- ベストアンサー
桶狭間の戦いについて詳しく述べてある参考文献を教えて下さい。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
藤本正行『【信長の戦い(1)】桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった』(洋泉社新書y 2008) 上記の著書が近年ではまとまった桶狭間の戦いの研究書だと思います。 『信長公記』に基づく「正面攻撃説」の論者ですが、「正面攻撃説」批判への反論や他の諸説についても言及されていますので、その中で興味のある説があれば、参考文献から参照されるとよろしいかと。 ただ、信長を天才視する従来の歴史観ではなく、過大評価ではない等身大の信長に迫ろうとする観点で著されていますので、小説などの一般的な信長像から興味を持たれたのであれば、ギャップが大きすぎるかもしれません。 なお、 谷口克広『織田信長合戦全録』(中公新書 2002) 同『信長の天下布武への道』(吉川弘文館 2006) これらの著書も合戦の経過について詳細に記述されています。
その他の回答 (3)
- hikarimon
- ベストアンサー率33% (9/27)
太田満明著「桶狭間の真実」KKベストセラーズ刊 こちらも、是非参考にしてみてはいかがでしょう。
- kimari14
- ベストアンサー率17% (50/288)
水野氏研究会で検索してください。 桶狭間戦(西三河尾張国境紛争戦)当時大高周辺から知多半島を支配していた 水野信元を含む水野一族を研究しています。 当然、信長とも義元とも関係する事柄についてもレポートされています。 単に西三河と尾張での国境の紛争戦であるように見えても 義元の狙いが信長の財源の基である伊勢、津島、熱田、田原の三河熱田伊勢湾海運の 奪取にあったともレポートしています。間違っても義元が京にいくための途中の 戦いではありません この研究会で過去に発表されたものもチェックしてみて
- rurubonpp
- ベストアンサー率26% (128/488)
参考文献にはならないかも知れませんが、漫画の「センゴク外伝 桶狭間戦記」(宮下秀樹 講談社)が良く出来ていると思います。 作者の宮下秀樹氏が、色々な参考文献を元にして自分の考えを交えて桶狭間の戦いについて漫画として描いてますが、非常に勉強になる内容になっています。1巻から読めばその時代の背景もわかって勉強になると思います。 特に、当時の気候と貨幣経済の発展についての言及はためになります。この貨幣経済の発展と今川義元がなぜ桶狭間に進路をとったのかの解説が面白いですね。
関連するQ&A
- 桶狭間の戦い後について。
桶狭間の戦いでは、豪雨で移動の音がしない時に織田信長が正面から突撃を仕掛けて、それが偶然にも今川義元の本隊であり、今川義元の警護の兵はあまり先頭慣れしていない兵が5000人ほどに対して、信長の精鋭2000人がぶつかって信長が勝利した、と言われていますが(いろいろ説がありますが今回はこれでお願いします)。 これについて、桶狭間の戦いの後に信長自身が、「実力も器も今川義元の方が上だった、自分が勝利したのは、ただ運が良かっただけ。」というような趣旨のことを言ったって本当ですか? 参考になるサイトや本があったら教えて下さい。
- 締切済み
- 歴史
- 『桶狭間の戦い』の謎???
『桶狭間の戦い』に関する記述で「信長公記」に書かれているものは 1.信長は「おけはざま山」近辺の地理(潮の干満、山の勾配など)を完璧に把握していた。 2.義元はおけはざま山に陣をはっている最中に襲われた。 3.義元が襲われた時、雨が止んだいた。 4.地元の人間が酒などを奉納したという事は書かれていない。 5.木下藤吉朗の事はまったく書かれていない。 などが書いてあります。 特に不思議な事は最終場面では信長勢の2000名が、今川の本陣300名に攻撃を仕掛けています。 つまり兵力の逆転現象が起きています。 ということは、やはり奇襲攻撃だったのでしょうか? 司馬遼太郎は信長が桶狭間の戦いで勝利した理由としては 「騎兵の集団活用により、思いもよらぬ速度で今川の陣に突撃したため」といった理由を挙げています。 また、日本史上、騎兵のみで編成された部隊を用いたのは源義経と信長だけと書いていました。 武田の騎馬隊は歩兵との混合部隊なので純粋な騎馬隊とはいえないそうです。 モンゴルやハンニバルのように騎馬隊を用いたのは源義経と信長だけと書いていました。 司馬遼太郎が挙げる桶狭間の戦いで勝利した理由は正しいのでしょうか? あなたが知っている『桶狭間の戦い』の真実を教えて下さい。
- ベストアンサー
- 歴史
- 桶狭間の戦いの大まかな流れを教えてください。
桶狭間の戦いの大まかな流れを教えてください。 1000字以内でお願いします。 できれば、あまりにも細かくなりすぎないで頂きたいです。 細かな情景や細かな心理状況以外で、尚且つ今川氏と織田氏の桶狭間の戦いの前後を含む大体の流れはきっちり把握したいと思っています。 回答お待ちしております。
- ベストアンサー
- 歴史
- 桶狭間の戦い、その後について教えてください。
桶狭間の戦い、その後について教えてください。 桶狭間の戦いで信長は今川義元の首を取ったと思いますが、その後今川領がすぐ信長のものになったのではないとおもいます、尾張の隣に三河があり、家康がいるはずです。 家康は義元の首が討ち取られた直後に独立して三河領を平定したと記憶していますが、 信長はあの戦いで何を得たのでしょうか? またその後あのあたりはどうなっていったのか軽くでもいいので教えていただければと思います。 それではよろしくお願いします。
- 締切済み
- 歴史
- 桶狭間の戦いの際の斉藤氏
こんばんは 最近まで特に疑問に思うことは無かったことなのですが、桶狭間の戦いの際、隣国の斉藤氏は何も動きを見せなかったのでしょうか? 今川勢に対処するために織田勢が東へ集中している隙に、斉藤氏が南下しようとするような動きはなかったのでしょうか?
- 締切済み
- 歴史
- 参考文献について質問
大学生です。 論文というかレポートを書いていて疑問に思ったのですけど、参考にした、もしくは引用した資料があるとき(○○ 2006)という風に書いて、巻末に参考文献リストを作って ・○○(2006)「~~~について」『□□論集』1-20△△大学 というふうに書きますよね? そこでもし同じ著者で参考にした文献が複数あって、その文献の発行年数が同じとき ・○○(2006)「~~~について」『□□論集』1-20△△大学 ・○○(2006)「……についての考察」『△△紀要』1-20□□大学 というような場合、(○○ 2006)とするだけじゃどっちの文献を参考にしたか分からないですよね? こういう場合どう記述したらいいんでしょう? 論文の書き方について詳しい方お願いします・
- ベストアンサー
- 大学・短大
- 参考史料と参考文献の違い
卒業論文の計画書を出す際に、参考史料と参考文献の欄が別々だったのですが、この2つの明確な違いってあるのでしょうか? きわどいラインだと思っているので困ってます。よろしくお願いします。
- 締切済み
- その他(学問・教育)