職業に貴賎なし?発想の起源と考え方

このQ&Aのポイント
  • 職業に貴賎なしという考え方は江戸時代の石田梅岩によって始まったと言われています。しかし、朱子学や石門心学などの儒教の発想では、職業や人には上下が存在するとされていました。
  • 一方、西洋ではプロテスタントのカルヴァンが唱える「天職」という概念によって「職業に貴賎なし」という考え方が見られます。また、江戸時代には商業倫理や商人道などの職業倫理が高まり、この考え方が影響を与えた可能性もあります。
  • 現代においては非合法な職業を除けば、すべての職業は同格であり、貴賤の区別はないと考える人もいます。職業によって必要とされ、お金を払って成り立っている以上、どの職業も同じく価値があると捉えることができます。
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「職業に貴賎なし」という発想はどこから出てきているのでしょうか?皆さん

「職業に貴賎なし」という発想はどこから出てきているのでしょうか?皆さんの考えを教えてください。 この文言自体は江戸時代の石田梅岩が言い始めたらしいというのは調べてわかりました。 朱子学のことはよくわかりません、石門心学についても知りません。ただ、それ以前の儒教的な発想では、職業にも人にも「貴賤」とまで言わなくても、上下のようなものがあると私は理解しています。 一方で、西洋を見てみれば、プロテスタント、特にカルヴァンの言う「天職」という発想には「職業に貴賎なし」が見て取れるのではないかと考えています。 江戸時代には商業倫理というか、いわゆる商人道みたいなものができて、職業倫理みたいなのが高まったこともあるのかなぁといろいろ考えています。 現代に生きる私の個人考えでは、非合法なものでなければ、職業という職業はすべて同格で、貴賤はないと考えています。だれかが必要としてお金を払い、成り立っている以上、売っているモノに関わらず、その額にかかわらず、同じように貴いと思っています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ksm8791
  • ベストアンサー率44% (125/284)
回答No.1

質問者の考え「職業という職業はすべて同格で、貴賤はないと考えています」に賛同いたします。 責任が重いとか大変な仕事に対して、報酬がある程度多くなるという仕組みはもちろん必要だと思います。 これについても大抵の方が理解し納得していることなので論点にはならないと思います。 しかし、現在拡大し続けている『格差社会』に対してはどう考えているのでしょうか? 私が子供の時には「ごみ回収の仕事」や「バキュームカーでの作業員」、「高所での作業」など人が嫌がる仕事は高給なんだよと教えられました。 では、介護職はどうでしょうか?適切な収入になっているでしょうか?非常に尊い仕事だと誰もが思っているはずなのに・・・。 非正規雇用についてはどうでしょうか?製造業で正規職を希望しながらも非正規にあまんじている人達は雇用においてハイリスクにもかかわらずローリターンで働いているといえるのではないでしょうか。 代議士もドクターも弁護士も教師もみんな『先生』と呼ばれて尊敬の対象となっています。 この人達はこういう問題をどう考えているのでしょうか? 小泉純一郎元総理やオリックス宮内会長は今の資本主義の暴走をどう考えているのでしょうか? 恐らく世の中においては人を見下す人間も少なくないでしょう。 職業はもちろんですが、家柄や貧富の差などによって人間の価値を計ることがないように・・・、未熟な私は常にその事を心がけています。 私の考えに対しても異論・反論は多いでしょう。 非常に良いテーマだと思います。 ひとりよがりの意見ではありますが、ご参考まで・・・。

tuktukrace
質問者

お礼

ありがとうございます。 まず、この質問の趣旨は「職業に貴賎なし」という発想の成り立ち、どういった経緯で生まれてきたのだろう、ということを広く皆さんの意見を聞きたかったということです。ルーツは決して一つではないでしょう。原因も一つではないでしょう。 しかし、こうした趣旨を考えれば、ksm8791 さんの回答は残念ながらフォーカスがずれています。 しかし投げかけられている問いがあるのでそれには答えたいと思います。 >しかし、現在拡大し続けている『格差社会』に対してはどう考えているのでしょうか? この問題には過剰に反応する人が多いと思うので、軽はずみに答えるのは気が引けますが、 どこを対象に、何を持って「格差」とするのかが非常に大切であると思っています。 ともすれば、なんでもかんでも「格差」というマジックワードに収束しがちです。 >では、介護職はどうでしょうか?適切な収入になっているでしょうか?非常に尊い仕事だと誰もが思っているはずなのに・・・。 先ほどの問いと同様に、「格差」と、「金銭的報酬」の問題がまぜこぜになっているような気がします。 職業に貴賎があるのかないのかというのは思想的/倫理的な問題であるのに対して、 その職業が得る収入というのはあくまで経済的な話です。この二つはまったく別物です。 (だからといって、介護職が安い給料でよい、非正規労働者の問題を肯定する、というわけではありません) 職業に貴賎がないとして、じゃあみんなの収入も同じにすべきと言うことですか? だとしたら、職業の貴賎とは報酬の多寡で計るものだと言うことになりませんか? "介護職は非常に尊い仕事だと誰もが思っているはずなのに"というのは、裏を返せば介護職より貴くない仕事があり、 介護職より貴くない仕事なのに介護職より多くの報酬をもらっていることに違和感を覚えている、ということですか? 職業に貴賎がなかったとしても、収入に差があるのは別問題です。 繰り返しますが、職業の貴賎と、収入の多寡がごちゃまぜになっていませんか。 資本主義の暴走とは、果たして具体的に何でしょうか? 資本主義が暴走した結果、民主主義の領域に入ってきてしまっているという話であれば、私は問題だと思います。 (ロバート・ライシュの『暴走する資本主義』を読みましたが、まさにあれの話ですね) しかし、文脈から考えて、ksm8791 さんが"暴走"と感じているのはまた話が違うようにも思いますがどうでしょう。 うーん、ちょっと書きすぎましたね。

tuktukrace
質問者

補足

訂正します >先ほどの問いと同様に、「格差」と、「金銭的報酬」の問題がまぜこぜになっているような気がします。 ではなく 先ほどの問いと同様に、「貴賤」と、「金銭的報酬」の問題がまぜこぜになっているような気がします。 格差、ではなく、貴賤、です。

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