レマルクの言葉の出所とアイヒマンの引用について
- エーリッヒ・マリア・レマルクの言葉「一人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字でしかない」とは、彼の作品ではなくアドルフ・アイヒマンの引用であることが近年の研究で明らかになりました。
- ウイキペディアによると、アイヒマンの裁判で彼は「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉を残しました。
- なお、ヨシフ・スターリンも同様の言葉を残していましたが、実際にはこの言葉はドイツの反戦作家レマルクのものであることが証明されています。
- ベストアンサー
エーリッヒ・マリア・レマルクの言葉(?)
「一人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字でしかない」という言葉。 ウイキペディア「ヨシフ・スターリン」によると「『1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字でしかない』という言い回しはスターリンによる言葉とされてきたが、これはドイツの作家エーリッヒ・マリア・レマルクによるものであるという。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3)とあります。では、このレマルクの言葉の出所はどこでしょうか?ご存知の方教えて下さい。 同じくウイキペディア「アドルフ・アイヒマン」によりますと、アイヒマンの裁判において「この公判時にアイヒマンは『一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない』という言葉を残した。ソ連の指導者で数十万から数百万人とも言われる政敵を粛清したことで知られるヨシフ・スターリンも同じような言葉を残しているが実際にはこの言はスターリンではなく、ドイツの反戦作家のエーリッヒ・マリア・レマルクの言葉だった事が近年証明された。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3) とあります。とすると、アイヒマンはレマルクの言葉を引用して、公判で述べたのでしょうか? これも、分かりましたら教えて頂ければ幸いです。
- mickyjan12
- お礼率34% (22/64)
- 文学・古典
- 回答数4
- ありがとう数4
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
Der Schwarze Oberisk, Geschichte einer Verspateten Jugendの邦訳。 『黒いオベリスク、ある遅い青春の物語』山西英一訳。河出書房新社。昭和33年(1958年) 但し、古書店(展)でも見掛けません。図書館などで捜された方が良いでしょう。 参考。レマルクの主な訳書。 http://homepage1.nifty.com/ta/sfr/remarq.htm (柳田泉氏の訳書は英訳本からの重訳、他は独逸本からの訳) 御参考にならば幸甚です。
その他の回答 (3)
- takurinta
- ベストアンサー率71% (64/90)
No.1です。 また少し調べました。 参考URLで「100の死は惨事、100万の死は統計」とアイヒマンが言ったとしてありました。それに対し、「それはスターリンの言葉だし、『一人の死は悲劇』が正しいよ」という突っ込みがあり、それに答えて、「出典はGuido Knoppの本です」と言っていました。 Knoppは「ヒトラーの共犯者 12人の側近たち」の著者なわけで、もしかしたら、この言葉の初出はクノップかもしれません。 また、「1944年にアイヒマンがそのようなことを言った」という誰かの証言が裁判の場でなされていたとしても、その証言をした時には証言者の記憶にスターリンの逸話が混入していた可能性もあります。 WEBでの調査には限界があるので、本気で知りたいなら、ちゃんとした文献調査が必要なようです。
お礼
takurintaさん、お礼が遅れてしまい申し訳ありあません。 実は、あの後、地元の図書館の司書のところに行きまして、アイヒマンの裁判記録の邦訳はあるのかどうか聞きましたところ、あるにはあるが国会図書館にしかないとのことでした。そしてそれは今、デジタル化作業にかけられており、それが出来上がるのが7月末だそうです。7月末になったら、それをWEB上でみることが出来るのか、貸し出し可能になるのか、調べて見たいと思います。アイヒマンが裁判で言ったというのであれば、それをしらみつぶしにあたってゆけば分かるのではないかと思います。 ウイキペディアにある記事は、出典が書いていないので、意外とほんとうかどうか分からないことがあるようです。 エーリッヒ・マリア・レマルクの言葉は確認できました。「黒いオベリスク」(山西英一訳、河出書房新社1958年)上巻p277.「たったひとりの死者は死であるのに、二百万はただの統計にすぎない」とありした。 これにて、一端みなさんからお答え頂いたことに対するお礼として、終わりたいと思います。 みなさん、ありがとうございました。
- takurinta
- ベストアンサー率71% (64/90)
No.1です。 また少し調べました。この言葉の来歴についての調査がありましたので、参考まで。 どうやら、一次ソースにあたらないと、本当のところはわからないようですね。こうなってくると、アイヒマンの言葉も実際の裁判記録にあたらないといけないのかもしれません。英語版Wikipediaにはそのような証言をしたという逸話が載っていないので、どこかから紛れ込んだ可能性もあるのではないかと思われます。
- takurinta
- ベストアンサー率71% (64/90)
元ネタはDer schwarze Obelisk (黒いオベリスク) という作品のようです。日本語に翻訳されているかどうかは知りません。
お礼
takurintaさん、早速のご回答ありがとうございます。 参考URLを見ました。英語が不得意なので正確には理解できませんが、大体分かりました。いずれにせよ、アマレクの「黒いオベリスク」は1956年の発行とありますから、スターリンはその3年前の1953年に亡くなっていますのでスターリンがアマレクの言葉を引用することは出来なかったことは明白なようです。 一方、アイヒマンは、1944年8月に問題の発言をしています(「ヒトラーの共謀者」(下)原書房p69)が、その時にはアマレクの「黒いオベリスク」は発行されていないので、これはアイヒマン独自の考えのように思えます。
関連するQ&A
- 「一人の死は悲劇だが、100万人の死は単なる統計に過ぎない」という言葉
こんにちは。カテゴリー違いでしたら申し訳ないです。 「一人の死は悲劇だが、100万人の死は単なる統計に過ぎない」 というのはスターリンの言葉ですよね。 これはどの様な状況で述べられた言葉なのでしょうか。 又、この言葉をどう解釈するべきでしょうか(どんな視点からでもかまいませんので) よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- なぜロシア・フォルマリズムはスターリン政権から政治的弾圧を受けたのか?
ロシア・フォルマリズム - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0 >スターリン政権からは政治的弾圧を受けた。 過去、政府から危険思想と見なされる要因は現代からでは意図のわからないものが多々ありますが、ロシア・フォルマリズムの場合、スターリンが恐れたのはなんだったのでしょうか?
- 締切済み
- 文学・古典
- 国語の宿題について
ウイキペディアで(視覚障害者のスポーツについて)という宿題が出ました。 この内容を原稿一枚にまとめて書いてきなさいという宿題なのですが なかなか詳しく書かれていて何をどういう風にまとめていいのやらわかりませんでした。 そこで、この宿題がうまくできるようにヒントをいただけないでしょうか? URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%96%E8%A6%9A%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 「お礼参り」という言葉は悪い意味での方が多用?
「お礼参り」という言葉は悪い意味での方が多用される? Wikiを見てると、悪いたとえで使われることが多いように感じましたが 「お世話になった人にお礼しに回る」という意味で使っても 間違いではないですよね? http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E3%81%8A%E7%A4%BC%E5%8F%82%E3%82%8A/?from=websearch を見ても「報復」が強調されてるように感じます。 私は、「お世話になった人にお礼しに回る」という意味でよく使っていましたが 間違いだったのか教えてください。ご回答よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 歴史の書物における“賊”ということば
歴史の書物によく“賊”ということばが出てきます。 蜂須賀小六(蜂須賀 正勝),村上水軍等。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10206347495?notice_type=empathy https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%B0%B4%E8%BB%8D これらで見る限り、このによく“賊”ということばが現代の我々の使う意味とは違うように思えてきます。 これらの時代の“賊”ということばの意味をどう理解していたらいいでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- ユリウス・カエサルが「寛容(Clementia)」ということについて語った言葉
今月3日夜6:30~TBSで放映された「新春超歴史ミステリー 古代ローマ1000年史!! 空前の巨大帝国全解明スペシャル」 http://www.tbs.co.jp/program/rekishi_20080103.html の番組中で、ユリウス・カエサルが「寛容(Clementia)」ということについて語った言葉は、正確にはどういうものだったでしょうか? 私のうろ覚えの記憶では、割と長い言葉で、たしか最後にあったのは「自分の信ずることを実行することだ、なぜなら他人もそう信じているからだ」というような言葉だったと思うのですが、その前に割と長い言葉が付いていた憶えがあります。番組では字幕が出ていましたが、録画しておかなかったことが悔やまれます。 要は、他者の異質性を認めた上で、自分の価値観を押し付けることなく他者の存在を受け容れるという、古代ローマの伝統的な価値観=寛容ということを、彼ならでは言葉で語ったものだと思われます。 「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」等の様に非常に簡潔な名言しか知らなかった私としては、こんな長い名言があったとは意外でした。 ちなみにWikipediaの「ガイウス・ユリウス・カエサル」のページ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB を調べましたがありませんでしたし、ネットの他のサイトにも、この言葉について言及しているものは見つかりませんでした。
- ベストアンサー
- 歴史
- ハリーポッター 死の克服について
下記サイトに以下のような説明が記載されていますが、どういう意味でしょうか。 最終巻でハリーが死の呪文を受けて、生還したのは、蘇りの石の効果だと思っていたのですが。 死の秘宝と分霊箱は、どちらも「死」を騙すことに使えると信じられていた。しかしダンブルドアはハリーに、死の秘宝の所有者を「死を制する者」とする一方で、「真に死を克服する者」は死から逃れられないからといって不死身を求めるのではなく、最後には死ぬことに喜んで応ずるのだ、と伝えた(そのため、ハリーが死の呪文を受けて生還したのは秘宝を揃えたからではない)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AE%9D#.E8.98.87.E3.82.8A.E3.81.AE.E7.9F.B3
- ベストアンサー
- 洋画
- 中学浪人や高校、大学浪人はどれ位いますか。
今までの統計で、中学浪人や高校浪人や大学浪人の方はどれ位いますか。高校に進学せず、一年間高校受験の為に一生懸命勉強しているような中学浪人の方、年齢で言うと、14,5歳くらいの人はどれ位いますか。 それらはWEB上の何処に記載しておりますか。統計が何処かにありましたら教えて下さい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93 中学浪人は稀で学力的にかなり不十分である生徒であっても
- 締切済み
- その他(学問・教育)
お礼
LN-TFさん、早速のご回答ありがとうございます。 お教え頂きました『黒いオベリスク、ある遅い青春の物語』山西英一訳。河出書房新社は、私の市の図書館にもないようです。どのような文脈の中で言われた言葉なのか、興味がありますので、もう少し捜してみたいと思います。 スターリンとアイヒマンの発言との関連は、takurintaさんへのお礼に私の推定を書きました。間違っているかもしれませんが・・・。