘我状態、 つまり防御反射もしなければ、噛まれて暴れたりもしない。 ―――なんで?  と思います。 地球という閉鎖環境の中で、互いに食物連鎖を回さなければ、 地球生命は途絶えてしまう。 生物が高等になればなるほど、被食には苦しみが伴いますよね。 シマウマの場合、群れを守るための犠牲を自らが判断するわけです。 だから、逃げている群れから、一頭だけがスピードダウンして捕まりますよね。 覚悟していたって、痛いものは痛い。 そういうときに脳がオピオイドを出すのだと思います。 トリップしてしまって、痛みも感じない。暴れれば苦しみが長引くけど、一番辛くない死に方。 がん患者には、最後まで痛みに苦しむ人と、最後に穏やかになる人がいて、 その違いをターミナル医療の現場の知人に聞いたら、 「不安が強い人は、最後まで痛むようだ」と言っていました。 恐らくオピオイドは、避けられない痛み「出産」にも関わると思いますが、 がんと戦おうとする人は、襲われて抗って暴れるシマウマと同様、戦おうとします。 ハイになるよりも苦しむ方を選んでしまうわけです。 「戦おう」とする以上、痛みを感じていなければモチベーションが続かない。 諦めて受け容れた人、戦うのをやめて共存を選んだ人が苦しまないのは、 その時点でオピオイドが出てくるからだと思います。 人間は死ぬことが劇的で、悲しくて、絶望で、もう全てオシマイ、と思うけど、 虫が、植物が、動物が常に死んでいることを見れば、 生物界で死ぬことというのは、当たり前のこと、誰かに食べ物を提供する義務です。 高等動物が「苦しみ」を知ることによって、 摂理を受け容れるための方策が必要になった、だからオピオイド。 心や意識、または感情を持つような高等生物は、「苦しみ」を知ってしまった、 だからオピオイドが必要になった。ということです。 臨死体験のレポートなどを読むと、「なんだ、オピオイドじゃんか」と思える話が圧倒的で、 被食・病気・ケガなど原則的に死ぬのは苦しみが伴うのが基本なので、そこを救うもの。 ランナーズハイはあまり実際の報告がありませんが、 軍隊の行軍とか、限界を超えてしまったときに、死に片足突っ込んだからなるのでしょうね。 こういう意味では、子孫にも機能として残していく必要があります。 こういう「救い」を差し伸べてくれた神様という存在の「人となり」が偲ばれるじゃないですか。

noname#142902
質問者

お礼

<ちょっと時間が経ってしまっていますけど…。 それでも書いてくださって有難うございます。 オピオイド、脳内モルヒネというのは存在は知っていましたが、幸福ホルモンとは結びついていませんでした。幸福ホルモンはオピオイドだったというのは初めて知りました。 しかも簡単には分泌されないというのも知りませんでした。恐らく、死ぬとき位にしか分泌されないのでしょう。分泌される時には既に死が目前にある、と。出産ですら分泌されないのは驚きです。 苦しみを知ったからオピオイドが必要である。と、ありますが、本来なら不必要な気もします。純粋に子孫を残すためならば。そう考えると <こういう「救い」を差し伸べてくれた神様という存在の「人となり」が偲ばれるじゃないですか。 そういうこととは知りませんでした。本当に有難うございました。一応、手元の医学大事典を見て確認しておきます。神様の人となりは確かに偲ばれますね。

noname#142902
質問者

補足

補足欄ですみません。 今、手元のハリソン内科学でオピオイドについて調べました。医学大事典ではあまり詳しく載っていませんでした。 人間は骨折程度の身体的苦痛でも内因性オピオイドであるエンケファリン、エンドルフィンを放出するそうです。よって死ぬ時のような苦しみで放出される内因性オピオイドは身体的苦痛を緩和する機構の作動の結果と考えられます。また、身体的苦痛を和らげることによってストレスも減らし、生物の子孫をより残しやすくすると思われます。身体的苦痛を和らげるという機構は神様が与えてくれた慈悲ではなく、子孫を残す為に必要な機構だったという気がしてきました。 ただ、私も親族を看取ったときにあなたと同じことを感じました。最期まで戦おうとする人は意外と苦しみます。逆に死を受け入れた人は管が繋がっていたり、呼吸器をつけていたり、スパゲッティ症候群になっていたりしてさえ全く苦しまずに穏やかです。苦しむどころかむしろ最期には感謝の言葉を言って、幸せな顔をして死んでいくのを私は知っています。身体的には相当に苦しいはずなのに……。これは生きるという執念が無くなった、という文句だけでは説明がつきません。生きる執着が無くなっても生物は身体的苦痛をそれほど減らせるわけではないからです。たとえば自殺者でも死ぬときはいたいはずです。 『無駄な苦しみを省く』という機能は生物にはある気もします。上述の骨折時の身体的苦痛は省かねばいけない苦痛です。その時の内因性オピオイドは生きるために必要です。このとき、生物は生きたいと望んでいます。普通、内因性オピオイドは生きたいと望む際に出現します。つまり生きるための内因性オピオイドです。 しかし自分の死を受け入れた時にも内因性オピオイドは出現します。この受容した上での内因性オピオイドは死を目前にしたとき以外は出現しないはずです。と、いうよりも自分の破滅を前提にした時の内因性オピオイドは生物が子孫を繁栄させる上では必要ありません。『全てを受け入れた』時に無駄な苦しみが無くなること。これは生物には確実にあります。ただ単に生きるためではなく、楽に死ぬことが出来るような機能はあるのではないでしょうか。 親類の死を思い出しました。そして、その死で得られたものを今回の質問で使わなかったことに気付きました。 ただ、私の論理も完璧ではありません。何度も回答してくださっているお二人方にも更に教えて頂けると幸いに思います。裸の王様にならずにすむようにも。 繰り返しますが、本当に有難うございました。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.6

>「ビートたけしの前提自体が間違っている可能性は非常に高そうです。」 彼も、もみくちゃですね(笑) それとは別に、 いろいろとあるのですが、 動物学の専門家である先生の意見は、 No.4で挙げてある、たけしの発言、 「死ぬくらい、ものすごいく気持ちいいんだろね」が、 正解ということですか(笑) 質問者さんは馬鹿に、快楽遺伝子の否定に、おっしゃるとおりを連発されていますが、 考えずに同意しているのなら、訂正して、分かりませんの方が、サイト的にも、人間的にも正しいですよ。専門知識は要らないでしょう。論理の問題ですよ。辻褄とか、それだけでそう言えるのかとか。そこまでは含まれないとか。 ><「快楽死遺伝子」は進化の過程で獲得した、という推測はどうやら誤りらしい 仰るとおりです。 ><現時点では「快楽死遺伝子など存在しない」という結論を選択した方が妥当である気がします。 仰るとおりです。……[1] [1]仰るとおりとおっしゃられていますが、説明できますか?どういうことですか?私はまったく納得できませんが、仰るとおりという人の方は、説明ができるでしょう。 「存在しない」というその論理に誤りが、たくさんあるのですが、 私の回答には納得されにくいようなので(笑)、思案の末、いいと思ってした説明に、簡単な返しで処理済みにされても、かないませんから。説明は丁寧な方と思いますよ。どれだけ解決したい疑問か、という切実さもありますね。 言葉として分かりやすい命題を一つ。 「繁殖の有利さに関係しない遺伝子」は残らないのですか。また賢くさせたかな(笑) これ、進化論で「一番」大事なところと言ってもいいです。それを無視して、仰るとおりなんでしょ。邪魔な私がいなければそれまでですよね。 邪魔は悪魔よりはいいと思いませんか(笑) 宗教の教義内の非現実的な嘘は、決して悪くはないのですが、宗教好きそうな質問者さんは、嘘でまとまるのがお好きですか? 閑話休題ですけども、 ハングアップ、ハングアップ、と何だか分からないカタカナを連呼していますが、そんな話をアップしないで欲しいですね。 もともと、そういう話じゃないですよ。質問者さん、頼みますよ。質問者さんからして、質問をすり替えてしまっていませんか。 意識を失う話に質問を変更するならば、既出の回答者さん方に失礼ですよ。私もそのつもりで回答したのですが、いつのまにやら。 結局、 意識を失わないようにする仕組みを説明してくれた、他の回答者も同意見ですが、 No.2さんの回答はどうなるのですか。そのお礼の時点ではNo.3までの回答だけだったのですがね。既出回答は参考になると思うのですが、読んで、本当に、考えましたか。おっしゃるとおり[1]なら、No.2その他が違うという事になると思いますが。そういう理解で宜しいですか。 酔わされやすい性格なのですかね。しっかりして下さい。 余談ですが、たけしは明治で、東京芸大の大学院教授だそうですよ。質問者さんは理系なのですかね。なんか、回答の仕方も考えないといけない気がします。 理系じゃないから間違えても仕方ないという間違いじゃないですよ。学歴の話ではなく、本題の論理について。

noname#142902
質問者

お礼

<動物学の専門家である先生の意見は、 動物学の専門家とは私のことですか? 私が専門家を名乗るのはおこがましいでしょう。あなたの方が私よりも上回っているはずです。 <質問者さんは馬鹿に、快楽遺伝子の否定に、おっしゃるとおりを連発されていますが、 <考えずに同意しているのなら、訂正して、分かりませんの方が、サイト的にも、 <人間的にも正しいですよ。専門知識は要らないでしょう。論理の問題ですよ。 <辻褄とか、それだけでそう言えるのかとか。そこまでは含まれないとか。 仰るとおりというのをしっかりと考えないで連発していたのは私の間違いでした。私の間違いを指摘してくださって有難うございました。分かりませんと書くとあなた方にとって負担になるかと思って遠慮していたのです。 <仰るとおりとおっしゃられていますが、説明できますか?どういうことですか? <私はまったく納得できませんが、仰るとおりという人の方は、説明ができるでしょう。 『仰るとおり』という文句は仕組みを説明できる状態で使うものであるというのは考えたことがありませんでした。わざわざ理由まであげて間違っていることを説明してくださって有難うございます。 <私の回答には納得されにくいようなので(笑) このあたりは私も手落ちがあったはずです。そういう不平等な態度は改めないといけませんね。 <思案の末、いいと思ってした説明に、簡単な返しで処理済みにされても、かないませんから。 <説明は丁寧な方と思いますよ。どれだけ解決したい疑問か、という切実さもありますね。 思案してもらったのに簡単な返しをすること。それが良くないことでもあると教えてくださって有難うございます。 言葉として分かりやすい命題を一つ。 <「繁殖の有利さに関係しない遺伝子」は残らないのですか。また賢くさせたかな(笑) これは分かりません。また調べてみます。 <これ、進化論で「一番」大事なところと言ってもいいです。それを無視して、仰るとおりなんでしょ。<邪魔な私がいなければそれまでですよね。 邪魔ではありません。むしろ私に対して貴重な意見を書いてくださる大切な方と思っています。 <邪魔は悪魔よりはいいと思いませんか(笑) <宗教の教義内の非現実的な嘘は、決して悪くはないのですが、宗教好きそうな質問者さんは、 <嘘でまとまるのがお好きですか? 確かに私は宗教好きですが、嘘でまとめていた過去の自分を見直したいとは思っています。ただ、あまり分かりませんを連呼するとあなたに負担がかかるのでは、と遠慮していたのです。 <もともと、そういう話じゃないですよ。質問者さん、頼みますよ。質問者さんからして、 <質問をすり替えてしまっていませんか。 そうかもしれませんね。 <意識を失う話に質問を変更するならば、既出の回答者さん方に失礼ですよ。 <私もそのつもりで回答したのですが、いつのまにやら。 叱ってくださってありがとうございます。 <意識を失わないようにする仕組みを説明してくれた、他の回答者も同意見ですが、 <No.2さんの回答はどうなるのですか。そのお礼の時点ではNo.3までの回答だけだったのですがね。既<出回答は参考になると思うのですが、読んで、本当に、考えましたか。おっしゃるとおり[1]なら、<No.2その他が違うという事になると思いますが。そういう理解で宜しいですか。 <酔わされやすい性格なのですかね。しっかりして下さい。 いえ、実は今は猛勉強中で頭が朦朧としているのです。それでお礼や回答に集中出来ていない面があります。すみません。 <余談ですが、たけしは明治で、東京芸大の大学院教授だそうですよ。質問者さんは理系なのですかね。<なんか、回答の仕方も考えないといけない気がします。 私は理系でも文系でも無いと思います。むしろその様な先入観をなくして学んでいくべきと思っています。 <理系じゃないから間違えても仕方ないという間違いじゃないですよ。 <学歴の話ではなく、本題の論理について。 理系でも文系でも間違えばあれば改めるのが正しいのです。もう一度他の回答も読み直してきます。 今回も普通なら書きづらい厳しい意見をあえて書いてくださって本当に有難うございました。その叱咤激励を非常に嬉しく思います。

noname#160718
noname#160718
回答No.5

 まずビートたけしの「食われる直前の動物が最後には気持ちよさそうな顔になっている」というのは、彼の主観なので本当に「死ぬ直前に苦痛が消失あるいは減少している」のかどうかは判りません。  完全に主観なので、別にその動物は気持ちよさそうな顔すらしていなかったのかもしれませんし、「こと切れた」時の顔(全ての筋肉が弛緩するので"惚けたような幸せそうな顔"に見えなくもない)をそう見たのかもしれません。  なのでひとまず、この件は「動物が苦しまずに死ねる機能を持っている」証拠としては保留したいです。  鮭の"幸福ホルモン"についてはよく知りません。まあそもそも「幸福ホルモン」などというベタなネーミングはどうかとは思うますが、脳内麻薬の一種のようなものなんでしょうか?  ま、もし仮に「快感を感じる神経伝達物質」が分泌されるのが事実だとしても、それは産卵や射精に対する"報酬"じゃないですかね?採食にしても繁殖行動にしても、生命の維持や生殖に必要な行動には、必ずそれなりの「報酬」が付随するものでしょう。  動物は「子孫を残すために生殖行為をしよう」なんて考えているわけではありません。我々人間ですら、目先の生理的快感のために生殖行為をするのがノーマルな状態ですよね。ヒトだけは生殖行為と妊娠の因果関係を知っているので、「子作りをしよう」と意識して生殖行為をする場合がありすまが、そんなの「ヒトが営んでいる生殖行為」の中ではレアケースと言って良いでしょう。普通は「快楽のため」にしていますよね。  仮にも中枢神経系を持つ生物であれば、生殖行為の報酬として彼らは彼らなりの「生理的快感」は得ていると考えるのが妥当でしょうね。  なので、「幸福ホルモン」という如何にも怪しげなネーミングはともかくとして、もし仮に鮭が死の間際に「快楽」を感じているとしても、それは「死を迎えるため」ではなく「生殖行為の報酬」ではないのか?という疑いは現時点では否定できません。  なのでこれも保留。  飛び降りた際に着地前に意識を失っていることが多いという点については、これは単に「処理不可能かつ過大な恐怖や苦痛を入力されたことに対する中枢神経系のハングアップ」なのでは?という可能性があるのでは。  コンピューターが過大な処理をする際にはしばしばハングアップする、あれと同様の現象です。脳だって「回路」ですから、解決方法が見つからない、過大な恐怖や苦痛を与えられた場合は、全停止してしまうのが「進化の過程で獲得した機能」というよりはむしろ「そうなるのが当然だろう」という気がします。  まあそれは私の想像なのでさておいて。  「楽に死ぬための機能」というのが仮に存在するとして(それを適当に「快楽死遺伝子」とネーミングしてみた)、それが「進化の過程で集団内に広がっていくか」ということを理屈で考えてみましょうか。  その動物が「繁殖前」であったならば、「快楽死遺伝子」(このネーミングのセンスもあれですが)を持つ個体が「繁殖的に有利になるか?」と考えると、快楽死遺伝子を持とうが持つまいが、その個体が残す子孫の数はゼロです。つまりこの遺伝子は次世代に伝わることがありません。  次にそれらの個体が「繁殖後」であったと仮定します。数字はどうでも良いですけど、とりあえず4頭の子供を作ったとしましょう。  死ぬ間際に快楽死遺伝子を持つ個体は楽に死ねますが、持たない個体は苦しんで死ぬでしょう。  でも、それぞれの個体が残した子孫数は同じです。共に4頭ですから。  つまり、この「快楽死遺伝子」は、繁殖的な有利さには関係ない、ということになります。  繁殖的な有利さに無関係なら、この遺伝子は突然変異によって集団内に出現したとしても、集団内に固定されることはないでしょう。つまりその集団の大半の個体がその遺伝子を持つような状態には、どれだけ世代数を経てもならない、ということです。  というわけで、「快楽死遺伝子」は進化の過程で獲得した、という推測はどうやら誤りらしい、という結論が妥当なように思えます。つまりそもそも「快楽死遺伝子」なるものは存在しない、と言っても良いですね。  ま、もし仮に確かに「快楽死遺伝子」が存在するとすれば、例えばそれがほ乳類全般にあるとすれば、あるいは脊椎動物全般にあるとすれば、それぞれの共通祖先(ほ乳類の共通祖先か、あるいはもっと時代を遡って脊椎動物の共通祖先)の個体数がまだ少数だった時期に、偶然突然変異で生じた「快楽死遺伝子」が遺伝的浮動(つまり偶然)によって集団内に定着したので、それから進化した全ての脊椎動物あるいはほ乳類が(陸生脊椎動物とか爬虫類とか、まあ区切りはどこでも良いですが)快楽死遺伝子を持っている、というシナリオでしようか。  でも、これはあり得ないとはいいませんが、いささか「ご都合主義」のような感じもしますよね。  ですからまあ、現時点では「快楽死遺伝子など存在しない」という結論を選択した方が妥当である気がします。  死を前提にしない、「オーバーワークによるハングアップ」が進化的にどうかといえば、「激しい苦痛や恐怖を感じた際はハングアップ(意識を失う)した方が生存的に有利」というのは、どうなのかなぁ・・・?と思います。意識を失うことで助かる場合もありそうに思えますが、意識を保っていた方が助かる場合も同様にあると思うのですが?  逆に考えることもできそうですよ。  つまり、遙か昔は「ハングアップする閾値」はもっと低かった。もっと軽い苦痛や恐怖でハングアップしていたのが、閾値を高めた方が生存的に有利であるため、徐々に閾値を高くなるように進化が進み、ついに「これ以上の苦痛は高い確率で死が待っているだけなので、これ以上閾値を高めても進化的に有利でも不利でもなくなってしまった」域まで、閾値が高くなったのが現生の人類やある種のほ乳類である、という「仮説」です。それは見方によっては「快楽死遺伝子」のように見えてしまうわけです。  今思いついたのですが、なんとなく見込みがありそうな気がします。  まあ、確認するのは極めて難しそうですけどね。とりあえず現生のいろいろな動物(それこそ魚類からほ乳類に至るまで)の「ハングアップする苦痛の閾値」を測定する実験が必要になりそうですが、「苦痛の量」を定量化するのは絶望的なほど難しそうな気がします。ほ乳類だけならなんとかなるかもしれませんが、爬虫類や魚類になるとほぼ絶望的な気が。  それにそもそも、そんな動物実験は倫理的にできそうにありませんし、したくもありませんし。

noname#142902
質問者

お礼

<「動物が苦しまずに死ねる機能を持っている」証拠としては保留したいです。 ビートたけしの前提自体が間違っている可能性は非常に高そうです。 <もし仮に鮭が死の間際に「快楽」を感じているとしても、それは「死を迎えるため」ではなく <「生殖行為の報酬」ではないのか?という疑いは現時点では否定できません。 <なのでこれも保留。 成る程。 <飛び降りた際に着地前に意識を失っていることが多いという点については、 <これは単に「処理不可能かつ過大な恐怖や苦痛を入力されたことに対する中枢神経系のハングアップ」<なのでは?という可能性があるのでは。 仰るとおりです。鋭いです。 <つまり、この「快楽死遺伝子」は、繁殖的な有利さには関係ない、ということになります。 仰るとおりです。 <「快楽死遺伝子」は進化の過程で獲得した、という推測はどうやら誤りらしい 仰るとおりです。 <現時点では「快楽死遺伝子など存在しない」という結論を選択した方が妥当である気がします。 仰るとおりです。 <死を前提にしない、「オーバーワークによるハングアップ」が進化的にどうかといえば、「激しい苦痛<や恐怖を感じた際はハングアップ(意識を失う)した方が生存的に有利」というのは、どうなのかな <ぁ・・・?と思います。意識を失うことで助かる場合もありそうに思えますが、意識を保っていた方が<助かる場合も同様にあると思うのですが? 生存に有利だからハングアップが生まれたのではないでしょう。 また、ウサギあたりはクマに襲われるとハングアップするという話も聞いたことがあります。ただ、ハングアップの閾値が低いならば、簡単に死んでしまって子孫は残らないでしょう。そう考えるならば、ハングアップの閾値は生物では相当高いはずです。 仰るとおり、苦しまずに死ねる機能を持っているという前提自体が間違いでしょう。色々と教えてくださって有難うございました。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.4

彼の本は読んでいませんが、サケの産卵・死についてコメントした場面をテレビを見ました。分かりませんが、本より先のような気がします。 「幸福ホルモンが出て死ぬ」という内容のVTR後、何を言うかと、視聴者はコメントに注目する、まさに大衆に餌付けの瞬間ですが、(不正確ですが)「死ぬくらい、ものすごいく気持ちいいんだろね」 あああ、でした。この影響を受ける人がたくさんでてくるとも思いました。それからだいぶ経って、このご質問です。それこそ鮭が昔の川に戻るように。 本も出ていたのですね。 No.2さんの回答は、ご自身で考えた結論でしょう。参考になったを押しました。今回に限らず、機械論に徹するのが近代科学の大原則です。機械論の道をふみはずさないことの大切さの再確認でしたね。科学に文学は要りません。自分の利益を第一に考えるような原則の人は、まったく科学者に向きません。機械論ですから。 たけしは大学は機械系じゃなかったかな。今はどっかの名誉教授ですかね。さみしい出世です。 ご質問は、単純に疑問に思って、とのこと、科学知識の要求でもあるのでしょうが、b-w-stepさんお得意の根本批判が必須でしょう。 「苦しまずに死ねる機能」については、回答2のとおりだと思います。科学的文学の中から「死ねる」を分離。抱き合わせをしないこと、あれば分解するのが、近代科学です。三島のような近代文学は抱き合わせする方です。生粋の科学者は、遺伝子というせっかく単純にできている物質に、わざわざ高等な精神を抱き合せるような科学的純文学を、嫌います。科学的に素直じゃないからです。性格が遺伝子的に遺伝するという文学は、水と油どころか、物と文を一体にしてしまうセンスの無さです。科学にも宗教にも劣る、科学宗教です。この科学宗教が知識と肩が書きばかりを誇る現代人の新しい宗教になっていると思いますね。本人無自覚の信者がたくさんいます。私は宗教を信じないという変な信者です。矛盾していますね。非宗教を強調する立場で「科学」を語りながら実は宗教よりも現実離れしている。煮ても焼いても食えない矛盾の塊です。今回の幸福ホルモンもそうです。鮭に幸福は要りません。 あらゆる精神活動において、特に専門家には、素直な矛盾を感じる心が、専門知識の使用よりも大切です。質問者は矛盾を感じて質問をします。それに対して分かっていないな、矛盾していないぞと回答するのは、筋が通っていても、鼻から間違いの、単なる科学的コジツケであることが非常に多いです。真実、矛盾に感じた科学はそのままではやはり矛盾はしているのです。No.2さんがされたように、意図的科学宗教の作為的部分を切って捨てれば、正統な自然科学になります。矛盾は文脈の中にあったということです。この矛盾もまた動物生物学者由来の文脈ですね。科学論理と死生観をコラボさせるのは創作活動です。しかも悪趣味ですよ。そんな面白さの必要性すらなのに。 今回は何よりもまず、雌雄の鮭で、その幸福ホルモンなる物質が、どのくらい出ているのかを、ちゃんと調べたのか、です。相当出るだろうなんて推測からの結論ならば、それを元に議論を始めても、現実の研究になりません。幸福ホルモンがテーマの創作活動です。 死因ですが、幸福ホルモンによる安楽死ではなく、感染症・臓器不全などによる「病死」です。果して、産卵後、実際、どれくらいたって死んでいるかです。すぐ死ぬと決めて込んではいけません。死に様も、現実の枠内で評価しないと、進化"論"同様、創作科学の脚本になります。すぐ死ぬ個体はタイミングに関しては、もっとも合理的に繁殖したという評価は成り立ちますが、それが全てではありませんね。 人間以外の動物の中にまで、幸福なる概念を期待する無節操は、もはや自然科学ではなく、わくわく動物宗教です。宗教が看板から宗教なら正当です。科学宗教が、違うのです。その信者が科学者の真似事を本職にするのは悪行です。 「ちょおー気持ちよかったー」鮭が幸福を感じることないですよ。鮭に情がありますか。情は常に観測者の中です。あどけなさなんて心理の成立もそれで十分です。 進化論というおとぎ話の中で、物語の辻褄を合せるのは、本質的に簡単です。ただ、創造力の足りない受け売り科学者たちは、この程度の筋書きにも、甘美な感動を覚えるのですね。それで、一般的な宗教であってはいけない学問としての科学を、無自覚のうちに、信仰の対象にしているのです。科学批判を許さないのでは、宗教以下の失態です。宗教ではないと思っているのだから、タチが悪いです。 今回の「安楽死」の絶対条件は、繁殖後であることです。その線引きを細くして、もう一度、考えてみて下さい。進化"論"上、どう価値を見出せるのか。もちろん描く絵は、その線なんか無視して塗り広げてもいいのです。質問にある「単純に思った疑問」は、単純にその線を道路の停止線とした場合ですよね。b-w-stepさんの言葉を借りれば、悪魔の引いた線に、野生が支配されたのです。現実には線すらないのに。

noname#142902
質問者

お礼

<機械論に徹するのが近代科学の大原則です。 有難うございます。勉強になりました。ただし機械論が優れているかどうかの厳密な勘案は必要かと。 <たけしは大学は機械系じゃなかったかな。今はどっかの名誉教授ですかね。さみしい出世です。 中央大学工学部だそうです。ただし中退したそうです。最近、特別扱いとして中央大学から学位が与えられたそうですが。 <ご質問は、単純に疑問に思って、とのこと、科学知識の要求でもあるのでしょうが、 <b-w-stepさんお得意の根本批判が必須でしょう。 仰るとおりです。批判というよりは筋を通して納得したいと考えています。 <この科学宗教が知識と肩が書きばかりを誇る現代人の新しい宗教になっていると思いますね。 <本人無自覚の信者がたくさんいます。 仰るとおりです。素晴らしいくだりです。 <今回の幸福ホルモンもそうです。鮭に幸福は要りません。 そもそもこのあたりの私の認識が間違っていた気がします。実際に幸福ホルモンが出るのかどうか。たけしの言葉に踊らされていないかどうか。そのあたりをしっかりと吟味していませんでした。 <特に専門家には、素直な矛盾を感じる心が、専門知識の使用よりも大切です。 これは知りませんでした。 <質問者は矛盾を感じて質問をします。それに対して分かっていないな、 <矛盾していないぞと回答するのは、筋が通っていても、鼻から間違いの、 <単なる科学的コジツケであることが非常に多いです。 本当に優れた理論なら誰もが納得するはずです。 <科学論理と死生観をコラボさせるのは創作活動です。しかも悪趣味ですよ。 <そんな面白さの必要性すらなのに。 仰るとおりでしょう。ただ、面白いだけが学問ではなく、一見、無意味で無駄なものも役に立つときがくると思います。そういう可能性を捨て去るのは私はしたくないと考えています。 <今回は何よりもまず、雌雄の鮭で、その幸福ホルモンなる物質が、どのくらい出ているのかを、 <ちゃんと調べたのか、です。相当出るだろうなんて推測からの結論ならば、 <それを元に議論を始めても、現実の研究になりません。幸福ホルモンがテーマの創作活動です。 科学的な態度が欠如していました。すみませんでした。 <死因ですが、幸福ホルモンによる安楽死ではなく、感染症・臓器不全などによる「病死」です。 <果して、産卵後、実際、どれくらいたって死んでいるかです。すぐ死ぬと決めて込んではいけません。 そこまで考えたことがありませんでした。もっと調べてみます。 <人間以外の動物の中にまで、幸福なる概念を期待する無節操は、もはや自然科学ではなく、 <わくわく動物宗教です。宗教が看板から宗教なら正当です。科学宗教が、違うのです。 <その信者が科学者の真似事を本職にするのは悪行です。 仰るとおりです。素晴らしい回答です。このあたりは。ただ幸福が他の動物に無いのなら、納得いく説明が誰にでも出来るはずだと考えています。本当に素晴らしい理論なら誰でも納得する。私はその前提に立って学んでいます。たとえば動物に幸福が存在しない。それは自然科学ではない。それでは誰もが納得するとは思えないのです。もし幸福が他の動物に存在しないのならその根拠、理由、背景なども丁寧に説明したいのです。そのあたりを固めたいと思って質問しています。 <「ちょおー気持ちよかったー」鮭が幸福を感じることないですよ。鮭に情がありますか。 <情は常に観測者の中です。あどけなさなんて心理の成立もそれで十分です。 それは……証明できるのでしょうか。厳密に証明できるか。一般論や常識で答えを決めてしまっては地動説は生まれませんでした。一般論や常識で物事を決めるのは良くないと考えます。私は犬や猫や蝶あたりには情が存在すると考えています。犬は飼い主が落ち込むと慰めてくれます。猫も優しい人間に擦り寄ってきます。蝶も人間の体に何回も止まることがあります。私が重病で死にそうな時、なぜか家の前の電線に鳩の群れがとまりました。このあたりを勘案するにやはり動物にも幸福などの感情があると考えてしまいます。また、もし鮭に情が無いとしたら、何故進化後の私たちには情があるのでしょうか。情は進化のどこで手に入れたのでしょうか。 <進化論というおとぎ話の中で、物語の辻褄を合せるのは、本質的に簡単です。 <ただ、創造力の足りない受け売り科学者たちは、この程度の筋書きにも、 <甘美な感動を覚えるのですね。それで、一般的な宗教であってはいけない学問としての科学を、 <無自覚のうちに、信仰の対象にしているのです。科学批判を許さないのでは、宗教以下の失態です。 <宗教ではないと思っているのだから、タチが悪いです。 勉強になりました。有難うございました。ただ、私は進化論が御伽噺という考えはあまり知りません。これから調べてみます。 色々と有難うございました。とても勉強になりました。

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    生物を構成する個々の小さい部品が突然変異と自然淘汰の積み重ねで進化できるのは、わかるような気がしますが、多数の部品が統合されて、全体がシステムとして働いているようなものは、進化論ではどのような説明が可能なのでしょうか? たとえば、「目でモノを見る働き」などが、進化の結果として実現されるためには、眼球のレンズ、レンズを動かす筋肉、網膜、視神経、視覚像を処理するための脳細胞、涙腺、瞼の条件反射などなど、ものすごく多くの部分が全体として調和されて進化して初めて可能だと思います。 しかし、これらのシステムを構成する個々の部品は、それぞれ、別の遺伝子が管理しているでのではないのでしょうか?もし、そうだとすると、レンズができても、レンズの筋肉ができなかったり、たまたま、両方できても、網膜ができなかったり、あるいは、視神経ができなかったりすると思います。 これらの個別部品が、「同時期に一気」に全体が調和するように進化する理由がよくわかりません。また、「同時期に一気」にではなく、「別々の時期に、少ずつ」だとすると、まだ、レンズの筋肉ができていなかったときのレンズは、どうやって体内に固定していたのかとか、そもそも、「見る」という「有益な機能」に至る前の「ただのレンズ」などは、「自然淘汰」の過程で、存続し続ける必然性がないのではないかと思うのです。 ということで、進化論では、個別部品を統合したシステムとしての進化をどのように説明可能なのかを教えてください。

  • 他人の不幸を喜ぶ相対的幸福感は進化に必要だった?!

    「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。 「他人の不幸を喜ぶ相対的幸福感」は、 動物の進化に必要だったため、 遺伝情報として存在しているのでしょうか? 同じく苦労して育った人でも、 (1)他人に同じ苦労を味わうことはさせたくない、 と考える人と、 (2)他人には自分以上の苦労と苦しみを 味わうことをさせないと気が済まない、 と考える人に分かれます。 これは「育ち」だけでは説明がつかないと思われます。 やはり、 幸福感が絶対的 (他人の不幸と自分の幸福感に関連性が少ない)であるか、 幸福感が相対的 (他人の不幸を見て幸福感を感じる)であるかは、 生まれつきの脳の構造、 すなわち個々の遺伝情報による 個体差(個人差)があるのでしょうか? 善人悪人の区別や善悪の基準は 人間が決めたものに過ぎず、 自然界では何の意味も成さないというのは、 生物学や動物行動学の世界では もはや常識となっています。 幸福感の個人差に遺伝情報が関係しているとすれば、 相対的幸福感(他人の不幸を喜ぶ感情) の少ない異性と結婚することは、 場合によって自身の子孫繁栄に 不利となることもあるのでしょうか? 「お人好し」の男性を、男友達としては重宝しながらも、 決して異性のパートナーとして選ばない女性がいます。 それは女性が、 そのような気質(遺伝情報)を持つ男性の子を産むと、 自身の子孫繁栄に不利になると 本能的に判断しているからなのでしょうか?