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井伏鱒二の「山椒魚」で質問です。

小5の子供から質問されました。 「どうして山椒魚と蛙はお互い罵り合い、悪口を言っていたのに、次の年は両者とも黙っていたのか?」 駄目な母です・・・。山椒魚の気持ちも、蛙の気持ちも、全然分かりません(T.T) 心の中で「死んだフリじゃね?」なんて思いましたが、絶対ちがうな~っと思ったので答えませんでした。 どなたか教えて下さい。宜敷くお願いします。

  • sefu
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  • TANUHACHI
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回答No.3

 誠に失礼かとは存じますが、国語の設問には「正解」という存在はありません。正解のある問題が国語にあるとすれば、それは漢字書き取りであり、「文脈」をどう読み取るかとの点で「傍線部に関して著者が違う表現をしている部分がある。その言葉を書け」という出題はなされます。  井伏鱒二の『山椒魚』に関して言えば、終わりが2種類あって恐らくは改訂版のテクストだろうと思われます。これは私の理解ですが、前日まで罵りあっていた両者が翌日には沈黙を続けていた、という意味は互いに存在を認め合っていたことが次の段階で言葉を交わすことでの認め合いから「言葉はなくとも認め合っている」ことへの深化、じゃないのかということです。  文学作品は読者によっても理解の仕方は異なります。夏目漱石が好きな人でも『夢十夜』が好きな人もいれば『心』が好きな人もいます。或いは漱石よりも太宰が好きだという人もいます。どれが「一番イイか」などと決めることは不可能で無意味な問い掛けということはこれだけでもお分かりいただけるでしょう。この意味でこんな設問をする公文はロクな教室ではないことだけは確かです。

その他の回答 (3)

  • kine-ore
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回答No.4

「井伏さんの話によると、この作品はチェホフの「賭」を読んで書いたという。チェホフは一人の男が絶望から悟りに入るまでを書いている。しかし、「山椒魚」は諦めるところで打切ったという。」(小沼丹「井伏鱒二 作家と作品」) 「井伏文学は悲しみの文学です。山椒魚は悲しんだ。井伏はその処女作から悲しみの文学を書いたのです」(河上徹太郎氏談) 最後のセリフの「今でもべつに…」は、あくまでも「今でも」すなわち最初からであり、であればあれだけ罵り合った経緯からして、続く「べつにお前のことを…」の内容自体、もちろん本心ではあるわけがないという流れを無視され、勝手に友愛やストックホルム症候群扱いされるようなら、確かにカットした方が「あきらめと悲しみ」の意図ががはっきりするということでしょうか。

  • m2052
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回答No.2

これ公文の問題なんですか。すごいですね。 Netで検索しても、これが「正解」というのはみつかりませんでした。 棲家にしている岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、紛れ込んできた蛙を外に出さないように閉じ込めてしまって口論をしていた。 1年?経つと口論もしなくなった。 ここまでは、「自己のエゴを押し出してばかりいる自分に嫌気がさした」という解釈でしょう。 井伏鱒二はその後、体力もなくなった蛙が「君のことをうらんでいない」といった結末を、「友情の発生」と誤解されるのを嫌って削除したということです。 ですから、学校でどう教えるのかわかりませんが、非常に微妙な問題です。 すいすいとは答えられなくて普通です。 余談ですが、せっかくこの方法があるのですから、お子さんの疑問などをどんどん質問されてはどうですか。 子供の宿題とか、子供の問題集とかのカテゴリーがあればいいのですけど。

回答No.1

井伏鱒二は「山椒魚」の結末を晩年、喧嘩したままに変えました。 以下の考えは最初に発表された結末がお互いに許し合う方のものに対してのものです。 山椒魚と蛙はもう外に出られないんじゃないか、という自分たちの運命に気がつき始めたから黙っていたのではないでしょうか。 でも認めたくはないから、お互いに何も言わず黙っている。 そしてそれを認めたとき、運命にあらがえない者同士としてお互いを許し合う境地に至る、というのが改訂される前の「山椒魚」だったと思います。 改訂後のものを読まれていたら、すみません。

sefu
質問者

補足

申し訳ありません。 改定後のプツンと終るバージョンの「山椒魚」の方なんです。 2人で黙りこくって終るやつです。 削除された最後の所、まったく予備知識が無い状態での、各々の心情を推察するのです。 こんな事って、すごい難しいとおもいませんか? 公文の問題なのですが、もう、お手上げです。

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