社会に貢献できない人間が生きる意義とは?

このQ&Aのポイント
  • 障害により就労が難しく、生活保護や障害者年金を受けて生活している人が社会に貢献できない理由として考えられるのは、経済的な支えや社会的な関係性の存在。
  • 生存権があるからといって自分が生きていいと考えるのではなく、社会の中で自身の存在意義を見出すことが必要。
  • 人間も自然界の一部であり、障害者も社会においてアンバランスな存在であるかもしれないが、その存在自体には意義がある。
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社会に貢献出来ない人間が生きていても良い理由は?

何らかの障害(身体障害・精神障害)により就労することが出来ず、生活保護や障害者年金の給付を受けて生活している人が生きていても良い理由というのは何なのでしょうか? # 私以外の障害を持つ方に対して「生きていてはいけないのではないか」と言うつもりは全くありません。 # 私が「自分は生きていても良いのか」と自問しているだけです。 -- 私はうつ状態のため長いこと心療内科に通院しているのですが、先日、広汎性発達障害の疑いがあると言われて、別の病院で詳しい検査を受けることになりました。 検査結果は出ておらず、まだ発達障害だと診断されたわけではないのですが、自分の抱えていたものが先天的な障害だったという結果が出ることに不安を抱いています。 また、私は現在30代で、これまで定職に就いたこともなく、実家で暮らしています。 これまで私がネット上で見て来た意見は、アラサー・ニート・パラサイトの組み合わせや(広汎性発達障害の一部であるところの)アスペルガー症候群、更には生活保護や障害者年金受給者に対して、死ねだとか社会の害悪だとか、とにかく否定する意見が支配的であるように思います。 ただでさえ心が痛い状況ですが、可能性の一つとして、私がこの先、生活保護を受けるようになった時のことを考えると、前文ような意見を持つ人が多いこの社会で本当に自分が生きていて良いのか、疑問に思うのです。 生存権というものが認められていることは知っていますが、「生存権があるから自分は生きていて良いんだ」という風には考えられません。 もし(私のような)社会に貢献しない障害者に対する否定的な意見がその社会において多数派なら、生存権も否定されるべきなのではないかと考えてしまいます。 人間も自然界に生きる生物である以上、集団・組織の一部として(私のような)不要な障害者は淘汰されるべきではないかとも考えてしまいます。 結婚は出来そうにないので、遺伝子的には淘汰されることにはなるのでしょうが……。 人間以外の生物にも、障害のある個体を護る仕組みがあるのであれば納得出来そうですが、残念ながら私はそういうものを知りません。 -- このような質問は本来医師やカウンセラの方にすべきものかも知れませんが、次回の通院までこの気持ちを抱えたままでいるのは苦しいので、質問させて下さい。 もし私が生きていても良いのなら、その理由を教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

たしかにナチスドイツはそういう考え方をしていました。 ではなぜ現代は否定されているか。それは、もし自分が障害者になったら、という前提があるからです。現代は、社会保障制度(医療封建・年金・失業保険)などが完備し、もし自分が転落しても、セーフティネットが守ってくれる(小泉がずいぶん改悪しましたが)という安心感を持つことができます。 社会として、”自分が転落しても大丈夫”という安心感を、社会の構成員に持たせることが政治に求められるのです。 ですから、あなたのような人間がいるとしても「自分の子どもが広汎性発達障害を持っていたらどうしよう。怖くて出産なんかできない」なんてことにならないように、「もしあなたの子どもが広汎性発達障害を持っていても、社会が助けますよ」という制度にしたんです。 これが人類社会の進歩です。

その他の回答 (8)

  • d194456
  • ベストアンサー率27% (423/1524)
回答No.9

ANo.8 に書いた者です。 僕は週に三回朗読ボランティアとして身体障害者施設に行っています。 そこで本を読んだり、話を聞いたりするのですが、施設の方は働いて、少しでも人の役に立ちたいと考えています。自分自身で出来ることは殆ど無いのですが、何をするにしても職員さんを呼ばなければ出来ない現実が有ります。 その人にも下に書いたような話をしています。 あなたが人の役に立つ方法は幾らでもあるのです。金銭を得ることだけが人の役に立つことではないことを知って下さい。 施設の職員さんは、入居者の世話をする仕事です。少しでも快適で元気な毎日が得られるようにと心を配ります。入居者の方に元気を配り、幸せを感じる様に声を掛けることだけしか出来なくとも、それで充分立派な仕事なのではないでしょうか。 あなたの目から見たら、もっとたくさんできることがあると思います。お互いに相手にしてやれることを増やしていけたら素晴らしいことだと思いますよ。

sorry_its_temp
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 実際にそういった現場で活動されているということで、とても参考になりました。 ありがとうございました。 -- 遅くなりましたが、ベストアンサーを決めてこの質問を締め切らせていただきます。 世間の人全てがここで返答下さったような考えをしているとは思いませんし、返答下さった方もここでの返答は一面(表の顔)でしかないのではないかという疑念も抱いてしまいますが、それでも2ちゃんねる等でのバッシングがコモンセンスのように感じてしまっていた私にとっては、ここでのご返答は励みになりました。 ご返答下さった方々、ありがとうございました。

  • d194456
  • ベストアンサー率27% (423/1524)
回答No.8

質問は二点の考え方があったと思いますので、その点について答えます。 (1) あなたに生きていても良い理由。 人は人類の進歩発展のためにこの世に生まれて来ました。では、その進歩発展の為とはどの様なことでしょうか。 人は人を幸せにするために生きています。その為には自分自身が幸せでなければ成りません。世の為、人の為に生きる喜びを知ってこそ、人が幸せに成るお手伝いが出来るのではないでしょうか。 あなたは仕事をして、何がしかの生産に寄与することが世の為、人の為と考えているようですが、他人を幸せにしないものなどの生産はいずれ滅びるものです。 もしも、あなたが他人と接することが出来るのでしたら、その人に、笑顔で「元気ですか!」と声を掛けて下さい。それだけで人を幸せに、元気に出来ると思います。他にも幾らも方法があると思います。 身体が動かない状態でも、目の玉の動きだけ一つでもあれば、人に幸せを配ることは出来ます。 それをすれば、人がこの世に生まれてきた理由に成るのだと思います。一考下さい。 賃金を得ることだけが人の為、世の為に成る生産ではありませんよ。 (2) 人間以外の生物にも、障害のある個体を護る仕組みがある理由。 仕組みはどの生物にも存在します。多剤耐性細菌とか呼ばれる細菌が有る様に、どの様な条件下でも生き残れるように生き物は、少し違ったものを生み出します。又、生物の多様性が話題になっているように、多様性を保つことで、生き残る機会の多い生物になります。エイズにしても、エイズウイルスの働きに負けない人達のいることが判っています。今あなたが障害と読んだことが、次世代の人間が生き残れるかどうかの問題にぶつかった時に役立つかも知れません。 そのシステムによって生き残ったもの達が全体の5~10%を超えてくれば、新しい種として活躍する様に成るのが自然選択と成るのでしょう。 人類が残る為には、多様性を保たねばならないのが大きな理由です。 あなたが提言した問題に、あなた独自の答えを書いてみませんか。

sorry_its_temp
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 (1)について、「人は人を幸せにするために生きている」というのは確かに一つの考え方だと思いますが、障害者を蔑む人にとっては、障害者がいなくなること(=自分が生きていないこと)が幸せとなるのではないかと考えてしまいます。 自分が彼らにとって穢多非人的な役割を担っているんだ、だから自分が生きていることで彼らの幸せに寄与しているんだというひねくれた考えも出来ますが、これはいささか不健全なように思えます。 ですが、こういう考えの基盤には恐らく「自分は誰も幸せにすることなど出来ないんだ」という思い(思い込み?)があると思うので、なるべくそう考えないよう努力したいと思います。 (2)について、多様性という言葉は知っていましたが、自分はその中での淘汰されるべき一個体でしかないと考えていました。 ですが、障害があると言ってもそれは一つの側面から見た場合の話で、もしかしたら別の側面では人間の進化に寄与出来る部分があるのかも知れませんね。 そう考えるともう少し生きていても大丈夫なのかなと思えました。 ありがとうございました。

noname#246942
noname#246942
回答No.7

そんな事、考えなくても良いです。 私は健全者で、仕事もしておりますが、それが「社会貢献」だとは思っておりません。 私は「自分の為に仕事をしている」だけです。 そうでないと食っていけないからそうしているだけの話です。 なので、あなたのように「働きたくても働けない」状態であるのなら、それも仕方ないのだと思います。 それが「生きていてはいけない」理由にはなりません。 人間は他の動物とは違い、「お金が無ければ食べる」事が出来ないのです。 他の動物は、「障害があれば食べる事が出来ない」ので、結果淘汰されてしまうだけです。 だいたい「社会貢献」を盾に取って、人様の生き方を非難しているような奴にはろくな奴はいません。 もし、あなたの言われている「生存権」が無かったら、その生き方を非難している多くの人は、淘汰されるのだと思います。 だいたい「社会貢献」の基準はどこにあるのでしょうか? 一体それを誰が決めると言うのですか? あなたが今ここで、このような優れた文章内容の質問をし、もし自分の生きるべき理由を見つける事が出来たのならば、あなたと同じ理由で悩んでいる数多くの人達に生きる勇気を与える事が出来ると思います。 それは「立派な社会貢献である」と自分は思います。 生存権の主張する「人はどんな理由があっても死んでも良い人間はいない」と綺麗事を言うつもりはありません。 生存権がある為に生かされていると思う人間は「自分の都合で人の命を奪った人間だけだ」と自分は思います。 良いですか? いつでも『自分自身の為に生きて下さい』

sorry_its_temp
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 > (略)あなたと同じ理由で悩んでいる数多くの人達に生きる勇気を与える事が出来ると思います。 ANo.5と同様に、この考え方(あるいはこういう考え方をする人がいること)がとてもしっくり来ました。 がんばって生きてみようと思います。 ありがとうございました。

回答No.6

No.4、No.5です。ごめんなさい、もう一つ。 No.3のusktさんと、私の主張に微妙な違いがあることに注意してください。usktさんは、社会への貢献という視点から論じています。しかし私は、 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 という考え方に立脚しています。 人間として生まれた段階で、尊重されねばならないのです。障害を理由に差別してはなりません。 欧米でクジラを守れと騒いでいる団体がありますが、彼らは「クジラには知性があるから」という理由を掲げています。クジラが人間社会に貢献しているか否かは、問うていません。知性を持った存在であるというだけで、捕鯨(殺鯨)に反対するのです。 ましてやあなたはホモサピエンスです。あなたは尊厳を持って生きる権利を、社会から認められているのです。

sorry_its_temp
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ANo.3、4、5とまとめて失礼いたします。 > 社会として、”自分が転落しても大丈夫”という安心感を、社会の構成員に持たせることが政治に求められるのです。 この文章にとても納得させられました。 今生活保護受給者を蔑んでいる人たちが、もし生活保護を必要とする状況になったとしても、社会は当然彼らに支給するでしょうし、政治というものは健常者だけでなく障害者からの視点でも行われないといけないのですね。 ……何だか当たり前のことを書いているような気がして来ました。 精神的なショックで視野が狭くなっていたようです。 > だから、あなたも正々堂々と生きてください。 (略) 確かに、私が堂々と生きることで、自分と同じような状況の人にとって何らかに励みになれるのであれば、それは嬉しいことです。 なかなか難しいですが、できるだけ前を向いて生きていこうと思います。 ありがとうございました。

回答No.5

No.4です。書き忘れがありました。 だから、あなたも正々堂々と生きてください。というより、そうでないと困るのです。あなたをみた誰かが、「自分もああなったら憲法の生存権にすがるしかないのか」と暗澹たる気持ちになります。「ああいう人も誇りを持って生きている。自分も頑張ろう」と思える社会なのです。

  • uskt
  • ベストアンサー率49% (361/733)
回答No.3

人が社会的に必要かどうかで選択されること自体が、社会への損失だからではないでしょうか。 社会というのは、結果的には人間の生存と存続に最適化されるように動いています。 ですから、一見すると、その社会に貢献できる人のみに、生存の意味があるように見えます。 しかしながら、たとえば子どもの養育のように、弱者を保護し育てる仕組みは、親だけでなく社会全体で持たなければ、将来的な社会の存続があり得なくなってしまいます。逆に考えると、子どものいない人は社会の存続に貢献できないかというと、そうではなく、社会の一員として子どもの養育の一翼を担っているので、その面でも貢献できているわけです。 これと同じで、たとえば何らかの障がい者あるいは病人などの場合、その障がいあるいは病気が治れば、社会に貢献できるのですから、一時的に損失となってもそれを保護・養育しておくのは社会に重要な機能となります。もちろん、非常に治りにくいものであっても、治る可能性は将来的には出てくるかもしれないので、同じです。 また、実際問題として結果的に治らなかったとしても、障がい者であることや、病人であることを理由に、社会から放擲される可能性がある場合と、そうでない場合で考えてみましょう。 誰でも、高齢になれば病人かそれに近い状態になるはずですが、自分が将来的に社会的に棄てられる可能性が高いとわかっている社会に対して、最大限貢献しようという気持ちになれるでしょうか?どちらかというと、そういう社会では、自暴自棄に、その場だけの快楽で生きて行く人たちだけになってしまい、あまり明るい未来はないでしょう。 自分がいつ病気になっても、あるいは障がい者になっても、またさらに自分の産んだ子が障がい者であっても、きちんと人間としての尊厳を守ってもらえるということがわかっていてこそ、安心して社会の発展に貢献しようと(意識するとしないとに関わらず)、人は生きて行くことができるわけです。 実際にこういう判断が働いて、人は生きているべきとされているかどうかは、わかりません。 しかし、社会が発展していくにしたがって、学校や病院が整備され、そこへ入るためにみんなからお金を集める制度が整備されていったというのは、そうすることが社会のためになるという、最適か判断が働いているからに違いありません。 私はそのように考えています。

sorry_its_temp
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 参考になりました。 「治る可能性」については、今の私は自分に先天的な障害があることを意識してしまっているため、どうしてもあり得ないのではないかと思ってしまいます。 しかし身体障害者の方が義足や義手で障害のある部分を補っていることを考えると、精神障害の場合もいずれは障害を補うような医療技術が出て来るのかも知れませんね。 「高齢になれば~」というのは、その人がそれまでに社会に貢献して来たという基盤があってこそ社会から見放されないのでは、と考えてしまいます。 一方「自分の産んだ子が障がい者であっても~」というのにはとても納得出来ました。 ありがとうございました。

回答No.2

日本は働かなくても、他人の生活を妨げることで、高収入が得られる稀有な国です 「俺達の為に働け、働かない奴は失業だ」 と一日中叫んでおります

sorry_its_temp
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 しかし申し訳ないのですが、仰る意味がよく理解出来ませんでした。 ANo.1 とまとめて失礼いたいます。 > それは非難する為に、社会に貢献させないからでしょう 「それ」という指示語が指しているのは何でしょうか? 「生きていても良い理由」だと上手く当てはまらないように見えます。 「社会自身が障害者を貢献させない」という文脈なのであれば、生活保護は軽度の障害者に対しては社会参加を促す目的で支給されるものだったと思うので、間違っているような気がします。 > 自分が働かないだけでなく、他人の勤労まで妨げている屑がいることを これは障害者のことをおっしゃっているのでしょうか? > 日本は働かなくても、他人の生活を妨げることで、高収入が得られる稀有な国です これは恐らく、株や不動産、アフィリエイトなどによる不労所得のことをおっしゃっているのだと思いますが、この質問ではそういう話はしていません。 もし生活保護のことをおっしゃっているのなら、その額は決して高収入と言えるものではないと思います。 もちろん、発展途上国の人から見れば恵まれていることは間違いないですが。

回答No.1

それは非難する為に、社会に貢献させないからでしょう 賢い世間の人々はご存知です 自分が働かないだけでなく、他人の勤労まで妨げている屑がいることを

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