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初めて歴史関連のカテゴリへの質問を提出しました。

西洋の魔女裁判と同じ様に、 何らかの独自的な研究に取り組んでいる方々を、 社会の権力者達が糾弾していた、 という事例は、前近代の東洋社会の歴史にも頻繁に登場していますでしょうか? 拙い愚問で御邪魔を致しますが、宜しく御願い申し上げます。

  • 歴史
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  • TANUHACHI
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回答No.3

 御質問のニュアンスに近い現象としては江戸時代の「蛮社の獄」が想起されます。 蘭学に対して国学者や幕府サイドの朱子学派によって行われた「言論弾圧事件」です。

JidousyaGaisya
質問者

お礼

御忙しい中へ御邪魔しながら畏れ入りますが、伺わせて下さい。 「盟神探湯(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%9F%E7%A5%9E%E6%8E%A2%E6%B9%AF)」は此の質問の回答に当て嵌まらない、と思われますでしょうか?

JidousyaGaisya
質問者

補足

私の拙い表現の意図を汲んで頂き、誠に有り難う御座います。 Wikipediaで「蛮社の獄」の語を検索させて頂きました。 新しい思想が輸入されて文化が変わっていく過渡期には、 矢張り日本でも弾圧が有ったのですね。

その他の回答 (2)

回答No.2

 こんにちは。  《戸谷新右衛門伝》を思い出します。  林基著・小室信介編『東洋民権百家伝 』(岩波文庫)所収。  江戸時代 和歌山の一人の庄屋です。  高野山へ年貢を納めるのですが 桝の量り方を 百姓に対しては不利にされていて これが永年に及ぶと 一揆ではありませんが その是正を担当の僧侶に願い出ました。  最後まで一人で闘い けっきょく願いが受け容れられず さらには江戸幕府にまで出向いて直訴しました。目的は達したのですが――幕府は事情を調べ確かめ 訴えを聞き入れましたが―― その後僧侶の人たちによって捕らえられ 石打ちを受けそのまま生き埋めにされ 犠牲となってしまいました。  次にほぼ全文を引きました。よろしかったらごらんになってください。  《戸谷新右衛門伝》  http://d.hatena.ne.jp/bragelone/20070308

JidousyaGaisya
質問者

補足

有り難う御座います。 紹介して下さった内容を、此の送信の時点で読み終えておりませんので、現時点で御返事を申し上げられませんが、後で纏めますから、御待ちになって下さいませ。

回答No.1

丸山ワクチン 北里柴三郎 杉浦千畝

JidousyaGaisya
質問者

お礼

「盟神探湯(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%9F%E7%A5%9E%E6%8E%A2%E6%B9%AF)」は此の質問の回答に当て嵌まらない、と思われますか?

JidousyaGaisya
質問者

補足

有り難う御座います。助かります。 因みに、質問文の中で、私は話題を『「前近代」の東洋社会の出来事』に絞り込ませて頂いていたつもりだったのですが、其処への強調が弱過ぎたようですね。 従いまして、畏れ入りますが、教えて下さい。 『近代科学が輸入される前の頃の東洋社会には、 「魔女裁判・動物裁判」の様な糾弾の憂き目に会った方々がいらっしゃったのでしょうか?』

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