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夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか

noname#156094の回答

noname#156094
noname#156094
回答No.51

(1)始めに 伝説や民話の類に惹かれるのは、そこにフィクションとしか思えないような現実離れした奇想天外な要素が盛り込まれているからなのでしょう。 物語として人に媚びるフィクションという要素があってこそ、伝説や民話が成り立っていると言ってもいいと思います。 伝説や民話からフィクションという、化けの皮のような要素を少しづつ取り去ってゆくと、やがてそこには何も残らない場合と、何かが残る場合とがあるように思われます。 何かが残る場合に於いては、見方によってさらに分けてゆく事が可能のようにも思います。 それは、ごく何でもない陳腐な出来事であるかもしれませんし、或いは反対に、思いもよらない事実であったり、また、驚くに値する真実であったりするかもしれません。 後者の場合に於いて、そのような重い事実があったとするならば、事実をフィクションによって隠さねばならなかった理由や必然性があったと見るべきなのかもしれません。 そのような過程を経て成立した伝説や民話も少なからずあったのではないでしょうか。 また、そうした伝説や民話に秘められた事実の中には、時代を超えた人間的な普遍性といったものが含まれている可能性すらあるかもしれません。 以上の見方を踏まえつつ、虚実入り乱れた伝説や民話の世界に入っていきたいと思います。 (2) 二つの伝説 鶴の恩返しの民話とよく似ていると思われる伝説を二つ取り上げてみたいと思います。 一つは前に紹介した、茨城県竜ケ崎市の女化稲荷神社に伝わる狐女房譚といわれる伝説です。 http://www.ushikukankou.com/onabakeinari.htm http://ibatabi.dayuh.net/ryuugasaki/meka.html http://www.ushikunuma.com/onabake/onabake1.htm http://www.rekitabi.sakura.ne.jp/ もう一つは、大阪府和泉市の葛葉稲荷神社に伝わる、通称「葛の葉物語」ともいわれる伝説です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E3%81%AE%E8%91%89 http://www.ican.zaq.ne.jp/sinodanomori/kuzunohamonogatari.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E5%A4%AA%E6%A3%AE%E8%91%9B%E8%91%89%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%B4%E6%98%8E どちらも大筋では狐の恩返しという点に於いては非常によく似ているものです。 この二つの伝説を比較しながら、まずは共通点といったものを探ってゆきたいと思います。 関係すると思われる、史実によって明らかな事柄や年代は大よそ以下の通りです。 女化稲荷神社に関して 栗林義長の祖父生まれる(狐女房譚)年代不詳 伏見稲荷神社より勧請にて創建 1505年 栗林義長生まれる 1527年(1529年?)  〃  戦乱の中にあって関東の孔明と言われるほどの活躍をする・室町時代の末期  〃  稲荷社の御宮、拝殿を建立  〃  没 1590年 63才(1587年 58才?) 葛葉稲荷神社(信太森葛葉稲荷神社)に関して 奈良時代に創建 708年 安倍清明生まれる 921年(葛の葉狐の伝説)  〃  陰陽師として名高い活躍をする・平安時代の中期  〃  没 1005年 84才? この二つの伝説の年代的な差は約500年以上もあり、地理的にも関東と関西という遠く離れた場所に於いて成立した伝説であったという事になります。 この事も大切なキーワードになると思われます。 狐の恩返しにより生まれたとされる子供やその孫が、共に歴史に残る人物になったという物語から、共通する事柄を多少の推測を交えながら掬い取って見てゆく事にします。 (続く)   

bragelonne
質問者

お礼

 へたのすけさん こんばんは。たしかに大掛かりですね。たいへんな――ご回答・ご論文をありがとうございます――構想を練らないことには なかなか説明がむつかしいようにも思われる主題になりますね。はっきりとは書かない(言わない)かたちでの伝承のようですから。  まづはわたしがこの話を――特に木下順二の作品にかんして―― そういった被差別民の物語であるとは見て取ることが出来なかったのは何故か。これについて弁明します。  異類婚姻譚にかんして その異類を《よそ者》と捉えた場合  ☆☆(No.44お礼欄) 《よそ者》には異族ないし外国人から違う村の者やあるいは同じ村の中のたとえば被差別民という場合などを含むかと思われますが  ☆ とさえ書いているのに 作品《夕鶴》については 被差別民という解釈をなぜ当てはめなかったか?  ☆☆(No.40お礼欄) ~~~~~~~  〔異類婚姻譚は〕 何らかの因縁があって仲の良くない村どうしのあいだで 交流や恋愛がふと起きてしまったというような事件とその後の経過を言おうとしていましょうか?  もしそう解釈するなら 初めは出身の村を隠していたが ついに見つかってしまった。そのあとは それでも仲良くつづけてやっていく場合もあれば ただちに元の村へ帰らざるをを得なかった場合とがあるのでしょうね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ という基本線でのみ解釈していたのはなぜか?  理由のひとつ目として:文学作品は――民話伝承がそうであり得たとしても 小説や戯曲は――判じ物ではない。つまり つうの悩みや苦労について 読者や観客に分かるように書くのがふつうだと思われる。  2. つうは おカネとは何であるかを知らないという設定である。あるいは それでも羽根を抜いて布を織るとき最後に飛べるだけの羽根は残すというはからいをおこなっている。このような人物像は 読者をして全体として描きがたいという思いを持たせる。つまり 文学として破綻している感がある。  3. いくつかある鶴の恩返しもしくは鶴女房という民話には 正体が明かされたあとも二人仲良く暮らし続ける場合を伝えるものもある。その幸福な結末については もし被差別民の話であれば そうとう込み入った説明が必要だと思われるのにそれがないとなれば その物語として見てみようとは思わなかった。  4. 木下によれば つうは《純粋日本語をしゃべる》という人間類型であると言う。これは 被差別民のあり方もしくは人となりには あまりふさわしくないと思われる。たぶん《しゃべる》のではなく 純粋日本語が分かる・理解できるという設定になるのではないか。そうでないとおかしい。    5. 言いかえると――(2)のおカネを知らないということとも関わるが―― そういうよそ者の類型としてのつうであるなら 立ち場(身分)の上から 社会生活に苦労がつきものであることが分かっている。お金の苦労も分かる。なおかつ 純粋日本語も分かるというような人物像ではありえたとしても ただただ独りだけ純粋日本語をしゃべるというような人となりに描かれては 何とも捉えようがない。  6. もう理由として述べる体裁から離れますが  ★ ~~~~~~~~~~~~  〔民話や伝説を構成する要素の中には 現われているものも隠れているものも含めて・・・〕驚くに値する真実であったりするかもしれません・・・〔そ〕の場合に於いて、そのような重い事実があったとするならば、事実をフィクションによって隠さねばならなかった理由や必然性があったと見るべきなのかもしれません。  そのような過程を経て成立した伝説や民話も少なからずあったのではないでしょうか。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ つまりは そういう要素を見つけ引き出して来るという作業を木下は やったと思っているであろうけれど その成果には あまり大したものもない。つまりは 要素ごとに見るべきものがあったとしても 全体として・一人ひとりの人物像として まとまりに欠けていたのではないか。  なお これまでの被差別民の主題についての質問です。  【Q:《およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当》】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6070243.html  【Q:えた・非人は 天皇の子どもが その地位に落とされ 制度としても成ったのではないか?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6023047.html  【Q:部落民・在日朝鮮韓国人・暴力団についてのもんだい】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5995036.html

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